ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

曽野綾子さんの言う「無理な公約」

2011年02月18日 | 新聞から





私は前に民主党は何故『人を怠けるように怠けるように仕向けるのか』と書き
ました。曽野綾子さんが「無理な公約」として、エッセイを書いておられます。そ
の中には表現の違いこそあれ、気持ちは同じと言う感じを受けました。

曽野さんは次のように書いておられます。『…前略… 世の中には古来素朴な原
則があった。それはお金がなければ出来ない。お金がなければしたいことも諦め
る。と言う大原則があって、人間はそれにしたがってきたのだ。

お金は打ち出の小槌で出すわけに行かない。だから本当に欲しいものがあるなら、
お金が出来るまで人間は我慢して待ったのだ。 …中略… しかしローンと言う名
の、人聞きのいい借金制度が出来てからは、誰もが前後の見境もなく欲望をまず
満たし、責任や返済は後回しするようになった。国民が国家にお金がなくとも出せ、
と言う姿勢に慣れると、国民の代表である政治家も同じような感覚と思想の持ち主
だから、金も無いのに金を出す事を平気で約束するようになった。この際こうした精
神的な悪循環はぴったりと断って、お金がなければ公私にわたって貧乏を甘受する
事を、人生の道理としなければならない、と私は思う。 …後略… 』

私も同感だと思います。この世の中で皆平等なんてありえない。他人には不平等に
見える事でも、本人はそう思っておらず、自分は程ほどの幸せの中に生きていると
思っているかもしれない。何が幸せで、何が不幸かは、その人の心の問題であって、
他人がとやかく言うべきものでは無いと思っています。

借金する事すべてが悪いとは思は無い。そうしなければ生きていけない場合だって
あるからです。戦争ですべてを失った母は、助ける人があって、借金して、戦後、店
を持ちました。母は一日の終わりに、その日の売り上げから、まず明日の仕入れの
お金を残し、次に借金の返済の為のお金をとり、残ったお金を生活費として、3つ
の袋に仕分けして入れていました。その生活をそばで見て育ったから、私は知らず
知らずの内に、借金にも、生きるためにする借金と、我慢する事を知らない、欲望
の為にする借金がある事を学びました。

だから、私はローンと言うものを使ったことがありません。家の建て替えの時も、
お金を貯めてからしましたし、ましてや欲しいからと言って、宝石や衣類、その他
身の回りのものをローンで求めた事はありません。

その生き方は今も続いていて、会計簿の黒字が溜まって、初めて旅行に出ていま
す。だからやり繰りも楽しいし、無駄も省きます。もうこの年ですから、節約はお金
を貯めるためではなく、思い出作りの旅行を楽しむ為にしています。

身の程を知る生き方が、私の生き方ですし、だから心豊かに生きられると思ってい
ます。



     




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする