「節分の降参する鬼達」 尼崎・スポーツクラブ・ウッディのカウンター (11-2-3)
今日は節分です。夜には豆まきの声が聞こえるでしょうか?その昔、子供の頃、
楽しみでしたね。年の数だけ豆が食べられる大人たちがうらやましかった覚えが
あります。今は、「そんな事したら歯がいたむな~」と話しています。
お寿司屋さんがお鮨を売り込むために始めた「恵方まるかじり」も定着しましたね。
スーパーの寿司売り場では人が群がり、お買い物籠には家族の人数分でしょうか
色んな組み合わせの巻き寿司が入っていましたよ。これも私達には湿った海苔が
噛み切れないかな~とパス…。
残るは鰯の焼き物。鰯を焼く煙で鬼が逃げるらしい。今の魚焼き器、煙出さないよ
うになってません?昔は七輪の火で、盛大に煙を上げていましたね。その「鰯の頭」
を柊の枝にさして、玄関の柱に飾ると「厄除け」になる、私の子ども時代は確かに
玄関の柱にさしてありました。今日は「鰯の頭」すでに切り落とされたのも置いてあり
ました。我家はこれもパス。小骨の多い鰯は「フライ」しか食べない。小鰯は生姜と煮
て食べるのが美味しいのですが、なかなか小さい鰯は手に入りません。今晩は普通
のお晩菜で~す。
この2枚の写真は70年ほど前の私なんです。節分の日は「お化け」といいまして、
実際と違う人に化けて楽しんだ習慣があったのです。
左の写真は頭の上にちょこんとのっているのは「丸髷:結婚した人が結う髪型」が
のっているのです。私は子どもですから、大人に扮しているというわけです1年と
4ヶ月だと思います。
右は4歳ぐらいでしょうか、私は女の子ですから、男の子に扮しているわけです。
「田舎茶屋」と言うのは店の屋号ですから、私は「田舎茶屋の○○ちゃん」と呼ば
れていました。
こうして写真をお見せすると「お化け」と言うのがどんなものだったか分かってい
ただけると思うのです。
元町の家は空襲で丸焼けになりましたが、私が加古川に集団疎開する時の荷物
の中に母が「アルバム」を入れておいてくれました。きっと母は写真が大好きだっ
たのでしょう。
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