ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

ニュージーランドで出会った人々

2011年02月24日 | 思い出話

                  16年前のニュージーランドのカレンダー

ニュージーランドの地震で日本から勉強に行っていた若い方が沢山行方不明にな
っておられます。目的を持って、自分の未来の為に希望を胸に行動を起こした人達。
天災ゆえに何を恨むことも、責めることも出来ない事情ゆえに、やり場の無い悲し
みをいかにするかもわからないご家族。本当に一人でも多くの生存者がありますよう
にと祈っています。

私もニュージーランドで出会った方のことは忘れるともなく忘れておりました。しかし
この事件があって、出会った方の事を思い出しました。又、相手方の人たちも、私達
の事を思い出してくださったかも知れません。




マウントクックのハーミーテージのロビーで出会った新婚さんです。その日は曇り
でした。私達は2泊ですから明日山の方に行くつもりで、ロビーに下りました。ツ
アーのバスが次から次へと来ては出発していきます。

新婚さんもそのツアーのお仲間でした。息子に土産にブルゾンを見つけたのです
が、寸法が分かりません。窓辺に座っているアベックの男性が背格好が同じぐらい
なので、私は事情を話して、快く試着していただきました。

その後、お話して、ハネムーンであること。ニュージーランドにしたのは奥さんの
希望だということ。今日は曇っていて、マウントクックに行けないのが残念だとい
う事、滞在予定時間があと少しだという事を話されました。

私も還暦の祝いで、レンタカーで1ヶ月旅する事を話しました。「私達も年取った
ら、もう一度、そんな旅でニュージランドに来たいです」と祝ってくださいました。
この写真は彼らが記念にと撮ってくださいました。そして、住所の交換をして送っ
てくださったものです。

男の子が二人できたことまでは分かっております。家を引っ越されて住所が分か
らなくなりました。息子さんももう高校生ぐらいでしょう。お幸せだろうと信じて
おります。

            
        ドイツからの福祉系の大学生・ルーシーさん     ↓  彼女からの葉書



ルーシーはヒッチハイクで旅しているようでした。宿の談話室で話していると、明
日からの行程が私達と同じようでしたので、乗せてあげることにしました。その最
後の日、お別れのときに撮ったのがこの写真です。彼女とはその後も2度会うの
です。

次は数日後、又違う町で大きなスーパーに買い物に行った時、ルーシーにばった
り会いました。彼女の買い物はりんご一つでした。今日の予算を使い果たしたん
だな~と思いました。たどたどしい私の英語で話したときに「毎日決めた金額で
すごしている」と話していたからです。

三度も数日後です。マオリのショウーを見に急いでいる時、戻ってくるルーシーに
又出くわしたのです。「ショウーを見に来たのでは?」と聞きますと「料金が高くて
払えないから、見ないで帰るところです」と言いました。ルーシーに入場券(日本円
で2700円ほど)をプレゼントすることにしました。そして3人でショウーを見まし
た。ルーシーはまもなく帰国するということで、偶然の出会いは三度で終わりました。

            
          アメリカのツアーで来ていたご夫妻です     ↓  年末に届いたクリスマスカード


彼らと出会ったのはマウントクックのハーミーテージでです。私達に「日本人か?」
と話しかけてきました。「福岡の方に駐屯していたことがある」と言って主人と話し
ていました。その時はそれで、アメリカ人のツアーは賑やかやな~で終わりました。

3日後ウヲーターピークに渡る蒸気船乗り場で待っていると、又賑やかなアメリカ
のツアーと一緒になり、その中に彼らも居たのです。あちらも覚えていて、写真を
撮りました。

帰路の船のサロンでピアノ演奏が聞こえてきました。音につられて私が入っていく
と、ピアニストは私を見てにっこりとして「スキヤキ」を演奏始めました。私は釣
られて歌いました。その声を聞きつけて、アメリカの夫婦が上がってきて、旦那が
「アメアメフレフレ知ってるか?」と聞きました。私が知ってると言うと「一緒に
歌って」と言うので歌いました。 「故郷」も歌いましたよ。私にも忘れられない
思い出になりました。彼らのツアー北上しますし、私達はまだ南下しますから、後
は会うことはありませんでした。

            

彼女は語学研修で半年居るといっていました。娘を訪ねてお母さんがこられたの
で、観光案内でロトルアに来たということでした。自動車を切り返そうとするので
すが上手くいきません、そこで主人が見かねて手伝いました。

明日は帰国するという日、オークランドの町を散策していますと、私達を見つけた
彼女が声を掛けてくれました。お母さんを送って来たところだといっていました。
人と待ち合わせているというので、私達もそのお店にも行ってお茶をしました。
その時の写真です。彼女が声を掛けてくれなかったら、二度目の出会いはなかっ
たのです。

彼女とは今でも年賀状の交換をしていますし、結婚した時は花嫁姿の写真も送って
くれました。今は男の子のお母さんです。実は彼女が帰国してまもなくお母さんは
亡くなりました。だから、その最後の思い出となったニュージーランドの母娘の旅
と私達が重なって居るのかも知れませんね。








コメント (2)
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