ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

命より大切なものはない

2008年08月28日 | 新聞から

          ゴールドエッグ (08-8-20 ジム)
          名前の通りゴールドに色づきました

   
          3週間前まで(08-7-31)は真っ白でした
        どこがゴールドなのか? と思っていましたが…


アフガンで拉致された伊藤さんが遺体となって発見された。外国人に介入されたくない、最後の1人になるまで、殺し続けると言っているそうですね。

不穏な状況にアフガンから撤退する国が増えたそうですが、それでも日本は頑張って残り農業や医療の支援を続けた。その結果がこれなんですよね。

援助は命を張ってまでするものなのだろうか? 日本人は考えが甘すぎないだろか? 相手を見て継続、撤退を考えるべきではなかったのでしょうか?

色んな情報を集め、考えるのが責任者の仕事だと思うのですが、上司が撤退せよといえば、伊藤さんも心を残しながらも「状況が変われば、必ず戻ってくるからね」と撤退をしたと思うんですよ。

ペシャワール会の責任者の判断の甘さが今回の事件の元だと思うのですが…。

伊藤さんは「現地の言葉を覚え、現地の食べ物を食べ、地域に根ざしていた…」と伊藤さんを称している。そんな前途のある青年を対立の犠牲にしたのは誰…。地域に根ざしていたかどうか、そんなこと相手にわかるはずがない、解っているのは国から出て行って欲しい外国人だという事だけです。

北部のサリプル州で水資源の調査などを行っている「ピースウィンズ・ジャパン」のしばたさんは「危険な地域こそ支援を必要としており、単純に活動を自粛すればよいかといえば、其れは難しい」とコメントしています。私はその理屈は「命軽視」の発言と思います。

どんな場合でも命を掛けてやるべき仕事は無いと思っています。「命がけでやる」「命を捨てて頑張る」と言う言葉は心掛けの表現であって、本当に命を懸けることではないでしょう? 「死んで花実が咲くものか」が今の、伊藤さんの状態です。

殺した理由が「足手まといだったから…」酷い事です。険しい道を歩きなれている兵士と、同じ行動が出来ないのは当たり前です。弾痕は足に二箇所のみ、(後には5.6発とも…)倒れた時に岩に頭をぶつけて死亡したのだろうと言われていますが、それにしても残酷な事です。

代表は「ご家族に申しわけない…」といっておられますが、親の立場になれば、聞きたくない言葉でしょう。判断を、撤退時期を誤った責任は大きいと思います。

伊藤さんが一時撤退していれば、彼の後の長い人生きっと大好きだったアフガンや現地の人たちと共に生き、生涯お役に立てたのではないでしょうか?

安定した生活が出来るようにと、農業を指導していた伊藤さん。其れも「彼らの命」が大切だからではないですか? 「命」より大切なものはない、命を守る為に一時撤退することは、決して卑怯な事ではないと信じます。
コメント
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