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ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

おおかみこどもの雨と雪

2012年10月05日 | 映画の話
     

今日は久しぶりに映画に行ってきました。「おおかみこどもの雨と雪」です。
今朝の新聞の母親が姉妹を殺したのは「後に残すとふびん。愛ゆえに殺した」
と言うのを見たから、この映画も「母と子供の物語だと知っていたからです。

アニメですが親子の愛をどのように描いているのか知りたいと思ったからです。

9歳と6歳の姉妹の命を奪った、母親は、初めは自分だけ自殺しようと思って、
姉妹に宛てた遺書のようなものを書いたが、くしゃくしゃに丸めてチリ箱に捨
ててあったと言う。私にすれば、是は身の保安の為の疑似行為のような気がし
ます。

「ふびん」だとか「愛ゆえに」とかで、たとえ母親とは言え、人間の命を奪う権利
なんてない。家庭事情が分からないのですが、一般的に言っても、いとしけれ
ば、身を粉にして働いて、子を育てるのが親の務めだと思うし、もし貧しい生活
に甘んじるものであっても、子供もそれに耐えるし、親の一生懸命の姿を見れ
ば、決して恨むことはないと思う。

先日も、うそをついたと言って「しつけ」と、ゴルフの練習用のクラブで、30分
間も叩いて死亡させた母親がいた。あろうことか、祖母まで加わったと言う。

この話を読んで、この母も、小さいとき、この祖母に虐待された経験を持つの
ではないかと思った。親にいじめられた子は、自分が親になったとき、同じ事
を繰り返すことがあると、聞いたことがある。

近年、親が子を子が親を手に掛けると言う事件が多発している。日本だけの
現象だろうか? 基本は「教育」しかないという。私は「教育勅語」を思い出し
た。あの精神が何故いけないのか私には理解できない。


映画に話を戻すと、母親はおおかみ(普段は人間の身体をしている)との間に
雪の降る日の「雪」と言う女の子と、雨の降る日に「雨」と言う男の子を生む。
父親のおおかみは早死にして母親が一人で育てる。

子供たちは、大きくなると、気持ちの高ぶりによって、おおかみの姿に変身す
る。この子らの生きやすいようにと都会を離れ、山奥の過疎地に暮らしの場を
移す。

幼いころは、姉の方がおてんばで、おおかみに身を変えることが多かった。弟
の方はその反対で、母親に「大丈夫よ」と言われて生きていた。

10代になると、女の子は母親の言いつけもあって、おとなしくなるが、10歳に
なったとき弟の方は学校に行かず、山の中に居たおおかみに、おおかみとして
の生き方を仕込まれれ、たくましくなっていく。

先生のおおかみが足に怪我をして「まもなく死ぬだろう。自分が後を継がなけ
ればならに」と言う。母は「あなたはまだ10歳こどもだ」と言うが、おおかみと
しては立派な大人である。

男の子はおおかみの姿になり、母の元を去る、女の子は寄宿生の中学に入り、
是も母の元を去る。母は一人もとの家に残る、時々聞こえるおおかみの遠吠
えを聞いて、男の子の無事を知る。

母親は寂しくとも、悲しくとも、巣立つ子供を見守るものなんです。その母性を
奪ってしまう、今の世の中はどうなっているのでしょうか? まず考えられるの
は「自己中心」、何が何でも自分を中心にしか全てを考えられない。この考えは
自分も不幸、傍の人間も不幸にする。やっぱり、戦後教育の間違いが積み重な
って不幸な人間を作っているのだろうか? 悲しい世の中になったものです。



     「ベコニア・ドラゴン」   暑さに負けず 吊り鉢で盛んに咲いている    (12-9-25)
 
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映画 「あなたへ」

2012年09月06日 | 映画の話


5日(火)映画「あなたへ」を見に行ってきました。高倉健さんの映画は、実に
「鉄道員(ぽっぽや)」以来ということになります。実に13年ぶりということにな
ります。もともとが出演回数の少ない高倉さんのことですが、6年ぶりの主役と
言うことですから、「鉄道員」の7年後に何かに出ておられるようですが、私の
記憶では見ていないように思います。

この度の映画「あなたへ」は「第36回モントリオール世界映画祭」で、コンペ部
門以外の審査員が選ぶエキュメニカル審査員賞特別賞」を受賞したそうです。
エキュメニカル賞というのは「人間性の内面を豊かに描いた作品」に贈られるそ
うです。

確かに、この作品に出てくる人々は、あまりに日本人的で、外人には理解しに
くいのではないかと話していました。腹芸? と言いますか、そのものずばり
と言わなくとも相手の心を察すると言うことです。

このたび高倉さんが、映画祭に出席したのは「13年前『鉄道員』で主演男優
賞を受賞しながら、出席していないので、その節の「お礼」をいう為に出席さ
れたそうです。

「あなたへ」は妻を亡くした男(富山刑務所の指導技官)が、その妻の残した
絵手紙(遺言)には「故郷の海に散骨して欲しい時されていて、「もう一つの遺
言」長崎の郵便局止めになっている、それを受け取り、散骨する為に、妻の生ま
れ育った、長崎に、定年後は妻と旅行に使うつもりだった、自分で改装したキャ
ンピング仕様の自家用車で1300K離れた長崎に旅した時に、出会った人たち
との出会いを描いたものです。


           この写真は PC上の「あなたへ」の公式サイトからお借りしました


この旅で最初に出会ったのが、大型キャンピングカーに乗った、自称・教員だ
った。退職後旅をしていると触れ込む、ビート・武扮する「車上あらし」だった。
山頭火と松尾芭蕉の歌から「旅と放浪」の違いはと語り合う。山頭火は放浪で
あり、放浪は目的がなく、帰る処がない」「旅は帰るところがあり、行き先の目
的が在る、それは芭蕉」と語り、何となく気持ちを通じ合わせるが、長くは続か
ず、自称・元教員は警察に捕まってしまう。

主人はビート武の出番が一番面白かったと言います。ビート武らしい役や名~と
言います。

人との一期一会の楽しさや、優しさは理解することが出来ましたが、妻が何を
云わんとしているのか、分からない部分があります。「故郷の海への散骨を望
んでいたけれど、口に出せなかった。二人の間には、心を開くより、相手に対
する遠慮の為に、口に出来なかったことが多々あった。もっと心を開いたほう
がよかったのじゃないだろうか?と言うことが言いたかったのだろうか。

長崎に着くまでに、色んな人との出会いがあり、所々に妻との思い出シーンが
あり、話は進んでいく。後は映画館で自分で見て、色んな事を考えてみてくだ
さい。
                              (1930回)


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ジェーン・エアー

2012年06月15日 | 映画の話

   屋上に咲いていたのですが 名前は判りません 遠めにはアザミに似てたかな?


オウム真理教の最後の指名手配者、高橋が捕まりましたね。警察もホッとし
たでしょうね。追っても追っても、逃げられていたんですものね。こうなると長い
17年はなんだったのでしょうか。やっぱり、国民の目、関心がなければ、と言
う証明でしょうか?


小澤さん、如何してお国許に行かないのか? 音沙汰無しで、どうしているの
か? とブログに書いたこともありましたが、「放射能怖さに、逃げ帰ったき
り…」と奥様の証言。やっと疑問は解けましたが、これでも、地元の人たちは、
次回も小澤さんに投票するのでしょうか?

小澤さん、鳩山さん、菅さんの選挙区の方々次の選挙には、よ~く考えて投票
相手を選んでくださいね。貴方達にしかできないことなんですから…。

     

6月14日(木)、昨日、「ジェーン・エアー」を見に西宮の映画館に行ってきま
した。この映画は兵庫県では、ここだけしか上映していないし、日に2回だし
(来週から1回)95人定員の小さな部屋でしたから、満員でした。

この映画館に来たのは何時だったのか、何を見に来たのか、すっかり忘れた
くらいです。百貨店は阪急なんですが、すっきりしています。駅前の施設とし
ては、伊丹に似ているでしょうか。 尼崎は西宮にも伊丹にもまけてるな~。
尼崎は如何してこうも野暮ったいのでしょうか? 住みやすい町なんですけ
どね~。

     

切符を買おうとしたのですが、カウンターがないのです。代わりに、上の器機
がずらりと並んでいます。切符も機械から買うように成ったようです。初めて
ですから、案内の人に教えていただきました。お隣の機械の方も、私より少し
若い人でしたが、切符を手にしたとたん、思わず「ふ~」とため息をついて
「やっと買えましたね」と話しました。とうとうここまで機械化されてきたか、
と言う感じです。


この作品は、今までに劇場映画だけでも18回ほど映画化されているそうで、
今回は日系米国人監督のキャリー・ジョージ・フクナガ、35歳と言う若さなん
です。


本も読んだし、映画だって見たはずなんです。でもすっかり忘れています。映
画を観ながら「あ~、そうだった」と少しずつ思い出していきました。

孤児になったジェーンは伯母に預けられるが、苛められ、最低の寄宿学校に入
れられる。卒業後、良家の家庭教師になる。家庭教師という職が、貧しいもの、
の虐げられた職業であるとは知りませんでした。その館の主人との結婚式当日、
彼には神経を病んだ妻の居る事を知り、逃げ出すが、数年後、彼を忘れられな
い、ジェーン(叔父の遺産を受け継いで大金持ちになっている)は再び屋敷を訪
れる。しかし屋敷は精神異常の妻の放火で焼け落ち、彼は視力を失っている。再
び出合った二人はもう離れることはないだろうと思わせる場面で「ジ エンド」
です。

     

確か本があるはずと探しました。妹のエミリー・ブロンテの「嵐が丘」も持っ
ています。上記の本ですが、背表紙が茶色くなっています。発行は昭和35年
6月と書いてあり、定価120円。

私の物持ちのいいのに驚かれます? 20歳の時ですから、この複雑な女性の
心理を読み解いたはずはないのです。本当に本が好きで、映画が好きな私でし
たから、読んだ本は迷わずに、花嫁道具として持参したんですよ。皆文庫本で
すけど。若いから、こんなに小さな字でも読めたんでしょうね。ハード本なんて高
価で老人のものと思っていましたよ。懐かしさに、本を撫でさすりましたが、字が
小さすぎて、この本では読み直せないわ。




                    暑かったので 水遊びが楽しそうでした
     何処の誰と分かれば お送りしたいぐらい お気に入りの一枚です どうでしょうか?

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日本列島いきもの物語

2012年02月08日 | 映画の話
     

「映画いかへん?」「2時間も同じ格好で座っているのん辛いから、温泉に行
くわ」そりゃえらいこっちゃ、私も今のうちにせっせと映画を観ておかないと、
そないなったらいかれんな~と心で思いつつ、一人いそいそと尼崎へ。

この写真の「ウリ坊」わが兵庫県の六甲山、ロックガーデンのウリ坊たちでし
た。何度かロックガーデンに登った時、イノシシに出会いました。フーフーい
いながら岩場を登る私の視覚にイノシシが入ってきますと、体が硬直して動か
なくなります。突進してこられたら、ひとたまりも在りません。岩場から転げ
落ちるからです。

イノシシは私などには眼もくれずあの岩場を駆け下りていきます。あんなに重
そうなイノシシですが、その動作は機敏です。もう今の私にはあの岩場はむり
だろうな~と思いながら見ていました。

屋久島も出てきましたね。「屋久猿」「屋久鹿」。鹿は見ましたがメスだけで
したね、角の生えたオスは見たことがありません。猿は自動車の中に置いてい
たバナナを見つけてフロントガラスに引っ付いて離れないんですよ。困りまし
たね~。猿は自動車道まで出てきていますよ。人間が食べ物を与えるからでし
ょうね。

北海道の釧路の丹頂鶴も見ましたね。時期的に求愛の踊りは見ませんでした
が…、映画では綺麗でしたね。「鶴の来る宿」と言う民宿に泊まったのですが、
夕方に「鶴が巣に帰る時間だから、見に連れて行ってあげる」と連れて行って
もらいましたが、頭の真上を飛ぶ鶴の大きさには驚きましたね。大きな鳥です
よ。あくる朝は鶴のねぐらにも連れて行ってもらいましたが、川の真ん中で一
本足で立って鶴は寝ていましたよ。

北海道では「キタキツネ」も見ましたね。キツネ牧場ではありませんよ、道路
でです。夏にマイカーで、1ヶ月掛けて北海道を廻りました。やっぱり若い時
に行くべきですね。もうあんなたびはむりです。行けどもいけどもまっすぐな
道、眠気を誘うような長い道、北海道は広いな~と言う実感でした。

色んな動物が出てきますが、動物の赤ちゃんは本当に可愛いです。何人かの
カメラマンが2年半かかって撮った映像をつなげたものだそうですが、ほん
とに可愛かった。

青森の厳冬の中、母猿を失った子猿もかわいそうでした。猿というのは自分の
身内以外は助けないのだそうですね。寒さに大人の猿に擦り寄っては跳ね除
けられる子猿、でも若いオス猿に助けられて、まだお乳の欲しいのをあきらめ
て、自分で食べ物を探して食べる、たくましくなる子猿。仲間にはぐれて、最
後はどうなったか分かりません…。

心打たれたのは熊の兄弟です。クマは1年しか親との生活期間はないんですっ
てね。その間に親は子に生きるすべを教えます。1年たつと親は次の子を産む
ための生活に入るそうで、兄弟だけで大人になるまで生活します。大人になっ
たクマは1頭で自分のテリトリーを持ちます。仲良く暮らした兄弟でも別れの
時が来るのです。

兄弟と言っても、熊でも器用に出来るのと不器用なのとがいます。誰に教わら
なくとも、言われなくとも別れの時を察するのです。その時、やっぱり器用な
クマの方が、出て行きます。出て行く兄弟を2本足でたって、見送るのです。
決して追いかけません。伸び上がって離れていく兄弟を見送るすがた、諦観と
いうか、思わずじ~んとしてしまいます。又後ろも見ずに離れていったほうも、
登りきった場所から、やはり2本足でたって、元いた場所を、残してきた兄弟
の方を眺めます。ものが言えないだけにそのしぐさが胸を打ちます。

いい映画でしたよ。生き物大好きな方必見です。
 
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コクリコ坂から

2011年07月28日 | 映画の話
      

1階の箪笥の樟脳の入れ替えはず~っと前に済んでいるのですが、2階の納戸
の箪笥の樟脳入れを、遅まきながら午前中にしました。何年も着ていないものは
処分するつもりで整理を始めたのですが、やっぱり、出来ませんでした。特に毛糸
のセーター類は、自分の手編みですからとても処分できません。整理ダンス1棹
にぎゅうぎゅうづめなんですが、やっぱり元に直してしまいました。


昼からは「コクリコ坂から」を見に行きました。「コクリコ=フランス語でひなげし」
のことだそうですね。 原作は少女マンガだそうです。

映画を見ながら、「なんだか違うな~、私の想像していたアニメじゃないな~」と
感じながら、言葉は悪いのですが「看板に偽りあり」って言う感じでした。画面
を見ながらず~っとその感じは抜けませんでした。何故そのように感じるのかは
その時は分かりませんでした。

帰宅しまして、この宣伝写真を見て、やっと分かりました。ポスターとのギャップ
だったのです。勿論、親子とはいえ、監督は息子の宮崎吾朗さんですから、違っ
て当たり前でしょうけれど、理由があったのです。

上のポスターの絵は父親の宮崎駿さんが書かれたそうです。今までのジブリ映
画の感じでファンタジクに出来上がっております。しかし映画の方は息子さんの
吾朗さん監督ですから、主人公の少女をどこにでも普通に居る女の子として描
いたそうです。そうすれば「看板に偽りあり」と感じた私の思いも一理あることに
なりません?

宣伝、シナリオは父宮崎駿さん、制作が息子の宮崎吾朗さんという分業だったの
が、そしてシナリオは監督によって書き換えられているそうですから、ポスター
から受ける感じと映画の感じが違っていて当たり前かも知れませんね。

私は父・駿さんの「ジブリの映画」が好きでほとんど見ております。この度もジ
ブリ映画だと言うので見に行ったわけです。ポスターを見てね。

息子さんの方は2作目だそうですが、前作は見ておりませんし、この度のは現在
普通の生活の中にある青春もののアニメ化ですから、ファンタジックとは言いが
たい作品です。その点から言えば、私としましては「違うな~」感がぬぐえない
のです。

現代の少女マンガってこんなものか、と見る経験したことが取り得としましょう。
ジブリ映画だから子ども向き?とはいえないでしょう。子どもには内容が複雑す
ぎます。私達の年代には昭和の生活が再現されていて、懐かしかったですが。

平成18年の夏休み孫娘をつれて「ジブリの森」に行きました。もう一度行きた
いと思いますが、何ヶ月か前に申し込みをしなければならないので、「見たい!
すぐに…」と言うわけにはいかないのが不便ですね。


          
          神戸・サンチカタウンのショーウインドウから   (11-7-11)   

     
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デンデラ

2011年06月29日 | 映画の話

  「モントプレチャー(姫緋扇水仙)」   多産系で 種が飛んであちこちに咲きます   (11-6-10)


暑かったですね~! ダリヤのように大きな花をつけているものは、朝に水をや
っても昼ごろには葉がしぼんできます。なんだかとても可哀相です。

お隣の奥さんが回覧板を持ってきて「メッチャ暑いですね」と言った。「これで節電
せよ言われてもね~」と返す。今日始めてクーラーを入れました。寒いくらいの映
画館から帰ってきたので、締め切って出かけて家の熱気がたまらなかったのです。

「デンデラ」を見て来ました。


    ↑   「デンデラ」 こんなポスターにもなっていました ↓  元のポスター


テレビでこの映画の事を知って、調べているうちに「楢山節考」の今村昌平監督の
息子・天願大介さんが、脚本、監督である事を知りました。

楢山節考は1983年(28年前)カンヌ国際映画祭でパルムドールショウ賞を受
賞した作品です。主演女優の坂本スミ子さんが老婆を演じる為、歯を抜いたことが
話題になりました。坂本さんは本業が歌手なのに、歯を抜いて大丈夫なのかな~と
その時思いました。その上に坂本さんと私は同い年です、当時47歳で丈夫な歯を
抜くなんて私には考えられないことでしたから良く覚えております。

そういえば、三国錬太郎さんも映画の為に歯を抜かれましたね。今は特殊メーク
が進んでいるので、身体を傷つけなくともその年齢に化けられるようですけど…。

主演の浅丘ルリ子さんは、70歳になると姥捨て山に送られる老婆の役の年齢と
実年齢が同じ70歳と言う事です。先日「旭日小綬章」を受けられて「70歳は
いい年」との感想です。

賠償美津子さんは28年前の「楢山節考」にも出演して、この映画で「日本アカデ
ミー賞の第7回優秀助演女優賞」を貰っておられるのには驚きました。

草笛光子さんの、100歳の老婆が「生きるとはなんとつらいことか」と言う台詞
が心に響きました。

若い頃はそのまま(うわべの衰えはあるにしても)年月を過ごすのだと思ってい
ました。しかし老齢と言う年齢に身をおく今は、「身体の衰え」「気持ちの萎え」
等々、若い頃には考えもしなかった事を耐えなければならないのです。ですから
映画のような世界に生きているのではないのですが、現代は現代なりの「つらさ」
もあると感じています。

主人の感想は「この年になると、もっと明るい映画が良い。早く終わらないかな~
と思ってみていた」そうです。

私は人は周りに流されているように見えても、結局は自分ひとり、もって生まれた
運命を生きているのだな~と感じました。「一寸先は闇」の言葉通り、生れ落ちて
からは運命に導かれて、終焉地に向かっているのだな~と思います。

映画の筋書きは「見てのお楽しみ」。千円映画です、東北大震災の寄付にもなるよ
うです。お出かけください。




        「黄ソケイ」  差し芽が大きくなりました     (11-5-5)
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プリンセストヨトミ

2011年06月23日 | 映画の話

        大阪天王寺・慶沢園(けいたくえん) 「菖蒲」がきれいでした   (11-6-4)




借り出しをしていた「レントゲン」を返しにJR尼崎の近くの病院に行きました。

それだけでは勿体ないので、映画を見ようと思いました。今見たい映画は沢山ある
のでどれにしようかと迷いましたが、中井貴一さんが出ているので「プリンセストヨ
トミ」を見ることにしました。

登場人物の名前が豊臣・徳川の関係者の名前(松平、鳥居、蜂須賀、長宗我部、茶
子等々)をつけているのに気がつきました。

話の始まりは7月8日金曜日、午後4時(今年のカレンダー)大阪市が無人になる場
面からはじまり、4日遡って月曜日、東京から大阪に会計検査院調査員が「OJO」
と言う会社の調査にやってきます。画面に曜日が現れて、物語が展開してゆく

大阪夏の陣で破れたはずの豊臣家の末裔が居て(OJOは王女のこと)400年間
大阪市民が大阪国を守り続けた。

大坂城に地下に続く長~い廊下があって、父親は息子に「豊臣家」を守る事をその
廊下を歩きながら伝えていく。

その廊下で伝えるには2つの条件がある。1.息子が16歳(昔の元服の年)を越え
ていること。2.父親の死期が迫っていることです。

東京からの調査員のチーフの父も死期が迫ったとき、息子に伝えようと「大阪に来
てくれ」と懇願するが、何も知らない、息子は日ごろからだらしない父親の申し出
を断る。

彼は言う「親父には何もしてもらっていない」私はそのせりふを聞いた時「命をも
らったやないの!」と心で叫んでいた。

真意を知った息子は、廊下の鍵を開けてもらって、一人でその廊下を歩んでいく。

普段は普通の市民ですが、いざと言う時は、総力を挙げて「豊臣」を守ろうとする、
合図は秀吉の千成ひょうたんからとって、ひょうたんである。

もし興味をもたれたら、後は映画館で見てください。大阪のあちこちが出てきます。
やっぱり関西人は家康さんより秀吉さんが好きなんだな~と感じました。



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英国王のスピーチ

2011年04月20日 | 映画の話

       「ムスカリ・サンライズ」 ピンクは珍しいそうです     (11-3-22)


約1ヶ月前の3月27日の日曜日、大阪にパンを買いに行くだけではもったいな
いので、見たいのにのびのびになっていた「英国王のスピーチ」を見に行きました。

この映画は第83回アカデミー賞の「作品賞」「監督賞」「主演男優賞」「脚本賞」
を撮った作品です。

日本の皇室では考えられない王家の環境であると感じました。「開かれた王室」と
はまさにこのことと言う感じです。




これは現在の英国のエリザベス女王の父君の実話です。1936年、国王ジョージ
5世が亡くなり、長男のエドワード8世が即位した。しかし、王としては過ってか
ら離婚暦のある、シンプソン婦人との間を認められないと、王位を捨てて、シンプ
ソン夫人との恋を選びました。

結果として、次男である、ジョージ6世が王位を継ぐことになる。所が彼は幼い頃
から「吃音」である。王ともなればスピーチはつき物です。あらゆる伝をたどって、
直そうとするが、ことごとく失敗する。

妻エリザベスが見つけてきた、オーストラリア人のライオン・ローブのユニークな
方法で、一度は袂を分かったが、再び、指導を求めて、王は「吃音」を克服する。

ナチスドイツとの開戦直前、国民は王の演説を待っています、国民が心を一つにす
る事を演説した王は「吃音」を克服していました。

ただ、シンプソン夫人の事を余りよく書かれていないのが一寸残念かな…。私が子
どもの頃、シンプソン夫人の写真を見たことがあるが、とても上品で、美しい人だ
ったと記憶しているのに、映画では、品のない、娼婦のように描かれていて、寂し
い思いがしました。


            「ムスカリ」  咲き始め     (11-3-15)


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太平洋の奇跡 フォックスと呼ばれた男

2011年02月14日 | 映画の話

                 浅井三姉妹 末娘「江」 長浜盆梅  (11-2-10)



     次女 「初」       長女「茶々」がありません 散ってしまったのでしょうか?


今日は尼崎に出来た「ムービックス・ココエ尼崎」に行って来ました。今日が初め
てで、雰囲気が悪ければ二度とこないという気持ちで、ためしに行って見ました。

合格!合格!座席はゆったりとしているし前面のスペースも十分に取ってありま
すし、座席の前には荷物を掛ける為のフックまで付いています。11部屋あるよう
ですが、「此処で見れる映画なら、もうわざわざ大阪まで行くことは無いね」と思
いました。

今日見た映画は「太平洋の奇跡 フォックスと呼ばれた男」です。ドン・ジョ-ン
ズ(アメリカ海兵隊員)の実録小説「タッポーチョ『敵ながら天晴れ』大場隊の勇
戦512日」の映画化です。

大場大尉はたった47人で45000人のアメリカ兵を相手にし、サイパンでのゲ
リラ戦で米軍にフォックスと仇名され恐れられ、尊敬もされた人の実話です。

大場大尉は戦いぬく覚悟だったが、部下が人目のつかないところで、家族の写
真を見て号泣するのを目の当たりにして、一般人をまず収容所に送り、後日自分
達も生きる道を選ぶ。

驚いたことに大場さんは平成4年までご存命で、79歳で亡くなられたのです。帰
国されてからは会社の重役や、市会議員を務めたりされていたようです。

映画の中で、生まれて間もない男の子を助ける話があります。はじめはアメリカ軍
に助けられ、後には日本人の一般人に育てられるのですが、事実なら今65歳ぐら
いですから、生きておられるかも?と思ってしまいました。如何なんでしょうね。
気になっています。



              「枝垂れ梅」   枝垂れの中ではこれが一番大鉢でした 
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最後の忠臣蔵

2011年01月14日 | 映画の話

                    我家の「山茶花」     (10-12-23)




今日は「最後の忠臣蔵」をみに大阪に一人で行きました。2時間以上と言う長~い
映画でしたが、その長さを感じさせない、見ごたえのある映画でした。

1時半をはるか過ぎていましたが、ランチに大好きな「お好み焼き」を食べました。
主人と一緒ですと食べられないので、今日は絶好のチャンスでした。美味しかった
です。唯だんだんと一回に食べられる量が減っている私にとってボリュームがある
な~と感じるようになりました。お腹がグーグー鳴っている今日でもですから、何時
までこの店に来れるかな~と一寸考え込んでしまいました。

     

この映画は、「忠臣蔵」大好きな私でさえ、初めて見るな~と言う映画でした。

討ち入り四十七士のうち「寺坂吉衛門」だけが切腹せず、墓守の為に生き残ったと
言う話は知っていました。

この映画では内蔵助から「真実を後世に伝え、浪士の遺族を援助せよ」と言う命を
受けて生き延びたと言うことでした。

もう一人は討ち入り前日遁走した「瀬尾孫右衛門」の真実、と言うか、物語では、
こちらも、内蔵助から「そちの命をくれ」と「かる(側室?)と生まれてくる子を守っ
て欲しい」と頼まれる。

私の知っている「かる」は「軽」と書くが字が違った。生まれた娘は可音(かね)
と言う。「軽」はたしか夫の為に身売りをした女郎であるから、又、内蔵助が密書
を読んでいるのを、鏡で映して自分も読む、それに気づいた内蔵助が口封じの為
に身請けをするとか言う女人だから、この物語の「かる」は別人かもしれない。

孫右衛門は男手一つで「可音」を「お姫様」として育てる。その手助けをしたのが
夕霧太夫と言う元花魁。花魁と言えば、お茶、書道、お琴、歌等教養の高い人です。
その女人に、育てられるのですから「可音」は凛とした姫として成人する。

見初められた可音を花嫁として送り出した孫右衛門はその夜切腹する。討ち入り後
16年目の物語です。

夕刊を見てビックリしました。今日見た映画館が16日で閉館となるのです。観客
動員数が激減の為だそうですが、位置の悪さも影響あるのでしょうね。今度はJR
大阪駅付近で新生するようですが…。








    
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