ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

おおかみこどもの雨と雪

2012年10月05日 | 映画の話
     

今日は久しぶりに映画に行ってきました。「おおかみこどもの雨と雪」です。
今朝の新聞の母親が姉妹を殺したのは「後に残すとふびん。愛ゆえに殺した」
と言うのを見たから、この映画も「母と子供の物語だと知っていたからです。

アニメですが親子の愛をどのように描いているのか知りたいと思ったからです。

9歳と6歳の姉妹の命を奪った、母親は、初めは自分だけ自殺しようと思って、
姉妹に宛てた遺書のようなものを書いたが、くしゃくしゃに丸めてチリ箱に捨
ててあったと言う。私にすれば、是は身の保安の為の疑似行為のような気がし
ます。

「ふびん」だとか「愛ゆえに」とかで、たとえ母親とは言え、人間の命を奪う権利
なんてない。家庭事情が分からないのですが、一般的に言っても、いとしけれ
ば、身を粉にして働いて、子を育てるのが親の務めだと思うし、もし貧しい生活
に甘んじるものであっても、子供もそれに耐えるし、親の一生懸命の姿を見れ
ば、決して恨むことはないと思う。

先日も、うそをついたと言って「しつけ」と、ゴルフの練習用のクラブで、30分
間も叩いて死亡させた母親がいた。あろうことか、祖母まで加わったと言う。

この話を読んで、この母も、小さいとき、この祖母に虐待された経験を持つの
ではないかと思った。親にいじめられた子は、自分が親になったとき、同じ事
を繰り返すことがあると、聞いたことがある。

近年、親が子を子が親を手に掛けると言う事件が多発している。日本だけの
現象だろうか? 基本は「教育」しかないという。私は「教育勅語」を思い出し
た。あの精神が何故いけないのか私には理解できない。


映画に話を戻すと、母親はおおかみ(普段は人間の身体をしている)との間に
雪の降る日の「雪」と言う女の子と、雨の降る日に「雨」と言う男の子を生む。
父親のおおかみは早死にして母親が一人で育てる。

子供たちは、大きくなると、気持ちの高ぶりによって、おおかみの姿に変身す
る。この子らの生きやすいようにと都会を離れ、山奥の過疎地に暮らしの場を
移す。

幼いころは、姉の方がおてんばで、おおかみに身を変えることが多かった。弟
の方はその反対で、母親に「大丈夫よ」と言われて生きていた。

10代になると、女の子は母親の言いつけもあって、おとなしくなるが、10歳に
なったとき弟の方は学校に行かず、山の中に居たおおかみに、おおかみとして
の生き方を仕込まれれ、たくましくなっていく。

先生のおおかみが足に怪我をして「まもなく死ぬだろう。自分が後を継がなけ
ればならに」と言う。母は「あなたはまだ10歳こどもだ」と言うが、おおかみと
しては立派な大人である。

男の子はおおかみの姿になり、母の元を去る、女の子は寄宿生の中学に入り、
是も母の元を去る。母は一人もとの家に残る、時々聞こえるおおかみの遠吠
えを聞いて、男の子の無事を知る。

母親は寂しくとも、悲しくとも、巣立つ子供を見守るものなんです。その母性を
奪ってしまう、今の世の中はどうなっているのでしょうか? まず考えられるの
は「自己中心」、何が何でも自分を中心にしか全てを考えられない。この考えは
自分も不幸、傍の人間も不幸にする。やっぱり、戦後教育の間違いが積み重な
って不幸な人間を作っているのだろうか? 悲しい世の中になったものです。



     「ベコニア・ドラゴン」   暑さに負けず 吊り鉢で盛んに咲いている    (12-9-25)
 
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