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ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

氷雪の門

2010年12月20日 | 映画の話
     

十三(じゅうそう)の小さな映画館に「氷雪の門」を見に行って来ました。

「キャタピラー」を見に行った時に今度はこの映画を見ようと決めていました。し
かし9月の上映の時、何か行きそびれて、諦めていましたが、今回1週間、7回
(毎日1回目の上映のみ)だけ「アンコール上映」があるというので行って来まし
た。

このお話は私は知っておりました。しかしあまり深く考えることもなく「そんなこ
ともあったん…と言う程度にしか受け止めていませんでした。

しかし、予告編を見た時に、「知っておくべき実話では…」と感じたのです。

終戦時の樺太(現在はサハリン)真岡郵便局で働く電話交換手の9人の乙女
の物語です。日本が8月15日終戦した時、そのドサクサにまぎれ「日ソ不可侵
条約」を破りソ連軍は樺太に攻め込んできて、無差別殺人を行った。日本軍は
戦いは終わっているとして、反撃することはなかった。最後まで通信業務に就
いていた9人の乙女は、ソ連軍の上陸とともに、辱めを受けない為に、青酸カ
リを飲んで自決した。

「生きたい」と言いながら、短い命を閉じた。ソ連は戦いを放棄した日本人に対し
て、無差別に発砲した。戦争のさなかなら「それが戦争と言うものだ」と言えるか
もしれない。しかし、それは終戦後に起こっているところに酷さがある。

この映画は1974年、製作実行予算が5億数千万円を越えた超大作として話題
を呼びました。しかしソ連の圧力によって上映中止となり、葬られた幻の名作と
言われていました。

36年たった今、1本だけフイルムが残っているのが発見された。逸れは再び産声
を上げるのを待っていた、ようだとこの作品の助監督は語ります。こうも言います
「監督をはじめ、総指揮、プロデューサー、脚本、編集、美術等、この作品にかか
わった諸先輩達は無念の思いを抱いたまま鬼籍に入ってしまわれた」その方たち
の「無念の思い」がすべて処理されたと思ったフイルムが1本と言う形で残ってい
たのかと思います。今日の映画は新しくデジタル処理をした作品だそうです。

戦争場面は自衛隊の協力をあおいだそうです。

「氷雪の門」は稚内市の稚内公園に建っているそうです。私達はマイカーで1ヶ月
北海道を旅しましたが、襟裳岬や知床は行きましたが、北の果て、稚内には立ち
寄りませんでしたから、知りませんでした。

十三の小さな映画館でする映画は、大きな映画館では上映しない作品ですから、こ
の映画もほんの一握りの人しか見ることが無いのだと思えば、残念だな~と、もった
いないな~と思います。



       我家の小菊はどういうわけか、この色1色になってしまいました 不思議?
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映画・悪人

2010年09月13日 | 映画の話

              「アナナス」     天王寺公園   (10-5-16)


今日は大阪に「悪人」を見に行きました。勿論、深津絵里さんがモントリオール
世界映画祭で主演女優賞を受賞したと言うニュースに釣られてです。

この映画祭では、田中裕子さんが、先に「主演女優賞」を受けておられるので
すね。そして「おくり人」が最高グランプリーを受賞したのも、この映画祭でした
ね。賞を受賞したことによって、世界のフイルム・マーケットからオファーが来て
いるようです。

長崎の寂れた漁村で生まれ育った土木作業員(妻夫木聡)が犯した殺人事
件を軸に人間関係がきうすになった現代に「いったい誰が本当の『悪人』なの
かを問うた作品だそうです。

主人は「つまらなかった」と言います。「何を言わんとしているのかはっきりしな
い」私は見ごたえがあったと思っています。「そんな事言うなら、もう戦争物しか
さそわへんで~」と言いました。案外、人が入っていましたが、「賞」効果だと
主人は言います。それは認めます、私だってそうですから。

「誰が一番悪いと思う? 私は作業員を侮辱した女(殺された)だと思うけど…」
「そう思う、あれだけ侮辱されれば男は殺したくなるだろう」ここでも意見一致。
私はこの殺された女の子の演技がとても上手だと思ったのです。男性は誰で
も自分を好きになるとうぬぼれる会話、犯人をののしり侮辱する言葉、出番は
少ないのですが、目の表現力(訴える力)が私は良いな~と思いました。

樹木希林さんのおばあさんは勿論絶品です。登場人物のおばあさんは私の
年代と同じぐらいなので身につまされました。「孫の為に貯金している」と喋っ
て、その金を狙われ騙し取られる。私なら絶対しないことではあるが、その気
持ちはよくわかります。今の自分の生活をよりよく見せたいと言う気持ち、人
間の弱さでしょうか…。

さて深津さんの演技力については、何処が「賞」に値しているのか私には判
りませんでした。「キャタピラー」の寺島しのぶさんの演技は見て「なるほど」
と納得したのですが…。私はむしろ妻夫木さんに「演技賞」を上げたいと思い
ました。これも主人も同感です。

この映画の場面があちこちにめまぐるしく変わるのです。人間関係が多岐に亘
っていて、その関係であちこち飛ぶのです。そのめまぐるしい変化が主人に
は気に入らないのだと思います。

感想としては「映画は良いな~」でした。「今の世の中」が反映されていて、
目で見て教えてもらえるからです。活字からとは又違うインパクトがあります。





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キャタピラー

2010年09月07日 | 映画の話

                 名前は?   尼崎・立花   (10-7-7)


友人のとしこさんから以下のメールを頂きました。

『今日のブログから(9月6日:昨日の私のブログ)
日曜日に買い物に行ったとき偶然菅さんと小澤さんの立会い演説を見るチャ
ンスに出会いました。ヨドバシカメラの前で…  2人ともまだ若い感じ、体格
も良いしスピーチも上手いと思います。菅さんがスピーチされてもあまり拍手
がありませんでしたが、小澤さんは拍手喝采、そして小澤、小澤のコール、た
れまくも出ていました。何故でしょうか? 大阪は地盤でもないのに。でも菅
さんの方がわかりやすかったです。

小澤さんは少しロジックです。私は選ぶ権利がないしどちらでもいいのですが…
 ただ大変な人出で警官 ガードマン SPなどが一杯、上空は何機ものヘリ
コプターが旋回、物々しい雰囲気で、あなたが言うようにお金が掛かったでし
ょう。でも良い勉強になりました。ちょっとひとことまで』

現場に行き合わせた、としこさんのメールだけに、臨場感を感じました。
ありがとうございました、としこさん。

     
                       「キャタピラー」  のチラシ

「キャタピラー」を見に、わずか100数席の小さな映画館に行ってきました。入
って椅子席がよくなっているのに驚きました。そこそこの人が、この小さな映画
館に足を運んでいるのだな~と思いました。

私がここに来たのは3度目です。「ひめゆり」「靖国」「キャタピラー」どれも戦争
物です。一般の映画館で上映しないし、その映画を見たいから、此処に来るこ
とになります。

「キャタピラー」は第60回ベルリン国際映画祭の銀熊層(最優秀女優賞)に
寺島しのぶさんが選ばれたからです。日本人としては3人目、35年ぶりだそ
うです。

映画を見て「なるほど」と思いました。主人公の夫は傷痍軍人として、軍神と
あがめられて、勲章と共に帰還します。両手両足をなくし達磨になって帰った
夫、頭と身体だけの人間でも食欲と性欲はある。その食欲と性欲の場面だけ
で妻のその時々の喜怒哀楽を表しているのはたいしたものだと思いました。

私が心打たれたのは「死んだ女の子」と言う歌でした。楽曲はトルコ出身のナ
ジム・ヒクメット(作曲:外山雄三 編曲:坂本龍一 歌手:元ちとせ)。

広島の原爆を題材にした詩の日本語訳を使用した反戦歌です。2005年広島
の原爆ドームの前で歌われたそうです。

原爆で焼死した女の子、死んでしまえば、年は取りません。飴を供えて貰って
も食べられません。どうか私のように悲しい子どもを作る世の中にしないで…
と言うのでしょうか。

『赤い飴がしゃぶれるように
 炎が子どもを焼かないように』 と何回も繰り返し歌われます。

世界で始めての原爆の犠牲になった人々、自分が死ぬと言うことも理解できな
いような死だったでしょう。もっと生きたかった子どもの叫びです。
                               (1460回)





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沈まぬ太陽

2009年11月04日 | 映画の話
             大阪駅構内の絵の前に居るのは主人です 
            一緒に覗き込んでいるようにみえませんか?
            これも一種の「だまし絵」だと思いませんか?



                 絵の手前に居るのは私です 
            やっぱり絵と同化しているように見えませんか?




「沈まぬ太陽」を見に行きました。何時もの通り第1回目を見るつもりでチケッ
ト売り場に並んでいますと(今日は水曜日で女性が安い日なのと、マイケルジ
ャクソンの映画が掛かっているので若い女性がいっぱいでした)「第1回目の
『沈まぬ太陽』はあとわずかとなり、前2列のみとなります…」と言う放送があ
りました。前で見るのは好まないので、第2回目を見る事にしました。

ところが困った事に次までは1時間待たなければなりません。9時過ぎですか
ら、お店が開いていないのです。主人が「大阪駅の『だまし絵』見に行って写
真写そか」と言います。「相当の距離があるよ」それでも良いと言うので、駅に
向かいました。

実は主人はこの絵(1枚目)がお気に入りなんです。何時もこの絵を感心して
見ているのです。「じゃぁ~絵と同じに覗き込んでみて」と言って撮ったのがこ
の写真です。

映画を見る前に30分ほど歩くという運動をして、一寸サテンで喉の渇きを抑
えて映画館に戻りました。想像はしていたのですが、案外人が入っていました
ね。3時間半の長い映画で、途中に10分間の休憩があります。その時に「御
巣鷹山の惨事」の時にお腹にいた子が、バイオリンを弾いているのが流れる
からと教えてくれる人が居ました。「それなら休憩時間にトイレに行かないよう
にしないとね」と言う事で会場に入りました。

この2番と言う部屋は初めてでした。何時も階段状の席で見るので前に大きい
人が来ても平気だったのですが、今回は緩やかなスロープだったものですから、
前に背の高い青年が座ると私は見えません。映画が始まったら並びの空席に
移ろうといっていたのですが、皆埋まってしまいましたので、主人に代わっても
らいました。映画はやはり階段状が良いですね。

この本は1995年~1998年に週刊新潮に連載されたものですが、私が読ん
だのは単行本になってからです。それにしても有に10年が過ぎています。今
までに何度もテレビ、映画化の話はあったのですが立ち消えになっていたよう
です。

そして10年経った今、映画化されて、日本航空が「客離れ誘発に危機感」と
社内報で批判しているそうです。又日本航空が山崎豊子さんに脅迫まがいの
文を送ったりもしているそうです。その上に日本航空お抱えの新聞記者が
『沈ぬ太陽」に反論する単行本を出すらしいとも言われています。

内容としては、若い頃労組組合で活動していた主人公恩地(おんち)とその友、
行天(ぎょうてん)二人の生き方の変化で、筋を通し続ける恩地は左遷、変わ
り身の行天は出世街道を進む事になる。恩地には実在のモデルが居るが、行
天は複数の人物の合成であるといわれています。

左遷から本社勤務に帰った恩地、その時「御巣鷹山の悲劇」が起こるのです。
日本航空の被害者担当になった恩地は誠心誠意尽くそうとするが、行天に又
もや外地に飛ばされる。行天は一度は子飼いの部下となったが、心底は恩地
を慕う者の内部告発で特捜の取調べを受ける事になるという話です。

書かれて10年たった今になって、目くじらを立てる日本航空は「鈍すりゃ貧す
る」と言う言葉を実践しているような気がします。
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火天の城とハリーポッター

2009年09月14日 | 映画の話
            千日紅   (尼崎・水堂小学校 09-9-10)

       紅色の部分は「苞」だそうです  白くちっちゃいのが花でしょうか?

        こんな色が一輪咲いていました  白もあります


昨日は冬の掛け布団を日に干して、ふっくらさせ、今日から掛けて寝ます。
本当に涼しくなりました。今年は「新インフルエンザ」がとても気に掛かります。

手洗いと嗽を頻繁にしているのですが、2.3日前までは手洗いの水がとても
冷たく感じて気持ちが良かったのですが、だんだん「お~つめた!」と言う
感じになりつつあります。

12日の土曜日、思い切って9時20分の「ハリーポッター」に間に合うように
家を出たんです。切符売り場の掲示を見ますと12時20分しかないのです。
(映画も終わり頃になるとこういう予定変更があります)一応確かめはしまし
たが、「3時間どうしよう?帰ろうか?」でも又来るのも大変だし、どこかで時
間を潰しても見てしまおうと思いました。ところがですデパートに行くにしても
10時開店です。こまったな~と思っていました。まさかの時はどこかで持って
きている本を読もうと思いました。でも梅田の何処に本を読む場所があるので
しょうか?

ひらめきました。「そうだヨドバシカメラなら9時半から開いている」急ぎました。
入り口には大勢の人が待っています。さいわいな事に私が着くと同時に開店
しました。づら~ッと並んだ店員さんに「いらっしゃいませ」と最敬礼されなが
ら進みました。

まずソフト売り場に行きました。色々見て「年賀用のソフト」を買いました。

次は「プリンター」の売り場へ…。欲しいのがあるんです。でも今は「A3」が
刷れるようになっているので大きくなっています。その分値段も張ります。8色
が欲しいのです。前のは6色だったのですが壊れて急いで買ったものですか
ら、4色しかなかったのです。4色では物足りないので、どうしても8色が欲し
いのです。でも年末まで待っていると、きっとバーゲンがあるでしょうし、新型
が出ておのずと値下がりするかも知れません、そのときに考えようと、後ろ髪
引かれる思いで売り場を後にしました。1時間半ウロウロしていた事になります。

次はお昼に食べるものを買いに行くつもりでしたが気が変わって「お好み焼き」
を食べに入りました。主人があまり好きでないので1人の時しか食べられませ
ん。美味しく頂いて、丁度時間となりました…


「ハリーポッター」ですが、最終回ですがなんだかあっけない終わり方でした。
本では如何なんでしょうね、まだ読まないで積んであります。

でも作家はまだまだ若い女性なんですが、良くこんなにおどろおどろしい物語
が書けたものですね。そしてこの本で彼女のお国の女王様より金持ちになった
というのですから、驚きですね。人間の運命って解りませんね。生活保護を受
けながら書き始めた人が大金持ちになったんです。宝くじが当たったのではな
く自分の腕1本でですからね。人も羨む主になったんです。

                  ☆  ☆  ☆

そして今日は主人と「火天の城」に行ってきました。割と入っていましたね。
何時も予告編が楽しみなんですが、今回の予告編では見たいと思うのがあ
りませんでした。

「火天の城」は熱田神宮の番匠・岡部又右衛門が織田信長から安土に五重
の塔を持つ城を築くよう申し渡された。ほかに2人の番匠と指図(図面)で
比べて総番匠(総指揮者)を決める事になっていた。

他の2人は信長の希望通り五重の塔を「吹き抜け」に作図した、しかし又右衛
門は「吹き抜け」を作らなかったため、信長の怒りを買う、「吹き抜けは火が
出たとき風の通り道になる。塔の上を住まいにするという(信長)のお命の為
に作らなかった」と申し開きする。そして3人の模型に火を放つ。「吹き抜け」
のある2人の城は焼け落ちるが、又右衛門のは焼け残った。そして総番匠と
なった又右衛門の築城の苦労話が語られるのです。

その道に秀でた人の凄さ、人との出会いの持つ力、家族愛等々、心が語られ
た映画だと思いました。

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HACHI 約束の犬

2009年08月11日 | 映画の話
       百日紅(さるすべり)  尼崎の街角で…  (09-7-30)



               尼崎の公園で  (09-7-30)



「ハチ」見に行ってきました。映画館にたどっり着くまでに大運動会です。と言
いますのが、直行した場所に映画館が無いのです。映画館名と場所はぴっち
り私の頭に入っています。孫を連れて良く行った映画館だったからです。でも
無いのです。2人の人に聞きました。「閉館しました」と言います。「何処かに
移転?」今朝確かめた新聞に、その名はありました。ハッと気づいたのです、
いつかもこんな事あったな~って。急いで思い出しながら急ぎました。やっと
辿り着いた時には、もう映画は始まっていました。

「忠犬ハチ公」の外国版ですよね。渋谷駅前に銅像があるそうで、過去には
デートの待合場所だったそうですね。亡くなった主人を渋谷駅に迎いに行って
待ち続けたので、有名なのですね。私は写真でしか見た事が無いんですよ。
秋田犬ですね。

今日映画で見たんですが、茶色っぽいんです。我家のコロを思い出しました。
コロはスピッツの雑種です。毛色が同じなんですね。目から鼻にかけて白く、
鼻の先が黒いんです。コロは拾ってきてくれた次男が好きでしたね。その次が
食事をくれる私でしょうか。

ハチは1923年~1935年まで生きたんですね。飼い主が1925年急逝した
ものですから、12年間生きた内の10年間を渋谷の駅前で亡き主人を待ち
続けた事になりますね。ハチは私の生まれる半年前に死んでいるのですが、
私も「忠犬ハチ公」の事は知っていましたから、大したものですね。

我家のコロは20年にあと数ヶ月まで生きたんですよ。これはこれで大した
ものでしょう…。

調べていますとね、今でもハチに会いたければ会えるんですですよね。ハチ
は解剖された後、剥製にされて「国立科学博物館」に保管されているそうで
すよ。常設されているのでしょうか?

血統正しき秋田犬と雑種の違いはあっても、同じ犬ですからね、表情は同じ
なんですよね。「あ~コロもよくあんな顔していたな~」って思い出し乍ら見て
いましたよ。

映画のハチもだんだん年を取っていきますね。そうしますと、顔のあたりの
毛が白くなっていくんですよ、コロもそうでしたよ。それは毛を染めるとかで
表せると思うのですけど、老犬になってからの歩き方が、のそのそと歩くん
ですよ。言葉の解らない犬に如何して教えるんでしょうね。

どんな名優も子供と動物には勝てないと言いますけれど、本当ですね。

話しが話しですから仕方が無いのですが、一寸短すぎるんです。もう少し見   
て居たいな~と思いましたよ。




           百日紅 (広島原爆記念公園) 09-8-6
写真を撮っていますと2人連れのご夫人が「何と言うお花ですか?」「百日紅ですピンク
もありますし白は珍しいですね」「幹がツルツルですね」「だから猿も滑るでサルスベリ
なんですよ」「ま~良くご存知で…」こんなにポピュラーな花のお話しで褒められても
面ばゆいばかりです 枝が高くて接写出来ません






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剣山  点の記

2009年06月29日 | 映画の話
  萩・江戸絞り 春と秋と二度咲きます。 花一つは米粒ぐらいの小さい花です





6月28日(日)

「剣山 点の記」見に行ってきました。主人のリクエストです。新田次郎さんの原作の映画化で、名カメラマンの木村大作さんの監督第一作目です。2日間で5億円の興行収入があり、1週間で50万人の人が見た。と言う事ぐらいは知っていたのです。

『明治時代日本地図完成のため、前人未到だと思われていた「剣山」(富山県)に三角点(今思えば、アチコチの山々で三角点を見た事があった事を思い出しました。西宮の兜山にもあったような気がするのですが…)を立てるべく旧陸軍の測量官が艱難辛苦の末登頂に成功、初登頂と思いきや、山頂には山岳修験者が既に登っていた印としての「錫杖頭」と「剣」を発見する。弘法大師さんも登れなかったというこの山頂を踏破したのは誰だったのでしょうか?

この「錫杖頭」「剣」は昭和34年6月27日、重要文化財として「立山博物館」に陳列されているそうです。

映画館の何時もは1番の上映といえば2~30人ぐらいが普通です。所がです、驚いた事に満席だったのです。帰りのエスカレーターでは次の上映を見る人が連なっていました。本当に凄い人気だと言う事を実感しました。

ですから、何時もはス~ット買えるチケットも並んでいます。私の次の方が女性一人だったので「山がお好きですか?」と聞いてみました、彼女は「今でも毎年登っています」「私も若い頃は登っていました」「今でも登れますよ、私は高校時代の友達とグループで登っているのです。所がリーダーの男の子が(60代だと思うけど…)「雨男」でね何時も雨で、途中の良い景色なんて見た事が無いんですよ」

彼女は登った山の名前を並べ始めました。あの山も、この山も、過って私が登った山ばかりです。「富士山は如何ですか?」と訊ねますと「私心臓が一寸悪いので、富士山は登らないんです。富士山は見る山だと言いますから、富士山の見える周りの山に登っています」と言うお答えでした。


「剣山」と聞けば、私の頭には四国の「剣山」が浮かびました。地元の人が「おつるさん」と愛称で呼ぶ山の事です。でも映画は豪雪地帯とありました。「違うな~、何処?」「立山連峰だって?」

四国の「剣山」は登りました。何年前になるでしょうか、遍路に出るず~っと前です。まだ体力、気力の充実していた頃のお話です。頂上には「竜胆」の花がへばりつくように咲いていました。風が強いのでしょう、園芸種のすらっと背の高い「竜胆」しか知りませんから、始は「竜胆」と気づきませんでした。「七かまど」の赤が目に焼きついていますから、秋だったでしょうか?

富山県には何度となく行きましたし、立山連峰も目にしましたが、「剣山」は全く記憶にありませんでした。映画にも「室堂平」の事が何度となく台詞に出てきましたし、映画の中でも見事な「雲海」も見ました。

私も「雲海」を見たのは、立山の地でした。私は泊まりますと、何時も早朝に起きて、花の撮影に出かけます。その時も宿の前庭から下を見ますと、昨日は富山市内が見下ろせたのに、今は「雲」がもこもこしているだけです。

何時も言いますように、都会育ちの私は自然を知りません。勿論「雲海」何て見た事もありません。私は唯始めてみる光景に引きつけられて唯唯見つめていました。後からこられた女性が「雲海ですね、見事ですね。何時も見られるとは限らないのですよ」と声を掛けられました。「そうか、これが雲海か…」私の頭の中で実物と言葉が結びつきました。

飛行機では雲海を見ましたが、雲海を飛ぶ飛行機から見るのと、高い場所から見下ろすのとでは、同じ「雲海」でも違うように感じたのですが、私の思い違いでしょうか?


映画館に急ぐ通路に女性が二人蹲っていました。「大丈夫ですか」と声を掛けますと「ハイ、救急車も呼びました」との答え、後から来た主人に話しますと、救急車が来るのを待っていようと言います。「救急車に場所をちゃんといいましたか?」と聞くと「ハイ、XXの陸橋の入り口と言いました」と…。

主人と私は陸橋に出て救急車を待ちました。中々来ません。そうしていると「ピーポーピーポー」と聞こえてきましたが、中々姿が見えません。私は彼女達の側に走りました「今ピポピポと聞こえましたからね。もう直ぐですよ」告げると又主人の元にとって返しました。音は聞こえども四方の何処から聞こえているのかの判断が付きません。やっと前方に救急車が見えました。主人は帽子を振り、私は手を振ってアピールしました。聞こえるはずも無いのに「ここよ!ここよ!」と叫んでいました。

私は又彼女の元に走りました。「救急車見えたからね。もう直ぐよ、我慢して!」彼女の顔は真っ青で、痛いのか苦しいのか、身を捩ろうとするのですが、その元気が無いようでした。意識ははっきりしているようでしたので、安心させたい一心で「救急車下に来たよ」「ストレチャー持って来たよ」「エスカレーター上ってきたよ」とピストン運転宜しく、私は彼女達と主人の間を駆けました。

申しわけないのですが、救急隊員の方の動作がのろのろと感じられて「早く早く!」と叫んでいました。救急隊員の方が彼女達の元に到着と同時に私達はその場を離れました。

今頃はきっともう元気になられた事と思います。お友達も驚かれたでしょうが、きっと携帯電話で110番通報されたのでしょうね。電話をされてどの位してから私達が通りかかったのか解りませんが、お友達の機転で救急車を呼んでよかったと思いますよ。友情がより深まったでしょうか?




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60歳のラブレター

2009年06月12日 | 映画の話
  モントプレチア  1球貰ったのに 今では数え切れないはどに増えています

    


前に映画に行ったのは何時だったかしら? と思うほど、映画館に足を運んでいない。私は映画が大好きだけれど、時々こうして間隔が空く。これから暑くなると出歩き難くなる、秋の来るのを待つ日々が2ヶ月以上続くのかな~と漠然と考えていました。「そ~だ、この手があったわ、映画館に行けば良いんだわ」と思い出した。

この映画は封切った時から見に行きたいと思っていました。だけど何だかんだあって、行く事が出来ませんでした。先に見に行ったたまちゃんが「12日までよ」とメールをくれました。

今日は午後から唱歌の学校なので、午前中に見に行こう、1番は9時からなので、お昼を食べて(お好み焼き)花を見て、夙川まで1駅乗ってソコから歩けばいいわと初めての阪急西宮ガーデンスの5階にある映画館に行く事を決めました。此処はとても見易い映画館でした。フロアーの感じが「伊丹」の施設と似ていますね。秋にはJR尼崎にも同じようなものが出来ます。「どうかかどうか野暮ったいものでありませんように」と祈っています。「映画は松竹系」だそうですが…。

「60歳のラブレター」の募集が毎年ある事は知っていたのですが、読んだ事はありませんでした。今ネットで探して読んでみました。相手を思う心の表現に泣きそうになりました。「熟年離婚」だ「定年離婚」だとマスコミは取り上げるけれど、やっぱり「夫婦が一番なんだ」説明にありましたが「歳月を重ねてこそ」見えてくるものがあるんです。

この映画には会社人間で出世街道まっしぐらの夫と後から夫を立てて随う妻。二人は退職を機に離婚する、夫は若い愛人の下に走る。しかし新婚旅行に行った先で30年後の貴方に(つまり60歳定年時の夫へ)と言う妻が書いた手紙を受け取る。そして夫は妻は夫の後に従っていたのではなく、後から支えてくれていった事に気づきよりを戻す。

そんな事ありえないわ!と思われるかもしれないが、私は幼友達が長男を産み離婚、夫々が再婚したが又離婚して、元の鞘に収まり長女を出産と言うケースを知っている。しかしその後、彼女は白血病で若死にしてしまった。本当に若いからだろうあっけない死だった。おばさん(彼女の母)が私に言いました「正子は自分が死ぬと気づかない内に死んだんだと思う」生きている私を見るとまさちゃんを思い出して辛いだろうと足が遠のいたが、年を重ねた今では、行って、まさちゃんの思い出話を聞いてあげたらよかったかなと思っています。

もう一組は、何でも同等に言えるから喧嘩もする友達夫婦。妻が思いがけない脳の手術、麻酔からさめるまで妻の枕元で、元素人歌手だった夫が歌い続ける。自分の気持ちをその歌詞に託す。ビートルズの「ミシェル」だったと思います…。

もう一組は、出世組から外れた、妻を亡くした貧乏な医者と仕事が出来すぎてもてない女性が医師の娘の仲立ちで結婚に向かう。と言う3組が中心でした。

何度涙がこぼれただろうか、その状況に、その言葉に涙が静かに頬を伝いました。映画はその人の感性、人生経験により受けるものが違うと思います。私達は金婚式を迎えた夫婦です。50年の間には色んな事がありました。それがオーバーラップして涙が流れました。私は泣きながら思いました「この涙は今、私が幸せだから流せる涙なんだ」って。鏡に映した私の顔は瞼がはれて「私泣きましたよ」って顔をしていました。


        柏葉アジサイ  西宮の公園でいっぱい咲いていました 
               今年まで気づきませんでした
       上を向いて咲いているのを撮りたかったが 皆横向きでした


    



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大入りだった「おくりびと」

2008年09月19日 | 映画の話

               何の花だか解ります?
             綿の花なんです コットンですよ
                (08-7-23 ジム)


             上の花の蕾なんです。
       キリットした蕾から優しい花が咲くんです


                これも綿の花です
           でも花の色も違えば 葉の形も違います
        こんな花が一面に咲いているのを見てみたいですね
            「風共に去りぬ」のオハラ家の綿畑も
          こんな奇麗な花が咲き乱れていたのでしょうね
                (08-7-30 ジム)


              花のあとの実 (08-7-30 ジム)

  
   実が弾けて綿が顔を… 1ヶ月(08-9-6)かけて綿に変身…


「おくりびと」見に行ってきました。台風の進路も定まらず、雨は降っていないけれど、風は強い日「このくらいやったらいこか」と主人。「死」に関する映画だから、きっと嫌がるだろうと思っていた。「見てみよかなと思っていた」と言っていたので行くつもりだったけれど、急に言い出す。

お昼を食べて、3回目に行こうといったが「お昼は要らん」と言う。私は「食べたい」「そやから太るねん」と厭味。それでも2回目の上映の時間(12:30)にあわせる為、眉毛と口紅だけ描いて急いで飛び出した。

30分で到着、後の30分でサンドイッチとコーヒーで軽い昼食を取る。急いで戻って予告編に間に合った。私は予告編が好きなんです。見たい予告編ありましたよ。

山田洋次監督のシネマ歌舞伎「人情噺 文七元結(ぶんしちもっとい)」です。主役は中村勘三郎さんです。上演中に撮影されていますから笑い声や、拍手も入っています。こうして日本の伝統的芸能が映画と言う媒体を通して、今まで歌舞伎を見たことの無い方にも見るチャンスがあるという事は良い事だと思いました。歌舞伎がこんなに解り易いもの(勘三郎扮するこの噺の主人公が面白い人)かという事が解れば、舞台の歌舞伎を見ようという人も増えると言うものです。10月中旬上映。

これと同時に「連獅子」も撮られたそうです。こちらは踊りです。勘三郎、勘太郎、七之助の親子兄弟が舞うのです。こちらも楽しみです12月上映の予定だそうです。

シネマ歌舞伎って始めての試みかと思っていましたが、過って、六代目菊五郎(勘三郎の祖父)の「鏡獅子」を小津安二郎監督で撮られたことがあるそうです。

「おくりびと」に話を戻します。私としましては「送られる側」としてみておきたいな~と思ったのです。きっと見に来るのは「おくられる側」の人ばかりだろうと思っていたのですが、案外「おくる側」の人も多かったです。モックンや広末さんのファンの方かもしれませんが、私は「おくる側」の心構えとして見ておこうと思われたのかとも思いますが、平日と言うのに予想外の人の入りに驚きました。葬儀に関しては伊丹十三監督の「葬式」を見ています。

モックンがこの本(おくりびと)を読んで「納棺師」を是非やりたいという事が始まりと読んだ覚えがあります。小学館の文庫本で出ているようです。又読みたい本が出来ました。

「納棺師」と言う職業があることさえ初めて知りました。葬儀屋さんが全てするものだと思っていました。姑の時は実子(姉と兄弟三人)が葬儀屋さんの納棺に立ち会いました。私達嫁は立ち会いませんでしたので、どんなだったかは知りませんが、少なくとも手伝いはしたはずです。主人に確かめましたが忘れてしまっているようです。

「死」は「病死」だけではありません「2週間たった孤独死」「首吊り」「交通事故死」等夫々の「死」に対する悲しみがあります。その悲しみに接しながらの仕事であるわけです。

初めは仕事の後の食事が出来なかった、其れがだんだん出来るようになる。食べ物の食べ方で、その仕事への順応を表している。妻としてその仕事に対する嫌悪感もある。「納棺師」を友に持ちたくないと言う拒絶もある。

でも必要な仕事である。そこに複雑な気持ちを抱いている。「死は終わりではなく次の世への門である」と言う言葉が心に残った。実際の火葬場の人の言葉だそうだ。

第32回モントリオール世界映画祭の「グランプリ」を取ったそうです。実際見て損は無い映画だと思います。
                              (840回)
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崖の上のポニョ

2008年08月31日 | 映画の話

             ベロニカ (08-6-24 ジム)
           隅っこの方にひっそりと咲いていました
            一寸寂しげな感じにお似合いかな?


               ベロニカ 色違いです
               私の好みはこちらかな…


今日は又蒸し暑かったです。今日で夏の月は終わり、明日からは秋月です。学校も始まりますね。宿題は出来ているのでしょうか?

そろそろ秋播きの種を注文しなければと思い本を見ていましたが、欲しい花がいっぱいあって迷ってしまいます。もう少し涼しくなれば、庭の手入れもしなければと思いながら、中々重い腰は上がりません。今年は猫に堀り上げられてチューリップを咲かせる事が出来ませんでしたが、ネットでも張って、来年は咲かせたいと思っています。野良猫がどうにか来なくする方法はないものでしょうか?

暑いからと庭仕事はサボるのですが、映画好きな私はさっさと大阪へ…。「崖の上のポニョ」を見に行ってきました。本当は昨日行く予定が、大雨になるというので今日に延ばしました。上映一番を見に行くとなれば、大阪までの割引切符が終日使える土日にしようと、せこい事を考えています。片道70円(210円が140円でいけるのです。バス代より安い)無理ないでしょう?

日曜日とあって切符を買うのに長蛇の列です。やはり若い人が多いです。次が、食べ物売り場にも列です。皆早く家を出て、朝ごはんを食べてないのでしょうね。ポテトやコーンが良く売れていました。

宮崎駿さんの作品はづ~っと見ているんです。吉祥寺のジブリの森(宮崎駿さんのプロダクションの在る所)迄行ったくらいです。でも今までの主人公の顔が余り好きではないのです。ポニョもテレビで見る限り余り可愛いと思わなかったのですが、動きのある映画で見ると可愛い!! 一遍にファンになってしまいました。 ポニョのグッズを買おうかとグッズ売り場に行ってみたのですが、やっぱり映画で見た可愛さはなかったので止めました。

主題歌ですが本編の中でのBGMとしては主題歌を編曲したものが流れてはいるのですが、歌う主題歌は、最後に一度だけでした。

歌が流れ始めると2.3人の子が大きな声で「ポーニョポニョポニョ…」と歌い始めました。私も小声で歌いました。ところがです、お母さんが「駄目!」ってとめてしまって声が聞こえなくなりました。私は一緒に歌って良いと思うのですよ。家では歌っているのでしょう。大合唱になったら良いのにな~と思っていましたのに…。仕方が無いので私は小声で歌い続けました。

映画が終わると、小さな喫煙室満員です。「パパ早く~」と言いながら出入り口で子どもが待っています。パパは2時間我慢していたんですよね。

私はアニメ映画も好きです。孫が大きくなって見なくなっても、私は1人でも見に行くと思います。元気でも旅行は億劫になるでしょうが、読書と映画はず~っと続けるだろうと思っています。
コメント (2)
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