萩・江戸絞り 春と秋と二度咲きます。 花一つは米粒ぐらいの小さい花です
6月28日(日)
「剣山 点の記」見に行ってきました。主人のリクエストです。新田次郎さんの原作の映画化で、名カメラマンの木村大作さんの監督第一作目です。2日間で5億円の興行収入があり、1週間で50万人の人が見た。と言う事ぐらいは知っていたのです。
『明治時代日本地図完成のため、前人未到だと思われていた「剣山」(富山県)に三角点(今思えば、アチコチの山々で三角点を見た事があった事を思い出しました。西宮の兜山にもあったような気がするのですが…)を立てるべく旧陸軍の測量官が艱難辛苦の末登頂に成功、初登頂と思いきや、山頂には山岳修験者が既に登っていた印としての「錫杖頭」と「剣」を発見する。弘法大師さんも登れなかったというこの山頂を踏破したのは誰だったのでしょうか?
この「錫杖頭」「剣」は昭和34年6月27日、重要文化財として「立山博物館」に陳列されているそうです。
映画館の何時もは1番の上映といえば2~30人ぐらいが普通です。所がです、驚いた事に満席だったのです。帰りのエスカレーターでは次の上映を見る人が連なっていました。本当に凄い人気だと言う事を実感しました。
ですから、何時もはス~ット買えるチケットも並んでいます。私の次の方が女性一人だったので「山がお好きですか?」と聞いてみました、彼女は「今でも毎年登っています」「私も若い頃は登っていました」「今でも登れますよ、私は高校時代の友達とグループで登っているのです。所がリーダーの男の子が(60代だと思うけど…)「雨男」でね何時も雨で、途中の良い景色なんて見た事が無いんですよ」
彼女は登った山の名前を並べ始めました。あの山も、この山も、過って私が登った山ばかりです。「富士山は如何ですか?」と訊ねますと「私心臓が一寸悪いので、富士山は登らないんです。富士山は見る山だと言いますから、富士山の見える周りの山に登っています」と言うお答えでした。
「剣山」と聞けば、私の頭には四国の「剣山」が浮かびました。地元の人が「おつるさん」と愛称で呼ぶ山の事です。でも映画は豪雪地帯とありました。「違うな~、何処?」「立山連峰だって?」
四国の「剣山」は登りました。何年前になるでしょうか、遍路に出るず~っと前です。まだ体力、気力の充実していた頃のお話です。頂上には「竜胆」の花がへばりつくように咲いていました。風が強いのでしょう、園芸種のすらっと背の高い「竜胆」しか知りませんから、始は「竜胆」と気づきませんでした。「七かまど」の赤が目に焼きついていますから、秋だったでしょうか?
富山県には何度となく行きましたし、立山連峰も目にしましたが、「剣山」は全く記憶にありませんでした。映画にも「室堂平」の事が何度となく台詞に出てきましたし、映画の中でも見事な「雲海」も見ました。
私も「雲海」を見たのは、立山の地でした。私は泊まりますと、何時も早朝に起きて、花の撮影に出かけます。その時も宿の前庭から下を見ますと、昨日は富山市内が見下ろせたのに、今は「雲」がもこもこしているだけです。
何時も言いますように、都会育ちの私は自然を知りません。勿論「雲海」何て見た事もありません。私は唯始めてみる光景に引きつけられて唯唯見つめていました。後からこられた女性が「雲海ですね、見事ですね。何時も見られるとは限らないのですよ」と声を掛けられました。「そうか、これが雲海か…」私の頭の中で実物と言葉が結びつきました。
飛行機では雲海を見ましたが、雲海を飛ぶ飛行機から見るのと、高い場所から見下ろすのとでは、同じ「雲海」でも違うように感じたのですが、私の思い違いでしょうか?
映画館に急ぐ通路に女性が二人蹲っていました。「大丈夫ですか」と声を掛けますと「ハイ、救急車も呼びました」との答え、後から来た主人に話しますと、救急車が来るのを待っていようと言います。「救急車に場所をちゃんといいましたか?」と聞くと「ハイ、XXの陸橋の入り口と言いました」と…。
主人と私は陸橋に出て救急車を待ちました。中々来ません。そうしていると「ピーポーピーポー」と聞こえてきましたが、中々姿が見えません。私は彼女達の側に走りました「今ピポピポと聞こえましたからね。もう直ぐですよ」告げると又主人の元にとって返しました。音は聞こえども四方の何処から聞こえているのかの判断が付きません。やっと前方に救急車が見えました。主人は帽子を振り、私は手を振ってアピールしました。聞こえるはずも無いのに「ここよ!ここよ!」と叫んでいました。
私は又彼女の元に走りました。「救急車見えたからね。もう直ぐよ、我慢して!」彼女の顔は真っ青で、痛いのか苦しいのか、身を捩ろうとするのですが、その元気が無いようでした。意識ははっきりしているようでしたので、安心させたい一心で「救急車下に来たよ」「ストレチャー持って来たよ」「エスカレーター上ってきたよ」とピストン運転宜しく、私は彼女達と主人の間を駆けました。
申しわけないのですが、救急隊員の方の動作がのろのろと感じられて「早く早く!」と叫んでいました。救急隊員の方が彼女達の元に到着と同時に私達はその場を離れました。
今頃はきっともう元気になられた事と思います。お友達も驚かれたでしょうが、きっと携帯電話で110番通報されたのでしょうね。電話をされてどの位してから私達が通りかかったのか解りませんが、お友達の機転で救急車を呼んでよかったと思いますよ。友情がより深まったでしょうか?