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ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

花戦さ

2017年06月15日 | 映画の話


「花戦さ」見に行ってきました。

そうそうたるメンバーで、それも好感をもっている人ばかり、これは見
に行かなければと、心待ちしていました。

池坊家元の実話だというのですから、尚さらです。もう実力もありませ
んが、過っては池坊師範の免許を頂いた身です。忘れていた、若き頃
を思い出しました、60年も前のことです。

     







成り上がり者の秀吉を諌めんと利休は「茶」で試みるが、秀吉の逆鱗
に触れ、死を招く。利休の死の復讐をせんと池坊専好は「いけばな」
によって、秀吉に挑む。

秀吉は専好の「花」を目にし、自身の愚かさを悟る。

秀吉の時代の武人の事(かかわりの合った人)を知らなければ、一寸
理解しがたいお話かもしれない。


軽くランチを済ませて、温泉に行きました。今日だけお肌ツルツル。

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破門

2017年02月15日 | 映画の話




2月13日(月) そろそろ何時もの生活にもどろうかと思い、温泉に行
くことにしました。相変わらずいっぱいの人でした。のんびりと温泉に
浸かって、体を温めて元気に必要な事をする人の多いこと。私もその
仲間入りをして、のんびりとゴシゴシと垢を落としてしました。気をつけ
ないと一皮剝けて風邪ひかないように、と呟きつつ。

今日から行きは一緒ですが、帰りは別々ということになりました。長湯
の好きな主人と烏の行水の私では、いつも私が待つので時間がもった
いないし、夕食造りもせからしいからです。


2月14日(火) 今日は主人の月一の検査の病院行きの日ですので、
待ち合わせてランチをしてから、映画にいきました。   

     

映画を見てまで泣かなくていいわ、「コメディ」がいいわ、と思っていま
した。この映画が面白いと読んだので、行ってきましたが、さっぱり分
からない。何を意味しているのか、何処が面白いのか、私には理解で
きませんでした。

こうなると残されたのは「戦争もの」だけということになります。あんな
に好きだった「洋画」を見に行かなくなったのは役名が覚えられなくな
ったからかしら、俳優さんの顔で覚えればいいかしらね。

昨日一昨日と2日続けてのお出かけは、やっぱり堪えました。未だ体
元に戻っていないのでしょうね。今日は一日ウトウト眠っていました。
                        
                           (2950回)


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海賊と呼ばれた男

2016年12月20日 | 映画の話
    

12月17日(土)に「海賊と呼ばれた男」の映画を見に行ってきました。

上の写真は、若い頃の主人公ですが、映画で、一番長いのは60代で、
メイクで40代の俳優が60代の重厚さを見せているのには驚きました。
テレビの宣伝でご本人も言っておられましたが、「60代の自分を見て
驚いた」って。60代では声を低くされたそうです。

私はこの本を2013年9月に読んだんで、3年以上も前ですので、内容
的にはすっかり忘れていましたが、奥さんは出てこなかったのではと
思うのですが。

下に其の本の感想文をコピーして載せておきます。



  海賊とよばれた男    百田 尚樹

待ちに待った本でした。そして、アッというまに読みきれた本でした。書評
にもあるように、なんど、涙ぐんだか知れません。主人公の、人へのやさし
さと、頑張りに対してです。

主人公・国岡鐵造の終戦の日から物語りは始まります。その時、国岡商店
には1千名の社員がいたが、1人も首にすることはなかったそうです。また、
応召中の社員の留守宅には給料を送り続けたそうです。

石油会社が本業の国岡商店ですが、売る油がなく、社員の生活のために、
何でもやった、その主な仕事は「ラジオ修理」だったそうです。

国岡商店には創業以来5つの社是があった「社員は家族」「非上場」「出勤
簿は不要」「定年制度は不要」「労働組合は不要」戦前においても、これら
の制度は、多くの他の経営者から「非常識」と笑われたものだったが、「家
族の中に規則があるほうがおかしい」と信念を貫きとおした。

1859年にアメリカでドレイク大佐という男が、ペンシルバニア洲で油田を
掘り当てた、それまでは鯨油を使用していた。ペリーが来航して通称条約
を要求したのも、捕鯨船の補給基地が欲しかったから。

「油を扱う商人になりたい。中間搾取のない商いがしたい」という、日田と
いう人が鐡造を見込んで、会社を興すとき、大金をくれた(貸すのではない)
人がいた。持ち家を売って資金を作ってくれた。その資金も3年間で使い果
たしてしまった。

「国岡商店は廃業します」と日田に謝ると、「3年であかんかったら5年やっ
てみ5年であかんかったら、一緒に乞食しようや」と励ましてくれた。鐡造は
日田が亡くなるまで、恩を返し続けた。

社員も、鐡造の心に答えて、よく働いた。商店はどんどん成長していくが、そ
れをねたも同業者の嫌がらせ、ほか、是でもか是でもかという難関が襲って
きたが、鐡造は乗り切った。

色々と成長を続ける国岡商店への、嫌がらせは石油同業者飲みあらず、関
係省や政府からもあったが、鐡造は乗り切った。

極秘で進めて、世間を驚かせた、日本で始めて「イラン」の石油を買い入れ
たのも鐡造だった。そこには、彼と同じく、「日本のため」と粋に燃える、
船長の力添えがあった。

私が驚いたのは、それまでの「イランの石油」を50年間も、イギリスが自由
に使い、イラン国民は其の恩恵を受けず、貧しかったということです。

GHQの要請で日本の全ての船舶は正午の位置を海運局に毎日報告しな
ければならなかった。アメリカが、日本船の行動を監視するためのものだっ
たらしい。

北九州沿岸から瀬戸内海にかけて暴れ周り、同業者から「海賊」と呼ばれ
た男・鐡造は91歳まで健康で推移したが、腸閉塞の激しい痛みに見舞わ
れ、寝付くことなく其の生涯を終えた。


この本を読みながら、私の頭の片隅には、いつも、かって勤めていた会社
の社長のことが、思い浮かんでいました。

「なんと、よく似た人がいるもんだな~」と…。同世代を生きたお二人の着眼
点が「石油」だったこと。これからは石油時代になるということ。この本の主
人公は「石油」そのものを扱うこと、わが社の社長は「油を運搬する=タンカ
ー」に目をつけた。

本業以外に多角経営に乗り出した。わが社の社長も、船会社を本業としな
がらも、横浜駅前に、結婚式場を造ったり、北海道のニセコにスキー場を
造ったりしました。

お二人とも、政府に頼る石油業界、海運業界の姿勢を批判し、組合に背を
向け、出席もあまりしなくて「異端児」と呼ばれていた。

ただ、本の主人公は91歳まで長生きをされましたが、わが社長の方は67歳
でこの世を去っております。社長といえば、雲の上の人、噂でしかしらない
方ですから、間違いがあってはいけないと思い、「ウイキペディア」で調べ
てみました。あるかしら?  と不安だったのですが、やっぱりありました。 
やっぱり我が会社の社長も偉い人だった。



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後妻業の女

2016年08月31日 | 映画の話

          「ストック」     ご近所で   (16―3―30)


8月30日(火)尼崎で、映画を観てきました。いつもチラシをもらうので、
今日もお願いしたのですが「品切れです」というお返事。上映期間の
終わり頃に行くと、無い事が多いのですが、この映画は始まったばか
りです。

会場に入って「なるほど」と納得がいきました。400人以上は入る会場
なんですが、私はいつも1回目に行くので、パラパラと2.30人程度なん
です。「これで成り立つのかしら」と心配でした。ところが、今日は違いま
した。平日なのに1/3以上150人以上は入っていたと思います。凄い
人気なんですね。

私が見たいと思ったのは、本が面白かったからです。黒川博行、直木賞
受賞後第一作で、確か4.5cmはあろうかと言う分厚い本でしたが、
面白く読みました。

ただ、何時ものことですが、原作とは違う場面が多々あったように思い
ました。

お話は大阪ですが、大竹しのぶさんは関西弁がお上手。とても自然で、
違和感がなくよかったと思います。さんまさんとの結婚生活で、自然に
頭が覚えれいる「関西のイントネーション」なんだろうと思いました。

本を読んでいない方ならば、文句なしに楽しめると思いますよ。


9時50分に始まり12時10分に終わったのですが、今日は一人で行
ったので、帰りは何時もの喫茶店でお昼をしないで、ケーキだけを買
って帰りお昼の代わりにしました。ここのドイツ風のケーキ大好きな
んです。高いのが難点。

面白くて、おいしい一日でした。

    

パンフレットが無かったので、屋外の看板から撮りましたから、あまり
はっきりしません。下の2枚はネットから取りました。



    




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海よりもまだ深く

2016年06月13日 | 映画の話
    




6月6日(月) 主人が1ヶ月に一度の病院行きの日でした。月参りの
日でもありましたが、「もしお坊さんが早く来られて、病院も早く終わ
ったら、待ち合わせて『映画』行く?」と言う約束でした。

両方とも、上手くいって12:40の上映に間に合いそうでしたので、
尼崎で待ち合わせて、ランチは「おうどん」を食べ、ぎりぎり間に合い
ました。





この映画の息子は母親を訪ねて来るのですが、其の目的は、何か金
目の物はないかと下心ありなんですね。その理由を考えれば、「そん
な息子いらん!」ですよね。

しかし、この息子のように、金欠ではなくて、一応まともな生活をしてい
るけれど、母親に顔も見せにくることのない息子と、どちらが、いい息
子だと思いますか? 一般的には、親に心配かけない息子の方が良
いですよね。でも、母親としては、会いたい話したいと言う気持ちがあ
りますから、顔を見せる息子の方が良いかな? いやいや、無心する
息子も嫌かな~と、複雑です。

とても、会話のある親子で良いな~と思いました。



「幸せってのは…」って、この言葉はね、本当にそうだと思いますよ。
早い話が「自分の欲求を諦める」って事でしょう? 「こりゃだめだ!」
と思うことは、すっぱり諦めて、気持ちを楽にするって事でしょう? 私
はこの切り替えが早いんですよ。勿論うじうじと考えるんですよ。でも
相手のあることで、自分の力ではどうにもできないと思ったら、自分の
気持ちを楽にしてやろうと諦めるんです。

時には、そんな自分が哀れで嫌な時もあります、これって一種の「自
己愛」の現れですかね~?






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日本のいちばん長い日

2015年08月10日 | 映画の話










今日は主人が、尼崎の病院の月1回の診察日だったので、待ち合わせて、映
画に行きました。

「日本のいちばん長い日」終戦にまつわる事実と言う事で、楽しみに待ってい
ました。

終戦の日私は小学4年生で10歳でした。戦争を経験したとはいえ、戦争の事
を何も知りません。神戸の家は丸焼けですが、私は加古川に集団疎開してい
ましたから、知りません。

引率の先生が、しっかり私たちを守ってくださったので、勿論「サツマイモのは
っぱ」の入ったお粥のときもありましたが、それでも、そんなにひもじいと思っ
たことはありません。男の子はもしかしたらひもじいと思ったかも知れないとは
思います。

ただお風呂に入ることがあまりなかったので、体も、髪の毛の「しらみ」で一杯
でした。「しらみ取り」の時間があって、二人一組で、「髪の毛のシラミ」のとり
っこをしましたね。体のほうは自分でシャツに潜んでいるのを見つけてプチン
プチンと潰していくのです。ご存知ですか?「シラミ」は保護色?といいますか、
髪の毛のシラミは「黒」身体の「シラミ」は白なんです。私の血を吸った「シラミ」
はまん丸に太っているのです。今ではこれもまた、懐かしい思い出です。


今日の映画を観て、昭和天皇は天皇という地位にふさわしい立派な方だと、
改めて思いました。今丁度サンケイの連載小説で昭和天皇の伝記の連載が
なされています。それを読みながら昭和天皇は尊敬に値する御方だとは思
っていましたが、今日改めて、その感を強くしました。

戦時中のこと、終戦にいたるまでのこと、何となく分かってきたような気もしま
すが、まだまだ理解したとはいえないようです。これから少しずつ、自分なりに
「大東亜戦争」の事を知りたいと思っています。

早い話、何故「大東亜戦争」が「太平洋戦争」に名が変わったのかも、よく分
かっていません。




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おかあさんの木

2015年06月17日 | 映画の話

        「オシロイバナ」    先日「はないっぱいの会」で頂いた   (15―6―14)







今日はむしむしと暑い日でした。

草むしりしながら、「党首討論」聞いていましたよ。民主党も民主党だわね「日
本が、どんな形で、攻められたら、どんな方法でたち向かうか?」だって。安倍
さんも答えておられたけれど「手の内を見せることになるので、いえない」当た
り前よね。私でも、岡田さんの質問を聞きながら「あほらし!敵に手口見せよ!
いうんかいな~」ってぼやいていたら、安倍さんが、私と同じこと答えたのよ。









6月15日(月) 主人が尼崎の病院に行く日で、尼崎で待ち合わせて、「映画」
を見に行きました。「おかあさんの木」は2番目の希望でしたが、「1番目」が時
間的に合わなかったので、「2番目」にしました。

こちらもぎりぎりで、宣伝フイルムは始まっていましたので、室内は、時々暗くな
るという状態でしたが、転ばないように、ゆっくりゆっくりと足を運んで、座席に
着きました。

主人に言わせれば、「一寸、デホルムし過ぎてる。あれこれの話を1本にしてい
る…」といいますが、何しろ小学生だった、私にはわかりかねます。

勿論7人の息子が出征して、5男を除いて全て(一人は志願)戦死する。そして、
終戦後何年もたってから、やっと帰ってきた。

母親は、息子が出征するたびに、息子の無事を祈って、植えた「桐の木」7本。
その木の根元に倒れて、息絶えている母親を発見する5男。号泣する場面で
終わる。母は一人生き残った息子の無事帰還したとも知らないで、息絶える
という、あまりにも酷いお話。

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駆込み女と駆出し男

2015年05月21日 | 映画の話

            「芍薬」  ぼたんの接木の元の木が突然 芽をだし 花が咲きました 
          牡丹に影響するといけないので 勿論花後は切り取りました (15―4―9)





今日、映画に行ってきました。1ヶ月ぶりでしょうか。映画も観始めると癖になる
ようです。大きな画面で、色も綺麗です、テレビとは又違いますね。「見た!」っ
て感じです。


    

    

    

「駆け込み寺」があったことは知っていました。でも内容に付いては何も知りま
せんでしたから、見たいと思っていました。

NHKの朝ドラで毎日見ている大泉洋さんの主役も見てみたかったのです。そ
の他、樹木希林さん、キムラ緑子さんも好きな女優さんですし。主役の若い女
優さんは、知らない方が多かったです。満島ひかりさんぐらいでしたね、知っ
ているのは。

国民的作家、井上ひさしが晩年11年をかけてつむいだ時代小説「東慶寺花だ
より」を元に、「わが母の記」の原田真人監督が始めて時代劇に挑戦!現代の
2倍あったといわれる江戸時代の離婚をモチーフに縁切寺に駆込んでくる女た
ちがさまざまな出会いと別れを繰り返しながら明るくたくましく生きていく姿を描
くとともに、人々の暮らしや時代の空気を映し出した意欲作。

其の時代、男のほうからの「縁切り」は可能でしたが、女からの「縁切り」は不
可能でした。故に、女は2年寺に居れば、「縁切り」が叶というこの寺に逃げ込
んだのです。色んな事情で「縁切り」を求めた女達のお話です。




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龍三と7人の子分たち

2015年04月28日 | 映画の話

     八重の「つつじ」  八重って始めてみましたよ  JR尼崎駅 陸橋   (15―4―27)






今日は、暑いぐらいでしたね。せっせせっせと雑草を抜いていますが、このお
天気で、威張りかえっています。それを「親の敵」とばかり抜いていきます。
整理のついた場所とまだの所と違いは歴然です。


    

      

4月27日(月) 主人の付き添いに、病院に行って、帰りに隣のビルの映画館
に行きました。映画を見るのは久しぶりです。見たいものはあったのですが、
グズグズしているうちに、終了しているのが常でした。

「何で、この映画選んだん?」と主人は聞くのですが、「テレビの宣伝を見たか
らよ。それに武の映画って見たことないし、どんなかな~?と思ったから…」
「見ながら、お前が何でこんな映画選んだかが不思議やってん」

現代の社会現象を上手いこと取り入れていると思いましたよ。くだらないと言
えばくだらないけど、十分笑えました。それで良いかな?

いつもこの映画館に行くのです。わざわざ大阪や神戸まで出なくても、とても
設備のいい映画館ですから。それに、一番の上映に行きますから、空いてい
ます。

それがです、何時もは10人前後の人なのに、なんと、今回は数えてみました
が60人以上いましたよ。これにも驚きました。「武」人気なのでしょうか。

笑うと言えば「何でこんな映画…」と言いながら、主人も何度も小さな声ながら
笑っていましたよ。ところがです、お隣が男1人、女3人でしたが、女性達は大
いに笑っていましたが、お隣の男性は「クスッ」とも笑わないんですよ。

これだけ笑わせてもらったら「1100円」の値打ちはあったと思うのです。笑
うって体にもいいのでしょう? 私はここぞと笑う時は、大声で笑いますよ。そ
うすることによって、楽しさが倍増します。お隣の男性はとても勿体ない映画
の見方をする人だと思いましたよ。

車のついた杖無しでは歩けない奥様と旦那さんがおられましてね、奥様の車
をご主人が持って、奥様は椅子の背を持ちながら、移動しておられたのです。
「いいご夫婦だな~」と思いましたよ。体は不自由でも、心は生き生きしておら
れるのでしょう、「映画を見たい」と行動しておられるのですもの。

まだまだ元気な私でも、少々の疲れを感じましたよ。お疲れだと思いますが、
まだまだ頑張って「引きこもり」にならないようにと祈っています。


   ☆ 明日は、尼崎の花の会で出かけますので、お休みいたします。


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永遠の0

2013年12月25日 | 映画の話




今日は暖かい一日でした。一番の難関「換気扇」2台のお掃除をしました。
昔のように油ものは多くないのですが、やっぱり油で、ねっとり。今流行の、液
のついた紙で拭きましたから、羽を外さなかったのでちょっぴり楽させてもらい
ました。



昨日(12月24日)「永遠の0」を見に行きました。楽しみにしていました。

百田さんのこの本を私は4月始めに読んでいます。そしてブログ(13-4-10)に
書いています。勿論、後にこんなにヒットする作品だと知って、読んだわけでは
ありません。これを読む前の百田さんの作品に魅せられて、この作家のものを
読みたいと思ったのです。ですから「0」が「ゼロ戦」をさすということも知らない
で借りました。

この映画だけではありません。作品を読んでから、観る映画が、本よりよかっ
たことはめったにありません。これは本が大好きな私だからでしょうか? こ
の作品も、私にとっては本以上には感銘を与えてくれませんでした。

主人公の孫が、祖父の事を知りたいと、祖父を知る戦友をたづね歩くというお
話です。初めに訊ねた戦友たちは、「命を惜しんだ」とか「決して、突撃せず、
傍観していた」とか、散々の悪評に、もう訊ね歩く事をやめようかと思いました。
しかし、其の後に会った人々は、最後には「特攻」を志願した祖父の姿を正し
いと評価してくれたのです。

見に行く前に、評価を読んでいますと「この映画ね~『エンドになっても誰も席
を立つ人はおらず、拍手が起こった』って書いてあったよ。尼崎では如何なん
だろうね~と思ったよ」と主人に話しました。「そんなら、拍手するわ。石平太
郎のツイッターでは映画館にいったけれど満員で入れなかったと書いてあっ
たわ」と主人。

何時もは観客は10人居るか居ないの映画館(1回目)ですから、大丈夫とは
思ったのですが、昼食に行く前に切符を買っておきました。思ったとおり、半
分の席は埋まっていたようです。

映画の最後の場面になりました。主人公が自分に与えられた機のエンジンの
不調を感じ、その機に乗ればを友人の命を救えると譲り、予測どおり機にトラ
ブルがおき、基地に引き返すのを見て安堵し、会心の笑みを浮かべて突撃し
ていく最後の場面が映りました。

其の時です、隣の主人が拍手を始めたのです。しかし後に続く人は居ません
でした。「尼崎はやっぱりあかんわ!隣の人(私)も叩かなかったし!」と主
人。「きっと、若い年代の人が多かったのよ。私だって小学3年生だったんだ
から、当時、高校生だった人とは受ける感覚が違うのよ」と弁解する私。本当
に拍手するとは思わなかったので、ビックリしたのよ私。

評価によれば、「涙涙」と書かれていたので、涙もろい私は、初めからハンカ
チを握り締めて、用意万端整えていましたが、一滴の涙も出なかった。本で
読めば想像することによって、感情が激しく動くが、映像で、是でもか! と
見せられるとかえって感情が引いてしまったようです。

この夫にして、この妻あり! おかしな夫婦ですね~。一人拍手の主人と、握
り締めたハンカチを、使うことのなかった妻。おもろい夫婦です。
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