世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

やれやれ…

2009年09月07日 22時16分22秒 | Weblog
月初の月曜日恒例、朝礼での社長スピーチ。
毎月毎月同じようなことを話している社長。
一応、新しい言葉(彼にとってのマイブームな言葉)を皆に披露している。ちょっと得意げに。
先月に引き続き、今月も短めのスピーチだったので、文章化する方の身としてはありがたい。
その文章化したものを●●●ィ~(部長)に提出したのだが、返ってきたその書類には、しっかりと赤ペンチェックが入っていた。句読点の位置や言回し云々ではなく、社長が伝えたかったこととかけ離れてしまっていたからだ。
不思議なことなのだが、社長が仰ったことをそのまま打つと真意がズレてしまことがある。そのようなときは、ちょっとした語句の挿入や機転が真意の表現を助けるのだということを知った。また、その前に「社長が仰りたいこと」をよく考えることの大切さも●●●ィ~から学んだ。
「人の話は心で聞こう」って小学校時代によく言われていたけれども、そうだよな、と返ってきた書類を見て呟いてしまった。

今日は、一時的に暇になったり忙しくなったりするという、もっとも疲れやすい一日だった。
第2四半期決算業務に着手。
これが終わる頃はもう秋本番。

後輩男子タイスケくんとCちゃんとで残業。
明日、タイスケくんは直行で外出する。
帰り際、
「明日、気をつけて行ってきてね」
と言ったら、
「○○さん(私)も気をつけてください」
とボソっと言われた。
明日、特に私は外出しないのに。
気をつけて出勤しろと?
全く。
口からタイスケだ。


夜、母と電話。
「ママの携帯はね、1を押せば亮ちゃんに発信、2がタンちゃん(妹)、3がマー君(弟)。愛情順に設定してあるの」
と得意げに言ってきた母。

でもさー、それって単に生まれた順番じゃね!?
騙されないぞ!母よ。


そんなこんなで、月曜日が終了。やれやれ…。

※今朝、出勤時間に紫紺野牡丹を見つけた。
花言葉は「平静」
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ひまわり畑でつかまえて 2

2009年09月06日 22時06分14秒 | Weblog
昼下がり、池袋にお買い物に行く前に、清瀬のひまわり畑を散策した。
先日行った座間のひまわり畑も良かったんだが、吉熊とひまわりの背後が曇天っつーのはどうもいただけない。暗黒のひまわり畑って感じでどーもねぇ…。
今日はリベンジである。いや、前回もリベンジだったから、リベンジのリベンジというのが正しいのか。…どこまでひまわりに執着しているのだろう。自分。

清瀬には初めて上陸した。池袋から西武線で20分。そこからバスで15分ほど。
いざ、ひまわり畑へ!

若干終焉気味だったが、ひまわりは私を待っていてくれていた。
座間のひまわりよりも背丈が高くて、身長153センチの私は撮影するのが困難だった。
















ひまわりの葉はとても大きい。
吉熊、そんなところに隠れていないで出てらっしゃいな。



ひまわり畑に背を向けると、そこには秋が見え隠れしていた。






「マックロクロスケ?」
いーえ。栗です。触ると痛いですよ。


蝉の声は、9月に入った途端、だいぶ弱くなった。今日聞いた蝉時雨は、恐らく今年最後の大合唱となるだろう。
さようなら、2009年夏。
ありがとう、2009年夏。


夕方、清瀬を後にしる。清瀬駅から見た夕焼けが悲しいほどに美しくて、ついパシャリ。



池袋で第九のチケットと秋物の洋服を買って帰宅。

来週も一週間、がんばるん♪
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「BALLAD 名もなき恋のうた」

2009年09月05日 23時59分17秒 | Weblog
BALLAD 名もなき恋のうた」を観てきた。
原作の「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦」を愛する私としては、期待半分、怖さ半分といった複雑な気持ちで観た。こんな気持ちで映画を観たのは初めてかもしれない。

解説: 「クレヨンしんちゃん」の劇場版シリーズ第10作で、名作と誉れ高い『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦』を原案にした時代劇エンターテインメント。戦国時代にタイムスリップした小学生の主人公が小国の戦国武将や姫君と出会い、深いきずなで結ばれていく姿を描く。監督は『ALWAYS 三丁目の夕日』シリーズの山崎貴。武将・又兵衛を草なぎ剛、小国の姫・廉姫を新垣結衣が好演。実写でよみがえる悲恋のドラマに期待が集まる。
(シネマトゥデイ)

以下、ネタバレあり。

・新垣結衣って誰?恋空の人?というほどの芸能人音痴の私。
今日、初めて彼女の可愛さに痺れた。しかし、配役的には柴咲コウとか、もっと気の強そうな女優の方が良かったのではないかと思った。
・悪役である高虎役の大沢たかおの存在感が光っていた。あんなに凄みのある俳優だとは知らなかった。
・作品前半は間延びしていて、盛り上がりに欠けていたが、後半の合戦シーンはよくできていて引き込まれた。
・アニメ版を細かく再現しているというのに、でもやはり何かが決定的に足りない。残念ながら。それはアニメ版にあったモチーフの一つである「空」がなかったからなのかもしれない。「時間」という逆らえないものに対を成す、いつの時代も普遍的にある「空」。「時間」と「空」というxとyのような軸がストーリーに盛り上がりを与えるのに、それを省いてしまったら、ただの安物のタイムトリップものの作品になってしまう。辛うじて「空」を「楠」「石碑」に変換していたが、「空」の存在感には勝てない。
・なんて思いつつ、合戦に行く前、又兵衛が廉姫にもらった思い出の布を頭に縛るシーンでは号泣。
・アニメ版での好きなシーン、「木蓮の落花を廉姫が見つめるシーン」が再現されていたのが嬉しかった。
・歴史の授業では習わなかった戦国時代の名もなき人の息遣い。私の先祖は、いったいどんな人で、どんな恋をしたのだろうか?駅に向かう途中、夜空に浮かぶ満月を見ながらそんなことを思った。

普通に楽しめる映画といったところだろうか。


[Trailer/予告] BALLAD ~名もなき恋のうた~ (9月5日公開)
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クマ父

2009年09月05日 18時53分24秒 | Weblog
母に電話をしたら、何回目かのコールで父が出た。なので、久々に会話をしてみた。
どうやら昼寝をしていたらしく、声に浮腫みを含んでいた。

「亮ちゃん、変わりない?」

幾つになっても、私は彼にとって女児のまんまなのだろう。
そんな話し方を、父はする。

旅の土産をまだ両親に渡していない。
今月の連休には帰省して渡したい。
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マンモスの肉

2009年09月04日 23時36分43秒 | Weblog
コンビニで怪しげなものを発見&購入。
「原始体験スナック マンモスの肉!?」

マンモスの肉をイメージしたスナック菓子であり、マンモスの肉は含まれていません…ってご丁寧に記載してある。
当たり前じゃん!

今、この時間に食べることは憚れるので、明日、食してみよう。
ギャートルズになれるかな?

楽しみ。




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結婚指輪

2009年09月04日 22時29分14秒 | Weblog
鳩山由紀夫の結婚指輪が気になる。けっこう太めで目立つ。
調べてみた。
特集ワイド:おしゃれ?キザ?好感度アップ? 男の指輪ものがたり

1万円程度のものらしい。


結婚指輪というと、渡辺淳一の小説「マリッジリング」を思い出す。
不倫相手である上司がある日、指輪を外して逢瀬にやってくる(指輪はデザインの描写からすると恐らくティファニー)。
指輪を外した方が、彼女が喜ぶと思ったからである。
しかし、主人公(たしか千波とかいう名前)からすると、指輪を外した彼のその部分の白さがなんだか嫌でたまらない。
そして、彼女は彼と別れを切り出すという話だった。
男女の思考及び感情の差を考えさせられる一作である。

私の周囲の既婚殿方も大半が結婚指輪をしている。
流行ってるのかな。

もしも、私が結婚したら結婚指輪は嵌めないと思う。
両親が嵌めていなかったから、結婚指輪への意識が低いのかもしれない。
父なんて紛失し…(以下省略)。


結婚指輪を嵌めない主義、若しくは結婚指輪の存在を知らないような殿方と結婚をするならば、その時点では問題は勃発しないだろう。
しかし、相手が一緒に嵌めたい派であったらどうなるのか。
恐らく私たち二人の関係は破綻してしまうに違いない。
そんな些事で価値観の相違が見られるのならば、今後も上手くいくはずがない。
…俺たち、もうだめぽ…という気持ちが私の中で芽生えていくに違いない。
そういうことを乗り越えるのが夫婦というものなんだろうけれども、きっと私にはそれらに立ち向かう粘り強さや気力や愛情が哀しいほど枯渇しているのだと思う。
結局は他人との密接な付き合いが面倒臭い…この一言に尽きてしまう。

ソロ活動では女々しく生きているというのに、どうしても対男性というシチュエーションに立たされると(妄想したりすると)、勇ましく振る舞わなければならないといきり立ってしまう。何なんだろう。性格的なものなのだろうか。

「んなもん、俺が嵌めるわきゃねーだろうがよぅ!はっはっはー!」
と妄想上の夫に高笑いしている自分しか想像できないんである。


鳩山由紀夫の左手薬指を見て、つい色々なことを考えてしまう日が続いている。
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秘境

2009年09月03日 23時47分48秒 | Weblog
心療内科デー。

今日の待ち時間は記録更新の3時間半!
「今日は待ちますよ」
と受付のお兄さんに宣告された。
「いつもじゃん」と思いながら、振り返ってみると…ざっと20人弱の人々が待機していた…。
ひょっとして、過疎地域にある小学校の全校生徒数よりも多い?
みんなで合唱(四部合唱)とか余裕でできそうな人数じゃね?

移転前よりも待合室がかなり広くなったのがせめてもの救い。こそこそと隅の方の椅子に腰かけた。

瀬戸内寂聴の「女徳」を夏休み明けから読んでいるのだが、なかなか進んでいない。今日は半分ぐらいまで読み進めることができた。


12歳で花柳界に売られ、舞妓から流れ流れて尼へ転身したの京都・祇王寺の庵主「智蓮尼」の人生を、売れっ子和装デザイナー亮子の視点でなぞるものだ(活字で自分の名前を見るとドキっとする)。
旦那に身受けされることが決定していたのに、役者のブロマイド写真を所持していることが発覚し、浮気の疑いを掛けられる14歳の舞妓・千代菊(のちの智蓮尼)。

旦那に一途さを見せようと、三味線の糸を自らの小指に巻き付け、カミソリで…というくだりは、グロくて直視できなかった。怖いよう…。


さて、今日の診察内容は「クマ医師、亮子の真髄に迫るの巻」
会社のこと、家族のことなどの日常に起こる事柄、それに付随する私の感情や考え方の確認より更に飛躍して、「亮子の真髄」に迫ってきたクマ医師。
そこは秘境だYO!

いつも適当に
「えぇ」
「はぁ」
「まぁ」
という受け答えをしている私。
今日のクマ医師はしつこくて、曖昧な言葉尻まで捕まえるような勢いで迫ってきた。
カーチェイス宛らの二人の会話は、私の沈黙で遮られたりしながらも20分間も続いた。

彼の手元にある電子カルテに書かれている情報など氷山の一角だ。私にはまだまだ深くて暗い闇の部分がごっそりと手付かずのまんま残っている。今までの三年間の通院でも寛解できなかった石化したものである。
本人も忘れていた、忘れていたふりをしてきた、無意識に潜む「私」だ。

今日はその一部分をツンツンされたような感じとでも言おうか。
はっきり言って、この芯を触られるのはかなりの恥ずかしさを伴う(←なんだか表現が淫靡だぞ)。

今の生活は満更でもない。しかし、どこかで後ろめたさなどを感じている。それは自信のなさから派生するとはクマ医師の考察。
「自分の生き方に自信を持ちませんか?あなたならばできますよ」
ということが今日のポイントだろうか。

できっかな?
智蓮尼のように確固たる自分とか持ってないからなぁ…。
…いけない。
こういう発言がダメなんだよなあ。


処方変更はなし。
パキシル、パリエット、マイスリー。

※画像は心療内科に置かれていた移転祝の胡蝶蘭。
二週間前よりは落花してしまっていたが、まだ幾つかの花は残っていた。
この艶かしい花弁を見ていると優しい気持ちになれる。
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恩師からの葉書

2009年09月03日 23時39分51秒 | Weblog
ポストを開けてみたら、恩師からの葉書が届いていた。
彼は高校時代の担任である。
残暑見舞いと年賀状を交わし続けてもう15年。

毎年、尾道のホテルで彼に残暑見舞いをしたためている。
今日、その返事が届いた。

飄々とした彼の性格を表すかのような、懐かしい文字が葉書に溢れていた。

けっこういい歳なのに、キティちゃん葉書を選定する彼のポリシーとか、けっこう好き。
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クマと私と普通の日

2009年09月02日 22時42分43秒 | Weblog
昨日とあまり変化の無い一日だった。
もしかすると、今日って、昨日のコピーだったのかもしれない。

朝起きて、「うっかりペネロペ」を観てから家を出る。
ペネロペは、ご機嫌なときに「♪フッフフッフフー」と鼻唄を奏でる。
ペネロペ役の声優の声が高いせいか、それを聞いた日はずっと「♪フッフフッフフー」が脳内で木霊する。

駅にて正面からタックルしてくる人に苛立ちを覚えながら出勤。
私の利用する駅は幾つかの線が交差しているので、朝のラッシュ時は非常に混む。
乗り換えの為にスゴい血相をしながら前方より走ってくる人々に逆らいながら前進していると、産卵をしに川上に上る鮭などを連想してしまう。
「嗚呼、生きるってこういうことなのか」
と何の脈略もなく毎朝考えている。

仕事は8月分の経費の締めを終え、無事に経理部に提出できた。
稟議書や業連を作成し、夕方からは後輩女子と問屋制家内工業的な手作業をした。
本当、いつもと変わらない一日だった。

ただ一つ。
吉熊に会いたい気持ちが強すぎて、苦しかった。
ごく稀に、こういう「クマの日」があって困っている。

一応、普通の会社員を装っているので「クマに会いたいの~」なんていう発言は自粛している。
「早く家に帰ってクマたちとマフマフしたい!したいんである!」
という願望を胸に秘めながら、コピーをとったり、上司に印をもらったり、何食わぬ顔で仕事をこなさなくてはならない。

昼休みに読んだ川上弘美の短編集「神様」を読んだのが一因だと思う。
10ページにも満たない「神様」

三つ隣の305号室に引っ越してきた「くま」に誘われて、河原に散歩に出る「わたし」。
「くま」が普通に引っ越しをしてきて、話をし、散歩をする。
この非現実的な事象が、さも当たり前のように書かれていてウケた。
そして「くま」と「わたし」の丁寧な交流に、心がホカホカしてきた。

で、我が家のクマに会いたくなった。

ノー残業で帰宅し、ストッキングも脱がずに、手洗い嗽もそこそこにして、布団の上で寝ていたクマたちを思いきり強く抱き締めた。

3分ぐらいの抱擁で私のクマ欲求は満たされ、今、パソコンの前に鎮座してこれを打っている。

規則正しいグラデーションを描くであろう明日も明後日も、クマがいるからきっと私は生きていける。
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An die Freude

2009年09月01日 22時00分16秒 | Weblog
明日は8月分の支払いの締め日なので、今日はずっと伝票をいじくりまくって終了。
机の上が伝票だらけになってしまい、それらが雪崩れる始末。
片手で電卓を叩きながらもう片手で雪崩崩壊を阻止し、「何やってるんだろな…俺」と一瞬悲しくなる。

窓の外には、台風の後のお約束・晴天が広がっていた。
そういえば、台風一過って「台風一家」だと思っていた。
パパ台風、ママ台風、子台風…形成されたそれらファミリーを一括して「台風一家」だと。高校時代までそう信じていた。
「能天気」を「脳天気」だと思うよりも重症かもしれぬ。

そんな私を置いて、葉月は台風と共に去っていった。
去りゆく夏のキヲク…ふふ、と黄昏てみる。



…しかし、黄昏てばかりもいられない!
そろそろ、年末に行く第九のコンサートを選定する時期ではないか。

年末は業界柄、不規則な休みを取ることになる。
なんつったって、年間の売上高の大部分は歳末商戦が担っている。
販売応援に行かされる可能性をも秘めた、なんともなぁー…な12月。
たぶんこの日は休みだろう、
いや、休みに違いない、
てか休みであって欲しい
と、手帳とパソコンを交互に睨めっこしながら毎年決めている。
今のところ、3候補あるのだが、…小林研一郎の指揮と錦織健のテノールのやつにやや決定の予感。

嗚呼、今年も第九に向けてラストスパートをする時期になってしまった。
明日を含め、あと4回、月の支払いの締め業務を手掛けたら師走だなんて、やはり早い…。


Beethoven Symphony No.9 - Bernstein 1989 (part 2)


バーンスタインが指揮する第九。
素敵すぎ。
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中途半端

2009年09月01日 21時55分51秒 | Weblog
どうして、こう、薬を中途半端にして飲むんだろう。
…入眠前の自分よ。
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