世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

利便性に富んだ思考回路

2009年09月17日 23時19分53秒 | Weblog
心療内科デー。

今日も認知の歪みを矯正された。
これでもか!っつーぐらい。
具体的にここに書くことは避けるが、色々と抱えている問題が多い私。
それら諸問題についての私の考察を、クマ医師は質問によって露呈する。
露になった私の考察は、更にクマ医師の考察によって「~という考え方もありますよ」という形で私に渡される。
これが三年間、私とクマ医師の間で交わされた認知行動療法の一部である。

診察代…1,660円
薬代…2,140円
クマ医師の慈愛…プライスレス
お金で買えない価値がある…。

会社の人間関係については、面倒臭い人には極力絡まないように、噛まれても無視するように再三再四言われた。可能なような、不可能なような課題である。

しかし、パキシルのお陰か、そこら辺については以前より深刻視していない。

「興味がない」
「どうでもいい」
「私には関係がない」

という冷たいホイッスルが頭の中で鳴り響くと、思考回路が停止するようになった。
もう気持ちの無駄遣いは辞めようと思う。
疲れてしまうから。

面倒な人間関係を生き抜くためには、これぐらい利便性に富んだ思考回路が必要なのかもしれない。
無駄なことを考えないので仕事や資格取得の勉強にも集中できる。

最早パキシルは私の生活に必要不可欠な薬となった。
そのことを悲しむわけでも嘆くわけでもなく、「効いているんだったらいいんじゃね?」という緩い依存性に身を委ねるのも悪くはない。

今日のクマ医師は饒舌だった。
珍しい。


待ち時間中は昨日買った小室さんの本「罪と音楽」を読んだ。
瀬戸内文学で躓きながら読むのとは異なり、スラスラと読める。
なんて楽なんだろう。もう殆ど読み終えた。

全盛と奈落を見た音楽家による独白は、淡々としつつも所々に「このままでは終われない」という情熱が滲み出ていた。
僕には音楽しかない…ということを、詐欺事件によって再確認することになった小室さん。
愚かだとは思いつつも、やはり嫌いにはなれない。
そんな不思議な力が小室さんにはある。
90年代、時代の寵児と言われつつもいっぱいいっぱいだった小室さん。
もしもあの時、小室さんがクマ医師の様な精神科医に診てもらっていたら、どうなっていたのだろうか、などと考えてしまった。


帰り道、いつもとは違う道を通った。
そこには私の知らないディープゾーン…飲み屋の密集地域が広がっていた。
赤提灯の下で、オッサンたちがビールを片手に騒いでいた。
こんなに素敵な場所があるだなんて知らなかった。


今度、ここで一杯引っ掛けたい。
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