世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

赤色、秋色

2009年09月19日 22時29分55秒 | Weblog
昨年、その燃えたぎるような赤色の連続を見たとき、私は溜め息を吐くのも忘れてしまっていたっけ。
今日は一年ぶりに日高にある巾着田に行ってきた。
曼珠沙華の群生を見るためである。
昨年は母と行った。
初めて見る曼珠沙華の連続に驚く私を、何度か訪れている母は「スゴいでしょ?」と得意気に言った。
あれから一年。
早いものである。
「暑さ寒さも彼岸まで」というが、今日は寒くも暑くもなく快適だった。

鬱蒼と茂った森を歩く。
木々の緑とその下に広がる赤々とした曼珠沙華が華麗なコントラストを描いていた。







どこまで行っても赤、赤、赤…。
その夢のような世界は、ノスタルジックをも超越した何か「この世の果て」的世界を感じさせた。


曼珠沙華は、サンスクリット語で天界に咲く花という意味。
おめでたい事が起こる兆しに赤い花が天から降ってくる、という仏教の経典から来ている。
お彼岸に咲き、土葬をモグラや野ネズミなどから守る意味もあって墓地などによく植えられているため、「死人花」「地獄花」「幽霊花」という呼び名がついている。またアルカロイドという毒があるため、「毒花」「痺れ花」などとも呼ばれている。
…どんだけ汚名をつけられてるんだよ。
こんなに綺麗な花なのに。
可愛そうだ。







白い曼珠沙華も咲いていた。
とても珍しいとのこと。



これは何という花だろうか?
調べたのだけれども分からなかった。



日が当たるところと当たらないところでは、赤色が微妙に違う。




どこまでも。
どこまでも、赤。

これだけ沢山の花が咲いているのに、匂いは全くしない。
不思議な花である。


土手を挟んだ隣の広場ではコスモスが咲いていた。
ずっと非現実的な世界を歩いていたので、この庶民的なピンクに安らぎを感じた。




少々歩いた先に何やら百合っぽい花を発見!!!
アマクリナム。
ヒガンバナ科。
この花…見た瞬間、一目ぼれをした。
清楚で愛らしい。
花言葉は「惑わされない心」


東京から一時間の赤の世界。
浮世離れしたあの空間を今年も堪能できて良かった。
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ねえ この世に生まれて最初の朝に何が見えたの?

2009年09月19日 21時46分11秒 | Weblog
母が、私を産んだときの詳細を教えてくれた。
度々、この手の話は聞いているのだが、聞く度ごとに新たな事実が加味されていく。

1978年。
2月4日。
明け方4時02分。
立春なのに春の兆しなど全く感じることができない厳寒の宇都宮。
小さな産婦人科で私は生まれた。
3,500グラムの元気な女の子だったらしい。

その前日。
「チョコレートケーキがあたったのかな?」
初めての出産、陣痛も初体験だった母ヨーコたん。
陣痛の痛みを知らなかった。
予定日は2月10日。
まだ早い。
我慢に我慢を重ねてタクシーで産婦人科に行ったときは、既に子宮口が8割も開いていたらしい。
あのまま母が我慢していたら…私は便器で産声をあげていたのだろうか。

出産には母方の祖母が付き添っていたらしい。

出産後は、母方の祖父が駆けつけた。
「綺麗なものを見ると、心が安らぐと思ったから」
そう言って花を差し出した。

でもね。
その花。


…仏花だよ?

この世で私が初めて見た花が菊。
おめでたいのだかおめでたくないのだか、些か疑問な状況。

その事実を今日、母に告げられた。
脳内で今井美樹が歌いだす。



『瞳がほほえむから』(今井美樹)  
             
ねえ この世に生まれて最初の朝に何が見えたの?
今 その輝きであなただけを見つめている
一面に咲いた菜の花の色 ほら拍手のように揺れてる
迷った遥かな日々 涙じゃなく力にして
あふれる想いを今こそ果てなく抱きしめて



菊でもぺんぺん草でも、いーや。
おじいちゃん、ありがとう。

その後、父が駆けつけた。
前日から飲み会だったらしく、酒臭かったらしい。
私と父の出会いはアルコール臭に包まれていた…。
でも凄い喜びっぷりだったらしいから、いーや。
ありがとう、パパ。


証言でのみ回想することができる、私の人生で「確実に愛されていた時間」
その時を思う毎に、優しい気持ちになれる。
生まれてきて良かったとさえ思える。

明日は実家に帰省する。
約2ヶ月ぶりだ。

両親に「ありがとう」と言いたい。



瞳がほほえむから
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