世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

汗疹

2008年07月11日 22時57分43秒 | Weblog
経費分析をして一日が終わった。
なかなか濃い一日だった気がする。

ところで、汗疹が出た。
いきなり痒くなり、掻きむしった挙げ句、肌が爛れるいつものパターン。
汗はそんなにかいていないと思うんだが。

部位は、臀部、腹、脇の下。
仕事中も痒くて痒くてモゾモゾと怪しい動きをしてしまった。

まだまだ夏のリハーサル段階なのに。
こんなんで夏を乗りきれるのだろうか。
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さつま銘菓 かるかん

2008年07月11日 22時57分00秒 | Weblog
鹿児島出身のパートさんからお菓子をいただいた。
今朝、食べた。

「さつま銘菓 かるかん」

かるかん…?
猫まっしぐら…?

調べたら、有名なお菓子ということが判明した。
スポンジ状の饅頭の中に餡が入っている鹿児島の銘菓。
軽い羊羮で、かるかん。
素朴な味わいに、遠い南国を思った。

ところで、我が故郷・栃木県の銘菓って何だろうか?

「きぬの清流」だろうか。
それとも「みかもの月」かしら?


皆さんのご当地銘菓は何ですか?
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凶デー

2008年07月10日 22時05分09秒 | Weblog
昨日浅草寺で引いた御神籤は、あながちハズレではなさそうだ。今日はあまり良い日でなかった…。


1、早朝覚醒
リスミーではなかなか寝付けないので、昨夜はマイスリーを飲んで寝た。やはり4時、5時、6時に目が覚める。
体は動かないのに意識だけが覚醒するってけっこう拷問に近いものがある。
今夜は処方通りの薬を飲もう。


2、口紅を忘れた
口紅を忘れて口許が寂しい一日だった。辛うじて持っていたランコムのグロスだけを塗ってみたが、イマイチ…。
目元はバッチリメイクなのに口許がショボーンで、なんともアンバランスな顔だった。会社に一本置いておこうかなあ。


3、数字が合わない
そう、合わなかったんである。
経費データーの加工で残業。
ちなみにこの作業、祖母の通夜に行く前にもやった月イチ業務である。毎月、この仕事をする度に祖母を思い出す。
数字が合わずに焦っていたところ、●●●ィ~(部長)に、
「あれ?〇〇さん(私)。どうしたのですか?(早く帰れよ)」
と言われる。
早くしなくては…と思えば思うほど数字というものは合わなくなる。
結局、吉熊上司が究明してくださった。
悔しい。
久々に仕事で悔しさを味わう。
自分のやり方考え方が絶対ではない。
物事を色々な角度から眺めることを忘れないようにしよう。


4、変な人に遭遇
普段はコンビニユーザーなんだが、今日はなんとなく近所のスーパーで購買活動をした。
お総菜とお酒でも…と思い、惣菜コーナーへ。
ふと隣を見たら、鼻をグリグリほじりながら惣菜を吟味している女性(20代)がいた。
しかもその手で惣菜のパックを持ち、見つめたあとに…その場に戻していた…。しかもその行為は繰り返されていた。
惣菜売り場のおばちゃんも唖然としていた。
食品偽造など世間を賑わせているニュースも顔負けの、あるまじき行為ではないだろうか。
営業妨害甚だしい。
憤りを感じつつ、別の食品を選択した。

と、まあ、今日は凶デーだった。

明日は良い日でありますように。
そう祈りながら、一人で晩酌。

うめ~ぇ!
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46,000日分の功徳

2008年07月09日 22時50分55秒 | Weblog
ちょいっと残業。
その後、浅草まで足を伸ばし、ほおずき市に行ってきた。
ほおずき市に行くのは初めてで、しかもほおずきという植物についてあまり深く考えたことがない私。
この歳になると、「初めて」を経験するには、いくばかりかの勇気や体力が必要になってくる。アンテナを張り、得た情報を自分の中で吟味し、できるだけ行動に移していこう…他に趣味と呼べるものがない私が、いつも念頭に置いていることだ。


浅草寺のほおずき市は毎年7/9~10に開催される。この日に参拝すると、46,000日分の功徳に預かれるとのこと。
すばらしいぞう!





屋台の軒先に色とりどり並んでいるほおずきと浅草寺の朱色が、闇夜にぼんやりと浮かぶ様子はなんとも風情。
ほおずきの鉢植えを買おうかとも思ったのだが、鉢植えの植物をちゃんと育てる自信がないので辞めた。






お好み焼きも大きくて美味しかった!





御神籤は、まさかの凶。
今日、初めて凶を引いた…。



話は変わるが、吉熊ブログ、ついに2,000話を越えました。
3年と5ヶ月ばかりで2,000話を書いたということは、飽きやすい私にとってまるで奇跡のようなことです。
皆様のあたたかい励ましや突っ込みがあったからだと思います。
いつもありがとうございます。
これからも楽しく更新し続けますので、どうか宜しくお願い致します。


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「あの日、僕らの命はトイレットペーパーよりも軽かった ~カウラ捕虜収容所からの大脱走~」

2008年07月08日 23時59分15秒 | Weblog
かつて第二次世界大戦で兵役についていた朝倉憲一(山努)は、孫娘・舞(加藤あい)に連れられ、オーストラリア・シドニーの西320kmにあるカウラ(Cowra)という小さな町にたどり着いた。
事情を何も知らない舞は、憲一が何故今ここに来たのか、何をしに来たのかわからないまま、目の前に広がる何もない荒涼とした大地に呆然とする。
憲一は“ある想い”を胸にこの地にやってきたのだった。その昔、自分が”捕虜”として過ごした地、カウラに。

64年前、ここで起きた出来事。そして、届けられなかった戦友の想い――

――昭和19年1月。 夏九八五三部隊に所属する兵長の朝倉憲一(小泉孝太郎)は、上官の嘉納二郎伍長(大泉洋)と共にニューブリテン島で連合国軍と戦っていた。
悪化する戦況。食料も尽き、仲間ともはぐれ、何十日もひたすら逃げ続けることしか出来なかった2人の前に、ある日、連合国軍の海兵隊が現れる。
ついに、ここで殺されてしまうのか。
それとも捕虜となり辱めを受けるのか――
当時、日本政府は日本兵の捕虜は存在しないと公表していた。捕虜になることは“戦死”つまり、“死”として家族にも伝えられていた。
「生きて虜囚の辱めを受けず。死して罪禍の汚名を残すこと勿れ」
――叩き込まれた「戦陣訓」が憲一の頭をよぎる。これからどんな苦難が待ち受けているのか、どんな残酷な方法で処刑されるのか。いっそ殺してくれ、と懇願する憲一だったが、その願いは聞き入れられないままオーストラリアへと連行されてしまう。
そうしてたどり着いたカウラ第12捕虜収容所で、憲一は“思いもよらない光景”を目の当たりにする。
野球、麻雀、花札をはじめとする遊びに興じる日本人捕虜たち。十分な食事、そして十分すぎる自由。
捕虜に身をやつす自分が、この体たらくで良いのか。生き恥をさらしながらもおめおめと生きていていいのか、それとも潔く自決すべきなのか――答えのない自問を繰り返す憲一だったが、数ヶ月前までの激戦が嘘のように、ただただ、のどかな時間が流れていくのだった。

ところが、ある日、黒木(阿部サダヲ)という軍曹たちが新たに捕虜としてやってくる。
「生きて虜囚の辱めを受けず。死して罪禍の汚名を残すこと勿れ」
――平和な日々の中で憲一たちが忘れかけていた、あの「戦陣訓」を声高に叫ぶ黒木たち。
自分は今、何をすべきなのか?
それまでの安穏とした日々が少しずつ、変わっていく。
そして、1944年8月のある満月の夜――(番組HPより)




死への突撃。
次々に銃で打たれて倒れる人々を見ながら、涙が止まらなかった。

今まで大泉洋という人については興味がなかった。
「生きていればいいことあるよ!生きようよ!」
と、いち早く帝国軍人モードから抜け出してそう言い放つ二郎役の大泉洋。快活な様子がとても魅力的だった。
毎日、届くはずもない手紙を愛する妻へしたため、人として生きることを望んでいた二郎。
およそ64年前、そのような「生を望む」という思想は非難される時代だった。だから二郎の言動はさぞかし勇気のいったことだっただろうと思う。
突撃の賛否、彼は班の中で唯一「×」をつけた。
トイレットペーパーで生死の賛否を問うっていうシチュエーションがかなり悲しい。

次郎とは対照的だったのが軍曹役の阿部サダヲ。
「きっさ~ま!」
と白目を剥く帝国軍人を見事に演じていた。エキセントリックな様子が怖くて、今夜、夢に出てきそうだ…。


寝食に不自由がなく、しかも強制労働もない捕虜生活。
麻雀、喫煙、飲酒、野球、…塀の中では何をしても自由。

「なのになんで?わざわざ大脱走?」
と、どうしても思ってしまう。

たぶん、30歳の私ぐらいの年齢が、「どうして?」と思いつつも、軍陣訓に縛られた当時の日本兵の思いを汲み取れるギリギリの年齢だと思う。
自分の命をあっさりと日本に捧げる意識というものは、でも、やはり理解できない。

しかし、突撃した人の、「日本にいる愛する人を守りたい」、または「立派な戦死」を成し遂げたいという思いは絶対にバカにしてはならないと思うし、心の中で静かに受け止めなければならないことだと思う。


改めて、平和な世の中に生まれてきて良かった。




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あやみ母子、我が実家に来るの巻

2008年07月08日 23時55分06秒 | Weblog
中学時代からの友達、あやみちゃんと娘さん(もうすぐ二歳)が我が実家に来たらしい。

あやみちゃんから、たくさんのメロンをいただいたらしく…恐縮。

あやみちゃんの娘さんと最初に会ったのは、彼女がまだお腹の中にいるときだった。
あの命がすくすくと育っている…母から送られた写メを眺めながら…嗚呼、生命の神秘を感じてしまった。

「娘さん、すっごくいい子だった。あやみちゃんもちゃんとお母さんしていた」
と、我が家の母もしきりに喜んでいた。

娘さんは庭の池で泳ぐ金魚に餌付けをして楽しんだそうだ。

その様子を妄想し、心が和んだ。

あやみちゃんと娘さん。よかったらまた来てくださいな。
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クマ石

2008年07月08日 23時54分53秒 | Weblog
「クマ医師」ではなくて、「クマ石」


後輩男子と一緒に退社。
途中、墓石屋さんを通りかかったとき、クマ石を教えてくれた。

親子シロクマが、写真家・星野道夫さんの写真に似たポーズで佇んでいた。

可愛い!
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七夕に纏わるエトセトラ

2008年07月07日 22時03分44秒 | Weblog
笹の葉さらさら~♪

てか、織姫と彦星、会えねーでやんの。
ぷぎゃ~。
ケラケラ。

織姫→こと座の1等星ベガ。
彦星→わし座のアルタイル。

織姫と彦星。彼等は元々、働き者だった。
織姫の父である天帝の許しを乞うてようやく結婚した。
しかし、結婚してからの彼等は仕事をサボるようになった。
GNPの低下を危惧した天帝は「年に一度しか会わせねーべ」と、二人を天の川を隔てて引き離した…っつーのが、七夕の話。

ぷ…。

一生会えなければいいのに。
そのうち織姫も
「亭主元気で留守がいい」
とか言い出すだろうよ。きっと。

…今では身も心もこんなに立派な負け犬になった私だが、小学生時代は「七夕さま…なんてロマンチックなんだろう」と笹の葉に装飾を施していた麗しき乙女だったのである。

…はい、そこ!
突っ込まない!
質問があるときは手を挙げてくださいね。

笹の葉…厳密に言えば竹の葉なんだが…それに何を飾ったかというと、そりゃ折り紙で作成した輪っか、星、貝。
あと、短冊ね。

さて五色の短冊。
五色とは何色でしょうか?










ですね。

でもさー。
黒の短冊なんて見たことないよ?
なんか陰気じゃね?願い事とか絶対に叶わなそう。

さて、麗しき乙女の私。
短冊には何をしたためたかというと

ひ・み・つ。

…知りたくない?
あっそう。

でね、笹の葉さらさら~♪の「たなばたさま」の歌。
クリスマスならば、「ジングルベルの歌」とか「ホワイトクリスマス」とか複数のテーマソングがあるが、七夕ったら「たなばたさま」しかねーべ。
七夕の専売特許ソングだ。
最近ではドリカムの「7月7日、晴れ」が人気らしい。
でもやはり「たなばたさま」だろう。

この歌の作曲者。
下総皖一(しもふさ かんいち)さんは、「兎のダンス」の作曲者でもある。
1898年3月31日大利根町生まれ。

よく調べたら、私の出身中学の校歌も作曲してんのな。

すげーよ、雀宮中学校。
通称「雀中」(ジャンチュー)

以上。
七夕に纏わるエトセトラでした。


さて。
今年は何を願おうかな。
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償い

2008年07月07日 22時02分53秒 | Weblog
あれから三年か。
…さっき思い出した。

あの件については、既に寛解済みで、思い出すことは稀だ。
だけれども。
忘れたフリはいいけれども。

忘れてはいけないことはしっかりと肝に銘じなくてはならない。
それが、私が犯した罪だと思うから。

つながりうた もりのおく

2008年07月07日 12時45分55秒 | Weblog
つながりうた もりのおく



芋子さんから教えてもらった動画。
最高
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ザ・ノンフィクション 「汗と涙のダンボール人生」

2008年07月06日 22時00分25秒 | Weblog
日曜日の昼下がりったら、フジテレビの「ザ・ノンフィクション」

社会で生きる人々を淡々と描くドキュメンタリー番組だ。

今日の放送は、放送400回を記念して以前放送された中でリクエストが多かったものが放送されていた。

「汗と涙のダンボール人生」


…前に放送された時、泣きながら観たやつだ。


浅草橋で段ボールを収集して暮らす初老の男性・畠山さんと、トミコおばあちゃん。
一日中、汗水を滴ながらリアカー一杯分の段ボールを集めても日給400円。
郷里(岩手県)が近いこともあり、二人は寄り添いながら生きている。
足が悪いトミコおばあちゃんを必死に支える畠山さん。
一日400円という過酷な生活をしてても
「私は畠山さんに優しくされて幸せ」
「死んでも畠山さんと一緒に暮らす」
と呟くトミコおばあちゃん。

流れ流れて行き着いた過酷な路上生活。
誰しも幸せになっていいはずなのに、社会はそれを許そうとはしない。
格差を作りたがる。
我々は厳しい現実社会に生きているのだと痛感した。


二人とも数年前に亡くなって無縁仏になった。

二人を雇っていた社長さんが墓参りにいったシーンで涙が溢れた。
なんと二人は隣同士の仏壇に眠っていたのだ。
数奇な運命を感じるとともに、あの世で二人が仲良く安泰に暮らしていれば…と涙ながらに願った午後だった。
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ラベンダーの香り

2008年07月06日 22時00分10秒 | Weblog
タイムリープするつもりはないのだが、どうもラベンダーの香りが気になる。

ラベンダーのアロマオイルを購入した。
眠りを誘う香りとして有名なラベンダーの香り。

う~ん。
なんだか眠くなってきたような…!?
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社長

2008年07月06日 21時59分45秒 | Weblog
我が家にクマがまた増えた。
雑貨屋さんに立ち寄り、そこで見つけたクマ。一目惚れ。

よく見ると

社 長 に 似 て い る

だから、社長と命名。

ばくだん焼き

2008年07月06日 21時59分11秒 | Weblog
雑司ヶ谷から池袋東口まで歩く。スタスタ…。
今日はとても蒸し暑い。ちょっと歩いただけで汗をかく。いい運動になった。
小腹が空いたので、サンシャインの麓にある「ばくだん焼き」を購入。
直径7センチの巨大たこ焼きみたいなもの。ソースともんじゃ焼きのトロトロがかかっている。
早速買って近くの公園で食していた。まいうー。

…ん?
誰?
そんなに見つめるのは?

視線の先には警察官。
洞爺湖サミットを控え、厳重警備をしていることは知っていたけれど。
そんなに見つめられると味覚に集中できないじゃん。
しかも、警察官の後ろにある小型バス、「トヨタレンタリース」と書いてある。レンタカーで警備?
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雑司ヶ谷霊園でソロ肝試し

2008年07月06日 21時58分44秒 | Weblog
画像は夏目漱石先生の墓地。立派。一際目立っていた。
今後も私のお財布の中を潤してほしい。漱石先生。

本日の目的は永井荷風先生のお墓参り。
毎年命日前後にはお墓参りに来るんだが、最近はサボっていた。垣根に囲まれた小さな墓地。
よく見ると荷風先生の家紋と我が家の家紋が似ていることが判明。団子がモチーフの家の家紋。母は「食い意地が悪そうでみっともない家紋」と鼻で笑うが、私は可愛いので好き。だって団子三つだぜ?可愛いじゃない?

「東条英機のお墓もあったはず」
しかし、見当たらない。事務所でもらった「お墓マップ」にも記載されていなかった。…A級戦犯だから?

鬱蒼とした緑深い墓地はやがて夕闇に沈みかけていた。
巣鴨プリズン跡に建てられたサンシャイン60。それを背にした東条英機の墓地を見て感慨に耽りたかったんだが…諦めた。

薄暗い雑司ヶ谷霊園でソロ肝試し!?になる前に雑司ヶ谷を後にした。