世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

「当期純利益」的時間

2005年09月15日 23時06分20秒 | Weblog
タイムカードを押して、
「今日はどうしょうかなぁ」と考えながら階段を下りる瞬間が好き。

体力的、時間的に池袋まで買い物に行くのは稀であり、
大抵は地元の喫茶店等で食事しながらボンヤリしたり、本を読んでいる。
イライラしている時は一人でカラオケで熱唱、若しくはゲーセンでモグラを叩く…。

シンデレラOLなので(?)、12時前に寝ることを目標にしている。
その前にお風呂やブログ更新、アイロンがけや靴磨きなどの「販管費」的時間を差し引くと「当期純利益」的な自由時間が生じる。

その時間は、ボンヤリしながらも、今日の出来事を反芻して整理する。
そして、明日に備える。
「明日、どんな風に仕事をしているか」
「どんな態度で仕事に臨むか」

「当期純利益」的時間が、次期の純利益に繋がることを願いながら…。








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My Revolution

2005年09月14日 22時04分25秒 | Weblog
前向きな気持ちで目覚めた朝は、こんなにも清々しいものなのだろうか。

カーテンを開いて、ベランダに出る。
夏の終りの朝は、もう涼しさが漂っている。
空が高い。太陽を近くに感じる。
コーヒーの香りが満ちている部屋で「うぃぃぃ~~!!」と伸びをする。

最近、マイスリーのおかげで熟睡できる。
やはり睡眠は大切だと実感。
よく眠り、イライラも頭痛も緩和された。

先日、検査の結果を聞いた。体に不都合なところは無いとのこと。
良かったぁ。

しかし、入眠は相変わらず困難なため、今回もマイスリーを処方してもらった。
暫くは安眠できそうだ。

こんなにも前向きになれるなんて、2週間前の鬱状態の私を考えると信じられない。

夜、眠れるようになったので、朝、早く起きられるようになった。
少し早めに出社すると余裕が生まれ、安定した心理状態で仕事に挑める気がする。


悪い状態に陥った時、周囲が変わってくれるのを期待して待っていては駄目だということを学んだ。
そんなのは甘えでしかない。
身をもって実感した。

自分が変わらないと、問題は解決しない。

27年生きてきて、やっと手に入れた経験。
この経験を無駄にしないようにと誓った。

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1カラットの未練

2005年09月13日 23時46分54秒 | Weblog
一言で言うなら、
やはり
それは
未練なのだろうか。

ウン年前に私は彼に一方的に距離を置かれた。
付き合ってはいなかった。
メールの交換にただ喜びを感じていた。

未練…一言で「言わない」と、やはり違う気がする。

今の私は彼という人間を欲していないから。

未練とは「まだ彼が好き」という感情があって成り立つものである。
強がり抜きで、
たとえ、彼に彼女がいようと、
彼が風俗に通っていようと、

別にどうでもいい。

元々、彼に限らず、誰とも人生を一緒に過ごす気などなかったのだから。

しかし、気になる。

この状態をを未練というのならば、私のプライドへの未練だろう。
傷付いた自分のプライドへの未練。

煙草で穴をあけてしまった修復不可能のスカートをいつまで経っても忘れられないのと似ている。

距離を置かれた当時、毎日「絶対彼を見返してやる」と念仏の様に唱えていた。
今、その執念は含有量こそ減ったが、質は今も変わらない。

決着をつけなければ。

次回会った時に「今、付き合っている人がいるの」と1カラットのダイヤ(鑑定書付き)が輝く左手薬指を見せるのではなく、
「私は今幸せなの」
「あなたがいなくても充実した毎日を送っています」
というオーラを全面的に押し出せ、
彼の顔に一瞬でもいいから「後悔」の念を出させることができたなら、
私は私の中で彼に勝つことができるのだと思う。
そして、この戦いに、呪縛に終止符を打つことができる。

その予定はまだない。

いつの日か必ず…。
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芋蔓式幸福論

2005年09月12日 21時49分26秒 | Weblog
年間約250日出勤して、「今日は良い一日でした」という日は実に少ない。
阿蘇山が晴れる確率と五分というところだろうか。

本日、上司にある仕事を任された。

自分の能力を遥かに超越した業務。
一瞬「…無理でつ」と思ったが、せっかく私を使ってくれるというので、
「やってやろうじゃん!」と鼻息荒く「はい!」と答えた。

やるからには頑張りたい。いや、意識を集中して頑張らないと…失敗して「ごめんなさい」では済まされない。クビちょんぱである。
(どの仕事も結局そうなんだろうが。)

そんな気持ちで仕事に取り組んだ一日は…何でも上手くいく。
ラッキーが芋蔓式にくっついてくる。

腰に手を当ててスキップしながら、ルンルン気分で帰り道を歩く。
途中、お酒で体を満たそうとしたのだが、今日はまだ月曜日…。
まだ四日間も残っているので今日はお預け。

サンマルクカフェで大好きなチョコクロ(クロワッサンの中に板チョコが混入されている…私の好物である)を頬張り、ご満悦。
加山雄三の如く「幸せだなぁ~」と思う。

明日も良い一日にするため、今日はじっくり休もう。

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投票所の中心で孤独を叫ぶ

2005年09月11日 23時46分43秒 | Weblog
夕方、選挙に行く。
実家に住んでいれば、卒業した小学校に設置された投票所に行っていたんだろう。
子供の頃、親の投票について行った際、「私も大人になったらここで投票するんだなぁ」と漠然と思っていた。
でも、その後の「人生の選択」をしているうちに、そういう人生を私は選ばなかった。

見慣れない都会の小学校に設置された投票所に行くと、孤独を感じる。
卑屈にこそならないが、「私はよそ者」という感覚を覚える。
この感覚は、困ったことに、実家を離れて5年経った今でも消えない。


その後、妹の芋子と池袋で食事。
メトロポリタンプラザにあるイタリアンレストラン「ラ・ステラ」でパスタとカクテル。

幼少時代は殴り合ったり噛み合ったりしていた険悪極まりない我々だが、近年は喧嘩すらしたことがなくラブラブである。
外見も趣味も正反対の彼女だが、私をしっかり理解してくれる。
良き親友である。
吉熊への想いを語ると急に「…」という表情で引くのが難点だが。
食後はカラオケに興じ、解散。


明日からまた一週間が始まる。
充電できたから、頑張れそう♪
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いい加減 目覚めなさい。

2005年09月11日 00時37分09秒 | Weblog
ドイツの印象。
5年前、ドイツを旅行した時、ガイドさんの「ドイツ人は勤務時間中、無気力に仕事をして、定時になるとさっさと帰る」という言葉が強烈だった。あと、外食中心で料理はあまりしないらしい。いずれも自分的にスンバラシイ!!と感動した。
よってドイツといえば、日本のサラリーマンの対極にある「24時間タタカイマセン」という国民性と、「料理、面倒だぜ。」という合理主義が一番先に頭を過ぎる。
また、町並みがドールハウスを陳列したかのようで、自分がドールハウスのお人形さんになった錯覚と煌びやかな陶酔を覚えた。
正直、ヒトラーを意識しないで暢気にドイツを旅していた。


午後、「ヒトラー 最期の12日間」を観た。
この映画のヒトラーは、敗北と死に直面した気弱な老人。
そう映るのは、この作品がヒトラーの女性秘書(ユンゲ 実在の女性 当時22歳)の視点から描かれているからである。

場所は地下要塞。

ソ連軍による空爆の音は聞こえるが、アウシュビッツでの殺戮、地上でドイツ国民がどんな酷い目にあっているのかをユンゲは知らない。
来るあての無い援軍を信じ、諦めかけている将校たちに罵声を浴びせるヒトラーだったが、女性秘書や妻には紳士的に接している(なんせ女性のみ“さん”付け)。

よって、ユンゲの目の前にいるヒトラーは「国家に殉じて死んでいく悲劇の権力者」にしか見えないのである。
ヒトラーの死後、ユンゲは地下要塞を脱出し、ヒトラーのせいで起こった地上での悲劇を目にし、目覚める。
晩年、彼女は言う。
「怪物の正体を知らなかった自分を今も許せない。」
「若さは無知の言い訳にはならない。」



帰宅後、「女王の教室」を観る。

阿久津真矢先生の告白。
真矢先生が前任学校でボコボコにした生徒は、優等生で身体の大きい、いじめっ子だった。
彼にいじめられた子の中には、自殺未遂した子までいた。
彼の「どうして人を殺してはいけないんですか?」の言葉で真矢先生はキレてしまった。
…人の生命は素晴らしいものだ、それを奪う権利など誰にもないという信念に基づいて…。

彼女の口から生命を肯定する言葉が出た。
そのこと自体衝撃的だったのだが、折りしも「ヒトラー 最期の12日間」を観た後。
人間の汚さや愚かさ…そして怖さを大量に心に浴びていたので、私は混乱しつつも真矢先生の言葉に救われた。

真矢先生は子供達にいつもこう言う。

「いい加減 目覚めなさい。」

もしあの時代、ヒトラーにそう言える人がいたならば、多くの惨劇は起きなかっただろう。
でも誰も言えなかった。
言ってもヒトラーのあの様子では無理だったかもしれない。
「…でも」
と、私はこの接続詞を口に出してしまう。

「無知の恥」という言葉がある。
無知が「恥」どころか、その後生きていく上で「後悔」に繋がり、またそれは己の滅亡をも引き起こすことを今日は学んだ。



★映画を観て単純に思ったこと★

喫煙する女性

地下要塞にいた女性たち(ユンゲや秘書仲間、ヒトラーの愛人やがて妻になったエヴァ・ブラウン)の喫煙率の高さ!!
これには正直驚いた。
久しぶりにお外を散歩すれば一服。
自室でも一服。
パーティでも…。
スッパスッパ吸い、鼻から「プッファ~」なシーンが多かった。
地下要塞にいるとストレス溜まるのだろうか…。
愛煙家の私はこの映画を観ながら「す、吸いたい…」と何度思ったことだろう。彼女たちは実に美味しそうに吸うので…。男性の喫煙シーンは印象に無い。ヒトラーが吸わなかったからだろうか。



秘書の服装

オーソドックスなスーツ、巻き髪、ハイヒール。
素早いタイピングや速記、廊下をカツカツ歩くユンゲの姿は颯爽としていて眩しかった。
JJ等に出てくる殿方の視線を充分意識した「かっこかわいいOLちゃんの秋服特集」のファッションより、あの時代の「職業婦人です、私は」みたいな固いファッションの方が私は好き。参考になった。
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ターン

2005年09月09日 20時35分11秒 | Weblog
尾道旅行で作成した「握り地蔵」が持光寺から届いた。
願いごとをしながら粘土を握り、その形を生かして目等を付ける。その後、住職さんが入魂しながら焼いてくれるのである。
ようやく今日届いた。

何年も前からやりたかったのだが、機会がなくて今回の旅行でやっとできた。

…少々握りすぎたか?(…願いがデカいから仕方ないか!?)


それにしても金曜日は嬉しい。

夏の日、プールで25メートルを泳ぎ切り、対岸に手を着いた感覚に似ている。

自分はあと何ターンするのだろうか。

水が鼻の穴に入る度にもがいて。
隣のコースを泳ぐ人が気になって。
岸にいる人の応援が嬉しくて。
水面から顔を上げた瞬間の空の色が青くて、一人喜んで。

…私には、あと何ターン残されているんだろう。
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SWEET 27 BLUES

2005年09月08日 22時07分08秒 | Weblog
私は、安室奈美恵と同学年である。
しかし、彼女に惹かれたことがない。
産休に入る前の紅白で「CAN YOU CELEBRATE?」を歌った彼女の姿には涙したが。

小室プロデュース全盛期、色々な人々が小室ファミリーに属していた。
安室奈美恵もその一人であったが、私はあまり彼女の曲を知らない。
同じ小室ファミリーでも、私は華原朋美を贔屓していた。
無垢さ、姫のような振る舞い、陶器のような白い肌、乗馬で国体4位、「愛されていますぅ、私」の幸せオーラ、そしてあの金切り声の存在は当時の私の心を、そして精神を虜にした。
そんな彼女と対極とまでいかなくとも、小麦色の肌と茶髪の風貌の安室奈美恵は私の中で親近感を持てる人ではなかった。また、安室奈美恵が背負っている陰のような部分は、当時の私には重すぎた。

早生まれの私。
安室奈美恵が「SWEET 19 BLUES」を歌っている頃、まだ18歳であった。
聴いた時、「へぇ」としか思えなかった。
「小室哲哉=ノリが良いシャカシャカした音」と刷りこまれていた私は、単調な曲調がとても気に入らなかった。

しかし、しかしである!!
今日はムショウにこの曲を聴きたくて仕方なかった。
19歳の「っうかよぉ~、世の中かったりぃよな~」という心情を歌った曲が、何故27歳の私の心を動かすのか?わからん。私の精神年齢がやっと19歳に追い付いたのだろうか。

「もうすぐ大人ぶらずに
子供の武器も使える
いちばん旬なとき」

果たして、私の年齢はその猶予期間を過ぎてしまったのか否か…。

帰宅後、この曲を聴いて感涙したのは事実である。
どこにどう感動したか?と訊かれると一言では言いにくいのだが。
漠然と、今の私の気持ちを歌っていると思うのである。
歌に共感して涙できるなんて稀だから、なんか嬉しい。
一文字の無駄もない。

…強いて言えば「ベル」かな?

わが妄想

2005年09月06日 21時27分50秒 | Weblog
昼休み、カップラーメンをすすりながら「わが闘争」を読む。
読みながら「この男のせいで何万人もの犠牲者が出たのだなぁ。っうか、偉そうな文だぜ。やれやれ…」と思った。
彼は、こんな小娘に気軽に読まれると思っていなかっただろう。
しかも、昼休みにラーメン食べながら。

まだ少ししか読んでいない。
今の段階で、ヒトラー少年が弁の立つガキ大将であったことだけ分かった。
…嫌なガキである。

読み進めていくうちに「誰かの文に似ている」と直感した。
そうだ、神戸の酒鬼薔薇少年の犯行声明文だ。
「さぁゲームの始まりです。愚鈍な警察諸君、私を捕まえてみたまえ」で始まる、あの文。
そう言えば、酒鬼薔薇少年もこの本を読んだらしい。
小動物を殺しながら性的快楽を味わっていた酒鬼薔薇少年。
挙句、残虐な殺人事件まで起こしてしまった。

彼がどんな思いで「わが闘争」を読んだかわからない。
きっとヒトラーを真似をしたかったんだと思う。
ヒトラーの残虐性や偉そうなところなどを。
(しかし、ヒトラーの残虐性の目的が「統制」ならば、酒鬼薔薇少年のそれは「快楽」であり、酒鬼薔薇少年個人の根本的な性質にあると私は思う)


憧れの誰かを真似て、その人に近づけるのならば、私は誰を真似するだろうか。
憧れの女性ならたくさんいる。


マリーアントワネット
お市の方

世の中には人の数だけ人生がある。
真似したり憧れたりしても、結局、自分は自分なのである。

そこんところ勘違いして
「パンがなければケーキを食べればいいじゃん」、
「キモいんだよ、この猿(秀吉)」
など言い放ち、顰蹙を買わないよう気を付けたい。

…たとえ思っていても…。
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アドルフ・ヒトラー 「わが闘争」

2005年09月05日 22時17分48秒 | Weblog
最近読んでいる本は瀬戸内寂聴の「ひとりでも生きられる」である。
以前、一度読んだが面白くて再び読み返している。
たくさんの恋を経験し、また博学な瀬戸内さんの随筆は私のバイブルである。

妻であり母親である瀬戸内さんが、運命的な出会いを果たし、夫や子供を置いて他の殿方に走ったことはテレビ番組で知った。
そのとき以来、私は瀬戸内さんの情熱的な純粋さの虜になった。

先日、ある方から「人生、何があるかわからない」と言われた。
そんなの分かっているつもりだった。でも、本当は分かっていなかった。
「今がこうなんだから明日もこうなんだろうなあ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。」と思っていた。私がこの陰鬱な毎日に迷い込んだのも「落とし穴」的な「一瞬」がもたらしたのだと思う。
「人生何があるかわからない。」
本当にそう思う。

恋をして家庭から出た瀬戸内さんも、後々になってそう思ったに違いない。

もう一人、気になる人がいる。

アドルフ・ヒトラーである。

アンネの日記や、ドイツ強制収容所の体験記録「夜と霧」を読む限り、
「ヒトラー=極悪な独裁者」、というイメージが私の中で根強く定着している。
彼のカリスマ性が多くの悲劇をもたらしたわけだが、彼の生い立ちや思想の根本について、よく知らない。
何か劇的な出来事が彼を悪魔にしたのか?
時代と彼の思想との呼応の起点とは?

そして、
突き進んだ先で「人生何があるかわからない」って、彼は思ったのだろうか?

悪いイメージばかり先行して、今まで彼のことは考えないようにしていた。
しかし、
「何があるかわからない?そこんところどうなの?」
という私なりのテーマの下、
彼の人生のうねりに触れてみたいと思う。

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ドレスデン国立美術館展[世界の鏡]

2005年09月04日 22時51分48秒 | Weblog
昼下がり、国立西洋美術館へ。
ドレスデン国立美術館展[世界の鏡]を鑑賞。
ドイツの芸術都市であり、ドイツ・ロマン主義誕生の地であるドレスデン。
本展は16世紀から19世紀のドレスデンにおける芸術潮流に焦点を合わせ、ドレスデン国立美術館のコレクションから選りすぐられた作品を展示してある。

国際交流を通じて、世界各国の文化を上手く取り入れた作品が「世界の鏡」のように美しく浮彫りになっていた。

最初のコーナーは、理科の実験室のような雰囲気。
地球儀や集光鏡、測量機。…しかし、それらは唐草などの模様があしらわれていて、まるで芸術作品。当時、科学と芸術が近い位置にあったことを知った。
実用至上主義ではなく、取っ手などに散りばめられた装飾を見ていると、文化の余裕を感じる。
それらのことは、日常生活に於いても言えることなのではないか。
真剣さの中に存在する「遊び心」や「余裕」は、そのものや使用者に「潤い」を与えるのだと思う。
「絶対大切!!」とまでいかなくても「あったらいいよね」という許容を持った潤い。
そういうモノを欲していた自分に気付く。

他の品々では、日本の文化もふんだんに取り入れられていた。長持の漆の技術が机や時計に生き、エキゾチックだった。また、伊万里焼の文化がドレスデンに流れていたことを知って、日本文化に対する誇りを再確認できた。

一番印象的だったのは、フェルメールの「窓辺で手紙を読む若い女」という絵画。
フェルメールは映画で話題になった「真珠の耳飾りの少女」の作者。

「窓辺で手紙を読む若い女」…薄暗い部屋で若い女が窓辺の光を頼りに手紙を読んでいる絵。読むという静かな行為が、写実的な部屋の雰囲気に溶け込んでいて、私は絵の中に引き込まれた。
とっても静かな絵。
観ている自分が「盗み見しているんじゃないか」と勘違いしてしまう、少しエロティシズムな絵。

外に出ると「弓をひくヘラクレス」という像があった。今まで素通りしていたが、この庭には「考える人」等の素敵な像が置かれている。
吉熊が駆け寄り、「僕、こんな勇者になりたいんだ!」と、ヘラクレスの像の前でポーズをとった。

勇者になって、私を守ってね☆

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KUYURA

2005年09月03日 23時52分59秒 | Weblog
ボディソープが切れたので買いに行った。
ボディソープにはそれほどこだわりはない。
安売りしているものをなんとなく買う。
今日もそうするつもりだった。
資生堂の「KUYURA」というボディソープをふと手に取った。
優しげなクリーム色をしたハイソな外観。
値段も他のモノより少々高めに設定してある。
「たまには贅沢しても良いよね~」と、買う気満々。

「癒しの香り」「華やぎの香り」、二種類の香りがある。
夜にシャワーを浴びるので「癒しの香り」を購入。

早速、今夜使ってみた。
いやはや~、良い香り!(香りって表現するのが難しい…)
深い香りがバスルームに充満する。
ユニットバスの小さなバスルームが、どっかのお城の風呂場に思えるぐらい、贅沢な気分が味わえるんである。
モコモコした泡立ちも予想外。泡を流したくないって初めて思った。

ボディソープなんてみんな同じって思っていたが、これにはマイッタ。ハマッタ。

毎日のシャワータイムが楽しみになった。


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一輪の花

2005年09月02日 23時46分45秒 | Weblog
帰宅後、高校生クイズを観る。
夏といえば、「甲子園より高校生クイズだよ…ねぇ」の私。
熱き視聴者である。

正解を目指し、高ぶる魂。
その若さや汗臭さが存分に滲出ている番組である。(優勝した浦和高校の男子グループ、マジで萌え~)

〇×クイズで、「まる~まるッ!絶対まる~ッ!きぃ~!」と必死で叫ぶ高校生を観ながら、「なんなんだろうか、あの若さは…」と、テレビの前の私は懐かしさや切なさで胸がいっぱいになるんである。

放送時期が夏の終りというのもあり、毎年高校生クイズを観るとパブロフの犬のように、ヨダレを垂らしながらセンチメンタルを感じる体になってしまった。

センチメンタルな私は、本棚から高校時代の文集(小冊子)を取り出す。
パラパラ捲り、担任の倉田先生の文章に目が止まった。

自分が生きている世界(仕事)に対し、真摯に立ち向かうには①仕事に惚れ②人に惚れ③地域に惚れる…三惚れの心が基本だと書いてあった。

果たして自分は仕事に惚れているだろうか。
惚れているつもりではあるが、朝はギリギリ出社するなど疑問視してしまう部分も多い。
自分でもそう感じるんだから、きっと他の人から見たらとても惚れているとは思われないであろう。

倉田先生の一文字一文字。
毎日その場凌ぎの言い訳をしながら逃げている自分を、優しく窘めてくれた。

過去から得るものが有るとすれば、それは見逃してしまいそうな道端の一輪の花のように儚いのであろう。

今夜、私はそんな花を見付けることができたようだ。

飲ま飲まイェイ!!

2005年09月02日 00時28分43秒 | Weblog
もやもやとした気持を人に聞いて貰った。
言いたいことが首に詰まって死にそうなぐらい辛かったんだと、やっと気付いた。


そうだ。
どうしたら良いかなんて誰も教えてはくれないんだ。
分かっていたら、みんな間違いなんて起きないんだよね。

「良いと信じて突っ走るしかないんだよ」
納得。

振り向いて、もうクヨクヨなんてしないから!
映画「ヴァニシングポイント」みたく、突っ走るよ!
(…でも、あれの最後って自滅だったよな…。)


…こんなヴァニシング娘を
雇ってくれている会社に感謝。
見守ってくれている友達に感謝。
ブログを覗きに来てくれる方に感謝。
励ましてくれている家族に感謝。
一緒にいてくれる吉熊に感謝。

ありがとうございます。
新生亮子はがんばりまっす。(←選挙か?)

今宵もマイスリー飲ま飲まイェイ!!

☆昨夜はマイスリー1錠飲んでみた。
本当は2錠飲むように言われたんだが、なんか怖くて。
効き目は微妙。期待していた入眠健忘もなかった。つまらん。

今夜は2錠、飲ま飲まイェイ!飲ま飲まイェイ!