世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

私の「ツ、イ、ラ、ク」記

2005年09月19日 23時55分18秒 | Weblog
9/19(月)
栃木といえども、大変暑い一日だった。
体調も優れないので、実家から一歩も外出せず、自室で一日中読書(姫野カオルコ「ツ、イ、ラ、ク」)をしていた。
昨日、パスタを食べ過ぎたせいか胃もたれが酷く、太田胃散を飲んで横になっての読書。

シニカルで、そしてクールな表現によって紡ぎ出される姫野文学。
今回は田舎の女の子の目から見た世界が中心らしい。
まだ途中までしか読んでいないが、「そんな女子がいたなぁ」「田舎のスーパーってそうだよね」など共感しつつサクサク読んでしまう。
新撰組における力関係を女子のそれに当てはめて客観的に見つめるところに「これぞ、姫野文学の中心だぜ」と感じ嬉しかった。

帯には「心とからだを揺さぶる、一生に一度の、真実の恋」
「森本隼子14歳。地方の小さな町で、彼に出逢った。ただ、出逢っただけだった。雨の日の、小さな事件が起きるまでは。」
と記載されている。

私の読み進めた段階ではまだそんなストーリーを感じることはできない。
多分隼子が好きになるであろう中学教師の存在は確認できるのであるが。

中学教師ねぇー…。
そうそう、隼子ではないが、私も先生に恋したことがあったっけ…。
本を閉じ、天井の木の模様を眺めながらぼんやり彼を思う。

しばらくそうしていたが、やがて、五年ぶりに押し入れの衣装ケースを急に開けたくなりそうすることにした。

今年最後になるであろうセミの声がする。
夕暮れが近いのであろう、暑さが引いていた。
…センチメンタルなこの気持ちを迎合するかのように。

母が「夕御飯の用意が出来たよ」と呼んでいるが無視した。

埃っぽい衣装ケースを開け、引っ越し以来の思い出との再会。
授業中に回した小さな手紙、足尾銅山の石、大好きだったメイプルタウン物語の着代え人形、たくさんの思いが詰まった品の中にそれはあった。

日記である。

スヌーピーがプリントされた小さな日記帳。
たしか、「たかぎ」という地元のファンシーショップで購入したものだ。

中学二年の二月から一年にかけての毎日が綴られていた。

読んでみる。
書いたのは私であるが、私ではない他人の日記のような気がした。
…そうでも思わないと、恥ずかしさで死んでしまいそうな内容なんである。

9割方、好きな殿方についてのことが主観的に書かれていた。
相手は前述の中学時代の先生。
15歳年上で、ロムスカ・パロ・ウル・ラピュタ似で冷淡な人であった。
…眼鏡を取り上げたら「あぁ~目がぁ!目がぁぁぁ!」と言いそうな人であった。


平成4年2月14日、バレンタインの儀式に則り、彼にチョコを贈呈したらしい、私。
しかも金額まで書いてあり、当時の私の経済状況まで偲ばれる。
2月15日、他の女子と仲良くお話している彼に私は日記の中で狂おしいほど激しく嫉妬し、絶望しているんである。まるで安田講堂で学生運動をしている学生のような文体で。
…これを恥ずかしいという表現しないでいられようか…。
12年後、唯一の読者である私の方が読んでいて絶望してしまいそうである。

3月のある日の日記には、彼が授業中に「知っているつもり」を観ていることを述べたことが記載されていた。
あれから私も熱心なあの番組の視聴者になったらしい。

その他、彼が小学二年のときにゴジラを映画で観て歓喜した、という他愛のない内容から、彼の出身地、血液型、出身校、彼の兄の娘の名前…という今の私にはあまり必要でない彼の個人情報まで細やかに記載されている。

雪かきの日に私が使用した道具を彼が使用した事実を喜んだ。
彼が授業の進捗状況を教科書にメモする時に、私の筆記用具を使用しては「このシャーペンは誰にも触らせない」と日記に宣言していた。

こんなことに頭や時間を使うなら、どうして化学式の一つを覚えなかったんだろう。
関数の放物線を上手く書く努力をした方が有意義だったんじゃないか…。


一度だけ彼から電話をもらったことがある。
高校受験前の寒い夜である。
彼は私の担任でないので、電話をもらうことは想定外であった。
クラスの中で私は教科リーダーという役割分担を担っていた。
授業が始まる前にその教科の先生に指示を受け、クラスにその内容を伝達する…今の仕事に通づるような秘書的要素のある業務である。

彼が好きで、私は彼の受け持つ教科の教科リーダーになった。
電話の内容はその件について。
「明日、私は出勤できませんので、授業は自習だとクラスのみんなに伝えてください」。
生憎私は塾に行っていて、電話は母が取った。
「なんか、さっき電話があって、明日は自習でお願いしますだって」。
髪を乾かしながら呑気に告げる母。
続けて「受験頑張ってくださいだってさ」…。

その時の、靴下を介して伝わる廊下の冷たさや、母のネズミ色の寝巻きの色も、
私ははっきり今でも覚えている。

「なんで電話してきたんだろうね。」
私はいぶかしげな顔をしながら母に答えたが、胸は張り裂けそうなぐらい嬉しかった…らしい。日記によると。

成人式の日に再会した彼は、もう眼鏡を外し、結婚して所帯を持っていた。
遠い、遠いところに行ってしまった。

恋をした思春期の女子は、もう女そのものと何ら変わりがない。
あの時を振り返り「子供だったよね」と思っていたが、
あの時に比べれば多少経験は増えたけど、あの時の方が他人を思う気持ちの質量は高かった気がする。

実りある恋をせずに、私はこのまま死んでいくのかと思うと損した気にもなるのだが、あの日記を読む限り、あの恋が一生に一度の恋だとしても「まぁいいか…なんか恥ずかしいけど」と思えるので、許すことにしよう。

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べリテンライブ 2005

2005年09月19日 23時23分33秒 | Weblog
9/18(日)
宇都宮のラジオ局主催のライブ「ベリテンライブ2005」に行く。
ろまんちっく村という宇都宮市の第三セクター施設で毎年行われる野外ライブである。昨年はDo As Infinityやnobodyknows+ が出ていて、芋子と楽しんだ。
今年はハイロウズやPUFFYが来るというので、前々から父にチケット取ってもらい、楽しみにしていた。
広い開場に、若人多数、…中年僅か。
若者は前方に陣取り、ノリノリである。
最早、気力体力的に若者に属していないのであろう私は両親と後方で座りながら、ステージを鑑賞していた。

で、PUFFYである。
パパパパパフィ、である。
「白のパンダをどれでも全部並べて~」である…。
若者を押し退け、前方で彼女達を観たが、可愛いんである。動きが。顔が。声が。


ふと空を仰げば、空の色が赤から青に染まり、闇が近付いていた。
山々が影となり、鈴虫が鳴き渡る。
やがて赤い月が出てきて、ライブは終わった。

今回のライブは、芋子の親友りんごやさんと殿方二人も一緒(いつもブログを読んでくれてありがとう)。
紛れも無く若者である。

帰りに、FKDインターパーク近くの「Glass Day」というパスタ屋さんでみんなで夕御飯を食べた。
窯で焼かれたピザや、粗びきのミートが乗ったボリュームいっぱいのパスタなどを出すお店。
ピアノの生演奏が素敵で、うっとりしてしまった。

帰宅後、朝から体調が悪かった私は、マイスリーとロキソニンを飲んでさっさと就寝。


月の光がベランダに反射して眩しかった。
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「女王の教室」 ~阿久津先生、ありがとうございました~

2005年09月19日 23時11分08秒 | Weblog
9/17(土)
実家に帰る。

阿久津先生、ありがとう…「女王の教室 最終話」を観終え呟いた。
この夏、一番ハマったドラマ。
いや、今まで色々なドラマを観てきたけれど、一番好きなドラマと断言できるものかもしれない。
数年前、「女の価値は男の数で決まるのよ」という台詞が強烈だった「シュムニ」を観たとき「こんなにドラマにハマることはもう二度とないだろう」と思った。(まだ私は学生で、会社組織に関する知識が未熟だったゆえ、庶務二課が総務部に属していることすら知らなかった。)

久々に涙したドラマ「女王の教室」。
卒業式を抜け出し、教室で「先生、ありがとうございました」と、生徒一人一人が阿久津先生に泣きながらお礼をするシーン。
学園モノドラマの定番シーンである。
「教師びんびん物語」や「金八先生」のように、先生がそんな生徒達を抱き締め「みんな~」と泣くのがお決まり。
しかし、さすが女王阿久津先生。
自主的に生徒が歌う「仰げば尊し」を背中で聴きながら涙ぐむのだが、
くるりと振り返ってクールな表情で「いつまで感傷に浸っているつもり?」…。
惚れた、惚れますた!素敵~。
あくまで自分を崩さない阿久津先生だが、涙が溢れないように上を向く彼女の姿を見て、「嗚呼、この人にも感情があるのね」と、テレビの前で涙涙の私。
笑ったり泣いたりしない、まるで能面のような阿久津先生だったが、
生徒が一つ一つの壁を乗り越える姿を見守る阿久津先生の表情に、だんだん豊かさが芽生えてきた。
「照れ」や「嬉しさ」が、阿久津先生の眼差しや瞬きの早さのタイミングで察知できるようになった私は紛れもなく阿久津先生の虜なんだろう。
また、女優天海祐希の賜なのだと思う。

「教育は奇跡を起こすことが出来る。だから私は何があっても教師を辞めない。」って阿久津先生が言っていたが、6年3組の生徒達はたくさんのミナクルを起こしてくれた。
困難を与えられ、苦悩しながら成長する子供達。
小さな脳味噌で必死に考えて自分達で答えを出す。
学級会や道徳の時間が与えられるわけでもなく、子供一人一人が頭の中で考えて答えらしきものを導き出す。
そんな姿に私は毎回応援を送っていた。
そして、私も生徒と一緒になって考えた1クールであった。

「子供なんて大嫌い。できれば一生関わりたくない。半径30メートルの領域には入ってもらいたくない。」その思いは今も変わらない。
しかし、教育によっては、私好みの子供に成長する可能性が子供にあることを知った。
子供に奇跡を起こさせるため、大人は沢山の努力や忍耐が科せられるわけで、それをいとわず体を壊しながら、まるでセコムのセンサーのように24時間体制で生徒を見守っていた阿久津先生に拍手してしまう。
国民に厳しいと思われていても、国民のことを誰より案じている女王。
それがこのドラマのタイトルの所以なのだろう。

私はあのクラスの生徒ではないが、社会人としての仕事に対する構え方を教えてもらった気がする。阿久津先生、ありがとうございました。

追記
初めの方の回で、祐介君がお母さんに捨てられたことを阿久津先生が教室で声高に暴露していたシーンがある。
阿久津先生ファンの私であるが、どうしてもあのシーンには疑問符として心に引っ掛かっていた。プライベートな事を態々持ち出して…傷付けすぎではないか?と。
しかし、最終回、行方知らずの祐介君のお母さんは何故か祐介君の卒業式に来て、祐介君と再会できる。
阿久津先生はずっと祐介君のお母さんを探し続けていたらしく、そして、「卒業式に出てあげなさい」と言ったらしい。

その辺のフォローがちゃんとされていたことに、このドラマ制作者や脚本家の遊川さんの細やかさを感じた。