9/19(月)
栃木といえども、大変暑い一日だった。
体調も優れないので、実家から一歩も外出せず、自室で一日中読書(姫野カオルコ「ツ、イ、ラ、ク」)をしていた。
昨日、パスタを食べ過ぎたせいか胃もたれが酷く、太田胃散を飲んで横になっての読書。
シニカルで、そしてクールな表現によって紡ぎ出される姫野文学。
今回は田舎の女の子の目から見た世界が中心らしい。
まだ途中までしか読んでいないが、「そんな女子がいたなぁ」「田舎のスーパーってそうだよね」など共感しつつサクサク読んでしまう。
新撰組における力関係を女子のそれに当てはめて客観的に見つめるところに「これぞ、姫野文学の中心だぜ」と感じ嬉しかった。
帯には「心とからだを揺さぶる、一生に一度の、真実の恋」
「森本隼子14歳。地方の小さな町で、彼に出逢った。ただ、出逢っただけだった。雨の日の、小さな事件が起きるまでは。」
と記載されている。
私の読み進めた段階ではまだそんなストーリーを感じることはできない。
多分隼子が好きになるであろう中学教師の存在は確認できるのであるが。
中学教師ねぇー…。
そうそう、隼子ではないが、私も先生に恋したことがあったっけ…。
本を閉じ、天井の木の模様を眺めながらぼんやり彼を思う。
しばらくそうしていたが、やがて、五年ぶりに押し入れの衣装ケースを急に開けたくなりそうすることにした。
今年最後になるであろうセミの声がする。
夕暮れが近いのであろう、暑さが引いていた。
…センチメンタルなこの気持ちを迎合するかのように。
母が「夕御飯の用意が出来たよ」と呼んでいるが無視した。
埃っぽい衣装ケースを開け、引っ越し以来の思い出との再会。
授業中に回した小さな手紙、足尾銅山の石、大好きだったメイプルタウン物語の着代え人形、たくさんの思いが詰まった品の中にそれはあった。
日記である。
スヌーピーがプリントされた小さな日記帳。
たしか、「たかぎ」という地元のファンシーショップで購入したものだ。
中学二年の二月から一年にかけての毎日が綴られていた。
読んでみる。
書いたのは私であるが、私ではない他人の日記のような気がした。
…そうでも思わないと、恥ずかしさで死んでしまいそうな内容なんである。
9割方、好きな殿方についてのことが主観的に書かれていた。
相手は前述の中学時代の先生。
15歳年上で、ロムスカ・パロ・ウル・ラピュタ似で冷淡な人であった。
…眼鏡を取り上げたら「あぁ~目がぁ!目がぁぁぁ!」と言いそうな人であった。
平成4年2月14日、バレンタインの儀式に則り、彼にチョコを贈呈したらしい、私。
しかも金額まで書いてあり、当時の私の経済状況まで偲ばれる。
2月15日、他の女子と仲良くお話している彼に私は日記の中で狂おしいほど激しく嫉妬し、絶望しているんである。まるで安田講堂で学生運動をしている学生のような文体で。
…これを恥ずかしいという表現しないでいられようか…。
12年後、唯一の読者である私の方が読んでいて絶望してしまいそうである。
3月のある日の日記には、彼が授業中に「知っているつもり」を観ていることを述べたことが記載されていた。
あれから私も熱心なあの番組の視聴者になったらしい。
その他、彼が小学二年のときにゴジラを映画で観て歓喜した、という他愛のない内容から、彼の出身地、血液型、出身校、彼の兄の娘の名前…という今の私にはあまり必要でない彼の個人情報まで細やかに記載されている。
雪かきの日に私が使用した道具を彼が使用した事実を喜んだ。
彼が授業の進捗状況を教科書にメモする時に、私の筆記用具を使用しては「このシャーペンは誰にも触らせない」と日記に宣言していた。
こんなことに頭や時間を使うなら、どうして化学式の一つを覚えなかったんだろう。
関数の放物線を上手く書く努力をした方が有意義だったんじゃないか…。
一度だけ彼から電話をもらったことがある。
高校受験前の寒い夜である。
彼は私の担任でないので、電話をもらうことは想定外であった。
クラスの中で私は教科リーダーという役割分担を担っていた。
授業が始まる前にその教科の先生に指示を受け、クラスにその内容を伝達する…今の仕事に通づるような秘書的要素のある業務である。
彼が好きで、私は彼の受け持つ教科の教科リーダーになった。
電話の内容はその件について。
「明日、私は出勤できませんので、授業は自習だとクラスのみんなに伝えてください」。
生憎私は塾に行っていて、電話は母が取った。
「なんか、さっき電話があって、明日は自習でお願いしますだって」。
髪を乾かしながら呑気に告げる母。
続けて「受験頑張ってくださいだってさ」…。
その時の、靴下を介して伝わる廊下の冷たさや、母のネズミ色の寝巻きの色も、
私ははっきり今でも覚えている。
「なんで電話してきたんだろうね。」
私はいぶかしげな顔をしながら母に答えたが、胸は張り裂けそうなぐらい嬉しかった…らしい。日記によると。
成人式の日に再会した彼は、もう眼鏡を外し、結婚して所帯を持っていた。
遠い、遠いところに行ってしまった。
恋をした思春期の女子は、もう女そのものと何ら変わりがない。
あの時を振り返り「子供だったよね」と思っていたが、
あの時に比べれば多少経験は増えたけど、あの時の方が他人を思う気持ちの質量は高かった気がする。
実りある恋をせずに、私はこのまま死んでいくのかと思うと損した気にもなるのだが、あの日記を読む限り、あの恋が一生に一度の恋だとしても「まぁいいか…なんか恥ずかしいけど」と思えるので、許すことにしよう。
栃木といえども、大変暑い一日だった。
体調も優れないので、実家から一歩も外出せず、自室で一日中読書(姫野カオルコ「ツ、イ、ラ、ク」)をしていた。
昨日、パスタを食べ過ぎたせいか胃もたれが酷く、太田胃散を飲んで横になっての読書。
シニカルで、そしてクールな表現によって紡ぎ出される姫野文学。
今回は田舎の女の子の目から見た世界が中心らしい。
まだ途中までしか読んでいないが、「そんな女子がいたなぁ」「田舎のスーパーってそうだよね」など共感しつつサクサク読んでしまう。
新撰組における力関係を女子のそれに当てはめて客観的に見つめるところに「これぞ、姫野文学の中心だぜ」と感じ嬉しかった。
帯には「心とからだを揺さぶる、一生に一度の、真実の恋」
「森本隼子14歳。地方の小さな町で、彼に出逢った。ただ、出逢っただけだった。雨の日の、小さな事件が起きるまでは。」
と記載されている。
私の読み進めた段階ではまだそんなストーリーを感じることはできない。
多分隼子が好きになるであろう中学教師の存在は確認できるのであるが。
中学教師ねぇー…。
そうそう、隼子ではないが、私も先生に恋したことがあったっけ…。
本を閉じ、天井の木の模様を眺めながらぼんやり彼を思う。
しばらくそうしていたが、やがて、五年ぶりに押し入れの衣装ケースを急に開けたくなりそうすることにした。
今年最後になるであろうセミの声がする。
夕暮れが近いのであろう、暑さが引いていた。
…センチメンタルなこの気持ちを迎合するかのように。
母が「夕御飯の用意が出来たよ」と呼んでいるが無視した。
埃っぽい衣装ケースを開け、引っ越し以来の思い出との再会。
授業中に回した小さな手紙、足尾銅山の石、大好きだったメイプルタウン物語の着代え人形、たくさんの思いが詰まった品の中にそれはあった。
日記である。
スヌーピーがプリントされた小さな日記帳。
たしか、「たかぎ」という地元のファンシーショップで購入したものだ。
中学二年の二月から一年にかけての毎日が綴られていた。
読んでみる。
書いたのは私であるが、私ではない他人の日記のような気がした。
…そうでも思わないと、恥ずかしさで死んでしまいそうな内容なんである。
9割方、好きな殿方についてのことが主観的に書かれていた。
相手は前述の中学時代の先生。
15歳年上で、ロムスカ・パロ・ウル・ラピュタ似で冷淡な人であった。
…眼鏡を取り上げたら「あぁ~目がぁ!目がぁぁぁ!」と言いそうな人であった。
平成4年2月14日、バレンタインの儀式に則り、彼にチョコを贈呈したらしい、私。
しかも金額まで書いてあり、当時の私の経済状況まで偲ばれる。
2月15日、他の女子と仲良くお話している彼に私は日記の中で狂おしいほど激しく嫉妬し、絶望しているんである。まるで安田講堂で学生運動をしている学生のような文体で。
…これを恥ずかしいという表現しないでいられようか…。
12年後、唯一の読者である私の方が読んでいて絶望してしまいそうである。
3月のある日の日記には、彼が授業中に「知っているつもり」を観ていることを述べたことが記載されていた。
あれから私も熱心なあの番組の視聴者になったらしい。
その他、彼が小学二年のときにゴジラを映画で観て歓喜した、という他愛のない内容から、彼の出身地、血液型、出身校、彼の兄の娘の名前…という今の私にはあまり必要でない彼の個人情報まで細やかに記載されている。
雪かきの日に私が使用した道具を彼が使用した事実を喜んだ。
彼が授業の進捗状況を教科書にメモする時に、私の筆記用具を使用しては「このシャーペンは誰にも触らせない」と日記に宣言していた。
こんなことに頭や時間を使うなら、どうして化学式の一つを覚えなかったんだろう。
関数の放物線を上手く書く努力をした方が有意義だったんじゃないか…。
一度だけ彼から電話をもらったことがある。
高校受験前の寒い夜である。
彼は私の担任でないので、電話をもらうことは想定外であった。
クラスの中で私は教科リーダーという役割分担を担っていた。
授業が始まる前にその教科の先生に指示を受け、クラスにその内容を伝達する…今の仕事に通づるような秘書的要素のある業務である。
彼が好きで、私は彼の受け持つ教科の教科リーダーになった。
電話の内容はその件について。
「明日、私は出勤できませんので、授業は自習だとクラスのみんなに伝えてください」。
生憎私は塾に行っていて、電話は母が取った。
「なんか、さっき電話があって、明日は自習でお願いしますだって」。
髪を乾かしながら呑気に告げる母。
続けて「受験頑張ってくださいだってさ」…。
その時の、靴下を介して伝わる廊下の冷たさや、母のネズミ色の寝巻きの色も、
私ははっきり今でも覚えている。
「なんで電話してきたんだろうね。」
私はいぶかしげな顔をしながら母に答えたが、胸は張り裂けそうなぐらい嬉しかった…らしい。日記によると。
成人式の日に再会した彼は、もう眼鏡を外し、結婚して所帯を持っていた。
遠い、遠いところに行ってしまった。
恋をした思春期の女子は、もう女そのものと何ら変わりがない。
あの時を振り返り「子供だったよね」と思っていたが、
あの時に比べれば多少経験は増えたけど、あの時の方が他人を思う気持ちの質量は高かった気がする。
実りある恋をせずに、私はこのまま死んでいくのかと思うと損した気にもなるのだが、あの日記を読む限り、あの恋が一生に一度の恋だとしても「まぁいいか…なんか恥ずかしいけど」と思えるので、許すことにしよう。