世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

おもひでぽろぽろ

2005年09月22日 23時50分19秒 | Weblog
「今日はコレとアレやって、さっさと帰る!」と、明確に目標を定めていた。
いつもより仕事が捗った。
急に好奇心が沸き起こり、自分の仕事の処理能力を知りたくなった。
滞りなく業務を終え、タイムカードを押した私はマラソン大会で完走した気分に似た充実感と爽快感を久々に得た。

…な~んて書いているけど、詭弁である。

「おもひでぽろぽろ」という映画がある。
27歳の独身OL(タエ子)が、10日間の有給休暇を使い(←信じらんね~!)、
山形の遠い親戚の家で農作業を手伝い悦に入る話。
そこにいた若い殿方(トシオ)を親戚に薦められて、初めは動揺するんだが、結局「そんな私もアリかな?」なんて勘違いをし、東京に帰る電車を降りてトシオの元に引き返すんである。
話自体には惹かれない。そんなOLいるか?って思ってしまう。ちょっと農作業を手伝っただけで、その後の人生を勘違いで確定させる生き方が、保守派の私には響いてこない。私だって尾道をこよなく愛しているが、あそこで生活する自信はない。

小学5年生の自分と今の自分の対比が「おもひでぽろぽろ」の主軸である。
山形にいる間、何をしていても小学5年生で体験した出来事に結びついてしまう困った27歳OLタエ子。
算数で2を取った、給食を残さないで食べる規則が苦痛だった、性教育に衝撃を受けた、挙げ句、…「分数の割り算が出来た子はその後の人生もうまく行く」という格言まで述べ出す始末。

特定の期間の出来事を思い出すことはあっても、今の生活に深く絡めることのない自分はこの作品を厳しく評価していた。

しかし、先日、あの「ツ、イ、ラ、ク日記」を紐解いてからというもの、なんだか中学3年生の自分が今の自分の中に居付いてしまっているようだ。

きっちり三編みをし、ニキビの耐えないオデコを出し、暗いんだか明るいんだか今でも判断つきかねる様子の当時の自分。
日記の中心が、思いを寄せていた先生のことだったせいもあり、思い出の中心も先生だ。

「彼は今、何しているんだろう」と一日何回も思う。
気になる。
昇華できないモヤモヤした気持ちが、あの日記で再燃してしまったようだ。

いつも良い香りがした先生。
卒業後、CHANELのCHRISTALが先生の香りに一番似た香水だと判断した私は、それを買った。切ない香りが、彼の気だるい様子を彷彿とさせる。

痛む胃を押さえながら、香水片手に卒業文集を本棚から持ち出し、頁を捲る。
神経質そうな文字。そして彼らしいサディスティックな文体。
彼の声まで耳元に蘇ってきそうだ。

「自分の人生を精一杯生きてください。」という有り触れた言葉で締め括られている。

そこだけ凝視する。ただひたすら凝視する。

自分の人生を精一杯生きる…。卒業文集でよく述べられそうな言葉である。
しかし、よく、よ~く考えると奥が深い。

会社にいる時間は会社のためだけにある時間だと思っていたが、よく考えてみると私の人生の一部でもある。会社に貢献しつつも、自分の人生を無駄にしない…そんな生き方は可能なのだろうか?

仕事をするということは、辛いことが殆んどだということをこの5年半で知った。
でも、どんなに落ち込んでも、「もう嫌だ。死にたい。」と思っても、それらの出来事から私はたくさんのことを学んだつもりだ。

仕事を通してでも自分の人生は生きられる。
気持ち次第なのかもしれない。
「今の私を先生が見たらどう思うんだろう。」ということを意識して、今日は頑張った。

先生もいつも授業中、先生自身を生きていたように思う。

私が15歳の時、30歳だった先生。

もうすぐ、私はあの時の先生の年齢に追い付く。

その時、私はどんな人生を生きているんだろう。

プリン+醤油=海栗

2005年09月22日 00時39分57秒 | Weblog
朝→絶食
昼→カロリーメイト、カップスープ
夜→トースト、ホットミルク

これが今日の私の食事。

食欲は多少あるものの、「食べたら胃が痛くなる」という脅迫観念が頭をちらつき、怖くて食べられない。
(結局、お昼御飯も無駄になってしまった。)

私は、決して美食家ではない。
何でも美味しく食べられる、お得な味覚の持ち主である。
唯一できる料理「カップワンタンにコンビニで購入したオニギリを入れる即席雑炊」が好物である。(日曜日の昼は「新婚さんいらっしゃい」を観ながら、大抵これを食べている。)
また、隠れ技として、プリンに醤油をかけて「海栗」を再現し、
一人で贅沢な気分を味わえる。貧相な「美味しんぼ」を常々楽しんでいる。

そんな生活しているから、胃がおかしくなってしまったのではないだろうか。

珍しく反省なんかしてしまう。
気分そのものが病人モードになってしまった。
今まで大きな病気をしたことがない私。
不安も相俟って、すっかりめげてしまっている。

「健康の時は、健康の有難さが分からない。」
…多くの人に論じられている言葉である。
やっとその意味が分かった。

「痛い目に合わないと分からない」
よく母に怒られる際に使用された私の枕詞。
母の言っていたことの意味も分かった。

色々なことが、分かった。
…分かったから、早く健康な胃に戻っておくれ…。
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