世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

師走なう

2012年12月18日 22時50分26秒 | Weblog
後輩女子Cちゃんと退社。
電車内で
「今日、旦那さんが遅いんですよ」
とCちゃん。
「じゃあ、御飯でもしちゃおうか」
と訊く私に二つ返事でOKのCちゃん。

駅近くの喫茶店。
いつも私に奢らせて悪いからと言い、今日はCちゃんがご馳走してくれた。


話すこと1時間半。
芋蔓式に続く話に爆笑!!

マツキヨに寄るCちゃんと別れ、駅ビルにある雑貨店に向かうとき。
前方が騒がしいことに気付く。
「こら待て、痴漢!!」
と若い女性に追われた男性が私の方に近づいてくる。
ターミネーター2の悪役の人っぽい走りっぷりだ。


…!!

咄嗟にタックルしようかと思ったのだが、絶対に怪我するに違いないと思い、怯んでしまった。
すぐに近くの交番に入り
「痴漢が出たとのことです!!!!!!!!!!早く追いかけてください!!!!!!!!!!!!」
と言うのが精いっぱいだった。
警察官は、
「どこです?あっち?」
と、すぐに追いかけて行ってくれた。
捕まったのかな。

何もできなかった…怪我するのが怖くて。体が硬直してしまって。もし私がタックルしたら、今頃捕まっていたのかなと考え込んでしまった。そんなこんなで帰り路は若干モヤモヤした。



帰宅後はそんなモヤモヤは消散し、明日誕生日を迎える他部署のI江姐さんにバースデーカードをしたためた。
あと友人にクリスマスカードを書いた。



この万年筆はモンブラン製で、一昨年のニューヨーク旅行で奮発して購入したもの。
やっと指に馴染んできた。


年賀状も書かなければならないのだが、今日はやめておこう。

明日も頑張ろう。

ヨイトマケの唄

2012年12月18日 22時21分17秒 | Weblog
「ヨイトマケの唄…あの歌は平出おばちゃんの歌だよ」
と母が言った。
平出おばちゃんとは母の母、私の祖母に当たる人だ。平出に住んでいたから「平出おばちゃん」。

彼女は、幼いころから両親に代わって妹や弟の面倒を見ながら育った。
「学校には行けなかったけど、歌は皆より上手かった」
と言っていた。

就職して結婚。
就職先で撮ったであろうモノクロの集団写真の祖母はとても美人だった。

名古屋に住んだ後、夫(祖父)はすぐに戦争へ(沖縄戦開始1週間前に沖縄を脱出)。
戦争から帰ってきて生まれたのが私の母ヨーコたんだ。
祖母は干し柿が大好きだった。
体が冷えて、産まれたときの母ヨーコたんは紫色だったらしい。

祖父は足尾銅山で働き(トロッコ電車の運転手)、祖母は家計を助けるべく、土木工事に従事したらしい。
母ヨーコたんは、きっとその時の光景を思い出して「ヨイトマケの唄」の中の母ちゃんを自分の母に重ねたのだろう。

母方の祖父母は働き者だった。贅沢のぜの字も知らない人だった。
孫の私たちによくしてくれた。通知表を持って行くと隅々まで読んで「頑張ったね」と言い、本屋に連れて行ってくれた。


祖父が他界したあと、祖母の認知症は悪化。
お見舞いに行くと
「足尾から来たんけ?」
と私に言い、
「私はヨーコさんの娘ですよ」
と言おうものならば
「何言ってるんだい。ヨーコは私の娘だよ」
と真顔で言われた。

真っ赤なマニキュアをしていると
「許可しません」
と、たまに正気になった平出おばちゃん。

私が就職した後、他界。
駆け付けたとき、棺桶の中にいる平出おばちゃんの胸元の花がふっと揺れた。
その様子を見て、私は泣いた。
「亮ちゃん、あんまり泣かないでくれよ。おじさんも泣いちゃうから」
と母の兄は泣いた。


日本人の美の心を凝縮したかのような彼らの苦労を考えると、週休1日×3週間で音を上げそうになる自分が恥ずかしくなる。
そういう意味で、祖父母はまだ私の中に生きているのだと思う。



今年の「紅白歌合戦」の曲目の中に、美輪明宏さんの「ヨイトマケの唄」が入っているのを知り、急に祖母を思い出した。
久々に聴いたら涙が止まらない。

Akihiro Miwa - Yoitomake no Uta


コメント (2)