世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

命がけで愛するということ。

2009年03月18日 22時50分54秒 | Weblog
愛するものに殺される時、人はどんな気持ちになるんだろうか。

最後の一呼吸をする最中、自分を傷つけた対象を赦せるんだろうか?
それともやはり憎むんだろうか?

mixiで「クマになら殺されてもいいかも~」というコミュニティがある。

私はクマが好きである。

勿論、ちゃんとそのコミュニティに参加している。

以前は、そのコミュニティの想いを無垢なる同意を持って見守っていた。
しかし、上野動物園で見たエゾヒグマの餌付けの様子に、私の考えは急転した。
クマは、獰猛なのである。ホントに…。

週に何度かのご馳走である鮭を鋭い爪で押さえつけ、ガツガツと食する様子は、隣でさっきまで「かわい~」と嬌声をあげていたカップルを黙らせた。

辺りに漂う血の臭い。
それは口許から時々見える歯茎と歯のあたりを染めている血液から漂うものに違いない。

怖かった。
うっとりとしつつも、恐怖でいっぱいだった。
柵の向こう、わずか5メートル先で繰り広げられているクマの食事の様子に私は震えた。

あんなに大きな体、そしてそれに付いている鋭い爪と歯を持つクマに森で遭遇したら、やはり怖いに違いない。

96年、カムチャッカで写真家がクマに殺された。
番組の撮影のため、テントでの就寝中に襲われたらしい。

その写真家・星野道夫さんの撮るクマは被写体の全てを写し出している。
しぐさ、視線、クマの考えていること、におい…そのようなものが写真に収められている。

星野さんの残した写真も大好きだが文章も好きだ。
淡々としていて具体的なのに、どこか抽象的な文章。
惹き付けられる。

学生時代、通学時間中に、日常に流れる時間の他に「もうひとつの時間」を想っていた星野さん。

「もうひとつの時間」とは、北海道という同じ国にある土地では、クマが倒れた木を、今、まさに跨いで歩いているという事実が流れる時間のことを指している。

偶然にも、普段からそんな想いを持っていた私は、星野さんに内なる気持ちを代弁してもらったような気がして嬉しかった。

星野さんはきっとクマを愛していたに違いない。
大自然に魅了され、アラスカへ移住までしたのだから、私よりもきっと何倍も何倍もクマを愛していたはずだ。

なのにクマに殺された。

殺されたんである。

愛は報われない性質のものなのだろうか。
それとも愛が足りなかったのか。

クマが自ら人に近づいて人を襲うという「稀なケース」に嵌まっただけなのか。

真相は分からない。
もしも。
星野さんに質問できるとしたら。

「クマに襲われたとき、どう思ったのか?」

ということを訊きたい。

あの独特の文章で、ぜひ彼の回答を聞きたい。

でもそれは今となっては叶わない。

だから、私は彼の残した作品からその答えを感じたい。


命がけで何かを愛すること。

その直向きな想いが星野さんの作品には滲み出ていて、平凡なクマ好きレベルの私は揺るがされるんである。
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