世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

ターシャ

2006年04月02日 23時00分35秒 | Weblog
ターシャ。
絵本作家。

絵本の印税でアメリカに広大な庭を手に入れ、花々と生きるご婦人。
山羊の乳を絞ったり、蜂蜜でローソクを製作したり、…そんな自然との共存の中で発生する彼女の言葉は、凄く前向きであり、優しい。

昨年の秋、NHKで彼女の特集を観た。
放送前、母親から「ターシャこそ、私の夢とする老後よ!絶対観てね!」という熱いメールが届き、チャンネルを合わせたのがきっかけである。

あの放送時には「そう生きられたらいいわね。」ぐらいにしか思わなかった。
元来、切り花を飾ることは好きだが、花を育てようとか、爪を黒くしてまで土に触れようとは思わない性格なんである。私は。

母はガーデニングが好きな人種である。
しかも自己流。
庭には必ず何かが咲いている。
庭いじりに飽きるとピアノを弾いたり、編み物をしたり、デパートに行ったり、友達とお茶をしたり…。
子育てを終え、毎日を「ふふふ」と、エンジョイしているんである。
私の一番身近に存在する、所謂「勝ち犬」である。

私は母と同じような人生を選ぶことは無いと思う。
家事育児という作業をしない代わりに、50代になっても毎日老体に鞭を打って働いていると思われる。
幼少時から「因習に打ちのめされる嫁」の真実や悲しみをあまりにも多く見てしまい、「将来の夢はお嫁さん」とどうしても無邪気に表明できなかった私の宿命だと思う。

いつしか「ママみたいになりたくない」と思うようになった。
老人ホームに入れられて介護される祖父を見ながら「先立つものは資金なのかもしれない」と思うようになった。
色々な現実の陰の部分だけを多感に得てしまった結果である。

今日は雨。
本屋さんをプラプラ巡り、ターシャの本を一冊購入。

写真と共に彼女の言葉を胸に刻む。
乾いた土が水を吸収するように、私の中に入っていく。
ターシャの置かれた環境や趣味は違えど、その言葉を私の心に生やすことはできるのだと実感した。



母と娘。
自分の生き方に満足しつつも、気侭に自分勝手に生きる私を縛ることはなく
「まあ、いいんじゃない。人に迷惑さえかけなければ。」と言ってくれる母。
好きなものや音楽の趣味が似ている。
ターシャも例外ではなく、母と共有して楽しめるものに加わった。

母の元に生まれて良かった。