ここに来たのは多分数年ぶりぐらいである。
高幡不動駅近くにあるジャズ喫茶「あんず村」。
芋子がまだ学生で西八王子に住んでいた時、初めてここに連れてきてもらった。
私もまだ大学4年生で、「就職、ブルーだぜ」的な気分だったのを覚えている。
それから何度か一人で来たのだが、最後に来たのがいつだったか。
どうしても思い出せない。
「たしか、この辺なんだけど…」
ウロウロと徘徊しながら探した。
「まさか閉店したんでは?」
微かな不安が過ぎったが「あんな素敵な店が潰れるわけがない」という確固たる自信もあった。
ようやく見付け、店内に入る。
暗い店内。
低音で鳴り響くジャズ。
コーヒーの香り。
窓に面した奥の角の席に座った。
高幡不動駅のホームが見える。
降りる人。
乗る人。
待つ人。
そんな人の動きを眺めながら、コーヒーをすする。
そして、ポテトのチーズ焼きを食する。
メニューはファミレス以上に存在しているのだが、初めて来た時からこのメニュー以外のものを注文したことがない。
サイゼリアでは「ミラノ風ドリア」。
うどん屋さんではカレーうどん。
飲み屋ではジントニック。
はたまた
歯ブラシはチェックの「かため」
整髪料は「大島 椿油」
ポテトチップスはコンソメ味
風邪薬は「ルル」
餃子は「正嗣」
夏休みは「尾道」
カラオケでは華原朋美
相棒は吉熊
…etc
そんな風に「いつもこれ」。
変化を望まない、もしくは冒険するのが昔から面倒なんである。
違うものを選択して、「嗚呼いつもと同じにすれば良かった…」と後悔するのではないか?という不安を感じるのが面倒なだけだ。
後悔したくないから「いつもこれ」。
最近では後悔するのも面倒臭いと思うようになった。
らくがき帳なるものが各テーブルには備え付けられている。
季節柄、東京を離れる人の書き込みが多い。
または、場所柄「東京に来たついでに寄りました。学生時代によく来ていました。」みたいなもの。
目の前で、また、電車が駅を離れていった。
世の中は動いている。
そう、私を置き去りにして。
変われない、変わるのを面倒だと思う私を置き去りにして。
そんな私を優しく抱擁する、「あんず村」。
高幡不動駅近くにあるジャズ喫茶「あんず村」。
芋子がまだ学生で西八王子に住んでいた時、初めてここに連れてきてもらった。
私もまだ大学4年生で、「就職、ブルーだぜ」的な気分だったのを覚えている。
それから何度か一人で来たのだが、最後に来たのがいつだったか。
どうしても思い出せない。
「たしか、この辺なんだけど…」
ウロウロと徘徊しながら探した。
「まさか閉店したんでは?」
微かな不安が過ぎったが「あんな素敵な店が潰れるわけがない」という確固たる自信もあった。
ようやく見付け、店内に入る。
暗い店内。
低音で鳴り響くジャズ。
コーヒーの香り。
窓に面した奥の角の席に座った。
高幡不動駅のホームが見える。
降りる人。
乗る人。
待つ人。
そんな人の動きを眺めながら、コーヒーをすする。
そして、ポテトのチーズ焼きを食する。
メニューはファミレス以上に存在しているのだが、初めて来た時からこのメニュー以外のものを注文したことがない。
サイゼリアでは「ミラノ風ドリア」。
うどん屋さんではカレーうどん。
飲み屋ではジントニック。
はたまた
歯ブラシはチェックの「かため」
整髪料は「大島 椿油」
ポテトチップスはコンソメ味
風邪薬は「ルル」
餃子は「正嗣」
夏休みは「尾道」
カラオケでは華原朋美
相棒は吉熊
…etc
そんな風に「いつもこれ」。
変化を望まない、もしくは冒険するのが昔から面倒なんである。
違うものを選択して、「嗚呼いつもと同じにすれば良かった…」と後悔するのではないか?という不安を感じるのが面倒なだけだ。
後悔したくないから「いつもこれ」。
最近では後悔するのも面倒臭いと思うようになった。
らくがき帳なるものが各テーブルには備え付けられている。
季節柄、東京を離れる人の書き込みが多い。
または、場所柄「東京に来たついでに寄りました。学生時代によく来ていました。」みたいなもの。
目の前で、また、電車が駅を離れていった。
世の中は動いている。
そう、私を置き去りにして。
変われない、変わるのを面倒だと思う私を置き去りにして。
そんな私を優しく抱擁する、「あんず村」。