晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

マイケル・ヴェンチュラ 『動物園 世界の終わる場所』

2010-01-19 | 海外作家 ア
マイケル・ヴェンチュラは、アメリカのコラムニスト、エッセイスト、
脚本家で小説家と幅広く活動し、前に読んだ小説「ナイトタイム・
ルージングタイム」という、ミュージシャン業界のドロドロした内幕
を描く内容で、これが面白かった、というか、視点と感性がユニーク
だな、と感じたものです。

『動物園 世界の終わる場所』は、中年の外科医アビーが妻と息子に
去られて、息子を動物園に誘うも、父親に対する尊敬は持たれておら
ず、どうせ一人で行けないから誘うんだろ、と小ばかにされ、ヤケに
なったアビーは動物園に一人で行き、そこで虎に話しかけられます。
そして虎の囲いの近くにいた女性、リーと出会い、アビーはリーに
惹かれてゆくのです。

アビーは、幼いころから「幻聴」のような、自分に話しかけてくる
存在に悩みますが、同じような症状を息子も持っていることを知り、
精神科医に連れていきます。

家庭が崩壊し、息子は心の病気に苦しみ、アビー自身は虎に話しかけ
られて頭は混乱しますが、虎のアドバイスと自由奔放なリーのおかげ
で、だんだん正気に向かっていきます。

動物園の動物たちに自分を投影し、ときに人間とはかくも愚かな存在
と嘆き、ときに囲いの中で過ごす動物たちに比べて人間のなんと自由
なことよと喜びます。ある種のアニマルセラピーともいえます。

「世界の終わる場所」とは、自分をノアに見立て、自分の肉体を動物
のパーツで形成した「箱舟」になぞらえます。
ここまでくると「ちょっと頭のアレな人」となるのですが、人間とは
そんなに高尚な種ではなく、サルとDNAが1パーセントしか違わず、
存在の意味や意義を見出そうとしますが、地球にとっては何がしかの
理由があるから人間は存在しているだけで、その理由とは、ほんの
偶然(気まぐれ?)で滅んだ恐竜や陸に上がれなかった海洋生物と
違いはないのでは。

つまり、地球の歴史にとって、人間の存在とは取るに足らない種
であるからして、あまり深く物事なんか考えんでよろしい、という
俯瞰的な哲学がこの本にはあるように思えます。

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