晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

加賀 乙彦 『宣告』

2009-03-10 | 日本人作家 か
今年のセンター試験の国語現代文で、加賀乙彦の短編『雨の庭』が
問題として引用されていました。
名前だけは聞いたことはあったのですが、読む機会はなく、しかし
その短編がおもしろかったので、ちょっと興味がわいて、作家・加賀
乙彦なる人物、代表作をネットで調べてみると、作家になる前に医師
で、フランスで医師として勤務後帰国してから日本で研究室助教授の
かたわら、作家となり、なんだか森鴎外の経歴にちょっと似てるかな
(東京帝国大医学部→ドイツ留学→軍医→作家)と思い、さらに海外
での経験をもとにしたデビュー作「フランドルの冬」は、鴎外の「舞姫」
を彷彿させます。

作品は、死刑囚楠木他家雄(タケオと読む)の、死刑囚確定に至る経緯、
通称「ゼロ番区」と呼ばれる房に収容されている楠木とその他の死刑囚の
犯した罪、いつ死刑宣告されるか分からずにただ生きながらえているとい
う状態にあり、精神的に追い詰められて心が崩壊する者もいます。
自傷行為、心が幼児化、殺人は貴き革命的行為だと正当化、日がなお経を
唱える、食餌を拒否、等々。
刑務所勤務の医官で精神医の近木は、そんな彼らを観察する中で、彼ら
の精神異常の根源は、死刑の実行をただ待つのみで、その不安と恐怖に
苛まれて極限状態に陥るのではないかと診断するのです。
しかし、診断して精神状態を通常に戻したからといって、彼らはいずれ
死刑台に登ることを免れることはありません。

死刑という国家による殺人というものに疑問を投げかける作品です。
が、しかし、死刑反対論者の意見は尊重しますが、では、なぜ死刑がある
のかというと殺人があるからであり、はじめに死刑ありきではなく、まず
大前提として死刑になるのは人を殺めるという行為をはたらいたからであ
り、ある日突然、理不尽な暴力によって、人生も人権も奪われてしまうと
いう大罪に、死をもって償うべきというのはただの感情論と一蹴するのは
人間の「尊厳」を軽視することではないのか、と。

ただ、加害者家族ははじめのうちこそ死んでお詫びしろと、家族に犯罪者
がいることを恥じ、そう育てたことに後悔し、後ろめたい生活を余儀なく
されるのですが、楠木と母親との関係を描いている部分は、胸に詰まるも
のがあります。

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