晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

北方謙三 『破軍の星』

2020-01-24 | 日本人作家 か
北方謙三さんの作品を読むのははじめてです。

この作品は歴史小説。北方謙三さんといえば真っ先に浮かぶのはハードボイルドですが、いつからか歴史小説を書くようになったそうな。そういった「カテゴライズ」は売る側や買う側にとっては分かりやすいのですが、当の作家さんにとってはそこらへんは割とどうでもいいのかも。そういやケン・フォレットも「大聖堂」のときに現代ではなく中世というジャンルにした理由を訊かれて「書きたいテーマがあって時代背景をたまたま中世にしただけで深い意味はない」といったようなことを述べられていた記憶が。

歴史小説で多いのが戦国時代と幕末。大河ドラマでもこの2つの時代が圧倒的に多いですよね。ですが『破軍の星』は南北朝。まあぶっちゃけ特に興味をそそらない時代(個人的に)ではあるのですが、日本史的には割と重要なことが起きています。

主人公は北畠顕家。どなた?Who?というレベルだと思いますが、この時代の重要な人物といえば、まず後醍醐天皇。それから足利尊氏。あと楠木正成と新田義貞でしょうか。自分の知識の無さを棚に上げてあれですが、へえ、こんなすごい人がこの時代にいたんだ、というのが読後の感想。

日本初の武家政権、鎌倉幕府が崩壊して、後醍醐天皇は「これからまた天皇が政治を行います」と宣言。これが「建武の新政」。
これにより、陸奥将軍府(陸奥守)、現在の東北地方と北関東エリアの統括マネージャーに就任したのが、北畠親房の長男の顕家。なんと当時16歳。〇〇守という役名はよく武士に用いられますが、この人はれっきとした公家。しかし陸奥守に任命されたからには「これからは武将として生きよう」と誓います。

まだ幼い六の宮(後醍醐天皇の息子、義良親王、のちの後村上天皇)を連れて、赴任地の陸奥、多賀国府へと向かう北畠顕家とその一行。いまは白河のあたり。その隊列を山中から見張る者がいます。そして、攻撃を仕掛けるのです。しかしこの攻撃は相手へ打撃を与えるものではなくて、敵将の力量を確かめるためのもの。

安家太郎と名乗る男とその兄弟は、16歳と聞いていた敵将が「なかなかやる」と分かり、叔父に報告。この「安家一族」とは、陸奥地域の山中に住む、そして山を守る一族。自分たちは武士ではないといいますが、自衛のために戦うことも。

北条の残党を次々と破っていき、陸奥の平定に尽力します。が、中央ではゴタゴタが。後醍醐天皇と足利尊氏との関係悪化は修復不可能レベル。新田義貞と楠木正成に足利討伐の命が下ります。そして顕家のもとにも足利討伐の要請が届きます。が、陸奥平定が優先だと動きません。しかし、足利のホームである関東(鎌倉)と陸奥は隣接しておりそうもいっておられず、顕家は挙兵、西へ向かいます。そしていよいよ直接対決。史実としては「豊島河原の戦い」として伝わっています。この戦いで朝廷軍が勝利し、尊氏は九州に逃げます。

しかし尊氏は息を吹き返し、ふたたび挙兵、京に向かいます。陸奥では問題が山積、そしてなにより朝廷の態度といいますかやり方に顕家はウンザリしてしまい、陸奥に帰ることに。天皇からは「アズスーンアズポッシブルで京に来て尊氏やっつけろや!」と催促。そんな顕家に安家一族の長が「我々には(夢)がある。もしかしたらあなたのような人が来るのを待っていたのかもしれない」と・・・
もともと陸奥地域は蝦夷が住んでいたのですが、朝廷の蝦夷征討(「征伐」と呼んでいた時代もあったそうな)によって日本の一部になります。この場合の日本とは中央つまり朝廷のことですが、しかし征討、征夷大将軍の(征)という字は(不正を武力で正す)という意味がありますが、別に彼らは悪いことはしていません。ただヤマトの言うことを聞かなかったというだけ。果たして安家一族の「夢」とは。顕家に内を託そうというのか。

顕家はいっそのことこのまま陸奥に残りたいのですが、しかし西へと向かうのです・・・

合戦が起きますと、武士たちは食糧確保のために農民から米をもらいます。いやそんな優しい表現ではなく、奪います。合戦に向かう街道筋で顕家が目にしたものは、飢えた農民たち。政(まつりごと)とはだれのためのものなのか。自分らの権力と豪華な生活がしたいための腐った公家どものためなのか。ならば顕家は足利尊氏となんのために戦うのか。

この時代から数百年後、武士による政権は終わり、ふたたび天皇を長とした政治になります。が、いつの世も為政者の都合で苦しむのは最前線の人たちと一般の人たち。

なんといいますか、北畠顕家は生まれた時代間違えたよなあ・・・
ほかの時代に生まれてればきっと日本史上に燦然と輝く人物になったろうに・・・
と、そんなことを言い出したらあの人もこの人もとキリがありません。
やっぱりその時代に生まれるべくして生まれたんですよね。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 藤沢周平 『竹光始末』 | トップ | 佐伯泰英 『吉原裏同心(十... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日本人作家 か」カテゴリの最新記事