恩田陸の「夜のピクニック」を読んで、とても面白かったのですが、
それ以降、他の作品を読む機会はありませんでした(それはもう
たんなるこちらの都合ですが)。別に避けていたわけでもないんで
すけど。
そういったわけで『Q&A』を読んだのですが、この作品ははじめか
ら終わりまですべて質問と応答形式になっており、この一対一で
のやりとりは一組だけではなく、さまざまな組み合わせがあり、聞
き手あるいは答える側のどちらかの身分が説明されていない場合
もあったりして謎につつまれたまま別のQ&Aがはじまり、具体的
に描かないぶん、ミステリー度合が増してゆき、煙の中を手探りで
這い歩き、視界のきかない彼方に答えはあるのか、見つけることは
できるのか、真実をすべて知ることは必ず正しいのか、そんな気分
になりました。
東京の郊外にある大型ショッピングセンターで、火災が発生したと
の通報があり、しかし建物からは煙が出ている様子はなく、そのう
ち有毒ガスが撒かれたとの情報も入り、錯綜します。
結果、火災も有毒ガスもなく、しかしこの情報にパニックに陥った店
内にいた客たちは一斉に逃げ、下の階にいた客は上へ、上の階に
いた客は下へエスカレーター付近でごった返し、六十数名の死者を
出したのですが、その全員が人の波による圧死あるいは転落死。
複数の階で不審な人物の目撃情報が多数あったのですが、その不
審者が建物に火をつけたわけでもなく、ガスを撒いたわけでもありま
せん。
この事件の渦中にいて生き残った人物、報道関係者、被害者家族、
傍観者、その他いろいろな人物がこの事件についての思いを述べて
いきます。
犯人のいない事件。原因のわからない大勢の死者を出した事件。
被害者の苦しみ、当事者ではない人たちの心情、これらが淡々と
語られていくことで読者は感情移入しにくくなり、あくまで「傍観者」
という立場でこの話を知ることになります。しかし全貌は分かりません。
こういった形式は別段目新しいものでもないのでしょうが、この作品
ではたして著者は何を伝えたかったのか、そしてなぜこの形式を選
んで書かれたのかと考えると、これは近年のメディアと視聴者との
関係性に近いのではないか、という感じがしました。
送る側と受け取る側の意識の乖離とでもいいましょうか、それは日常
でたまたま隣りあわせた他人に対する意識でもあり、その意識の希薄
さがスマートであるという風潮に対する警鐘なのか。
それ以降、他の作品を読む機会はありませんでした(それはもう
たんなるこちらの都合ですが)。別に避けていたわけでもないんで
すけど。
そういったわけで『Q&A』を読んだのですが、この作品ははじめか
ら終わりまですべて質問と応答形式になっており、この一対一で
のやりとりは一組だけではなく、さまざまな組み合わせがあり、聞
き手あるいは答える側のどちらかの身分が説明されていない場合
もあったりして謎につつまれたまま別のQ&Aがはじまり、具体的
に描かないぶん、ミステリー度合が増してゆき、煙の中を手探りで
這い歩き、視界のきかない彼方に答えはあるのか、見つけることは
できるのか、真実をすべて知ることは必ず正しいのか、そんな気分
になりました。
東京の郊外にある大型ショッピングセンターで、火災が発生したと
の通報があり、しかし建物からは煙が出ている様子はなく、そのう
ち有毒ガスが撒かれたとの情報も入り、錯綜します。
結果、火災も有毒ガスもなく、しかしこの情報にパニックに陥った店
内にいた客たちは一斉に逃げ、下の階にいた客は上へ、上の階に
いた客は下へエスカレーター付近でごった返し、六十数名の死者を
出したのですが、その全員が人の波による圧死あるいは転落死。
複数の階で不審な人物の目撃情報が多数あったのですが、その不
審者が建物に火をつけたわけでもなく、ガスを撒いたわけでもありま
せん。
この事件の渦中にいて生き残った人物、報道関係者、被害者家族、
傍観者、その他いろいろな人物がこの事件についての思いを述べて
いきます。
犯人のいない事件。原因のわからない大勢の死者を出した事件。
被害者の苦しみ、当事者ではない人たちの心情、これらが淡々と
語られていくことで読者は感情移入しにくくなり、あくまで「傍観者」
という立場でこの話を知ることになります。しかし全貌は分かりません。
こういった形式は別段目新しいものでもないのでしょうが、この作品
ではたして著者は何を伝えたかったのか、そしてなぜこの形式を選
んで書かれたのかと考えると、これは近年のメディアと視聴者との
関係性に近いのではないか、という感じがしました。
送る側と受け取る側の意識の乖離とでもいいましょうか、それは日常
でたまたま隣りあわせた他人に対する意識でもあり、その意識の希薄
さがスマートであるという風潮に対する警鐘なのか。