『島鵆月白浪』 (しまちどりつきのしらなみ)
明治14年初演。東京新富座。
黙阿弥66歳。
「天衣紛上野初花」を書いた後、一世一代の引退狂言として書かれる。
既に、黙阿弥は、追ひ込まれてゐた。
薩長明治新政府の御用学者達に、旧時代の無学な座付作者としてー。
史実に正確ではない、野卑な生世話作者としてー。
ほんの十数年前までは、史実に忠実であってはならない。ゆゑに、江戸時代の話は、すべて鎌倉時代のものとして書いてゐた、といふのにー。
非難の矛先は、人気作者黙阿弥ひとりに向けられてゐた。
そして、明治11年の軍楽隊の吹奏演奏、洋服立礼の口上といふ新富座の開場。
やがて、巧妙に仕組まれる明治20年の、天覧歌舞伎の開催。
かうなりぁ、まう、俺の時代ぢゃあねぇなー。
黙阿弥は、家人を寄せ付けず、小さな部屋で今までの作品の整理を始める。
この作品を読んだのは、これで三度目だと思ふ。
今回は、岩波書店の新日本古典文学体系/河竹黙阿弥集で読んだので、かなり詳細な注訳があり、楽屋落ちや明治の世俗の模様もたっぷりと取り入れて、徹頭徹尾、観客を喜ばせるすべをベースに書いてゐた、といふことがよくわかる。
白浪(盗賊のこと)作者として人気を博してゐた黙阿弥の引退作らしく、主要な登場人物はすべて以前は盗賊だった、といふ伏線があるのですが、全体のインパクトの弱さは、やはり感じないわけにはゆかない。
有名な五幕目の招魂社の場でも、
やはり、松島千太の改心には、無理があり、望月輝の登場も、余りにも唐突で、無理無理の大団円になってゐる感は否めない。
小生が、この作品で、一番魅力的と感じるのは、最初は松島千太、そして、望月輝につくあいまい芸者お照の母親お市である。
情夫をつくり、遊ぶ金がないからと、ひたすら娘に金をせびる。
金がないのなら、身体を売ってでも金をつくれ、と悪態をつく。
まさに、鬼婆といふキャラクターの毒が、他の登場人物が淡白なだけに、際立って面白く感じます。
とまれ、
時代は、早くも、近代劇(性格劇)への要請がかまびすしく叫ばれてゐました。
黙阿弥は、きっとそれと知りながら、この長編をひとりで書いたのだと思ひます。
僕(江戸時代から彼は、自らをさう呼んでゐたやうです)の出来るのは、ここまでが精一杯ー。
60代半ばの老作家は、さう思ひ、これを一世一代の作(実際は、時代が彼の引退を許さず、その後も、佳作を作ってゆくのですがー)としたのでせうか。
(新日本古典文学体系/河竹黙阿弥集/岩波書店、より)
(写真も、上記及び、名作歌舞伎全集第12巻/東京創元社、より)