やまがた好日抄

低く暮らし、高く想ふ(byワーズワース)! 
山形の魅力や、日々の関心事を勝手気まま?に…。

山菜採後日話

2006-05-31 | やまがた抄

過日、一緒に山菜採りに行った知人宅で、調理されたものでお茶を飲みました。
竹の子は、味噌であへたとのこと、コリコリとした食感がよく、
知人が好んで採ってゐたふきのたうの芯は季節的に少し固くなってゐましたが、
どれも、これも、春の山の苦味が美味しく、
ワラビの一本漬けに至っては、採取した処の空気と水が飛び切りよいのでせう、
とろけるほどの柔らかさ、でした。



甘露!甘露!!
でした。





バルトーク/ピアノ協奏曲第3番

2006-05-30 | 音楽を

ベラ・バルトーク、死の年1945年の作品。

マスカーニが死に、
ヴェーベルンが射殺され、
ヒトラーが自殺し、
ムッソリーニが絞殺され、
そして、日本が無条件降伏した年。

バルトークは、白血病のため、事切れるやうに死する。
作品は終楽章が未完のまま残り、弟子によって補足・完成することになる。

ゲザ・アンダのピアノ、フリッチャイ指揮/ベルリン放送交響楽団の演奏で聴く。
1959年、ベルリンでの録音。

ピアニストである夫人のレパートリーのひとつになれば、と遺産のやうにかかれたこの作品は、なじみ易い楽想に溢れてゐる。
(でも、実際に夫人がこの曲を演奏したのは15年も後だ、といふのか、如何なるわけだらうー)

以前の協奏曲で、鞭のやうに叩かれてゐたピアノは、曲の頭から、まるで遠くで聞こえる鐘のやうに響く。

アメリカ時代のバルトークは…、といふ評価がありますが、小生には難しいことはわかりませんが、この曲のシンプルさと、ものをそぎ落としてしまった後の自然に生まれたふくよかさが感じて、やはり、彼の傑作のひとつだと思はれます。

アンダの演奏は、CDには1番と2番も入ってゐたのですが、この曲に相応しい、少し温かみのある演奏でまとめ上げてゐます。
バックのフリッチャイの指揮がとても切れ味がよく、また彼のCDも聴きたくなりました。






黙阿弥、を読む4 -島ちどりー

2006-05-29 | 本や言葉

『島鵆月白浪』 (しまちどりつきのしらなみ)


明治14年初演。東京新富座。
黙阿弥66歳。
「天衣紛上野初花」を書いた後、一世一代の引退狂言として書かれる。



既に、黙阿弥は、追ひ込まれてゐた。


薩長明治新政府の御用学者達に、旧時代の無学な座付作者としてー。
史実に正確ではない、野卑な生世話作者としてー。

ほんの十数年前までは、史実に忠実であってはならない。ゆゑに、江戸時代の話は、すべて鎌倉時代のものとして書いてゐた、といふのにー。

非難の矛先は、人気作者黙阿弥ひとりに向けられてゐた。

そして、明治11年の軍楽隊の吹奏演奏、洋服立礼の口上といふ新富座の開場。
やがて、巧妙に仕組まれる明治20年の、天覧歌舞伎の開催。


かうなりぁ、まう、俺の時代ぢゃあねぇなー。


黙阿弥は、家人を寄せ付けず、小さな部屋で今までの作品の整理を始める。



この作品を読んだのは、これで三度目だと思ふ。

今回は、岩波書店の新日本古典文学体系/河竹黙阿弥集で読んだので、かなり詳細な注訳があり、楽屋落ちや明治の世俗の模様もたっぷりと取り入れて、徹頭徹尾、観客を喜ばせるすべをベースに書いてゐた、といふことがよくわかる。




白浪(盗賊のこと)作者として人気を博してゐた黙阿弥の引退作らしく、主要な登場人物はすべて以前は盗賊だった、といふ伏線があるのですが、全体のインパクトの弱さは、やはり感じないわけにはゆかない。

有名な五幕目の招魂社の場でも、



やはり、松島千太の改心には、無理があり、望月輝の登場も、余りにも唐突で、無理無理の大団円になってゐる感は否めない。

小生が、この作品で、一番魅力的と感じるのは、最初は松島千太、そして、望月輝につくあいまい芸者お照の母親お市である。

情夫をつくり、遊ぶ金がないからと、ひたすら娘に金をせびる。
金がないのなら、身体を売ってでも金をつくれ、と悪態をつく。
まさに、鬼婆といふキャラクターの毒が、他の登場人物が淡白なだけに、際立って面白く感じます。


とまれ、
時代は、早くも、近代劇(性格劇)への要請がかまびすしく叫ばれてゐました。
黙阿弥は、きっとそれと知りながら、この長編をひとりで書いたのだと思ひます。

僕(江戸時代から彼は、自らをさう呼んでゐたやうです)の出来るのは、ここまでが精一杯ー。
60代半ばの老作家は、さう思ひ、これを一世一代の作(実際は、時代が彼の引退を許さず、その後も、佳作を作ってゆくのですがー)としたのでせうか。





(新日本古典文学体系/河竹黙阿弥集/岩波書店、より)
(写真も、上記及び、名作歌舞伎全集第12巻/東京創元社、より)





山菜採り、に行く

2006-05-28 | やまがた抄

山菜採りへ行きました。

友人達のたっての希望で(特に、仙台の友人には、5年ほど前からの約束でー)、
やや本格的な山菜採りの企画、でした。

山菜取りの基本の朝早く、6時に集合し(本当は、これでも遅いのですが)、
一路、西部の山奥を目指し!

気の知れた友人達ですので、弥次喜多道中さながら、
山郷で小生がタラノメを見つけると、一時停車。
少し進んでは、また停車、採取で、なかなか目的地へたどりつかない。

果てに、小生も10年ぶりくらゐの現地入りでしたので、途中の道が整備ですっかり変はってしまってゐて、最終目的地の手前で採取開始! することに。

必需品の鈴と携帯ラジオを、それぞれ身につけ(熊対策!)、
でも、途中で、驚くカモシカとマムシには遭遇しましたが、
てんやわんやでの山菜採り。

それでも、収穫はありで、




↑竹の子(本格的な根曲がりには及びませんがー)





↑ウド





↑木の芽(山が深いので、まだありました)





↑コゴミ(これも、山が深いからでせう、まだありました)





↑タラノメ





↑赤コゴミ(貴重な赤コゴミ)





↑ワラビ



お土産分は別にして、これらを現地にて、早速、ブランチに!
(朝が早かったので、腹へった! の大合唱になりー)




↑まずは、採りたてを天ぷらに。





↑コンロの火が弱かったのですが、
どれも美味。
特に、タケノコと、ウドは、その色も美しく、青みのある苦さが最高!





↑ほどなく、鍋。
ニシン持参のカシコイ友人がゐたので、白石名物のウーメンと一緒に。


”宴”の場所は、道路から外れた空き地だったので、時折通る車から好奇の視線を浴びながら、それでも、モンゴルへ行ったりしてゐるツワモノ達ですので、一向にお構ひなく、舌鼓を打ってゐました。


ブナ林の新緑を眼に焼付けながら、帰路へ。











燕が、計画変更?

2006-05-26 | 大岡山界隈

きっと、東南アジアあたりから飛来したのだらう我が家に来た燕たち。

一度作りかけた巣が気に入らないのか、
施工上の問題点が発生したのか、
はたまた、小生が付けた板が気に入らないのか、
違ふ梁の横に巣を完成させました。

なかなか見事な出来で、
きっと、これからの産卵、子育てに、耐震上の問題は、なささうです!?




それにしても、
如何に彼らの帰巣本能だ、とはいへ、
東シナ海を、低空で、それも決して集団でもなく、
出羽の地へ飛んでくる、などとは、
並大抵のことではありません。


彼らの、子孫を残すための見事さを感じます。



幸せの黄色い…

2006-05-24 | やまがた抄


お客様と打ち合はせをしての帰りがけ、庭先に咲く黄色の花を写真にとらさせてもらひました。











牡丹は、「昨日、花がらを摘んだばかりでー」と、幸ひに、残りのいち輪の花が残ってゐました。


ご主人は、以前、観光地で板前をされてゐた方で、
バブルの末期、その流れが山形に襲来した時、建て替へたホテルに毅然と別れを告げて、現役を引退された方です。

以前、小生も、そのホテルには仕事で幾度か行ってゐて、
東京の設計屋さんとコーディネイターに、「これが、東京風ですよ」と云はんばかりの豪華な建物にされて、でも結局、建て替へ以前の親しみやすさや、少々の野暮ったさはきれいさっぱり払はれて、果てに数年で倒産してしまった処です。
まあ、バブル、とはそんなことでせう。


少なからず縁のあった昔話をしながら、奥様が丹精にしてゐる黄色の花を愛でてきました。











アンダーカレント/ビル・エヴァンス&ジム・ホール

2006-05-23 | 書棚のジャズアルバムから

「暗流」と訳したらいいのか、印象的なジャケット。
女性の死体が、闇の水面に漂ってゐるー。

CDでのそれは、LPの裏面にあったタイトルを無理やり合成してしまってゐるものがあって、この洒落たジャケットにはとても失礼な話ー。

ビル・エヴァンス(ピアノ)
ジム・ホール(ギター)
1962年4月、5月録音

デュオの名盤で、中身は文句なく素晴しい。

伝説的なトリオを組みながら、メンバーのひとり、スコット・ラファロを事故で失って一年ー。
スランプに落ちこんだエヴァンスは、マイルス・デヴィスに首を宣告された原因、ドラックにまた戻ってゐたのかもしれない。

この前後の、トリオでの演奏は、小生には可もなく不可もなく、といった印象があるのですが、エヴァンスは、このジム・ホールとのデュオで蘇ってゆく。

ジム・ホールの、まさに、つま弾くギターの音色が色を抑へた世界を創ってゆく。

一曲めの「マイ・ファニー・ヴァランタイン」が、やはり、いい。
いきなり、エヴァンスの早いソロで曲が始まり、それに添ふやうに、離れるやうにジムがからんでゆく。

ジョン・ルイス作曲の「スケイティング・イン・セントラルパーク」も、ジャズに優雅といふ言葉を与へられる数少ない演奏か。

「ダーン・ザット・ドリーム」も、あへない美しさを描いてゐる。


その端正な風貌とは裏腹に、ドラッグへの依存から離れられなかったビル・エヴァンスが残した録音は、けれど、40年以上も過ぎた今聴いても、鬼気迫る美しさを維持してゐる。


CDには、サービストラックで、幾つかの曲が入ってゐます。
別テイクのものもありますが、基本的には、一度ボツになった演奏のやうです。
確かに、今ひとつ、精気がなく、LPの時の6曲で充分のやうな気がします。




(写真は、LPのジャケット)






旧きガラス

2006-05-21 | やまがた抄








先日、工事をした時に、間仕切り部分の欄間に、旧いガラスを使ひました。

施主の知人のサッシ屋さんのご主人が病で倒れ、廃業することになり、タダでよいからと、残ってゐるガラスの一部をわけてもらひました。

おそらく、数十年以上前のもの。
少しもろくなってゐましたが、何とかカットしてはめ込みました。

最近は、すっかりつまらなくなってしまった、サッシやガラス。
機能最優先で、建物の一部としての存在感がなくなり、
ガラス自体を楽しめるものは無くなってしまひました。

特に、ガラスに至っては、一般用には透明と不透明の数種類の状態。

今回のガラスは、まるで古布のやうに、味はひのあるものでした。