やまがた好日抄

低く暮らし、高く想ふ(byワーズワース)! 
山形の魅力や、日々の関心事を勝手気まま?に…。

唐土

2008-07-30 | 大岡山界隈


月末の慌しさで疲れきって帰ってくると、今年初めての唐土が茹だってゐた。

半分ほどをかじりながら、夕餉のコロッケを揚げる。
コロッケの中身も、ひき肉以外は我が家産である。
実はまだ小さいが、天候のせゐか、甘味は充分である。

結局、ひとは、自給自足の生活に入ってゆくのかしらん。


閉店

2008-07-25 | やまがた抄


今月末に、山形市の花小路といふ飲み屋街から一軒小さな店が消える。
28年頑張ってきたといふ。

小生等の仲間の、二次会コースの定番だった店です。
10人も入れば満席の店内の什器はは、すでに記念品として予約がついてゐた。
「今までヒマだったのに、連日予約でいっぱいで、疲れたァー」と店のママが笑ってゐた。

気兼ねなく騒げる店ではあったので、「これから、どこで騒げばいいのよ!」と仲間のひとりが云ふが、店が姿を消してゆく一方の状況では、応へは難しい。

空蝉

2008-07-23 | 大岡山界隈


庭先で、アジサイの花によじ登る虫らしい姿があった。
よく見ると、空蝉ならぬ、ヤゴの脱け殻だった。


出張で青森にきてゐた友人が、仕事を終えて帰路の途中、一泊していった。
数年ぶりの邂逅である。

いつもいつも、花もなければ、実もない季節だ、と笑ひながらビールを飲む。
今回の出張の話、彼の会社の話、世の中の動き、不安定な時世、世代のギャップの話、昔の同級生の話、故郷の話、グールドのモーツァルトの話、オーディオの話、パソコンの話、ブログの話、戦闘機や戦艦の話、車の話、…。
尽きることのない話題に、夜はふける。

さしたるもてなしも出来ないまま、翌日、山形新幹線で暑い東京へ向った。
小生が棄郷して、30年以上が過ぎてゐる。


我が家の野菜で…

2008-07-21 | 大岡山界隈


忙しくしてゐましたら、畑のズッキーニが巨大化してしまひ、慌てて、初めてのラタトゥイユを作りました。

ズッキーニ、ナス、トマト、ニンニク、タマネギ、ハーブ。
材料は、すべて我が家産、です。
それほど難しくもなかったのですが、用心して味付けを薄くしてしまひました。
でも野菜の甘味と旨味がでて、この次はも少し濃い目の味付けと、冷やして食しようと思ってゐます。



梅雨の間の…

2008-07-18 | 本や言葉
最近読んだ本は…



この著者が好きで、結構手垢にまみれた既存の音楽論や作家論に、いつも新鮮な空気を送り込んでゐます。

この『恋愛哲学者モーツァルト』も、モーツァルトの五大オペラを軸に、モーツァルトの音楽観や人生観を織り込んで面白く読みました。





『大君の刀』-ブリュネが持ち帰った日本刀の謎-、も面白かった。

映画「ラストサムライ」のモデルとなったフランス軍人の自宅に残る日本刀3振りの出所を調べてゆくうちに、不当なまでの明治維新の姿、土方歳三とともに北の地で最後の戦ひに挑み敗れた、凛とした軍人の姿が浮かんできます。
(「ラストサムライ」は、つまらない映画でした。余りにも、ステレオタイプな描き方で、大騒ぎされたのが小生には、さっぱりと解らない)

幕末時、日本の各勢力へ切り込んでゐた外国勢も、それなりの策略や計算があったのは別として、本文にもありますが、ガリア魂を自らの矜持として時の将軍や幹部たちに激を飛ばし、自らは仏国へ軍人としての職を解いてもらひ、まさに、ラストサムライとして薩長軍に戦ひを挑む姿は、感動的です。
そして、その彼の姿を小説にした『乱』(分厚い!)を読み始めてゐます。


トマト!トマト!

2008-07-16 | 大岡山界隈




「食ふなら、持っていけ」と、近隣のトマト栽培の農家の方から、規格外品のトマトをたくさんいただく。
ハウスものですので、甘味は少しすくないのですが、それでも、あっといふまに平らげました。


そして、我が家の露地のトマトも連日生りはじめ、ぶつ切りにし、バジルとイタリアンパセリをオリーブオイルで絡め、美味しくいただいてゐます。

夏、始まりです。

キース・ジャレットの思ひで

2008-07-14 | 音楽を


キース・ジャレットの『メロディ・アット・ナイト、ウィズ・ユー』
といふアルバムを聴く。
ソロ・ピアノでのアルバムです。

彼が難病におちいり、その回復の兆しが見へたときに、録音されたものだといふ。
モノローグ、のやうな演奏であり、聴いてゐてつらくなるやうな印象です。
そこには、かつての豊饒の即興の世界もなく、さりとて、ビル・エヴァンスのやうな研ぎ澄まされた音もない。




キース・ジャレットを、感動をもって聴いたのは、20年以上前の頃。
在京のころ、原宿の同潤会アパートの一室でした。
当時、小生が勤めてゐた会社が、同潤会アパートの一室を改装し、モデルルームとして使ってゐました。
同期の社員がそこの責任者で、何かの用事で行った折り、「留守番をしてくれ。ヒマだったら、これを聴いてみないか、とてもいいよ」と置いていったCDが『ケルン・コンサート』でした。
カルテットによる『生と死の幻想 』はすでに聴いてゐたと思ふ。
けれど、当時流行りだった、白一色の部屋に響き渡るキースの硬質なピアノの音色と、まるで作曲されたやうな(余りに見事なので、さういふ話もある)即興の1時間余の演奏は、圧倒的な彼の天分を疑うすべもありませんでした。



5年ほどして、山形へゆくことにした、と決めた小生に、若い同僚たちが私的に小さな別れの会を開いてくれました。
日頃、コルトレーンを熱く語ってゐた小生に、ジャズを教へてもらったお礼です、と探してくれた、ジャズが流れるレストランでした。
楽しいひと時を過ごしたのち、「今、リクエストをしてきました。餞別、です」と同僚が自慢げに笑った。
店内に流れてきたのは、『クリフォード・ブラウンの思ひ出』だった。名盤『スティル・ライブ』の最後のトラック、です。



山形に移り住んでからも、「文化や情報は、やはり東京だ!」と叱咤激励する、私淑した先輩の言葉を信じて、色々なコンサートにもでかけました。確か、オーチャード・ホールだったと思ひますが、キース・ジャレットがオーケストラとモーツァルトのピアノ協奏曲を弾くのを聴きましたが、「何故、こんなことをするのだらう」といふ思ひだけでした。彼が、いち時期、クラシックにのめりこんでゐる時でした。透明な音色、達者な演奏、けれど、悲しいかな、聞こえてきたのはモーツァルトの音楽ではなく、キースの音楽でもありませんでした。


けれどすでに、このころからトリオの演奏は名盤の目白押しになって、小生も大体のCDは聴いてゐますが、やはり、最近は少し枯渇気味なのかしらん。
キースの、良い意味での恍惚としたインプロビゼイションの醍醐味は、いつ聴いても感動しますし、少し枯れたそれが出てくることをひそかに望んでゐます。



夏の花

2008-07-12 | やまがた抄




TSUTAYAへCDを返却に行った帰路、回り道をして紅花の花を見てきました。
丁度、天童市と山形市の二ヶ所で紅花まつりを開催してゐまして、
夏の日差しの元、まさにサンフラワーとなって畑を覆ってゐました。








山形市の図書館の横では、堰の中に、まったくか弱さうな白い花が咲いてゐます。
バイカモ、の花です。
清流にしか生息できないといふ、小さな花です。
昨夜からの激しい雨でかなり流されてしまったやうで、それでも、しっかりと底に貼り付いた藻からは、夏の日差しに向って1センチほどの花が生き残ってゐます。



バイカモの説明は、こちら

山形五堰に関しては、こちら

山形五堰のバイカモについては、こちら


梅雨らしく…

2008-07-11 | 大岡山界隈


ここ数日、やっと梅雨らしい天気になってゐます。
それでも、シトシトと降る雨ではなく、いきなり強い降り(篠突くやうなー)になったかと思ふと、晴れ間をのぞかせ、日本もスコール系の梅雨になってきてゐるやうです。

お湿りを浴びて、我が家の畑でも夏の野菜が採れ始めてゐます。
先日、初めての南瓜を食しましたが(とても美味しい南瓜!)、その第二号は、20cmほどの大きさ。
やはり、JAの苗は良いのかしらん。



狂乱

2008-07-10 | やまがた抄


涼しげなテンプレートがあったので、夏ヴァージョンにしました。


帰路、ガソリンスタンドに寄る。
暑くなりはじめて以来、涼しい朝夕の通勤とはいへ、エアコンを作動させないで必死に燃費をよくしてゐますが、ランプが点きっぱなしでした。

入口のPOPには、180円とありましたが、「いくらなの?」と聞くと「171円です!」と、最近馴染みになった若い店員さんが得意げにいふ。
「では、満タンでー」と頼むと、「また来月には10円、おそらくお盆の頃には間違ひなく200円ですよ」と心苦しげにいふ。

困ったものである。
まったく国の無策の果てに、今、市井は、狂乱の様子を帯びてきてゐる。