やまがた好日抄

低く暮らし、高く想ふ(byワーズワース)! 
山形の魅力や、日々の関心事を勝手気まま?に…。

弥生つごもり

2011-03-31 | やまがた抄


暖かな雨にうたれて、福寿草が咲き始めた。

櫻の、風の便りも届かぬまま、参月が終る。

千年に一度といふ大災害に遭遇し、まだまだ続く余震と、放射性物質の脅威に晒されながら(まさか、山形の地で、放射能の脅威に慄くとは思ひもしなかった。山形でも、これからのサクランボへの風評に神経を尖らせてゐる農家の方も多い)、櫻の季節に入る。

茶道の先生を今年こそは樹齢600年の櫻の下へご案内したいと思ってゐましたが、その樹は福島の東部にあり、如何になることかー。

現場が混乱するからと、慰問時期をずらした天皇夫婦。世の中が停電中なのであれば、特別室などへは入らず、蝋燭、懐中電灯で結構、食事も一汁一菜、寒さは服を着れば我慢ができると云ひ切られたといふ、その見事な人としての矜持。

現場が混乱するからといふ周囲の制止を振り切って、原発事故現場に乗り込み、けれど、現地で首相を被爆させるわけにはいかないと事故処理中の人手に負担をかけた(らしい)この国の総理。そして、後日”俺は、やってねーよ。一生懸命に指揮を執ってゐるよ”といふその彼の頭髪は、毎日のやうに黒く染められてゐる。

東日本といはず、日本全体の信用をなくさせてゐるにも関はらず、憮然とした会見を繰り返し、お仕着せのやうに、初めて袖を通したであらう作業着で会見に望む電力会社の役員の面々。
(なんと、現場は、乾パンとジュースで腹を満たしてゐるといふ!)

卯月になれば、少しはまともな人が出現するのだらうかー。


春は、遠い…か

2011-03-28 | やまがた抄


確か例年ですと、彼岸の頃にはタイヤの交換をしてゐましたが、今年は過日の地震やそれに続く後遺症、生活環境の悪化ですっかり忘れてゐます。

降雪もまだ朝方にはすこしあり、冷え込みも厳しいので、当面は交換は無理のやうです。

世の中が、すっかり暗くなってしまって、先日ヨ○クへ買ひ物に出かけましたが、久しぶりに見る食パンの姿に感激し、出店準備中のやうな棚だけの陳列通路に、あっけない脆さをみせた日本の流通に寒々とした思ひをし、結局、食パン一斤と板チョコ一枚を買っただけでした。

それでも、少しだけ雪の残った我が家の庭先では、半年振りに緑の芽が出はじめてゐます。
こんな時節ですから、早く、櫻の花を見たいものです。

状況は…

2011-03-22 | やまがた抄


大地震の復旧の速度が、とても、遅い。
本当に、罹災地の方を思ふと、怒りが起こる。

いち企業の初期処置の失敗が、東日本を暗い雲で覆ってしまってゐる。
現場の人には、小生はいつも現場にゐたので痛感いたしますが、生き死にをかけて復旧作業をして頂いてゐると思ひますが、統括してゐるだらう人たちの拙攻が余りにも目につく。
一機(第一機動隊)の放水車で、どこまで使へると判断したのだらうか?
(昔、あの放水車で蹴散らされたことがありますが、レヴェル5の非常事態をクリアできるとはとても思へない)

そして、
近くの市立体育館も福島から逃れてきた方々であふれ、スーパーにも布団を積み込んだ車が目に付きます。

山形市の燃料関係も困窮してゐて、ガソリンの補給が出来ない状態になってゐます。
親戚のお父さんは、三日間並んで(結構、朝早くに行ったらしいですが)一滴も入れられなかった、と頭をかいてゐました。
よもや、ガソリンを入れるために、スタンドの前で前日泊をしなければならない状態にまで陥ってゐます。

とまれ、我が家の節約生活も浸透してきて、電気コタツも禁止になり、湯たんぽコタツに変身。
ガスも危ないといふ話を娘が聞いてきて、短時間での料理に終始。
野菜類がとても高いので、老母が雪前に投げてゐた小さなキャベツを雪解けの中から拾ってきた。越冬したので、甘いかもしれません。
近くにあったフキノタウはおまけ、です。

被災地を応援しながら、我が家も、春を待ちます。



影響が…

2011-03-16 | やまがた抄


被災地には、過酷なまでに、雪が降ってゐます。
芽を出し始めた水仙も、急いで家の中へといれます。

名取市の友人と電話が通じ、元気な声を(多少の無理もあるのでせうがー)聞きました。
海岸からはやや遠いため、家は流されなかったけれど、1メートルほどの津波に襲はれ、現在避難中であるとのこと。
”家の様子も見に行きたいけれど、船でないと行けない!”と、気丈に話してゐました。

東日本の人々に、とてつもない試練を与へた地震と津波ー。
それを、天罰だと云ってはばからない愚かなメトロポリタンの首長。
まるで、他人事のやうに、役所のコメントのやうに事故の推移を話す電力会社の人間。
(昔、仕事で東京電力には散々いじめられましたので、会社の体質には完全に偏見を持ってゐますー)

そして、山形市でも、色々な影響がでてゐます。

ガソリンスタンドはほとんどが閉鎖され、我が家では灯油の買ひ置きも差ほどないので、当面ファンヒーターの使用は禁止。風呂も数日おきで合意。
コンビニやスーパーは、まるで略奪のあとのやうな様子になってゐて、パスタを買ひに先日立ち寄った安売りのスーパーには、パの字も一切なし。

ぶざまに、”国民へのメッセージ”を読む!この国の責任者に改めて絶望を感じながら、けれど、我が家は節約生活を推進中ー。




頼りになるものは…

2011-03-14 | やまがた抄
まさに、悪魔の仕業、か、神の怒り、のやうな地震でした。

日を追って、刻々と惨事の詳細がわかってきてゐますが、亡くなられた方や、被災された方々に、御悔やみを申し上げます。

山形の地でも、小生、生まれて初めてのやうな激しい揺れでした。
丁度休日で、動けなくなってしまった老母を背中に背負って家の外へ飛び出しました。
本当に、死の危険を感じる揺れでした。
山形は、比較的転変地異の少ないところゆゑ、このたびの激しさに初めて遭遇したひとがほとんどです。

激しい余震が続いてゐるさなかの夕方、この国の総理が”わたし、一生懸命にやりますからー”とコメントを話してゐましたが、まったく、頼りに出来ない御仁です。




二日間の暗闇のなか、頼りになったのは、即席につくったキャンドルと、ボロボロの小さなラヂオ。

特に、当日の夜は、不安になって孫をつれてきた子供たちと、湯たんぽを炬燵のなかにいれ、家族全員で雑魚寝をし、窓近くに靴を用意して、小生は徹夜で臨戦態勢。
次々に起こる余震、南下する震源地、明け方近くには、長野でも大きな地震が起きたー、と日本沈没のやうな状況、でした。
ふと、末法、といふ言葉が浮かんだほどです。

そんな中、ボロラヂオからのNHK仙台のアナウンサーの”夜明けまであと○時間です、皆さん、今は我慢してください!もうすぐ、明るくなります!”といふ掛け声のなんと励みになったことかー。

能天気なコメントと行動を繰り返す、この国の総理の言葉とは格段の違ひ、でした。

電気が通って、初めてTVで目にした被災地の惨状には言葉もありません。
一瞬のうちに無念の死を遂げてしまった方々に悔やみを告げるだけです。


ゆき雛

2011-03-03 | やまがた抄


彼らの視線の先には、サッシ越しに、生憎の雪がちらついてゐます。
毎年のことですが、雪の日々の中で年に一度の披露をし、春の晴間を見ることもなく、またサッサと片付けられる我が家の雛たちも、あまり幸せさうでもありません。

雛祭り寒波とかで、山形市内では雪の降りはたいしたことはありませんが、寒さが戻ってしまって、春に向けてしまった身体には少し堪へます。

弥生参月…

2011-03-01 | やまがた抄





昨日までの数日の暖かさは陰をひそめ、今週はまたのマークが幾つかついてゐますが、
まあそれでも、あたりの雪もやっと消えて、弥生参月です。

昨年の暑さと、この冬の寒さで、櫻の開花は早いやうですが、とは云っても、出羽の地では今月に咲くことはまず有り得ず、あてもなく待つこととしませう。

老母が、”犬の散歩であぜ道を歩いてゐたら、まう出てゐた”、とふきのたうを摘んできた。
また、雪が溶けかけた畑から、すっかり雪焼けしたブロッコリーを採ってきた。

浅い春を味はふ予定です。