やまがた好日抄

低く暮らし、高く想ふ(byワーズワース)! 
山形の魅力や、日々の関心事を勝手気まま?に…。

嫌な話

2011-10-30 | やまがた抄


先日の芋煮会のときに、とても嫌な話がでた。

老齢の女流画家が、近々フクシマの原発事故をテーマに大きな作品を描くといふ話から、
巷では、こんな話がまことしやかに流れてゐる、といふー。

ひとつは、三陸沖のサンマを食べたら、中から女の髪の毛が出てきた…。

もひとつは、宮城のさる有名なホテルの露天風呂から海を見やると、夜の海上が人だまだらけだった…。そして、それを見たひとは、蔵王の温泉に三回入ると除霊される…。

隣りの小説家の先生と小生は、”そんなバカな話があるか!”と、一種憤りを感じながら反論した。

小生は、温泉の話は明らかに蔵王観光協会あたり? が流したデマに違ひなく、先生は、高速で泳いでゐるサンマの小さな口から髪の毛が入るか? とー。

どちらにしても、そんな話が風評被害の種を作り出してゆくのだ、と背筋の寒い思ひをした。


マーラーの別れ

2011-10-29 | 音楽を
突然、マーラーの9番が聞きたくなって、動画よりDVDにしたアバドの演奏をみる。

9番を正面から聞きたくなるのは、一年に一度か二度程度ー。

特に、ブルノ・ヴァルターが、”青空に消え入るやうにー”心がけたといふ終楽章は、巷間云はれてゐるやうに、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、等々と続いた調性の最後のしずくのやうな楽章で、もはやこの先は、マーラーの弟子達が先駆してゐた無調の世界しかない。

この終楽章は、まさしく、200年以上続いてきた交響曲の最後を看取る音楽です。
そして、マーラーはそこに、絶望的なまでの美しさを残してゐます。

画面をみるとなるほどよくわかりますが、前曲まで、肥大に肥大してきたオーケストラの構成はきはめてシンプルになり、管の出番もすくなく、弦のゆったりとしたすすり泣きが続きます。

マーラーが、9番の終楽章に、色々な、そして満腔の思ひを詰めてゐたのがわかります。

アバドの演奏は、彼の病後の容貌も痛々しいが、マーラーの思ひを伝道するやうに、丁寧に、美しい弦の響きとともにその終末を迎へてゐます。
画面では、いつ演奏が終はったのかわからないほど、会場は水を打ったやうに静まり返って終はってゐます。

Mahler symphony No.9-4M (5/6) Abbado Lucerne Festival Orchestra


Mahler symphony No.9-4M (6/6) Abbado Lucerne Festival Orchestra


芋煮会、です

2011-10-23 | やまがた抄


盛り場研究会の芋煮会が、例年より半月遅れで開催。

今年は、いつもより少なく十数人で、天気も定まらない様子でしたので最初から公民館を借りての開催。

里芋は、小生が朝早くから皮をむき、約2キロを持参ー。
自家製なので、皆に評判がよくて、ひと安心。

四方山話に花が咲いて、いつもながら、楽しいひと時、でした。

心地よい景色と…

2011-10-19 | 音楽を


先日の面白山高原へ車でゆく道はふたつー。
山寺から、川沿ひの細い、落石もある道をゆくか、天童側からひとつ峠を越えてたどり着くか、です。

孫もゐたので、峠越えにしましたが、紅葉の美しい山道を、平原綾香のCDを流しながら向かひました。

”これ、真央ちゃんの曲だ!”と、家人はハチャトリアンの仮面舞踏会が流れるとシタリ顔でしたが、
どちらにしても、澄んだ空気と紅葉が、結構マッチングでした。

この、高域がでない、ブレスのひどい、けれど妙に惹きつける中音域の独特の声に、曲想がはまると彼女独自の世界が展開される。

2枚のアルバムの中では、”ラヴェルのパヴァーヌ”、”モルダウ”、”カッチーノのアヴェ・マリア”、”オン・ブラ・マイフ”、”ラフマニノフの交響曲”あたりが白眉です。

どの曲でも、作詞が素晴らしいです。







コスモスベルグ

2011-10-16 | やまがた抄






面白山のコスモスベルグへ行ってきました。

すでに花の盛りは過ぎてゐるだらうけれどー、と思ってゐたので、それでも十四、五年ぶりくらゐに行ったそこは、あれ!? と思ふくらゐ小さな場所でした。
家人が、”本当にここ?”といふくらゐで、まあ、花が終りに近いからでせう。

でも、中腹まで上り、昨年登った北面白山を眼前に眺め、握り飯を頬張れば、文句いふことはひとつも無し!

中腹から目をつけた栗の樹にたどり着けば、あるはあるはー、強風で落ちた大きな実が撒いたやうにあり、本日も収穫あり、でした。

一週間で…

2011-10-15 | やまがた抄




先日、蔵王に栗拾ひに出かけ、そのとき取れなかった高所の分をなんとしても取りたい、と娘が云ひ出した。

皆の休みを調整し、娘のダンナが社会人野球のピッチャーなもので、ピンポイントで取る、といふ計画をつくり、再度同じ場所へ出かける。

温泉街に近いのですが、そこまでする人もゐないらしく、なるほど、見上げればたわわなイガのすがたー。
すっかりおだてられたダンナは夢中でバットや木の棒を投げ、結構な数を収穫しました。

気がつくと、一週間しか経ってゐないのに、すっかり紅葉は進み、秋本番です。

秋、届く

2011-10-10 | やまがた抄










連休中、蔵王の坊平へ紅葉狩りと山栗拾ひ、県民の森へ紅葉狩りと山栗拾ひ、で出かけました。

ともに、首尾は上々で、穏やかな天気に色は冴ゑ、山栗は数回の栗ご飯分をゲット、です。

まるでお金はかかりませんが、おだやかに、幸せ、です。

里芋

2011-10-09 | やまがた抄


里芋を、ひと株、初めて掘り出す。

例年なら、盛り場研究会の芋煮会が今頃なのですが、今年はメンバーの予定が調整出来ず、下旬になったので、里芋の掘り方も時期をずらしました。

それでも、早速に我が家では小生が芋煮をつくり、美味しくいただき、また、今年初めて少しばかり差し上げた知人からは”超うま~い!!”とのメールが来てゐました。

確かに、掘って、洗って、皮をむいて少しあく抜きをして、じっくりと煮込むと、とろける柔らかさですので、流石に、スーパーの品ではかうはゆきません。

昨年は、猛暑で、散々の出来具合でしたので、今年はなお更嬉しいです。

チップス

2011-10-08 | やまがた抄




例年ながら、ジャガイモが沢山採れてゐるので、ふと思って、チップスにしました。

家族や娘たちに好評で、サツマイモのチップスも作りました。
と、これがまた好評で、味もしっかり残ってゐて、いつものやうに、しばらく続きさうです。

セル、1970

2011-10-06 | 音楽を
3/3 - GEORGES SZELL - MOZART SYMPHONY 40 - 1970 (LIVE)


交響曲の成り立ちの本(「交響曲入門/田村和紀夫著、講談社」)を読んでゐて、譜面が沢山あって素人にはチンプンカンプンですが、力の入ってゐるモーツァルトの項目では、なるほどその構造に感服しました。

バロック時代のオペラの序曲にすぎなかったものが、モーツァルトによって、人間性の深みからの声となり、存在を表現するための手段となった。突然変異としてのモーツァルトの40番のすがたー!(本文より)

そして、その40番を譜面を見ながら急に聞きたくなって、セル/クリーグランド管の来日のときの演奏を聴く。
1970年ー。
まさに、至宝の演奏である。
初めて日本にその全容を見せた彼らの演奏は、”衝撃的”だった、といふ。

CDに録音した演奏も見事でしたが(小生の40番のベスト3は、このセル盤とクーベリック盤とフリッチャイ盤ですがー)、この来日時の演奏も息をのむ。

以前、FMでアメリカの放送を録音したテープを大事にしてゐますが、幸いかな、今は動画サイトでその演奏が聴けます。

セルが、鬼のごとく鍛へ上げたオーケストラは、一糸乱れぬ、かつ微妙なニュアンスを軽やかに動かして、モーツァルトの魂をゆさぶる。

(動画の演奏は、3、4楽章のみ。興味のあるかたは、前後を探ってください)