やまがた好日抄

低く暮らし、高く想ふ(byワーズワース)! 
山形の魅力や、日々の関心事を勝手気まま?に…。

『生きいそぎ』、を読む

2007-04-29 | 雑記
         

 

先週でしたか、新聞で志水辰夫がとりあげられてゐて、久しぶりに、シミタツの小説を読む。
『生きいそぎ』(志水辰夫著/角川書店)
短篇集です。

主人公は、ほとんどが60歳前後の、ひと区切りを終へた男たち。
荒削りな文章で描かれる、荒削りな心情が、いい。

ちょっと勝手すぎる、みたいなところもありますが、
悲しいかな、残念かな、所詮、男はこんなものでせう。

封印してゐた過去や気持ちや事件が、突如として現はれ、
あるひは蜃気楼のやうにさまよひ、さしたる解決をみないまま、
それぞれの主人公が残された時間へと向かってゆく、そのザラザラとした心情がいい。


竹の子

2007-04-28 | 大岡山界隈



東京の友人から、竹の子を送ったから、とメールが届いてをり、
今日、宅急便で届きました。

如何にも美味しそうな竹の子で、早速煮物でー。

      

新鮮ですから、歯ごたへがあるのに柔らかく、甘露甘露、でした。

連休には、再び尾花沢へ来るといふ。
何ももてなすものがないので、山桜でも案内しやうかと思ってゐますがー。



竹の子といへば、ここ山形では”孟宗”といってかなり珍重されます。
それはやはり、如何に繁殖力のある自生の孟宗竹といへども、奥羽山脈を越えられず(津軽海峡も越えられなかったー)せゐなのでせうけれど、
関東で”ガキ”の時代を過ごした小生には、当時きはめて身近な存在でした。

”悪ガキ”の頃は、学校へ行く時に竹林の中にほどよいものを見つけておき、
帰りに足で蹴って、何食はぬ顔で頂いた(盗んだ?)ものでした。
誰の家の竹林だったか、今では思ひだすこともできませんが、一度として怒られたこともなかったやうに記憶してゐます。
まあ、それだけノンビリとした時代だったといふことでせうけれどー。

また、竹の皮に梅とシソと混ぜたものをいれ、三角に折ってそれを吸うのがささやかなお八つでした。
まあ、それだけ貧しい時代だったといふことでせうけれどー。


天童の桜

2007-04-27 | 櫻探訪

貫津の種蒔き桜

2年前、天童市の郊外に樹齢200年ほどの江戸彼岸がある、とだけ知りました。
が、これといった資料はなく、あてずっぽうに探しましたが手掛かりがありませんでした。
それが、今年の冬、天童に住む知人が、好きな桜がある、といふ。
話を聞くと、まさに、その桜ー。
「それだ!」と、思はず知人に感謝すると、彼はキョトンとしてゐましたがー。

貫津の種蒔き桜。
久しぶりに、良い桜でした。
樹齢300年程か。
大きな枝が欠落してゐましたが、樹形はまずまずで、樹勢もあります。
墓地の入口で、まるで、墓守り人のやうに、身罷った人々を守り、一年に一週間ほどその花を見せてゐるやうです。
丁度墓参にきてゐたお婆さんがをられて、「いい桜ですね」と声をかけると、
「私の若い頃はもっと大きくて素晴しかった…」と花を仰ひでゐました。
きっと、まだ、主枝が大きく広がってゐた頃の話でせう。
それでも、近くに良い桜を見つけることが出来て、嬉しい春です。



































山形の桜 3

2007-04-26 | 櫻探訪

見滝寺の夜桜

昨年、初めてその姿を見、感激した桜です。
一年間、ライトアップの姿を待ってゐました。
樹齢200年余の江戸彼岸系の枝垂れ桜。
映画「おもひでぼろぼろ」の後半の舞台になった山形市高瀬にあります。

樹形も見事、樹勢もあり、手入れもよく、ロケーションもよく、
小生は、西蔵王の大山桜と共に、山形市の桜の双璧と思ってゐます。
見る者を拒むことなく、さりとて、見る者に媚びることなく、
枝垂れの桜ながら、威風堂々とした圧倒的な存在感が素晴しいです。

出かけるとすぐに雨が落ちてきて、ゆっくりと出来なかったのが残念ですが、
散ってゐなければ、連休の間に、まう一度見に行きたい桜です。
















※昼間の姿は、昨年の今頃のブログでご紹介してゐます。



山形の桜 2

2007-04-25 | 櫻探訪

平泉寺の枝垂れ桜

山形市東部、千歳山の麓に陶芸の里、平清水の街があります。
小生も以前、1年ほど陶芸教室に通ったところです。

窯元が集まってゐるにぎやかなところに、平泉寺の枝垂れ桜があります。
山形人には有名な桜です。
樹齢3~400年ほどでせうか。
以前にも幾度か見に行ってゐますが、山門横のそれは、年々衰へを感じます。
狭い場所で、根が苦しいのでせう。それに、電線がひどく邪魔です。

山門をくぐり、境内に入ると、もう一本の枝垂れ桜があります。
こちらは、樹勢もあり、庭いっぱいに枝を広げてゐました。

眺めてゐると、ご婦人に声を掛けられ、でもその方は「これから、数カ所の桜を見に行く、ああ、忙しい!」と慌しく話を済ませると、さっさと立ち去ってゆきました。
桜を見てゐると、何故か、自然と気軽な会話が飛び交ひます。





























耕龍寺の桜

平泉寺の近くに、耕龍寺があります。
最上三十三観音のひとつです。
これは、また、別の日にそのカテゴリーでご報告。
境内にこれといった古木はありませんが、立派な山門の横で、まだ若い染井吉野がひっそりと咲いてゐました。
















山形の桜 1

2007-04-24 | 櫻探訪

光禅寺の桜

山形市内ではつとに有名な桜の名所。
以前、桜の季節に前を通過したことがありましたが、立ち寄ったのは初めてです。
最上家と縁深い寺とのことで、入口には、堂々とその家紋がー。
見事な、桜参道になってゐますが、アイストップになってゐる枝垂れ桜は、
左程のものではなく、まったりと枝垂れすぎたその姿は、野趣を好む小生には、
やや物足りない姿でした。
ただ、白木蓮との取り合はせの様は、天上もかくやーと思はせる夢心地のものでした、


























岩波観音の桜


昨年も訪ねた桜です。
おそらく、樹齢100年前後の枝垂れ桜ですが、
観音堂とのつりあひも好ましく、昨年お話し出来たご住職の方の清廉さが境内の隅々まで行き渡ってゐるやうな、清冽な場所です。












椿が咲く山路を越えると、平清水の里です。
平清水の桜は、明日の予定です。




上山の桜

2007-04-23 | 櫻探訪

権現堂の枝垂れ桜

上山市から、蔵王へと上る道筋にあります。
あたりの地名を権現堂といひ、蔵王信仰が盛んなころ、修行行者が休息した場所であるらしい。
樹齢400年とも、500年とも云はれる江戸彼岸系の枝垂れ桜です。

数年ぶりに、この樹に逢ひました。
樹形、樹勢ともに見事ですが、如何せん、本当に道路のすぐ脇ですので、
ロケーションが少し悪い。
それでも、訪れた時も、保存会の方がHPの更新のために写真を撮ってをられて、
皆さんの愛情の賜物か、見事な花を揺らしてゐました。
















紹介のHPはこちらです。




高仙寺の枝垂れ桜.

かみのやま温泉の駅の東方向の山中腹の寺の境内にあります。
やはり江戸彼岸系の枝垂れ桜。
樹齢は200年ほど。

この樹には、十数年ぶりに逢ひました。
なんとなく姿が変はったなと思ひながら、毎日見に来てゐるといふお爺さんに声をかけると、「んだべぇ!」といふ。
十数年の時間の中で、数本の枝が折れ、特に、寺の屋根を葺き替へた時に、大きな枝が折れ、姿もずゐぶんと変はってしまった、と残念がることしきりー。
やはり、桜との出会ひもまた、一期一会、です。



















お寺の横の神社の桜。
樹形のよい樹でしたが、その花は、哀しいまでに少なく、150年ほどの樹でせうが、余命幾ばくといふ姿でした。
(見られることが少ないから、生きる意味を見失ってしまったのかしらんー)



バルビローリのシューベルト

2007-04-20 | 音楽を
        

バルビローリのシューベルトのディスクが目に止まり、久しぶりに聴く。

シューベルトの最期の年のハ長調の交響曲。
小生、この曲の演奏では、セル/クリーヴランド管の身を切る鋼のやうな演奏、ケンペ/ミュンヘン・フィルの颯爽と吹き抜ける風のやうな演奏、そして、
このバルビローリ/ハレ管弦楽団の演奏をベストスリーとしてゐます。

1966年(65年末?)の録音。
サー・ジョン・バルビローリの最晩年の録音です。
小生が愛聴してやまない、バルビローリのブラームス同様、美しいカンタービレを特徴とした、穏やかで慈悲あふれる演奏です。
勿論、ヴィーン・フィルやベルリン・フィルのそれには遠く及ばないものの、サー・ジョンが手塩にかけて育てたハレ管弦楽団の音色が好ましい。
艶には欠けるものの、精一杯の美しさがあります。
そして、冒頭の管楽器の導入から、すっかりバルビローリ節に引き込まれる。

この”修辞的でも、英雄的でもない(シューベルト/A・アインシュタイン)”
作者31歳の最期の時の旋律が、同時期のピアノ・ソナタと同様に、いつ果てるともなく、朗々と、浪々と、50代半ばにさしかかる小生の中に何の抵抗もなく流れ込んできます。
まだ桜も咲き揃はないこの時期、ある意味、このひそやかな演奏は、何にもまして身体と心の慰めになります。

主題が激しく変転してゆくわけでも、闘争するわけでもなく、あるひは、シューベルトは心の師ベートーヴェンのやうな曲を作りたかったのかもしれませんが、
かうして、短い生涯の最後に出来た渾身の大作は、どの楽章も、まるでハミングから生まれたやうに、優しく、穏やかな旋律が続いてゆくばかりです。

2楽章の、あの、野を駆ける音色の演奏も素晴しく、また、終楽章もこれ見よがしな強弱を避けて、けれど、堂々と50分強の演奏が終ります。

(顔写真は、ジャケットの一部から)