霜月へ、紅白 2005-10-31 | やまがた抄 慌しい日々が続いてゐるうちに、はや、神無月も終り、です。 庭先に、何か良いことがありますやうにと、紅白に色がついてゐました。 藪柑子が、早くも冬を感じたか、その実を紅く染め出してゐます。 これから、寒風をしのぎ、雪に埋もれ、その雪が融けだすまで小さな実を楽しませてくれます。 白玉椿は、毎年、11月に、二つ、三つ花をつけます。残りは、春です。 今年の寒さを試すやうに開き、そして雪を迎へます。
シェリング/オール・バッハ・コンサート 2005-10-28 | 古きテープから 1976.4.12 東京文化会館 (Vn)ヘンリク・シェリング (Pf)マイケル・イサドーア プロブラム:1,バッハ/ヴァイオリン・ソナタ第3番 2,” /無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番 3,” /無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番 4,” /ヴァイオリン・ソナタ第6番 5,” /” ” 第1番から「アンダンテ」 30年近くも前、シェリング58歳の時の来日公演。 決して、テープの劣化や時間の経過ばかりではないだらう、改めて聴いて見ると、 思ひのほか、ヴァイオリンの音色に艶がない。 一曲目のヴァイオリン・ソナタなどは、一寸心はずむ演奏には聞こへない。 けれど、有名なパルティータの2番になると、ソロになったせゐなのか、ホールの音響のせゐなのか、奏者のコンディションのせゐなのか、中音域に張りがでて来て その落ち着いた音色が、30分近くの曲を一気に聴かせるものになる。 終曲「シャコンヌ」は、光り輝く安っぽいビルとは正反対の、古色な建物のやうに、どっしりと光と影に彩られてゐる。 後半の、無伴奏ソナタの1番もまた、妙な美しさを求めない演奏です。 終章のプレストが素晴しく、全体の曲の創り方も、手中の演奏です。 ソロとデュオとの組み合はせとはいへ、全てバッハといふ重いプロブラムにも関はらず、ホールは熱い拍手で閉じられてゐました。 (写真は、LPのジャケットから借用)
カマキリの巣 2005-10-24 | やまがた抄 延ばし延ばしになってゐた、知人宅の庭木の選定をやっと済ませました。 カナメの生垣を済ませ、立ち木の方に回ると、カマキリの巣がありました。 ずゐぶんと、高い処に巣をつくり、今年も雪が多いかも、と知らせてゐます。 ここ山形では、秋も深まってくると、動植物の色々な変化で、その年の冬の雪の具合を推し量ってゐます。 例へば、カメムシの発生が多いと雪が多い、とか、カマキリの巣が高いと雪が多い、とかー。 科学的な根拠については、小生はよくわかりませんが、日に日に感性が鈍くなってゆく人間よりは、生きることに必死な昆虫達の色々な行動の方が、ある意味、確率が高いと思ひ、それでも、彼らの予想が外れることを願ってゐました。 小生が植ゑた二本のハナミズキが、葉と実を紅く染めてゐました。
モーツァルト/ピアノ協奏曲、を聴く 2005-10-22 | 音楽を 仕事で運転中に、鮮やかな演奏がFMから聞こへてきました。 モーツァルトのピアノ協奏曲の第9番。 聞き知らない奏者のものでしたが、斬新な演奏でした。 夜に、久しぶりに、その9番と、8番を聴きました。 アシュケナージの演奏で聴き始めましたが、一寸立派過ぎて、 マリア・ジョアオ・ピリシュの盤に変へました。 ピリシュが30歳頃の録音で(同時期の、ピアノソナタも素敵です!)、 溌剌とした、粒立ちのよい音色が素敵です。 20歳(!)のモーツァルトの曲によく合ひます。 「難し過ぎず、易し過ぎず、とても華やかで、耳に心地よく、自然で、空疎でなく、識者を満足させ、素人も満足する」と、モーツァルトが語ったといふ (神業のやうな理想!! そして、それを確立したモーツァルトの神業!!) ギャラントで、ため息のつくやうな美しい協奏曲、です。映画「アマデウス」にも 雰囲気を伝へるカットが幾つも出てきましたがー。 20番以降の、協奏曲の有難さは勿論ですが、初期や青年時代の協奏曲もまた、 世事を忘れるには充分なほど、とてつもない美しさに溢れてゐます。
ラ・フランス、を頂く 2005-10-21 | やまがた抄 近隣の果樹園の方から、ラ・フランスを頂きました。 いはゆるB品(落下したものや、小さな傷のあるもの)ですが、 見事に大きなものです(3Lか、4Lか?)。 周知のやうに、この果実は食べるタイミングが難しく、以前も送った人から、 「……」の感想でした。きっと、早く食べてしまったのでせう(笑)。 試しにと、小生も一個むいて見ましたが、やはり、「……」で、といふより、 殆んど、かをりもせず、甘みもなく、まだ「何これ?」といふ状態でした。 熟すのを待つしかありません。 ラ・フランスに限らず、初夏のサクランボや夏のスイカ、今頃のブドウと、山形の名産の果物は殆んどが頂き物で旬を味はへます。 山菜もさうですが、旬のものを味はふのは人間の生理に適ってゐるとかで、さういふ意味でも、季節のなかで生きてゆくことの大切さを感じるところです。
花は無くー/秋の野草園 其の弐 2005-10-20 | 花や樹や 花の季節は終りを告げ、間もなく来る雪の季節までの僅かな時間に、 木々や植物たちは、冬支度に大忙しのやうです。 山桜の紅葉 マユミの実 ? 名前を忘れた トリカブト 枯野
十月桜/秋の野草園 其の壱 2005-10-19 | 花や樹や 冬桜が咲いてゐました。 冬桜と云っても、この十月桜、他に師走桜、四季桜と色々ありますが、区別の基準がいまひとつ曖昧でした。 丁度居合はせてゐた公園の係員の方に、「これは八重でせう」と説明を受け、成る程と納得しました。 県南の長井市にある久保の桜(樹齢千年余)の横にも、冬桜があります。 以前、若い友人達にせがまれて、裸木の桜の古木を見に行った時がありました。 11月も中旬、まもなく雪も降り始めやうといふ冷たい風にさらされて、その冬桜は咲いてゐました。 確かに、あの桜は一重の桜、でした。 いずれも、江戸彼岸と小彼岸桜との掛け合はせだらう、とのことでしたが、 それにしても、何と過酷な定めを植ゑつけられた桜でせう。
ボケの実 2005-10-18 | 花や樹や 今、工事をさせて頂いてゐるお宅の庭先に、ボケの実が沢山付いてゐました。 家の方に「珍しいですね」と話すと、「何の花だったかな」と、老婦人が忘れたやうに笑ってゐました。 築100年以上のお宅で、茅葺き屋根の上に軽量の瓦を載せ、棟に堂々と戦国武将の家紋を入れてゐます。名門の、家紋でした。 そのあたりの話をすると、ご主人も興がのったやうに、色々な話をされました。 かつて、山形城へと通じる街道沿ひにあり、百年一日のやうな集落の中ですが、 古武士のやうなご主人の顔つきが、歴史に脈打った月日を雄弁に物語ってゐるやうでした。
秋の路 2005-10-16 | 神丘 晨、の短篇 「いつまで、かうして一緒に歩けるかしら?」 女は、男がカメラのシャッターを切り終はった時に云った。 「今年は紅葉の色が昨年より悪いな、冷夏だったせゐだらうか」 男は、さう云ふとカメラを提げた手を少し振りながら歩き始めた。 「いつまでかー。どちらかが死ぬまでだらう」 「あら、ここで死ぬ訳でもないし、それに私、あと十年もしたらこんな山路歩けなくなるわ」 「いいさ。私が車椅子を押してやるさ」 「無理よ。私も歳をとるけれど、あなたも同じ年月を過ごすのよ」 「さうか、すっかり忘れてゐたな」 「ばかね」 女は、男との、ざれ言のやうな会話を楽しんでゐた。 明日になれば、ばかばかしく思へる会話だった。 毎年、晩秋の山路を男と一時間ほど歩いた。 それだけだったが、女はいつもそこで秋に別れを告げ、その年に別れを告げてきた。 「さっきの話だけれどー」 女は、男の後姿に話しかけた。 「やはり、車椅子を押してでも連れて来てくれますか?」 男は、振り向きもせずに「いいよ」と云った。