やまがた好日抄

低く暮らし、高く想ふ(byワーズワース)! 
山形の魅力や、日々の関心事を勝手気まま?に…。

黙阿弥、を読む2 -河内山と直侍-

2006-05-03 | 本や言葉

『天衣紛上野初花』(くもにまごふうえののはつはな)


黙阿弥、最晩年の作品です。
明治14年の初演。
黙阿弥66歳。


それまで、かたくなに座付作者としての、職人としての腕をふるってきた彼は、
それまでの座付作者としての名前、二代目河竹新七の名を棄て、河竹黙阿弥と称して一線から身を引いてしまふ。

何があったのかー。

いはゆる明治維新であり、薩長政府の強引な欧化主義の促進。
歌舞伎の世界にも、それは無縁ではなかった。
江戸であった時代は、まだ、十数年前のこと。
晩年の黙阿弥の姿を追ふと、時の政府に、如何にも窮屈に対応してゐる姿が浮かびます。流行の洋服(フロックコート)にも一度だけ袖を通し、以後着ることもなかったと云はれてゐます。

田舎者の、木っ端侍どもがのし上がってー。

黙阿弥のシニカルな苦笑ひが浮かんできます。

そして、彼は、江戸情緒たっぷりの大作の生世話物を書いて引退を決める。

名題も幾つか生まれた。

「雪暮夜入谷畦道(ゆきのゆうべいりやのあぜみち)」

「忍逢春雪解(しのびあふはるのゆきどけ)」

前者は、ラストシーンの場に依るものであり、後者はそのシーンで使はれる清元の浄瑠璃に依る。以前、歌舞伎座に掛かってゐたのも前者でした。

大長編ですので、かなりカットされたものでの公演が多いやうです。


明治に入ってからの黙阿弥は、台詞廻しにも以前のやうな歯切れがなくなり、この作品も河内山宗俊(数寄坊主)の小気味よい悪党ぶり、そのタンカのよさはあるものの、全体には詩的な情景が素晴しい。
特に、御家人くずれの遊び人、片岡直次郎と吉原の遊女三千歳とのシーンは限りなく憧憬に近いやうな美しさです。



「まう此の世では、逢はねえぞ」

追っ手の迫る雪の入谷へ逃げる直次郎の棄て台詞に、三千歳は満腔の思ひで別れる。



小生は、この三千歳のキャラクターがこの作品の白眉だと思ってゐます。
三千歳の、勁(つよ)い姿が限りなく美しい。

小悪党の直次郎を何があっても守りぬく、といふ三千歳の毅然とした姿は、闖入者のやうな薩長者に対しての、黙阿弥の、江戸文化への静かな抵抗の表れだったのかもしれません。





(台詞は、名作歌舞伎全集/第14巻/東京創元社、より)
(写真は、歌舞伎ー女形/新潮社、より)