やまがた好日抄

低く暮らし、高く想ふ(byワーズワース)! 
山形の魅力や、日々の関心事を勝手気まま?に…。

おほつごもり、です

2007-12-31 | やまがた抄


大晦日、雪の朝、になりました。

買物も済ませ、家の掃除やワックスかけも終はり、
玄関の飾りも掛け(本当は、一夜飾りになってしまふのですが…、まま、よしにしませう)、
おほつごもり、です。

たいしたことのなかった一年でしたが、
夜の蕎麦を待ちながら、こころ静かに、新しい年を迎へるとしませう。


来年は、ねずみ年、とか。
先頃、子供達が遊びに出かけたTDLの土産は、ミッキーの達磨、でした。
明日は、この達磨に、餅を飾ることにしませう。






日帰り温泉に…

2007-12-16 | やまがた抄




最近、歳のせゐか、手足が妙に冷え、温めに寒河江の温泉に行ってきました。
寒河江花咲か温泉ゆ~チェリーです。

以前にも行きましたが、二種類の内湯と、最上川を望む露天風呂を堪能でき、
600円で3回まで入浴可の広間の場所がとれ、まだ新しい施設ですので、
ここはやはり、結構お得、です。

寒いながらも、雪見風呂は、最高です。

HPも出来たやうなので、ご紹介してをきます。
こちらです。

マーラーの映画…

2007-12-10 | 映画雑感


先日、DVDで、ケン・ラッセル監督の『マーラー』をみたのですが、とてもつまらない映画になってゐました。(ラッセルのマーラーについては こちら )

俳優さんもよく似てゐて、マーラーの神経質な感じをだしてゐたのですが、それでも、如何にもエキセントリックなマーラー像になってしまってゐて、
確かに、さうではあったのでせうが、グスタフ・マーラーは、破天荒で、土俗的で、感傷的な音楽も書いたのでせうが、一方では、かのヴィーン国立歌劇場のトップであり、それなりの図太い運営感覚もあったはずです。
(歌劇場のマネイジャーとは、つねに喧嘩してゐたらしいですがー)

それゆゑに、疲れ傷つく姿が見えてこない。
マーラーを扱ってゐながら、マーラーが描かれてゐない。

そして、後日、口直しのやうにヴィスコンティの『ヴェニスに死す』をみました。

映画としても、とびきりの名作、でせう。
まう、幾十回みたことでせう。
ずゐぶんと以前、映画館で見たとき、クレジットが終り、夜明け前の闇の中から、5番のアダージェットとともに浮かび上がる一隻の船の姿に、腰がぬけるほど感銘した名シーンから物語りは始まります。

マーラーがモデルだとされるトマス・マンの小説を、ヴィスコンティは、全篇に3番と5番の音楽を使ひながら、主人公アッシェンバッハの姿に、見事にマーラーの姿を映し出してゐる。
もちろん、映画のやうに、マーラーは美少年をストーカーする、老いて化粧までした老作曲家ではなかったでせうが、
自分では無調音楽を書けないけれど、弟子達のその音楽理論で激しく攻撃されながらも時代の流れの大きな防波堤になり、娘の小さな棺に泣き崩れ、歳の違ふ妻を大切にしてゐた(それらの説明は、ほんの数分のカットなのですがー)。

きっと、ヴィスコンティはマーラーを描いたのではなく、豪華な背景の中に、うつろひ、消へ行く退廃的で絶対的な美しさ、みたいなものを描きたかったのでせうが、その本質的なところがマーラーの一部をえぐりだしてゐるのでせう。



ピーター・ゼルキンのバッハ

2007-12-04 | 音楽を


バッハのゴルトベルク変奏曲のディスクは、さう多くは持ってゐません。
チェンバロ盤では、レオンハルトとリヒターくらゐだらうか。
ピアノ盤では、グールドとケンプくらゐだったかー。
それらで、いつも、充分でした。

ピーター・ゼルキンのピアノのディスクを聴きました。
1994年の録音。
確か、当時、評判の高かった演奏です。

とても、よい演奏です。
出だしのアリアは、グールドのやうにきはめてゆっくりと始まり(当然のやうに、終楽章もゆっくりと終りー)、粒立ちのそろったピアノの音色とともに、軽やかに変奏が続いてゆく。
その45分ほどの時間に身をまかせることの、なんと至福のひと時かー。

天才的といはれたピーターですが、若い頃はメシアンや現代音楽への取り組みが多く、小生はほとんど聴いてゐません。
あるひは、きっと、余りにも偉大だったピアニスト、父ルドルフ・ゼルキンとの精神的な確執があったのかー。
(ルドルフ・ゼルキンも、小生の好きなピアニスト、です。
 あの、何と、朴訥としたシューベルト!
 あの、田舎の建具職人のやうな、無骨なモーツァルト!!)

それでも、その父が1991年に亡くなり、その数年後に録音されたこの素晴しいバッハは、ある意味、50歳を間近にした、ピーターの父への告別とたむけの演奏だったのかも知れません。

クリスト…

2007-12-02 | 雑記


朝日新聞に、クリストの近況を伝へる記事が載ってゐました。

現在来日中とのことで、新たなプロジェクトを構想中で(それも、二つも!)あるといふ。

以前から、クリストの仕事は好きで、といふより畏怖し、驚嘆してゐますが、
小生、幸ひなことに、日本では最初で最後だらうといはれたアンブレラ・プロジェクトを見ることができました。
1991の秋、でした。

写真は、そのアンブレラに使はれた布のチップで、ブルーが日本用、黄色がアメリカ用のものです。
尊敬してゐる先輩に頂いたもので、大切にしてゐます。(仕事の鞄に入れてゐたら、少しシワになってゐました…)

アンブレラ・プロジェクトも、その先輩と見に出かけたのですが、確か、台風の風の余波が収まらない時で、巨大な傘はかなりの本数がたたまれた状態でした。それでも刈り取りの終った田園地帯に、あるひは川の中に、忽然と開いてゐるブルーの傘に出会った時は、まったくの異次元体験で、それを生じさしめたクルストといふ芸術家に、ある意味、とても感謝したのを覚えてゐます。

アンブレラ・プロジェクトのサイトがありました。
こちらです。