やまがた好日抄

低く暮らし、高く想ふ(byワーズワース)! 
山形の魅力や、日々の関心事を勝手気まま?に…。

山茶花

2005-11-26 | やまがた抄




時雨の晴れ間を待ってゐたやうに、山茶花が一輪咲いてゐました。
まだ、ナナカマドの紅葉も残ってゐます。
毎年、だまされたやうに残りの花が咲き出す頃、
雪が降って、無残に花を散らします。




2階の東側の窓から、蔵王が姿を見せてゐました。




近くの国道からも、すっかり冠雪した蔵王の山容が望めました。






ゼルキンのモーツァルト

2005-11-25 | 音楽を
仕事場を移転することにしたので、
慌しく時間に追はれてゐます。

小物を運んでゐる最中、車内ではルドルフ・ゼルキンのモーツァルトを
聴いてゐました。

第21番と第23との組み合はせ。
1982年の秋、ゼルキン79歳! の時の録音。
バックは、クラウディオ・アバド指揮のロンドン交響楽団。

アバド指揮のロンドン響が、いまひとつ面白くないけれど、
ゼルキンのピアノは、硬めの音色ながら、ひととき時間を開放してくれます。
まったくに無骨といふやうな演奏で、華やかさや流麗感は微塵もない。
よもや、そんなものは自分には必要ない、と云はんばかりの演奏です。

モーツァルトのピアノ協奏曲として、それほど話題にあがったこともなかった
やうに記憶してゐますが、それでも、一連の録音の第27番とともに、
ときをり聴く彼のモーツァルトは、ウム、と黙り込んでしまふほどに、
冬へと向かふ季節にモノトーン的な演奏で小生を救ってくれます。



初冬の公園

2005-11-23 | やまがた抄







天童市にある県総合運動公園のプロムナード、です。
バイパスから見た銀杏の色が鮮やかだったので、写真を撮ってきました。

国体の為に創られた人工的な公園ですが、10年以上も経て、最近やっとその
”人工臭さ”が抜けてきました。

ベンチも同様で、絵になってきました。










時雨の後 

2005-11-22 | やまがた抄







雪の季節の前の、見も世もないやうな、冷たく心細い雨が続いてゐました。
久しぶりの晴れ間から、すっかり冠雪した月山と葉山(共に、山岳信仰の対象になってゐる山で、山形の文化に深く関わってゐます)が姿を見せてゐました。

所用が重なってゐて、すっかりブログを書く時間がなくなってゐます。
今しばらくで、落ち着くのでせうがー。
(´ヘ`;)とほほ・・






ブラームス/弦楽六重奏曲第一番

2005-11-17 | 音楽を
先の、ピアノ三重奏曲に続く、室内楽の第二作。
1860年、ブラームス27歳の時の作品。

アマデウス四重奏団に、C・アロノヴィッツのヴィオラと、W・プリースのチェロが加はった演奏で聴く。

ある意味、ブラームスの室内楽では有名な曲、です。
第一楽章、冒頭のヴィオラのさざめく旋律で曲は始まり、牧歌的な、穏やかな曲想が広がってゆく。まだ、大きな曲に自信をもって手を染めることが出来なかった当時のブラームスの、ためらひのやうなものが、それでも、充分にスケールの大きい広がりをもってー。

有名な第二楽章も、ヴィオラの哀切なメロディで始まる。
ルイ・マル監督の「恋人たち」で、確か、主人公の女(ジャンヌ・モローの、何と退廃的で、美しい演技!)の不倫相手? の青年がダンスを始めるためにラジオを付けると、薄暗い部屋にこの曲が流れてきた、と記憶してゐます。

それよりも、このたび、ブラームスの年譜を見てゐたら、完成の年の夏に、未亡人クララとヴァイオリニストのヨアヒムとでライン旅行をしてゐます。
甘く、切ない、憧れをもったメロディは、船上で河風を受けながら彼方を見やるクララの横顔を、覗き見るやうにしてゐたかもしれないブラームスの、外に出せない秘めた想ひのやうなものが感じられて、これでよい、と納得したブラームスが9月に完成の楽譜を公開したのかしらん、と勝手な想像を膨らませました。


初冬の寺へ

2005-11-15 | やまがた抄

ずゐぶんと久しぶりに、山形市内のお寺さんを訊ねました。

数年前に御住職が亡くなり、その奥様が小生等のあるグループの”後見人”のお寺さまです。
久しぶりの邂逅に、四方山話が尽きず、一緒に伺った友人も小生も含めて、色々と荒れ模様の一年だったやうで、それでも、来年の桜を御誘ひしながらいとまをしてきました。

小生の好きなそのお寺さまの庭先を幾つか撮ってきました。






















平地にも、雪の予報が出始めました。




冠雪

2005-11-11 | やまがた抄

晩秋の雷が鳴り終はったら、山は雪を頂いてゐました。




西の空に、月山、です。



東に、蔵王連邦の北の峰が見へます、


間もなく、平地にも白いものが舞ひ降りてきます。
それまでの間だけでもと、知人宅の庭先で、山茶花が花を開いてゐました。




ブラームス/ピアノ四重奏曲第1番

2005-11-10 | 音楽を
イェルク・デムスのピアノ、バリリ弦楽四重奏団員による、1956年録音のモノラルの名盤で聴く。

ブラームス、28歳の時の作品。
師と仰いだシューマンが、投身未遂と神経障害の果てに没してから5年。
ひそかに夫人クララを慕ひながらも、長大なピアノ協奏曲第1番の初演に失敗し、
アガーテとの婚約も破棄され、故郷ハンブルクにひきこもったブラームスの、
本格的な創作活動の再開は室内楽からだった。
彼の交響曲第1番は、はるか15年ののちである。

曲の冒頭、ピアノに続いて弦がなぞるメロディが幾度も出てきて、すぐにブラームス節に聴きほれてしまふ。
如何にもブラームスらしい、中音域の豊かな響きが素晴しい。

人なつっこく、ぬくもりのある旋律を織り込みながら、曲は進んでゆく。
悲劇的な曲想と、甘味なメロディが混在して、まだ青年といってもよいブラームスの、既に名の売れてゐたピアニストではなく、作曲家として名を馳せたいといふ意気込みが感じられて、晩秋の夜に聴くには、如何にも似つかはしい一曲、です。


冬隣り

2005-11-09 | やまがた抄

所用で、福島へ出かけました。

時雨の降り続く一日ででしたが、県境の栗子峠付近は紅葉の仕舞ひを見せてゐました。




昨日からの荒れた天気で、山の頂には白いものが見へ、冬隣りの季節、です。





時折の晴れ間には虹が掛かり、運転をひと休み。




米沢を通って帰るので、折角だからと、郊外の「普門院」に寄りました。
米沢藩主、上杉鷹山が自らの師を迎へ、再会のひと時を過ごした場所です。
以前から、小説家の先生に「よい処だよ」と云はれてをり、秋の季節にと思ってゐましたが、見る季節は過ぎてしまったやうで、その美しい朱塗りの山門は見事でしたが、茅葺きの本堂はすっかり雪囲ひが済ませてあって、来年の春か、再びの秋にでも、ときびすを返してきました。





時雨に濡れた葉が、鮮やかにこの秋最後の色を見せてゐます。




「空木」

2005-11-08 | 神丘 晨、の短篇
   3

「少し遅くなったけれど、恒例の芋煮会をしましょうよ」
 仕事仲間の北村澄子から電話があった。十月も末になっていた。
九月の半ばから十月の中旬にかけて、馬見ヶ崎川の河川敷には朝早くから色鮮やかなシートが敷かれ、数多くのグループが場所の陣取りをしていた。さすがに十月も下旬になると、その姿を見かけるのもまばらになった。鍋や酒の温かさより、川原をなめてくる風に冷たさが増してきた。千都子も数年前の芋煮会で、鍋も程々に蔵王の温泉に浸かりに行ったことがあった。
 千都子は、駐車場に車を止めると腕時計を見た。十一時になったばかりだった。朝のうちに空を覆っていた低い雲はなくなり、小春日和のような天気になっていた。正面に見える山は、松の緑と最近増え始めている落葉樹の紅葉が相半ばして、なだらかな姿を見せていた。
 十二時には河原の駐車場に集まってください、という北村の電話だった。十時に入れたお客との打合せは三十分で終わってしまった。増築の仕事だった。来年の春には工事をしたい、とのことで夏から打合せを進めていたが、親の具合が悪く、しばらく延期したいと言われた。千都子は、フロントガラスの正面に見える山をぼんやりと見ていた。
―マーラーの交響曲第二番〈復活〉より、本日は時間の関係で後半部分をお届けします。第四楽章「原光」と終楽章です。
 説明が終わると、車のラジオから厚い弦の響きに乗って女性が押し殺したような声で歌い始めた。歌詞も言葉も解らなかったが、何かせっぱ詰まったような歌い方だった。その声が、千都子を説くように音楽は少しずつ規模を広げていった。
 CDを買ってみようかしら、と思いながら、目の前の景色がいつもと少し違うような気がした。
 車を降りて辺りを見回した。再び目の前の生垣をみて「あら」と小さく声をあげた。
駐車場を囲うように伸びていたタニウツギがほとんど切られていた。一部は撤去され、代わりにツツジの株が既に用意されていた。
千都子は、腰ほどの高さに切られた生垣の前で、その切り口を見つめた。
いつだったか、友人たちと山菜取りに行ったときに、タニウツギの花を取ってきた。枝垂れる枝に、鮮紅色の鮮やかな花が幾つも付いていた。家の駐車場からその枝を持って玄関に向かうとき、隣りの老婆が大声を上げた。
「染井さん、何を持ってきたのや!」
 老婆の濁った眼は、千都子の右手をじっと見ていた。白内障を患っていると聞いていた。
「えっ? 何って、山でワラビを少しー」
「なぐって、その花よぉ」
「花? ああ、山の斜面に咲いていたから、少し頂いてきました。元気がいいから、事務所にでも飾ろうかと思って」
「そだな花、家に持ってくるものでない。それは縁起が悪い木だ。その花を家に入れると、その家が火事になる。あんたの家は燃えてもいいかもしれんが、おらィの家はいい迷惑だ」
 老婆の突然の言葉に、千都子は手に持っていた枝を地面に落とした。
 翌日、会社で植物図鑑を調べた。確かに一部の地方では忌み嫌われる風習のようなものがある。幹が一部空洞のようになっているので、骨拾いの箸や、死出の旅人の杖になる、といわれているところもある、と書かれてあった。
 あんな話はただの迷信だ、と千都子は幹の切り口を見つめながら思った。数センチほどの太さの幹の中央部に、白い発泡スチロールのようなものが詰まっていた。
 公園と道路の間に幾種類もの木が植えられていた。桜の木や、椿が多かった。気をつけてみると、ウツギの横の椿が枯れかかっていた。細長く伸びた枝先に、小さな葉をつけていた。花芽はひとつも無かった。
 きっと生命力の強い木なのだろう。だから公園を管理している役所も、伸び放題にならないツツジに切り替えたのだろう。
 こんなに切られても、きっと直ぐに枝を伸ばしてくるわ。
 千都子は、切り口を上に晒したウツギの姿を見ながら、春先に勢いよく伸びていた枝の姿を思い出した。こんなに切られても、きっと見る間に隣りのツツジを駆逐してしまうに違いない。
 芹沢が、アワダチソウという外来種の草の話をしていたのを思い出した。道路沿いで見かける雑草だった。外来種特有の旺盛な繁殖力の元が、根から出る分泌物なのだと言っていた。しかし、回りの草々を駆逐してしまうと、今度は自らの分泌物で中毒をおこして自滅してしまう、と言っていた。
「見事な生きざまね」
 千都子は、芹沢の話を聞きながら、感心した様に言った。
 ウツギという名前にどういう字を当てたのか、千都子は思い出せなかった。辞書で調べるのは味気ないと思った。やはり、芹沢に会って聞きたいと思った。
 今は、それでいいと思った。河原の方から名前を呼ぶ声が聞こえて、千都子は振り向いた。

                                    完