やまがた好日抄

低く暮らし、高く想ふ(byワーズワース)! 
山形の魅力や、日々の関心事を勝手気まま?に…。

マイナス4キロ?

2012-03-31 | 大岡山界隈


昨年末から我が家は玄米食で、すでに四ヶ月ほどー。

ずゐぶん以前に玄米の時期もありましたが、確か半年ほどで止めてしまったのですが、今回は家人や娘はダイエットのため、小生は健康のため、とベクトルが一致してゐますので、そして、白米とハーフ&ハーフにしてゐるので意外に食味もよく、毎日美味しく食べてゐます。

そして、先日、洗面台の体重計に載ったら、マイナス4キロになってゐる!?
そんなに効果があるものなのか! と喜んで、いや、そんなに急に体重が落ちるのはもしかしたら癌ではないかしらん? と怪訝に思ってゐました。

一週間ほど前、日帰り温泉に行き、そこで体重を量りましたら、なんのことはない、マイナス2キロ、でした。
妥当な数値で、おそらく我が家の体重計が不良なのでせうが、それでも、確実に減量になってゐたのには(数ヶ月ウォーキングをしても、1キロも痩せなかったものがー)、いたく満足ー。
先日の救急患者以来、すっかり油ものや間食を控へてゐることと相まって、以前のベスト体重まで、あと2キロ、です。

ふきのたう

2012-03-29 | 大岡山界隈


昨年の愛犬の死から、続く深い雪の季節に見舞はれ、皆が心配してゐた事態になりました。

老母がすっかり出不精になってしまひ、幾度か病院へも行きましたが、特段これといって悪いところもなく、精神的なものです、との診断ー。

小生も家人も、ことあることに散歩や外出を薦めてきましたが、すこし暖かくなって、やっと腰をあげ、畑の隅からふきのたうをひと握り採ってきました。

深い雪に閉ざされてゐたせゐか、とても色鮮やかなふきのたう、です。

早速に、テンプラにして、この春一番の苦味を身体にいれる。

在京のころから山菜は好きでしたが、山形に移住して、春の山菜の意味を深く知りました。
食味としての山菜はもちろん美味しいのですが、鳥や獣と同じやうに、ヒトもまた、冬の間に身体に溜まった毒素を払拭するために、苦味のある山菜を摂るのだといふ。ケモノとしての人間のDNAなのだといふ。

わが老母には、すっかりと毒素が溜まってしまったでせうから、山での山菜取りはまう無理でせうから、山間の山菜料理店にでもつれてゆくつもりです。


ご苦労さま、と …

2012-03-25 | やまがた抄


町内会の、小生らの住む地区だけの”ご苦労慰労会”がありました。

まあ、考えてみれば、組長にしても、会計にしても、勿論区長も、すべてボランティアですので(当町内会はー)、年度末の1席があっても至極当然のやうな気もいたします。

町内にある、”ふぐ料理屋さん、で…”!!といふことで、内心ワクワクとして出掛けたのですが、場所は確かにふぐ料理屋さんでしたが、予算の関係で、お膳はほとんど、ふぐ無しでした(残念ー)。

それでも、メンバーの親戚の店だといふことで、膳はとても豪華になってゐて、床の間の飾りとともに、大満足の数時間、でした。

これにて、お役御免となります。



春分の候

2012-03-23 | やまがた抄


途方にくれるほどあった雪も、数度の雨と、数回の南風で、北側や日当たりの悪いところ以外はすっかりと消えはて、道路沿ひの田んぼもぬるみ出し、店先には、商魂たくましく、花が一斉に咲き始めました。

なるほど、彼岸の候、です。

自然の摂理は、偉大です。

隣り組

2012-03-21 | やまがた抄


小生、今期は、隣組の組長でして、その年度末の参月は、集まりの多いことー!。

予定されてゐた会合も、土日がらみで都合5回。
昨日は、午前中が町内会全体の総会と、夜は収支報告と次年度への引き継ぎと、続く飲み会。

今週末の関連役員の”ご苦労会”が最後になるやうですが、たかが組長でもこの大変さですから、町内会の役員などしたら、まったく大変でせう。

でも、よくも悪くも、この小さな組織が、災害時には大いに役立ってゐたといふ事実を東日本の震災で知りましたから、おろそかにはできません。

そして、引き継いだ隣家の方から、”悪いけんど、4月の花見の回覧と、集金簿の表を作ってくれねぇべか?”と頼まれ、早速PCにあった昨年分を修正して持ってゆくと、御礼にと、丁度収穫してゐたハウスのホウレン草をドッサリと頂いた。

今は、葉物がとても高いので、喜んで頂く。

悲しい映像…

2012-03-19 | 音楽を
TCHAIKOVSKY - Symphony no6 (Pathetique) - Herbert von Karajan & Wiener Phil


先日、県立図書館に行ったときに、DVDコーナーで、小生、何を思ったか、カラヤンの演奏DVDを借りてきました。

ずっと以前から一列鎮座してあるもので、ソニーで出してゐたカラヤンの遺産といふシリーズで、その中からヴィーン・フィルとのチャイコフスキーの4番、5番、6番の演奏。

実はCDでは、5番と6番が棚にあり、その驚異的な、ノーテンキなまでに美しい演奏は、ある意味、カラヤンの美学そのものといった演奏で、彼のメンデルスゾーンやグリーグ、シベリウスなどとともに、たま~に聞きたくなる演奏です(間違っても、バッハやブラームスやマーラーは聞く気にはならないのですがー)。

でも、やはり! 途中で嫌気がさしてしまひました。

カラヤン独特の、ピッチの少し高い音色は、勿論、チャイコフスキーの旋律の美しさを十二分に表現し、おそらくこの先もこんなに美しい演奏は出現不可能なほどのものです。

でも、その演奏映像のなんと貧しいことー!

生涯に300を超えるディスクを出し、DGのクラシック部門の1/3を売り上げてゐたといふ彼は、ビジネスでもまさに”帝王”でした。

演目の指定や、ソリストの指定も、好きなやうに、自由にできたさうです。
有名な話ですが、映像でも、彼を撮る位置や角度を細かく指定し、カットや編集を繰り返し、彼にすれば、完璧なまでのものを作ったのでせうが、その死から20年以上経った今その姿をみると、とても悲しい想ひにさせられる。

何よりも、カラヤンの意思のままに”オレが! オレを!!”といふ映像を残さざるをゑなかった、それに甘んじて撮影したスタッフの意地も何もない悲しく貧しい映像を、天邪鬼の小生は、まったくつらい思ひで見、そして、頓挫しました。


『マーラーの交響曲』

2012-03-17 | 本や言葉


金 聖響氏、玉木 正之氏による、『マーラーの交響曲』(講談社現代新書)を読む。
『ベートーヴェンの交響曲』、『ロマン派の交響曲』に続くもので、次はモーツァルトらしい。

このシリーズは、金 聖響氏が指揮者の立場からそれぞれの交響曲の面白さを語るもので、妙に片意地張ってゐない、でも、”譜面を買って読んでほしい!”といふ金氏の熱い言葉が、全篇に漂ってゐて、もちろん、かなり専門的な話もあります。

特に、今回のマーラーは、彼自身が神奈川フィルと全曲演奏を敢行してゐる最中での出版といふことなので、特に語り口が熱い!

また、3.11の翌日、3.12に6番の『悲劇的』を演奏する予定だったとかで、先だってのハーディング/新日本フィルのエピソードも生々しく盛り込まれてゐます。

今回特に興味がわいたのが、金氏が、8番《千人》、《大地の歌》、そして9番を続けて聞くと面白い、といふくだりで、おそらく4時間ほどになるでせうが、今、新たな演奏会の動画を見つけて1枚のDVDに落として聞くつもり、です。

さうすることで、マーラーの宇宙が、野望が、希望が、絶望が、足掻きが、何よりもアルマへの必死の愛が、わかるといふのです。

3.11 マーラー

2012-03-14 | 雑記


久しぶりに行った県立図書館の中庭は、まだ雪がタップリでした。
でも穏やかな日差しが降り注いでゐて、春の近さを実感します。

3.11も無事に過ぎて、当日、色々な番組が特集されてゐましたが、ほとんど見ませんでした。
(どの局も、前日までは、素っ頓狂な芸人番組ばかり流してゐたのに、当日は、朝から神妙な顔つきをして…)
ただ、二時半過ぎの式典の模様だけ少し見ました。
役人が書いた(のかしらん)やうな首相の言葉は、ほとんど説得力も感動もなく、逆に、天皇の言葉の方が、低い目線で、自分の言葉で語られてゐて、素直に心に入ってきました。

先日、NHKで興味深い番組を流してゐました。
あの震災の当日の夜! 、墨田区のホールで、ダニエル・ハーディング/新日本フィルに依る演奏会が決行された、といふ。

主催者側は、建物とお客の安全を確保して、一人でも来られるのならと、決行したといふ。
結果的には、93人のオーケストラと、105人の聴衆ー。
演奏されたのは、マーラーの5番の交響曲。

その演奏の模様は、施設側で録画された定点カメラの録画で見られました。
異様な雰囲気の、異様な恐怖と緊張感に包まれた演奏会の模様ー。
番組の放送がこの時期だったのは、1年といふこともあるのでせうが、わずかな聴衆の方々の承諾にも時間がかかったやうです。
その時には、まだ福島の原発の事故は報じられてなかったはずですが、津波で死に行く人々がゐるなかで、”音楽なんて、聴いてゐてよかったのか?”といふ自問を納得させるのに、1年がかかった人が多かったやうです。

けれど、その極度の緊張感に包まれた演奏は、奏されたマーラーにこそ相応しいものだったやうな気が致します。





3.11

2012-03-12 | やまがた抄


東京へ出張に行った娘を迎へに、山形駅に行く。

東京や仙台ほどではないけれど、人工の光にあふれてゐる。

一年前は、漆黒の闇になり、家族そろって身を寄せ、湯たんぽとペットボトル湯たんぽを大量に炬燵の中にいれ、余震に脅へながら朝を待ったことが思ひ出されます。

すでにあの時、きっと、1万を越ゑる人々の命が奪はれ、満たされないままに、天空をさまよってゐたのかと思ふと、やりきれない思ひです。

涙雨が、涙雪に変ってきました。

Brahms - Ein Deutsches Requiem, Op. 45: I. Selig sind, die da Leid tragen (Part I)

2012-03-10 | 音楽を
動画で、ヘルベルト・ケーゲルの『ドイチェ・レクヰエム』を見つけてしまった。

Brahms - Ein Deutsches Requiem, Op. 45: I. Selig sind, die da Leid tragen (Part I)


ケーゲルのCDは、ベートーヴェンの交響曲の演奏が2枚ほどあったはずだったが、すごくクセのある演奏で、さほど感銘した記憶もなく、棚の後ろに後退してゐた。

しかし、もともと合唱の指揮者だったといふことで、その後、モーツァルト全集のミサ曲での演奏にウロコが数枚こぼれ落ちた。

全集のミサ曲を集めた巻では、ケーゲル/ライプツィヒ放送管にてミサ曲やミサ・ブレヴィスが演奏され、大曲のハ短調ミサ曲とレクヰエムはカラヤンによってゐますが、圧倒的にケーゲルの演奏の方が素晴らしい。

モーツァルトの初期や中期の演奏としては、余りに深く、余りにえぐるやうな演奏ですが、カラヤンの、ヌメッとした演奏よりは、はるかにマシ、です。


そして、件のブラームスのドイチェ・レクヰエムですが、やはり! 振幅の巾の大きい、穏やかさとはかけ離れた、彫りの深い演奏になってゐました。

この、華々しいドイツ統一の後、東ドイツの運命を憂ひ、また、自らの運命に絶望して、70歳でピストル自殺した指揮者の、生きるよすがを託したやうな演奏です。
(彼からすれば、ナチ党員であったにも関はらず、戦後の混乱をうまく切り抜け、謹慎を装ったあと上手にレコード会社に擦り寄り、名門ベルリン・フィルのポストも手に入れ、金と名誉を充分に手にしたヘルベルト・フォン・カラヤンなどといふ指揮者は、歯牙にもかけない人物だったのでせうー)