やまがた好日抄

低く暮らし、高く想ふ(byワーズワース)! 
山形の魅力や、日々の関心事を勝手気まま?に…。

最上三十三観音/第30番/丹生村観音

2009-09-12 | 出羽百観音、を訊ねる
すでに薄ら寒くなった尾花沢の札所をいくつか訊ねた。

老いた旅の僧が、聖観音を地元のひとに委ねてこの地で亡くなった、といふ逸話を残してゐるといふ丹生村観音を訊ねる。

山形県の北部、実り間近の田園風景が妙にうら寂しいところに車を停めて、細い道を上る。

階段を登りきると、木立の中から澄んだ声が聞こへる。
数十人の婦人たちが、堂の中で御詠歌を詠んでゐた。

小生とは違って、まさに、観音堂が祈りや信仰の場所であることに、しばしその声に時間を忘れる。



















最上三十三観音/第三番 千手堂

2009-08-22 | 出羽百観音、を訊ねる
サークルで一緒になった作家志望の女性が、時代小説を書き、この千手堂の周辺を描いた美しいシーンがあった。
作品としては、後半が破綻してしまって、先生に「ダメですねぇ」と批評されてゐたが、小生はそのシーンが好きでした(おそらく、近くにお住まいなのかもしれません)。

山形市北西部の田園地帯の杉木立のなかに、雹として存在してゐる。
最近整備されたのでせう、参道の石畳が新しく、よく手入がされてゐるところです。

「義経櫻」と書かれた、朽ちる寸前の櫻がありました。
来春にでも、一寸覗いてみたいものです。

幸せなことに、堂内も開け放たれてゐて、その天井には天女が舞ひ、また、大きな池には蓮が満開で、まさに、浄土のさまでした。




















最上三十三観音/第二十番 小松沢観音

2009-08-13 | 出羽百観音、を訊ねる
村山市の山深いところに、この観音堂はある。
昔はさぞやー、と思ふ深山の中である。


今では、小型車は入れるほどの道があり、不動明王が迎へてくれる。













山門には、名物の大ワラジがかかり、
一寸漫画チックな仁王達が守ってゐる。
(確か、この街のワラジが、浅草の大ワラジとして奉納されてゐたはずです)











境内は人ひとりをらず、蝉時雨のなかに、逝った者と、これから逝く者との会話が錯綜する。
手入も行き届いてゐて、こころ安らかになる場所でした。









置賜三十三観音/第十番、宮ノ観音

2009-07-27 | 出羽百観音、を訊ねる
置賜方面に出かけて、ふと思ひついて行き当たりばったりに訊ねる。

県内でも有数の神社のすぐ横にあるとはわからず(ここの神社のHPは、大将軍のスケジュールでいつもお世話になってゐた! 山形では、大将軍への畏怖が脈々とあり、県外の方は”それ、何?”と驚く!)

神社の方が有名なせゐか、観音堂も存在するだけといふ感じで、なにかすがるやうなものは漂ってはきませんでした。
が、とても美しい神社の姿に歓心しきりです。

















置賜三十三観音/第十四番置霊観音&番外亀岡文殊観音堂

2009-07-13 | 出羽百観音、を訊ねる
過日、同じ日に訊ねた観音堂。

第十四番置霊観音

大きな山門の姿は見知ってゐましたが、初めて訊ねる。

お寺様は大きなもので、写真を撮ってゐると、墓参の檀家らしき方が
「何処からござった?」と聞く。
「山形市、ですがー」といふと、「ほう、山形から写真撮りにー。ここはそんなに有名な寺かー!」と驚き喜んでをられた。

境内の入口に菩提樹の樹があり、強く甘いにほひが風にながれる。また、沙羅の花も咲き、ひとつの物語が演出されてゐる。

観音堂は整備されたばかりらしく、妙に立派でしたが、雪深い地での数多のひとの願ひを一身に受け入れてきたことを思ひながら、静かに手を合はせる。




















帰路に、横の道を通ったので、亀岡文殊、を訊ねる。
あるところで、番外としてゐたので、その興味もありました。

日本三文殊のひとつで、南東北では学問祈願の場所としてつとに有名です。

小生の子供達が社会人になるまでは、初参りの場所でした。また、受験時の祈願でも訪れたところです。十回以上は来てゐるでせう。

風情、風格のある場所で(参道部分の出店の商売も凄いですがー!)、夏も冬も絵になるところです。

小生は特に、坂の途中にある羅漢像群がすきで、色々なものを持った修行僧の表情豊かな姿に、成る程と感心しきりです。
















置賜三十三観音/第1番上小菅観音

2009-07-05 | 出羽百観音、を訊ねる
新聞にハーブが満開!と載ってゐたので、初めて置賜地区のハーブ園を見に行ったのですが、(予想の範囲で)ひどくショボいところで、がっかりして名物の塩羊かんも買ひ忘れ、急遽、近くの観音まゐりに変更。

米沢市と川西町の境にある第1番上小菅観音、です。

春のころは格別かー、と思はせる参道の先に、見事な欅の大木があり、観音堂はその蔭にある。

訪れるひともなく、咲き誇った紫陽花を眺めながら、夏の日差しをあびてゐる。
境内も手入が行き届いてゐて、心地よい場所です。

裏手に、小さな水子供養の地蔵があり、幾多の小さな靴が置かれてゐました。
きっと、激しく哭いてゐただらう女性の声が聞こへたやうでー、悲しい想ひです。




















最上三十三観音/十二番札所/長谷観音

2009-06-16 | 出羽百観音、を訊ねる
後日書く予定の長谷堂城跡と一緒に訊ねる。
といふよりも、ここの観音自体が要害な山城の高台の一角にある。

遙か昔、源の某が、奈良の長谷堂の観音様を肌身に守ってこの地で戦ひをしてゐたといふ、歴史ある場所であるとのこと。

高殿からの細道をくだると、杉木立のなかに小さな堂がある。
小生は、幾ばくかの賽銭で多くの願ひをーと思ってゐたが、すっと扉をあけたご婦人が堂内で一心不乱に祈りをあげはじめた。

きっと、さうせずには居られない何がしかの事情があったのでせう。
皆々ひとは、悲しいほどの悩みや苦しみをもってゐるのだ、と感慨しきりで道をくだる。












最上三十三観音/一番寺/若松観音

2008-04-29 | 出羽百観音、を訊ねる
すべては、ここから始まるお寺、です。

花笠に唄はれる♪めでた、めでたの、わかまつさまよ♪の若松寺(じゃくしょうじ)です。

久しぶりに訪ねました。

麓の櫻は満開になってゐましたが、山の頂きにあるこの寺は、やっと梅が咲き、日当たりのよい斜面で櫻がほころび始めたころでした。

縁結びの寺、らしいのですが、境内には、老老男女の参拝者が多く、それでも盛んにくじを引いてゐました。

古道を使はなくても車で行けますが、その昔、深山の果てにあるこの寺に、思ひを胸に秘めた男女が願をかけながら山道を登ったのか、と思ふと、詰まる思ひがあります。
鐘楼の近くで、麓の姿をみながら、カタクリが咲いてゐました。







































湯殿山注連寺/庄内三十三観音 第三十一番

2007-05-15 | 出羽百観音、を訊ねる

過日、七五三掛の桜を見に伺った湯殿山注連寺は、また、庄内三十三観音の札所のひとつでもあります。

森 敦氏の『月山』で一躍有名になった、大網地区の古寺、です。
このお寺にも、即身仏は座してゐるやうです。
寺の詳細は、小説のなかに見事に描写されてゐますが、また、境内には森氏にまつはる建物も建ってゐましたが、遙かに望む月山の姿が色々なものを雄弁に物語ってゐたやうな気がします。

森氏が小説を書いたとされる紙の蚊帳は見たかったのですが、伺った時は、念仏の日なのか、何かの講の日なのか、ひきもきらず善男善女が堂内に入ってゐましたので、それらの方は桜を愛でることもなかったやうでしたが、小生は桜のみでいとましました。
それでも、この屈指の雪深い里で、信仰とか祈りといふものが、きはめて普通に息づいてゐる空気が伝はってきます。

百年ほど経ったお寺のやうですが、冬は数メートルの雪に埋もれるだらうその建物は、まさに痛みに痛み、けれど、まるで木材の繊維だけになってでも生き延びてやる、といはんばかりの凄みのあるものでした。

お寺のHPがありました。こちらです。






















湯殿山大日坊/庄内三十三観音 第九番

2007-05-14 | 出羽百観音、を訊ねる

旧い歴史をもつ寺としても、また、即身仏があるお寺としても有名なところです。
豪雪地帯の、けれどおだやかな山郷の一角に、鎌倉時代のものとされる山門が威風堂々と建ってゐました。

詳しいお寺の紹介は、HPがあります。こちらです。








山門には、風雪に耐へた、風神雷神の像。






そして、一対の仁王像















寺の立派な姿には、この一帯が信仰の地であることの証明でせう。
山郷の寺に似つかはしくなく、境内にはスピーカーからの読経のやうなものが流れ、小生はちょっと嫌気がさして堂の中には入りませんでした。
古びた木像が拝顔できたことは感謝しながらー。