やまがた好日抄

低く暮らし、高く想ふ(byワーズワース)! 
山形の魅力や、日々の関心事を勝手気まま?に…。

吉田秀和さんのブラームス論

2006-01-31 | 雑記

ブラームス関連のものを探してゐる時に、「吉田秀和作曲家論集5/ブラームス」(音楽之友社)といふ本に出会ひました。

雑誌に掲載したものをまとめたものですが、本の半分を占めるブラームスについての小論(これも、30年ほど前に雑誌に掲載したものですが)が秀逸でした。

吉田氏も、まう、かなりの高齢になったはずで、以前新聞で、最近奥様を亡くした時には、すっかりやる気がなくなった、と話されてゐましたが、時折聴くFMの番組では再び声にも元気が出てきたやうでした。
音楽評論家では、ずゐぶんと以前に亡くなった大木正興さんがとても好きでしたが、吉田氏の独特の口調で紹介されたものは、聴いてみやうかといふ気にもなります。

小論は、ブラームスの生涯をたどってはゐないけれど、やはり!クララ・シューマンとの関係を織り込まれた糸にしながら、ブラームスの音楽が次第に緻密に、豊饒になってゆく過程を描いてゐます。

四曲の(たった!)交響曲を四姉妹と名づけ、クララを「光の女性」と云ってゐるあたりは、日本人的な心情ながら、感心してしまひました。

それにしても、赤貧時代の少年ブラームスの描写には胸がつまるところがあります。





レヴァインのモーツァルト

2006-01-29 | 音楽を

ここ数日、仕事中や合ひ間の音楽は、モーツァルトばかりである。

先日、ワルターのモーツァルトを聴いて、何故か、他の演奏も聴きたくなってしまった。
別に、胎教のためでも?、右脳の活性化のためでもありません f^_^;)。

ジェイムス・レヴァインの交響曲25番、29番、31番のディスクを引っ張り出しました。
モーツァルトの中期の交響曲の演奏では、このレヴァインと、マッケラス侯の演奏がとても好きです。
時代的に、ピリオド楽器、ピリオド奏法が本格的に出始めたころでせうか、共に、編成も少なくし、音も余り伸ばさず、すっきりと、溌剌と演奏してゐます。

特に、レヴァインの演奏は、オーケストラが天下のウィーン・フィルでありながら、録音当時はまだ40歳前後でありながら、気おくれもしないで、自分のスタイルで演奏してゐるところが、後期の演奏も含めて(第41番のジュピターも素敵だった!)魅力の失せないところです。

当時は、ウィーン・フィルも高齢なメンバーも多かったはずですが、この若造!に全曲録音を任せて見るか、といふ、如何にも、ふところの深いところが、素敵な出会ひと結果を生んだのかもしれません。

六本木○○○あたりでの騒動に、右往左往してゐる政治家達の醜態ぶりとは大違ひ、です。
(∩_∩)ゞ



 

Mの生誕250年

2006-01-27 | 音楽を

今日は、モーツァルトの生誕日だと(それも、250年目の)、昨日のTVのニュースで報じてゐました。
色々なイヴェントや、CDの売上も活況を呈してゐるとのこと。

さうだったか、と小生も、まだ整理のつかないCDの箱からブルノ・ワルターのCDを探し出し、ひと時、モーツァルトへの感謝を表しました。

交響曲38番と40番のディスク。
既に、45年以上も前の録音。
オーケストラも、録音用に創ったといふアメリカ西海岸の臨時オーケストラ。
残された音も貧しく、高音がギスギスする(旧いCDのせゐか)
ピリオド楽器やピリオド奏法がひと時代を作ってしまった現在では、
テンポを微妙に動かすワルターの演奏は、すっかり時代物の演奏。

でも、なんと豊かなモーツァルトの演奏なんだらう!
写真の肖像画のやうに(小生は、この肖像画の真贋を固く信じてゐるのですが)、
穏やかで、ふっくらとしてゐて、少しウィットがあって。
人生が予定通りに進まないやうに、左右の足と手が交互に動いても美しい歩く姿にならないやうに、時として乱れる呼吸のやうに、ワルターのモーツァルトは続いてゆきます。




山寺雪景色

2006-01-25 | やまがた抄












天童へ向かふ途中、晴れ間がのぞいたので、国道を右折して一寸写真を撮ってきました。
山寺駅裏の高台にある美術館の休憩場所から見るポイントが素晴しいのですが、時間もないので道沿ひから幾枚か撮ってきました。
小生が好きな、天下一品の雪景色です。


「観光都市 江戸の誕生」 を読む

2006-01-24 | 雑記

「観光都市 江戸の誕生」(安藤優一郎著/新潮社)といふ新書を読みました。

”江戸の観光市場のポテンシャルの高さ”の一端を教へてくれるものでした。
平たく云へば、江戸時代の、神社仏閣といはず、大名といはず、賽銭稼ぎをもくろむそのパワーの凄さに改めて感動する、といふことです。

寺の開帳で、二ヶ月余りで数億の利益を出したとか、大名が敷地内の水天宮を開放してその賽銭だけでも一年間に2億近くになった、とかー。f^_^;)

前回読んだ桜の話と共に、強く感じるのは、明治維新が如何に江戸時代のレガシーを封印したかといふことです。

戊辰戦争の時、ここ山形の地も、奥羽越列藩同盟の双頭の雄米沢藩が薩長側に対し早々に白旗をあげ、山形藩や天童藩はひたすら事態から逃げ、当時全国最強を誇った屈強の庄内藩が孤軍奮闘の戦ひをしてゐました。
戦ひ済んで、知事として赴任したのは薩摩!出身の三島通庸でした。山形のポスト江戸の基礎は彼が創ったといっても過言ではないですが、封印したものもまた沢山ありました。

幕末の対応の貧しさはありましたが、”江戸時代は素敵だった!”といふ視点でみると、現在の世の中の動向が合せ鏡のやうに映ってきます。




『桜が創った「日本」』 を読む

2006-01-21 | 雑記

『桜が創った「日本」』(佐藤俊樹著/岩波新書)といふ本を読みました。

副題にあるやうに、ソメイヨシノの起源を探るものでしたが、小生が余り好まない(本文中にも、その短絡的な反応の仕方を注意されてゐましたが)染井吉野の悲しい性ともいへる存在について面白い展開でした。

特に、クローンとしてのソメイヨシノの生命体の弱さを、逆に人間社会を含んだ生態系のなかで生きることで日本列島の桜を席捲してしまった逆の強さや、江戸の末期に生まれたとされた新種の桜が、明治といふ新しい時代の中で、国家とともに全国に広まっていったといふ考えは(いはゆる標準語も同じパターンですが)面白く読みました。

特に、靖国神社の前身であった東京招魂社が戊辰戦争の官軍側!の戦没者の御霊を祀る場所であり、東京発信のソメイヨシノもそのあたりからきてゐるらしい、といふくだりは、戊辰戦争の賊軍側!に住む人間にはかなり面白いテーマになります。

とまれ、大雪のあとの今年の春、さて、何処の一本桜を見にゆくことになりませうか?



赤松

2006-01-17 | 大岡山界隈

転居した家の庭先に、赤松の樹があります。
車の出入りに邪魔だ、と家人たちからは不評ですが、
雪釣りの縄もないのに、今回の大雪にもしっかりと枝を広げてゐます。

幹回りの部分に、苔が生えてゐました。
雪とのコントラストが綺麗かな?






ブラームスの第1番

2006-01-16 | 音楽を

朝日新聞の土曜日版に、ブラームスとクララ・シューマンの話が載ってゐました。

ブラームスの交響曲第1番の終楽章、不安げな、悲劇的な装ひに続く朗々としたホルンの旋律をクララに奉げた、といふエピソードでした。

14歳違ふ(そのこと自体には、興味がありませんが)二人の、それぞれの、間違ひなく恋といふ感情は、彼らの劇的な死の年のエピソードと共に、尽きない興味を小生に示してゐます。

そして、思ひだしたやうに、交響曲第1番を聴きました。
イシュトヴァン・ケルテス指揮/ウィーン・フィルの演奏を出しました。
水泳中に事故で亡くなる数ヶ月前の録音。
確か、カップリングの「ハイドンの主題の変奏曲」の録音が未完成だったために、
のちにウィーン・フィルのメンバーがケルテスの死を悼みながら、指揮者なしで完成させたといふ名盤です。

ケルテスをそれ程多く聴いてゐるわけではありませんが、ブラームスとモーツァルトは、格別です。
きっと、急死しなければ間違ひなくウィーン・フィルの指揮者になっただらうと云はれてゐた逸材のケルテスですから、40代前後の録音ながら、派手さはありませんが風格の整った演奏を残してくれてゐます。



(写真は、CDのジャケットから借用)





睦月の雨

2006-01-15 | 大岡山界隈

師走からの大雪がひと休みしたかと思ったら、
昨日から、季節外れに、雨になってゐます。

我が家の駐車小屋の雪が、いつ落ちてもおかしくない状態なので、
心配で覗いたときに、松の枝先の滴が目に入りました。

既に、排雪できない雪は庭に積もるままになってゐますので、
転圧されて凍った上に雨ですから、TVのタイヤのCMではありませんが、
スケートリンク状態で、惨たんたるものです。

早くも、空気の気配は、雪解けの頃のやうで、
最近富に感じてゐることですが、季節は、旧暦にそって動いてゐるのかと
錯覚するほどです。
まだ睦月、よもやそんなこともないでせうが、
地表の人間は、気まぐれな天候に振り回されてゐます。


『しずり雪』を読む

2006-01-13 | 雑記

安住洋子の『しずり雪』(小学館)を読みました。
時代小説集です。

以前、山形市在住の評論家池上冬樹氏が朝日新聞で書評をしてゐたものです。
確かに、そこで指摘があったやうに、視点が時として動き、それぞれの作品が「誰の物語?」と戸惑ふところがあるのですが、読み終へた後の気持ちは、うっすらと初雪が降った景色のやうな、凛とした気持ちになります。

特に市井ものの作品が素晴しい。
作品集自体が連作的なベースがあり、さう大きな事件があるわけでもありませんが、穏やかな語り口と文章で、低い視線で紡がれる物語が気持ちのひだに入ってきます。

各地で連日のやうに起こる突発的な事故や事件(それも、短絡的な殺人が多い!)のなかで、ひとつやふたつ、重いものを胸に秘めながら生きてゆく主人公たちに共感した小説でした。