やまがた好日抄

低く暮らし、高く想ふ(byワーズワース)! 
山形の魅力や、日々の関心事を勝手気まま?に…。

『忠臣蔵とは何か』

2012-11-22 | 本や言葉


鶴岡市出身の丸谷才一さんが過日亡くなりました。

小説家としてめざましいころ、ずゐぶんとその作品は好きで読みました。
『エホバの顔を避けて』 『年の残り』『笹まくら』 『たった一人の反乱』等。

知的な文章で、知的な文の運びと構成で、とても好きでした。
何よりも、徹頭徹尾、旧かなを使ふ方で、小生はその影響で使ってゐるのではありませんが、小生には読みやすです。
エッセーも膨大に出されてゐましたが、そちらはさほど読みませんでした。

『忠臣蔵とは何か』、といふ名品があるのも知ってゐましたが、読むことはありませんでした。

なぜか、もともと生理的に、”忠臣蔵”といふ話は嫌ひで、 山形に移ってからはさらに嫌ひになって、逆に、吉良上野介を調べ、彼の立場を擁護する気持ちが強くなってゐました。
(なにせ、彼の妻は米沢上杉家から嫁にいった姫であり、赤穂事件があり、その先の殺人事件がなければ、吉良上野介氏は、嫌々文句を云ひながらも、雪深い米沢で老後を送ったのかもしれませんしー。
このあたりの様子は、映画『47人の刺客』で印象的に描かれてゐますが、そのときの米沢藩の対応のふがいなさは眼を覆ふばかりで、お家大事で、武士の矜持も示せなかった。後年、明治初期の戊辰戦争のときも、その子孫は、同じ過ちを繰り返し、リーダーに押されながら、その任を全うできない、どこかの国の首相のやうな醜態だけを晒します)

とまれ、『忠臣蔵とは何か』ですが、なるほど、こんなにめっぱふ面白い本はありません。

県立図書館の一角で、追悼展示会をしてゐまして、すぐに申し込んだのですがやっと順番がまはってきました。
数十年前の本ですが、一気に読見ました。

事件そのものよりも、その後に形成された『仮名手本忠臣蔵』の話を元ダネに、縦横無尽の論理が強引に展開されてゐる。

事件に、有名な曽我兄弟の敵討ちと同じ構図を当てはめ、それによる怨霊信仰を発生させない処理だった、とか、カーニバル的な反乱だったとか、””そんな展開?”というほど、痛快なものです。

勿論、その後、歴史的には色々な資料も出てきてゐて、義士一色だけの事件だったではないやうですが、
小生は、やはり映画『最後の忠臣蔵』の主人公のやうな、また落ちぶれ義士<田宮伊右衛門>の『四谷怪談』のやうな、殺人行に参加しなかった、出来なかった人たちの姿がとても興味深いです。


食事会

2012-11-20 | やまがた抄


孫娘の七五三のお祝ひの食事会に呼ばれて、山形市内のホテルでひと時を過ごしました。

昼間、神社にお参りをし、ハイテンションな孫は部屋の中ではしゃぎ回り、皆の笑ひを誘ってゐました。

食事は、中華のお店だったのですが、その店に行ったのも久しぶりでしたが、皆々”最近の中華はお洒落になったものだ”といひながら、出されてくる一品一品に舌鼓を打ってゐました。


晩秋の…

2012-11-18 | やまがた抄





親戚から、相次いで、ラ・フランスと柿が届く。

ラ・フランスも柿も、他からも沢山頂いてゐたので、毎日食べてもなかなか減りません。

とくに、ラ・フランスはすこし熟したころがかをりも食感も食べごろなので、でも当然ながら、すべてが一緒に熟してゆくので、バタバタと食べることになります。

そして、これらの晩秋の果物たちを食べ終へると、雪の季節になります。

我が家では、タイヤの交換は来週かなー。

今年は、迷走の果てに、師走の選挙といふことで、三年前の、すこし熱い夏の騒動は、なんと帳消しになるやうです。


チャイ5

2012-11-14 | 音楽を


普段はあまり聴かないチャイコフスキーの音楽の中でも、5番の交響曲は、とても好きです。

先日、マタチッチ/NHK響の旧い録音のCDを聴いて、とても感銘を受けました。

これは勿論、ロシア的な演奏ではなく、とてつもなくドイツ的な(あるいは、彼の生まれたユーゴスラビア的なー)演奏ですが、とても胸を打つ。

剛のチャイコフスキーの代表のやうな演奏です。

NHK交響楽団も、あちらこちらで音をはずしますが、それでも、マタチッチの豪腕で、太い筆で書いた墨絵のやうな名品を残してゐます。

チャイコフスキー交響曲第5番マタチッチ



そして、フリッチャイによるモノーラルの5番も聴きましたが、これも、とても素晴らしい。
若くして白血病で亡くなったこの名指揮者は小生の好きな指揮者のひとりですが、最晩年の6番も伝説的な演奏ですが、晩年に近い5番の演奏も、悠々として、ひとつひとつの旋律がことごとく生きてゐて、やはり胸をうちます。

チャイコフスキー:交響曲第5番 Op.64(1957ライヴ)



そして、小生、性懲りもなく、カラヤンの1971年録音の5番を聴いたのですが、やはり、その品のない演奏に驚いてしまひました。
これでは、カラヤン編曲の音楽になってしまひ、まあそれはそれでもよいのですが、圧倒的な音響空間の果てから、残念ながら、なにも聞こえてこない。

チャイコフスキー 交響曲第5番 第4楽章



秋の終り

2012-11-13 | やまがた抄


今年最後の山の予定は天候がすぐれず、頓挫ー。

きっと、小生には最後の三連休は、野暮用に終始し、健康診断で天童へ行った帰り、立ち寄った総合公園の銀杏が葉を落としてゐました。

いつもの秋が終り、この後、冷たい雨が降り始めると、雪の季節です。

またまた、季節が加速して、追い抜いてゆきます。


今さら、ながら…

2012-11-11 | 本や言葉


今日の山寺。
曇天ながら、晩秋の紅葉で、駐車場はいっぱいでした。

夏頃、芭蕉の『おくの細道』の山形エリアを再現した番組を見て、それ以来、『おくの細道』に関する本を10冊ほど読んでゐました。

白河の関にも行ったこともあります、松島にも行きました、平泉にも行きました、封人の家の前も通りました、清風宅も見ました、勿論、山寺へも数回となく上がりました。

けれど、恥ずかしながら、肝心の『おくの細道』を全編読んだことはありませんでした。

約150日、約2,400キロを走破し、5年の推敲の末にできた、原稿用紙40枚にも満たない『おくの細道』を、初めて読みました。

俳句とかにはまったく素人ですが、それでも、死を賭した旅で、平泉あたりから、その切り取り方に凄みがでてくるのがよくわかります。

ひいきの引き倒しでゆくと、やはり、山形を通過してからの冴えガ素晴らしく、羽黒山あたりで、彼の不易流行のポリシーが生まれたと解釈する本もあり、むべなるかなー、といふ嬉しさです。

興にのって、歩いた道を尋ねあるく、といった時間も余裕も小生にはありませんが、しばらくは、『おくの細道』関連の本を読んでゆくやうです。


Claudio Abbado - Mozart Requiem in D minor, KV 626 - Requiem/Kyrie

2012-11-08 | 音楽を
Claudio Abbado - Mozart Requiem in D minor, KV 626 - Requiem/Kyrie


先日、NHKでモーツァルトのレクヰエムを取り上げた番組がありました。

なにげなく見てゐたのですが、若い日本のモーツァルト研究者の方が、この曲を、生きる希望の曲として、新たなモーツァルトの作曲家への道の一里塚として研究してゐる、といふくだりで感心しきりでした。

天才少年から、売れっ子のピアニストになり、偉大な交響曲作家になり、そして、新たに、宗教曲作家として、バッハやヘンデルの楽譜に学んだ対位法の手法を駆使して、ドラマティックなミサ曲を作り上げた、としてゐました。

勿論、歴史としては、彼の命は間もなく終ってしまふのですが、なるほど、この曲は絶命の曲ではなく、新たな時代に打って出る曲を作った、といふ解釈はとても面白かった。

そして、そのサンプルとして、番組の後半に、今年の夏の、アバド/ルツェルン・フェスティバル・オーケストラの演奏が流されてゐました。

とても素敵な演奏でした。

アバドがカラヤンの命日だかに演奏したモーツァルトのレクヰエムの演奏が棚にありますが、さほど感銘を受けないものでした。

彼は、大病を越えて、その演奏に凄みをましてきました。
この演奏も、それほどドラマティックに仕上げてゐるものではありませんが、とても細やかな悠々とした名演です。
何よりも、アバドと深い関係にあるスウェーデン放送合唱団の声が素晴らしい!!

ホールの天井にスッと消え入る高音の美しさ!
勿論、破綻のない合唱力!

小生の棚にも、スウェーデン放送合唱団が参加したCDやらテープやらDVDはたくさんありますが、いつも、見事のひと言です。

NHKの番組では、前半だけだったので、消化不良になり、もしかしてー、と動画を探したら、細切れに、でも全曲がアップされてゐました。
お好きな方は、順を追ってご覧になるとよい、です。

一年

2012-11-07 | やまがた抄


今年は全滅だと思ってゐた里芋が、それでもすこし出来てゐました。

春先に植ゑた10株ほどの苗は半分になり、でも残りの収穫がすこし楽しみです。

愛犬が死んで間もなく一年になりますが(命日には、また、高畠の犬の宮に写真を交換にゆくつもりですがー)、それを期に始まった老母のボケは静かに進行するばかりで、小生も家人も娘たちもハラハラしながら見守ってゐる。

里芋が半分になってしまったのも、この夏の酷暑もありますが、植ゑて数週間後、急に別の場所に植ゑ替へたのも原因です。
”なんで?”と聞くと、樹の陰だからだといふ。
確かに、借りてゐる畑の脇に一本の柿の樹がありますが、それは数十メートルも離れてゐて、陰など及ぶところでもありません。

一事が万事、日常生活で言動に微妙なズレを生じ始めてゐます。

はるかに昔、在京のころ、ある不動尊の初午に小生と母とで出掛けたことがあります。
当時、ヤクザのやうな格好が好きだった小生(頭はパンチ・パーマでサングラスで、服はすべて黒ずくめでー)のせゐもあったのでせう、居並ぶ出店の香具師の人から”どこの組の姉さんで?-”と聞かれたことがあり、苦笑したことがあります。
そんな雰囲気があったのでせう。

そんな母親が、いま、静かにボケを進行させてゐる。
気丈夫の老母は病院での診断も拒否し、ひ孫ともピントのずれた会話をしてゐる。

でもまあ、80も有に過ぎて、身体だけはなんとか丈夫さうな老母を、無理強いさせずにそれなりに見守ってゆかうと思ってゐる。

家人の、”男の人って、自分の母親がボケてゆくのを見るのって、ツライのよねえー”といふ言葉を背後に受けながらー。



若冲を…

2012-11-02 | 絵をみる


久しぶりに絵を見に行く。

山形市の山形美術館で琳派と若冲の絵を見る。

日本画を見るのは、丸山応挙以来久しぶりです。

山形美術館はとても嫌ひな美術館で、県内の有名な建築家が創ったのですが、まるで”絵を見る”ことの意味がわからない代物ですが、秋も深まった半日、それでも、好きな酒井抱一と若冲のいくつかの作品を堪能してきました。

企画展自体が、ポイントのずれた感じでしたが、酒井抱一の手練の作品に息を呑みました。
他にも、琳派の絵師の作品もほどほどありましたが、構図、色使ひ、余白の見事さー、どれをとっても格が違ひます。

そして、若冲ー。

若冲の実物は、初めてみました。
勿論、山形に若冲の有名な作品が来るとは思ってもゐませんでしたが(なにせ、そのほとんどの作品は、若冲オタクの米国人と、宮内庁がしっかり握ってしまってゐますからー)、それでも晩年に近いころの鶏の絵が見られて大満足でした。

京都の大きな八百屋さんのオタク若旦那は、商売そっちのけで、沢山飼ってゐた好きな鶏を毎日眺めては絵にしてゐたといふ。

けれど、この度みた『群鶏図』といふ作品の中の鶏は、墨絵ながら、圧倒的な躍動感と存在感を見せつけてゐる。このパワフルさは、半端なオタクのなせる業ではない。

一気に書き上げたやうなその絵に打ちのめされて、建物をでる。

秋は、深まってゐます。