やまがた好日抄

低く暮らし、高く想ふ(byワーズワース)! 
山形の魅力や、日々の関心事を勝手気まま?に…。

東京へ

2013-01-28 | 雑記
所用があって、東京へ行ってきました。

行きは深夜、白河あたりまでの吹雪を突いてでしたが、朝にはすっかり晴れ上がり、中央道からは見事な富士山に迎へられ、翌日の帰りも、雲ひとつない空の下、東北道から見返りの富士山に見送られました。
(ともに運転中だったため、残念ながら写真は撮れずー)

所用を済ませて、短い時間のなか、あちらこちらに出掛け、夜には旧友に会って楽しい酒を飲み、そんななか、高幡不動尊へ行きました。

昔は新年の初参りや初午には必ず出掛けたところですが、もしかしたら尋ねることができるのも最後になるかもしれないと思ひ、足を延ばしました。

以前は、人ごみの中でしか行ったことがないのですが、初午前の静かな境内は閑散としてをり、車も簡単に置けて、ゆっくり山門から入りました。

以前はまったく興味もなかった山門の”あ・うん”の像も、よく見ると結構立派なそれだったもので感動し、
初めてまじまじと見た本尊の不動明王の像もその憤怒の顔が素晴らしく、拾ひもののやうに、家人と静かな寺めぐりをしてしまひました。

そして、奥の大日堂の前に櫻の裸木が1本あり、何気なく見たら(櫻の樹には敏感なものでー)、なんと山形の白鷹町にある千年櫻・薬師堂の櫻の子供でした!

山形の風雪に耐へた樹齢千年の薬師堂の櫻の子が、その姿はまだ若いながらも由緒ある多摩の不動尊の本堂の庭先を飾る。
なんとも嬉しいえにしに、尋ねた甲斐があったとひとり喜んで寺を後にしました。

















6度

2013-01-25 | やまがた抄


忙しい日々が続いてゐて、雪の日々も続いてゐて、そんななか、ポカリと穴が空いたやうに穏やかな蒼空が広がりました。

外の気温も6度ほどー。
3月のやうな空の蒼さでした。

6度の気温に、運転してゐた車の窓もすこし開けて、その暖かさに感謝する。
でも、明日から、また寒波来襲とかで、さう、まだ大寒を過ぎたばかりー。



2013-01-17 | 音楽を
気まぐれな冬の低気圧のせゐで、大雪になりました。

山形市でも40センチを越える積雪になりました。
(これでも、北部の1メートル以上に較べれば、少ないはうですー)
小生は、家では朝と夕方に、仕事場でも2回、1日で計4回の雪かきが二日続きで、ヘトヘトになりました。
小生、雪かきは至極好きなので(雪のかたまりが残ってゐると不満ー)、時間があればいつまでもやってゐますが、朝夕短時間での作業なので、やはり、疲れます。
家人も、同じやうだったさうで、この時期、我が家では体力回復のためのドリンク剤が必需品です。

関東でも降雪があったやうですが、都心部で8センチ、横浜で15センチ、とかー。
まあ、そんなところでせうが、相も変らず、TVでは雪で転ぶシーンや、雪道の歩き方! のレクチャーに、レポーターが”なるほど!”の構図…。

娯楽番組は百歩譲っても、
お願ひですから、全国版のニュースや報道番組では、そんな幼稚な内容にしないでください!
(先日の新年会でも、同じやうな話がでて、NHKのさる有名な女性アナウンサーが来県し、県内を見て周ってゐる時に、”あれは何の草ですか? と尋ねたといふ。彼女の指先には、青々とした水田が広がってゐた、といふ…)

沖縄や九州は別としても、
関東では昔から、日常的に、雨も降れば、雪も降るのです! 槍は滅多には降りませんけれどー。


ーと、雪といへば、ちあきなおみに『雪』といふ、掌小説のやうな佳品があります。
以前から好きですが、その数分の曲に入れ込まれた心情の切なさに驚嘆してゐました。

お正月の特番で、伝説となった女性歌手の特集で、ちあきなおみも取り上げられてゐて、作詞家がそのレコーディング風景のエピソードを話してゐて、なるほど! と合点がいきました。
彼女は歌ふときには、黒いカーテンで自らを隠し、ひとりその中で録音したといふ。
事前に曲のイメージを完璧に作り上げ、まったくブレスを意識させない歌唱法で、ひとり、黒いカーテンの中での録音ー。
なるほど、それでなければ、あれほどに曲の中には入り込めません。
まったく不出世の、歌手といふより、アーティストです。


雪~ちあきなおみさん



DR放送交響楽団

2013-01-14 | オーケストラ巡り
動画サイトでいつも気にしてゐるサイトがあります。
デンマーク在住の方が、デンマーク放送交響楽団の演奏の模様を流してゐます。

確かー、このオーケストラのCDは一枚あった気がしますが、前後二段になってしまってゐるCD棚の、ずっと奥になってゐて取り出すことも難しい状態です(ニールセン、か何かの演奏だったー、はずー)。

有難いことに、そのサイトで色々な演奏を聴いてゐますが、とても好ましい演奏です。
素敵なホールで(本拠地なのでせうー)、独特のカメラアングルで演奏を披露してゐますが、現在(閉鎖されないかぎりー)、三つのレクヰエムを聴くことができます。
フォーレとモーツァルトとブラームスのそれです。

デンマークー、一寸調べましたら、人口550万ほど、首都のコペンハーゲンの人口も100万人に満たない、小さな国です。

でも、演奏されてゐる姿をみると、なにか、とても豊かなものを感じます。

(むかし、オーストラリアからきてゐた英語の教師に無理を云って、友人達とプライベートで英会話を習ったことがあります。とてもシンプルなレッスン方針で、一時間半ほどのレッスンの時間は日本語を一切禁止で、一年ほどの時間で、勿論会話ができるほどに上達したわけでもありませんが、でもお陰で、何か度胸だけは付いたやうな記憶があります。そして、その先生が云ってゐた話が、日本の東京の姿は、勿論便利だらうけれど、とてもクレイジーな街だ、といふ話です。仙台あたりの規模が丁度よい、と云ってゐました。小生は、仙台の街は嫌ひですがー)

それぞれのレクヰエムの演奏も、たゆたふやうなカメラアングルの先から、音楽を愛してゐる人びとの姿が浮かんできます。


�・ Gabriel Faur�・ - Requiem (1887-90) - Danmarks Radio Symfoniorkestret - Ivor Bolton




Mozart Requiem in D-minor KV 626 - Danmarks Radio Symfoniorkestret - Manfred Honeck




Brahms - Ein Deutsches Requiem 1869 - DR SymfoniOrkestret - Herbert Blomstedt �・







初市

2013-01-10 | やまがた抄
山形の七日町通りの初市へ行きました。

最近は買ひ物客が減少してゐる商店街も、夏の花笠祭りと新年の初市は相も変らずどっと人が繰り出します。
いつもは娘たちが老母を誘ひだすのですが、今年は都合がつかず、小生と老母とのふたりだけー。

粉雪の舞ふ中を、まう最近は、歩くのもシンドクなった老母と新たな年の市を楽しむ。

いつものやうな初市でしたが、見上げると工事をしてゐた高層マンションが出来上がってゐました。
初市の姿も、変ってゆきます。































味噌

2013-01-09 | やまがた抄


家人が、”こんなのもらったけれど…”と、彼女の勤め先で営業マンの名古屋出張のお土産をもらってきた。

名古屋味噌のマヨネーズ版みたいな商品ですが、小生は膝をたたいて喜んだ。
その日は、偶然にとんかつでしたので、早速かけて食しました。
”ウム、美味!”

以前、知り合ひに名古屋の味噌煮込みうどんを頂いたときに、その美味しさにウロコが十枚ほど落ちた。
作ってみやう! と、早速煮込み用のうどんを買ひ、スーパーで八丁味噌を探したが、これがないー。
味噌といへど、まるで文化圏が違ふので、扱ひがないのです。

まあ、遠い親戚に名古屋の叔父さんもゐるのですが、それほど付き合ひもないので、味噌だけといふのも遠慮してゐました。
勿論、楽天とかで頼むことはできるのですが、当然大量な量ですので、二の足を踏んでゐました。


家人は、”私は余り好きではないけれどー”と云ひながら、勤め先では定期的な名古屋の出張があるので若いイケメンの営業マンに都度頼んでもいい、といふ。
小生、手を合はせて頼み込みました。


会津…

2013-01-07 | やまがた抄


会津を舞台にしたNHKの大河ドラマも始まって、今年は会津がブレイクしさうです。

そのドラマ、初回を見ましたが、福島の原発事故があったせゐか(あるいは、事故がなければ、テーマにならなかったかもしれませんー)、”会津魂”の力こぶが前面に出すぎてゐてとても重いスタートでしたが、会津を愛する小生には楽しみなドラマです。
主人公の少女時代役の女の子の”眼力”に感動しました。半端な役者の足元にも及ばないものでした。

山形に移住してすぐ、会津若松の鶴ヶ城の敷地内にある茶室・麟閣を見にゆきました。
自宅の茶室を勘案してゐるとき、東京の尊敬する先輩に”こんな茶室があるー”と教へて頂いたものです。

見事な茶室でした。
父・千利休の切腹の累が及ぶのを逃れて、雅な京都から雪深い会津の地に匿はれた子・小庵が建てたといはれるものです。
きっと、希望のない日々を生き抜くよすがとなった茶室です。
いかにも京風に作られたその姿は、けれど分厚い茅葺の屋根を支へる柱は余りにも細く、か細い思ひで日々を過ごしたかもしれない小庵の心情そのものです。

目の前に聳え立つ美しい鶴ヶ城が、かつて、薩長の無頼たちに(当時は新政府でもなんでもなく、テロ戦争を勝ち進んだだけの集団です)政治的な理由ではなく、私怨ともいへる理由でなぶりものにされ、けれど落城せず、満身創痍の姿をさらけ見せてゐた写真と重なるものです。

数度見に行ってはゐますが、すべて雪のない季節でした。
近々、雪景色の姿を見にゆく予定です。


そして、昨年末に知ったことですが、家人には会津の血が流れてゐました。

ふとした話題から義父が、”これをパソコンで清書してくれ”と持ってきたのは、鉛筆書きの家系図でした。
ずっと宮城出身とばかり思ってゐた義父は、そのルーツは会津でした。
紆余曲折を初めて聞いて、しっかりとした家系図を作成する約束をするとともに、小生の子や孫には会津の血が流れてゐることの驚きと誇りを再認識しました。



初参り

2013-01-06 | やまがた抄


やっと、初参りです。
近場の、山形市の護国神社。

仕事の都合もあったのですが、三が日では流石に神社も混雑してゐて、老人同行では参拝の行列にも不安があるし、最近はもっぱら、すこし落ち着いた頃の初参りにしてゐます。

それでも、穏やかに晴れた日で、参拝者も三々五々にお参りをしてゐて、一寸気持ちのよい時間でした。
孫も同行してゐたのですが、残念ながら(丁度よく?)出店は解体中で、御札とおみくじのみ買って帰りました。

大吉! でした!





新年会

2013-01-04 | やまがた抄
一月三日、恒例の新年会でした。

今年は、喪中や病欠の方が居て(年々多くなるやうな気もする…)、12人でした。

マイ臼&杵をもつ小生と建築士の知人と小説家の先生が主体となって餅をつきます。
いつもは三升ですが、今年は少なめに二升の餅を、縁起ものですからと皆で必ずつき、その餅で雑煮をつくり、新年のお祝ひをします。

小生は返し手と最後の仕上げをしますが、いつもは必ず杵を臼にぶつけるTVディレクターの方や新聞社OBの方も今回は無事につき、よい年明けになったと皆で胸をなでおろして新年会のスタートー。












元旦

2013-01-01 | やまがた抄


小生は、もともと農家の生まれですので、いつも正月といふのは、”女正月”で、元旦の朝の準備は小生が致します。
昔は三が日はずっと男手がしてゐましたが、最近は元旦のみです。

関東では、こんな風習があったのでせうけれど(昔の関東の農家は生活が厳しかったからか、或いは、我が家だけだったのかしらん?)、山形ではさほど聞きません。
庄内の一部ではあると聞いたことがありますが、内陸では皆無のやうです。

とまれ、ことしもいつものやうに早く起き、今年は娘も元旦から仕事でしたので、お重や雑煮の準備に追はれました。
作った雑煮を神棚や仏前や愛犬の遺影の前にささげ、里帰りしてゐる(いつも里帰りしてゐますが…)娘親子ともども新年の挨拶をして、今年初めての食事を頂きました。

ーと、娘や家人たちは、イオンの初売り(8時!)に行くと大わらはで出掛け、残った小生は洗物を済ませて、昨日親戚から頂いた餅を切って、この年の穏やかにならんことを願って今年の初めを迎へました。