今年は、ジョン・ウィリアム・コルトレーンの生誕80周年の年ー。
つまり、当たり前のことながら、存命であったならば、80歳!
(ロリンズは、最近引退したばかりなのにー)
そしてまた、彼の命日が、近づいてくる。
「クレッセント」。
1964年、4月、6月録音。
最近、このアルバムへの評価がきはめて高い。
コルトレーン教の信者たる小生にとっては、他の評価等はどうでもよいのですが、
ある意味、コルトレーンの音楽を冷静に聴く時代にはなったのでせう。
1964年、春と初夏ー。
「至上の愛」まで、あと、半年。
「アセンション」まで、あと、一年。
「エクスプレッション」の世界まで、あと、三年。
そして、その直後の死ー。
タイトル曲の出だしから、紛れもない、コルトレーンの音。
何故、こんなにも、哀しいまでの音色なのだらう。
この時期のクァルテットは、鉄壁の前期絶頂期にあったはずです。
ここには、フリー・フォームの姿は微塵もなく、
ジミー・ギャリソンのベースや、エルヴィン・ジョーンズのソロも大きく割かれてゐる。
その、ソロを受けて出てくるコルトレーンの音は、確かに、瞑想的で、精神性の強いものになってゐる。
きっと、間違ひなく、コルトレーンはこの世界に戻ってくるつもりだったに違ひありません。
死出の旅路を前にしての、ひと時の休息のやうに、音を濁すこともなく、吐露するやうなソロを展開することもなく、仲間たちとの共演を楽しんでゐるかのやうです。
巷間云はれるやうに、「エクスプレッション」や、その後発表された録音の世界のやうに、田園的な安らかさに満ちた演奏です。
コルトレーンが、
「神になりたかった」、と云ったかもしれない。
「神への使ひになる」、と云ったかもしれない。
そのことは、この「クレッセント」を聴くと、或いは意図的に流布された話なのでは、といふ気になります。
それ程、ここでのコルトレーンのサックスの響きは、純音楽的に昇華の直前まで来てゐるやうな気がします。
もしー、があったとしても、
コルトレーンが、残滓のやうに、朗々とスタンダード曲を吹いてゐる姿はなかったらうし、やはり、勁い美しさの、違ふヴァリエイションを見せてくれてゐたはず、です。
それにしても…、と7月の、彼の早すぎる死を思はない訳にはいかない。
(写真は、LPより)