幸せの黄色い… 2008-05-30 | 大岡山界隈 明日の祝ひ事のために、バタバタとしてゐます。 遠方からの来客のために、家中を掃除し、ひと息ついたら、 庭先のズッキーニが花を咲かせてゐました。 フランスの田舎料理だといふ、ラタトューユを自分で作りたくて、 JA山形!の苗木販売店から買ってきたものです。 それほどきむずかしいハーブではないですから、それなりのものが実るはずですので、若葉が出始めたバジルとともに、夏にむけてハーブ料理の勉強、です。
初物 2008-05-25 | 大岡山界隈 我が家の畑で採れた、今年一番のイチゴ。 結構な、色合ひ、です。 小生専用のハーブ畑作りは、結局忙しくて道なかばですが、 それでも、ズッキーニの生長を楽しみにしてゐます。
レヴァインのモーツァルト♪モーツァルト大全集から 2008-05-24 | 音楽を いま、少しずつ、ジェムス・レヴァイン/ヴィーン・フィルで、改めてモーツァルトの交響曲の全曲を聴いてゐます。 モーツァルト没後200年のために企画され、その大任を任された当時40代のレヴァインの演奏。とても素敵です。 モーツァルトが20代の時の作品もとてもよいのですが、小生には今回聴いた38番の演奏は、敬愛するクーベリックの演奏と共に、双璧の演奏です。 すでに時代の要請にもなってゐたピリオド奏法も取り入れながら、左右に配したヴァイオリンの掛け合ひもスリリングで、なによりも、その溌剌とした音楽の流れがすばらしい。当時、モーツァルトを圧倒的に支持してゐたといふプラハの町の息遣ひが伝はります。 おそらくきっと、モーツァルトが存命のころにはこんなに見事な解釈も演奏もなかったに違ひありませんが、ここまで磨き上げられる本質が存在してゐるところがモーツァルトの音楽の素晴しさなのでせう。
雑草の生き方 2008-05-23 | やまがた抄 このところ、雑草に関する本や図鑑を読んでゐます。 仕事で、庭の草取りが面倒だからと、全面的にコンクリートやアスファルトにされてしまふ方もゐて(冬の除雪の問題もありますがー)、 雑草対策を聞かれても、小生は無駄な抵抗です、と云ひ切ってしまひます。 悲喜こもごもの雑草たちの生きざまは、でもやはり、弱い小生の及ぶところでもなく、彼等のそんな強靭さに敬意を表して、ひとつでも多く名前を覚へようと思ってゐます。
初夏の花 2008-05-20 | 大岡山界隈 色々とあった時に、庭先にモッコウバラを植ゑました。 二年目の今年、左右に延びた枝に、こぼれるばかりに花をつけてゐます。 オダマキの横のフタリシズカも、ずゐぶんと増へました(これも、山菜として食べられますがー)。 時ならぬ五月の台風が去って、はや、夏の気配です。
谷地中の石鳥居 2008-05-19 | 山形の鳥居、を巡る 天童市の郊外にある、谷地中の石鳥居。 以前、旧い白黒の写真を頼りに探したことがありましたが、まったくわからず、 偶然、数日前に所在の前の道路を通過、ゆっくりと見に行きました。 以前見た写真では、倒壊寸前のやうな感じでしたが、いやいや、見事な存在感です。 5、600年前のものなのかー。 近くにある、水晶山といふ山の山岳信仰のために立てられたらしいのですが、 惜しむらくは笠木部分が完全になくなってゐて、まるで古代遺跡の赴きですが、 直径1m近くもあらうかといふその姿は、中世のエナジーを感じるに充分、です。
偲ぶ 2008-05-14 | やまがた抄 沙羅の下で、白の牡丹が咲き始めました。 昨夜は、この二月に亡くなった、小生が参加してゐる会の顧問の方を偲ぶひと時でした。 故人が通はれた中華料理店で、気のあったメンバーで(小説家の先生、アナウンサー、ディレクター、陶芸作家、建築家、等々)で、陰膳を囲みながら、にぎやかに偲びました。 小生の私情で、正月の餅つきが盛大にできず、結局お元気な姿をみることもなく、 昨夜の会での別れでした。 ダンディといふ言葉が歩くやうな方で、若干尻つぼみになりつつある会に、大きな穴があいてしまった寂寥感です。
『二人日和』 2008-05-12 | 映画雑感 DVDで、『二人日和』といふ映画をみました。 若い頃の激しい恋は去り、今は、筋肉が萎縮してゆく妻を、なすすべなく見守るだけの古都の装束職人の、無骨なまでの姿が胸を打つ。 その老いた職人の姿を、久しぶりに見た栗塚旭が好演してゐる。 すっかり薄くなった頭は、けれど見事な存在感に色を添へてゐる。 日本にも、まだ、こんな素晴しい役者さんがゐたことがひどく嬉しい。 淡々と、深深と病が進むさまが、逆にリアリティを感じる。 そして、櫻の下の、車椅子の藤村志保の何と美しいことか! 公式サイトはこちらにありました。
植木市 2008-05-10 | やまがた抄 丁度休みが重なったので、 山形市の植木市へ、今年も行ってきました。 すこし肌寒い天気と、出店の減少に、着いたときには寂しい趣きでしたが、 それでも昼頃には狭い道路にいっぱいの人出になり、 皆、最終日を目当てにきてゐたやうです。 お薬師様のお祭り、ですから、縁起に買ふとよいのでせうが、 特別に欲しいものもなく、 ただ、境内や道路の(昔ながらの)縁日の楽しさ、面白さを満喫してゐました。