やまがた好日抄

低く暮らし、高く想ふ(byワーズワース)! 
山形の魅力や、日々の関心事を勝手気まま?に…。

今年の櫻は…

2011-04-27 | やまがた抄




暖かくなったので、また、4世代で散歩に出かけました。

天童の舞鶴山公園。
人間将棋なんかをするところですが、天童市の勇み足で、今年は中止にしてしまひ、
以前に較べてずゐぶんと整備になった公園が、少々寂びしさうでした。

花はまだ五分ほどでしたが、駐車場は満杯で、みなさん、一寸静かな花見を楽しまれてゐました。

『「はやぶさ」式思考法』

2011-04-22 | やまがた抄


「「はやぶさ」式思考法」(川口淳一郎/飛鳥新社)といふ本を読む。
今年の2月に出された本ですが、サブタイトルが奇しくも”日本を復活させる24の提言”ー。

詳しいことは、凡庸の小生などにはわかりませんが、”「はやぶさ」プロジェクト”が如何にハイリスク・ハイリターンを志向したものだったのか、そしてそれを果敢に推進したチームの凄みに感心します。

文中にある”傲慢と思われるかもしれませんが、批判される辛さには耐えられても、リスクから逃げたという悔いには耐えられそうにない…”という川口マネージャーの言葉の重みを感じます。

そして、とても面白かったのは、わが国の宇宙基本法によると、「宇宙」は地球から月までの空間で、その先は「深宇宙」といふ定義で、月より先へ行くには二通の申請書が要るといふ役所の大真面目な見解だった、といふくだり、でした。

今も困難な状況にある被災地でも同じやうなことが起こってゐるやうです。
そんな目線の高さが、一国の総理が(如何に愚将とはいへー)罵声を浴びせられるといふブザマな映像を配信させる要因のひとつになってゐる気もいたします。

とまれ、闇に果てた「はやぶさ」の勇姿を!

はやぶさ動画に「無限に広がる大宇宙」を重ねてみた

クレソンの花

2011-04-18 | やまがた抄


先日、せせらぎの縁から野生のクレソン(のハズです…)をひと株いただいて、庭の一角に植ゑた。
植ゑたといふより、株を置き、土で覆っただけですが、流水の一角なので早くも根付き、花を咲かせてゐた。

当たり前のことですが、彼らにとっての花は、決して人間ドモを喜ばせるために咲くのではなく、彼らの生死を、子孫繁栄を期する大きないとなみのひとつ、です。
どこにひと株として持っていかれやうと、その地で根を下ろす決意を決めた彼らに感服する。

春、到着…

2011-04-15 | やまがた抄


暖かくなったので、立ち寄った娘と孫と老母を連れて、天童の運動公園へ散歩にゆく。

遊戯具が使へるのかと思ってゐたのですが、役所はまだ”春”ではなく、無愛想に立ち入り禁止のバリケードだらけでした。

彼方の山はまだ雪景色、勿論櫻も固い蕾でしたが、枯れた芝の上でコンビニおにぎりで昼食をする。コートが場違ひなほどの暖かい日差しの下で、間違ひなく春の到着を感ずる。

春迎へ

2011-04-11 | やまがた抄


やっと上着が要らなくなりました。

穏やかな日差しになった日曜日、やっとタイヤの交換を済ませ(3台・洗車込みは最近きつくなりました)、庭木をすこし剪定し、バジルの種を蒔き、侘助がひとつ咲きました。

先日の大きな余震に驚き(夜の地震は本当に恐怖を感じます)、再びの停電に陥り、翌日には早くもガソリンスタンドに列が出来、スーパーの棚からまたもや商品が無くなりはじめました。
まだまだ大きな余震が予想され、世の中が落ち着きません。

山形市内最大の避難所は福島ナンバーの車であふれ、昨日はおおきな炊き出しイヴェントが開かれてゐました。

現地の惨状や、遅々として進まない事故処理や国を司ってゐる人々の拙さに、言葉もでなくなりました。


海水を飲みながら、奈落へと落ちていった無念の方々に祈りをー。

フォーレ - レクイエム



よみがえれ!我が塵よ

2011-04-02 | 音楽を
最近は、すっかり、音楽を動画で”見る”楽しみにはまってゐる。

十数分に分割されてアップしたものを集めて一枚のDVDにするのもそれなりの手間ですが、最近のものは画質も音質も中々で、大きなTV画面で気持ちよく見てゐる。

たまには、これいらなかった(泣)…、といふ動画もありますが、それもまあご愛嬌で、概ね楽しめます。
特に、若いオーケストラの演奏を好んで集めてゐます。

アバド指揮/ルツェルン祝祭管弦楽団による、マーラーの交響曲第二番《復活》。
youtubeでは、他にも大御所の演奏もありますが、若い奏者たちの心意気が画面から充分に感じられてとても素晴らしい。

アバドのマーラーは、棚にもCDもかなりあったはずですが、ベルリン・フィルとのブラームスあたりから彼の演奏は聴かなくなってしまった。
こまやかな演奏なのですが、いまひとつ、小生の心には響かない、ゆゑー。

しかし、ルツェルン祝祭管弦楽団との演奏は、その若武者のやうなオーケストラの力量に引き込まれてゐます。
(彼自身が、病を克服して、何かが変はったこともあるのかもしれません)


 ”よみがえる、そうだ、おまえはよみがえるだろう、
  私の塵よ、短い憩いの後で。
  …
  おお、信じるのだ、わが心よ、信じるのだ、
  何ものもおまえから失われはしない!
  おまえが憧れたものはおまえのものだ、
  おまえが愛したもの、争ったものはおまえのものだ!
  … 
  おお、信じよ、おまえは空しく生まれたのではない!
  空しく生き、苦しんだのではない!        ”(ウィキペディア、より) 

      
この終楽章が、いまのこの時には、まさに相応しいメッセージなのかもしれない。

Mahler - Symphony No 2 'Resurrection' Final Part


(全曲に興味のある方は、HDvideocollections さんのところからどうぞ)