やまがた好日抄

低く暮らし、高く想ふ(byワーズワース)! 
山形の魅力や、日々の関心事を勝手気まま?に…。

花を頂く

2005-08-31 | やまがた抄

今、仕事をさせて頂いてゐるお客様の玄関先に
キンロバイ(金露梅)が残りの花を咲かせてゐます。



確か、高山性の花だと思ったのですが、毎年、見事に咲くとのこと。


見事な黄の色ですね、と話してゐたら、隣りにあった鉢植ゑの花を
いただきました。



名前は…、聞いたのですが、すっかり忘れてしまひました。

f^_^;)


「これからの人生」

2005-08-30 | 書棚のジャズアルバムから
「What Are You Doing The Rest Of Your Life?」
作曲:ミシェル・ルグラン

ビル・エヴァンスの「Yesterday I Heard The Rain」の2曲目にありました。
アルバムは、1972年のカリフォルニアでのライブ、とのこと。

何よりも、曲名と和訳の付け方が好きです。
奏する人によって、曲のイメージがずゐぶんと変はりますが、
このエヴァンスの演奏も、あるひは、10年前であったら、
もっと内向的な、研ぎ澄まされた演奏になったのかもしれません。
ライブのせゐかしらん、「これからどうしやうか?」といふ
軽い感じの演奏になってゐます。

Ifで云へば、コルトレーンの、深遠なサックスで聞いてみたかった、
と思ってはゐますが。襟をただしながら。 


「ジェームズ・アンソール」展

2005-08-29 | 絵をみる


福島県立美術館へ、「ジェームズ・アンソール展」を見にゆきました。
パンフレットに20年ぶりと書いてありましたので、小生が以前見たのは、
その20年前の鎌倉近代美術館での開催だったのかもしれません。

当時、強いインパクトを受け、色々と画集等も買ったのですが、
今回も、かなり期待をし、忙しいなか時間をつくって行ったのですが、
コンテ等が多く、少し期待はずれでした。

それでも、そのコンテ絵の素晴しさや、色々な影響の蔭から抜け出たいと
もがいてゐる、初期の穏やかな作品が素敵でした。
また、少なからずジャポニズムの影響を受け、以前見た「イエスの行進」?
等の猥雑な感じが、北斎の影響が大きかったのかも、と思はせて興味深かったです。


福島県立美術館は、こんな建物です。




小生の好きな、休み所。






帰りがけに「明治大正ガラス美術館」といふ処に寄ってみました。
よく収集、保存されたガラス製品を沢山見ることが出来て、
拾ひ物の場所でした。



ガラス美術館の隣りの竹林。まう、ハギの花が咲いてゐました。


日曜の朝に

2005-08-28 | やまがた抄

玄関先のポトスから、滴が落ちやうとしてゐました。
ポトスが出した滴だと思ひます。

まだ、昼間の日差しは強いのですが、夜になると
虫の音がよく聞こへる程になりました。

間もなく、秋が走り出します。

風知草

2005-08-27 | やまがた抄

今、仕事をさせて頂いてゐるお客様の庭にありました。

小さな池に、竹が垂れ落ちるやうに下がってゐました。
何も手入をしないから、と奥様は云ってをられましたが、
面白い景色でした。

庭には、錦鯉、ではなく、夜店で買ったといふ金魚が
二十センチほどに成長し、小ぶりな池の中の主になってゐました。


クレンペラー/マーラー「復活」

2005-08-26 | 古きテープから
1963.12.19 英国・ロイヤルフェスティバルホール
指揮:オットー・クレンペラー/フィルハモニア管弦楽団、同合唱団
    ソプラノ:ヘザー・ハーバー アルト:ジャネット・ベーカー
プログラム:①モーツァルト/交響曲第29番
       ②マーラー/交響曲第2番「復活」

BBCのライブラリーを放送したものです。

クレンペラーの「復活」は、スタジオ録音やライブのものを含めて、幾枚かの
CDが棚にありますが、この演奏もクレンペラーらしい、ゴツゴツとした演奏です。

第2楽章の、”過去の回想”のテーマが、行きつ戻りつしながら進んでゆく。
軽やかなワルツのやうに演奏する人もゐるけれど、成る程、それは陽射しあふれる
人の過去のやうでもあるけれど、このコレンペラーの演奏は、まるで挫折に次ぐ挫折の人のやうな、あるひはクレンペラー自身の人生のやうな演奏です。
(でも、だからと云って、営みを止める訳にもゆかない)

終楽章も、ゆったりとしたテンポをとりながら、この混乱した音と旋律の世界から光りを求めるために突き進んでゆく。
いつもながら、凄愴な世界です。
「マーラー先生、無茶苦茶ですがなー」といふ、混濁の世界から、クレンペラーはテンポを落すことで見へてくるかもしれない間の世界を創りださうとしてゐる。
(あの、凄まじく遅いマタイ受難曲もしかり)

終楽章の後半、声楽の出だしの合唱の響きが素晴しい。
コンサートでもこの部分に満足することが少ないのですが、特に日本の合唱団だと
上手く歌ってしまふ。さうではなくて、濁りの人の声から、やがてアルトとソプラノが飛び立つやうに
 ”かたく信じなさい わが心よ! 
  お前が何も失ってゐないことを!”
と、歌って欲しいと常々勝手に思ってゐます、ので。

一曲めのモーツァルトも素晴しい。
おそらく、今では29番の交響曲を(モーツァルトが18歳!)こんな風に大人びて演奏する人はゐないでせう。
以前から、クレンペラーのモーツァルトは25番と29番が好きでしたが、(いはゆる、後期のものはかなりあっさりとし過ぎてゐてー)、この演奏は、78歳のクレンペラーが、まう一度、違ふかたちのモーツァルトを創ってみやうと思ってゐたかもしれない、追従を許さない演奏です。

秋風立ちぬー。

2005-08-25 | やまがた抄

いざ、生きながらへよ、と。

処暑が過ぎて、山形は、朝晩すっかり涼しくなりました。
空の高さが、日ごとに上がってゆきます。



山形では(勿論、他の雛の街でもさうでせうが)季節が劇的に代はります。
小生は、いつも旧暦を気にしながら毎日をやり過ごしてゐますが、
かなりその暦に近い変化をしてゆきます。

季節が代はったな、と実感する一日が幾度もあります。
勿論、春夏秋冬ではなく、まうすこし季節を細分化しての変化ですが。

お客様の庭先で、ツツジが咲いてゐました。
二期咲きといふか、狂ひ咲きといふか。
よく見ると、花芽も沢山つけてゐました。
季節に、正直に錯覚してゐるのでせう。

           




高房神社の石鳥居

2005-08-24 | 山形の鳥居、を巡る
高畠町の街を外れた道沿ひに、忽然と現れました。

実は別の鳥居を探してゐたのですが(未だ見つかりませんが)、
境内の案内を読むと、室町時代のものだとのこと。
時代的には千年近く前になるので、やや怪しい気もしますが、
かつては、山の中腹に建ってゐたかもしれない、とのことで、
その説明の方が浪漫的です。

境内の庭が美しい、とPRもされてゐたのですが、
時間もなく、見送りました。
秋の一日、見ることが出来ればと、楽しみに残してきました。


きっと、来年はー

2005-08-23 | 花や樹や

我が家の、辛夷の樹です。

9年前、同時に植ゑた色々な樹はそれぞれに生長し、
春には花を、秋には紅葉も見せてゐるのに、
ひとり、この辛夷だけは、ウンともスンとも云はず、
いつも葉を繁らせてゐるだけです。

アズマシャクナゲが8年めにして花をつけたので
そろそろかな、と思ってゐましたが、
ウム? これは花芽ではないだらうか?

辛夷は、生育する場所もかなり限定し、水はけや移植も難しいのですが、
我が家のそれは、さういふ意味では過酷に育ててゐるのかもしれません。
厳格な父親のやうに、それがやがてはお前の為になるのだ、と
毎年葉だけの樹を見ながら云ってゐたのですが、
若しかすると、来春は白い花を見せてくれるかもしれません。

春に、東の庭に桜、西の庭に辛夷、といふ10年前の計画が
やっと実るかもしれません。

兄としてー

2005-08-22 | やまがた抄

ひとりで、ツバキの木までたどり着けたよ、と弟が自慢するから、
僕だって、とアジサイの家から出てきたんだ。

でも、どこで間違へたのかなあ。
もしかすると、ササダケの先のヤブコウジの茂みかもしれない。
僕と同じやうな、緑色の実がさくさん生ってゐたので、
面白がって飛び跳ねてゐたら、突然、白い壁にぶつかってしまったんだ。

上から眺めれば少しは様子がわかるかなと思って壁をよじ登ったけれど、
ちょっと足がすくんで、変な格好で壁にはりついてゐるんだ。

こんなところを、弟が云ってゐた庭の主人に見られたら嫌だなあ。
兄の面目は、何より大事なのにー。

カシャ!