やまがた好日抄

低く暮らし、高く想ふ(byワーズワース)! 
山形の魅力や、日々の関心事を勝手気まま?に…。

2月末…

2007-02-28 | 大岡山界隈
       
      

玄関先で、マンリョウ(万両)の赤い実が2月末の日差しにひかります。

爪の先に灯りをともすやうな我が家の生活には、まったく不釣合ひなものですが、
そもそも、小生の好きなのは藪柑子(十両)で、
それゆゑか! 我が家はお金にとんと縁がありません。

低く暮らすことには、(少なくとも小生は…、家人はまた別でせうが…!)
何の不満もないのですが、高く想へないときがあるのは、
さすがに辛いときもあります。

先日、モンゴルの、小学校に行けない少女を日本の若い女優さんが訪ねる番組を見てゐました。
遊牧の家族、身体が弱い両親のため、8歳ほどの少女は牛の乳を搾り、牛の糞を集め、チーズをつくり、そして、ゲルの中で、年に二度の移動教室に参加するために擦り切れた教科書をなめるやうに読む。
日本の女優さんは、その姿を見て泣いてゐるのですが、当の少女にはその涙の意味がわからない。
少女にとっては、モンゴルの過酷な天候の中の、その過酷な状態が昨日まであったことであり、今日もあることであり、おそらく、明日もあること。
もちろん、少女にも欲しいものはあり、夢もあったやうですが、
今は、その生活を甘受してゆくしか生きてゆくすべがない。
”モンゴルの遊牧の民は、別れに決して振り向かない”といふ話のやうに、
少女は突き刺さる寒さの草原で、ひとり、別れてゆきましたが、
貧しく、小さく、ささやかに生きてゐる者の、逆な強さを見た思ひでした。

とまれ、明日からは、光りの月!



雛を出す…

2007-02-25 | 大岡山界隈



昨日は、はだれ舞ふ雪の日でしたが、
今年は、まう、さして降ることもないだらうと、雛人形を出しました。
(例年、まだ雪があるこの時期では、彼らにすこし気がひけますー)

山形の各地でも、この時期、雛街道のPRでかまびすしいですが、
我が家の雛たちは、供物に愛犬がいちべつをくれただけで、
それでも、春の気配のひかりを三人官女らが無言で受けてゐました。

縁側では、ひと鉢のサクラソウが満開です。

       


2月の下旬ですが…

2007-02-23 | やまがた抄


昼休みをとった市内の公園は、すっかり初春の日差しです。

昨日は13度以上、今日も11度ほどになり、
まだ、2月の下旬だといふのに、3月下旬のやうな気配の光りと風ー。
桜は、あと、数週間後? と錯覚するほどです。

毎年早咲きをするといふ山形市内の染井吉野が、
例年は3月の下旬なのに、すでに咲き始めた、との話題もニュースにありました。

知り合ひと会っても、しばし、この異常な陽気談議が始まります。
「そのうち、山形でも、サクランボに替はってみかん栽培が始まるさ」
とひとりの方は笑ってゐましたがー。

何か、かう、雪のない冬を過ごしてしまった消化不良の気持ちが残ります。



高橋武市さんといふ方…

2007-02-21 | 花や樹や

過日、NHKで、高橋武市さんといふ園芸家の方を紹介してゐました。
(再放送だったやうですがー)

本当に、目からうろこが落ちる生き方であり、
目からうろこが落ちるその方の庭、でした。

北海道の北東部に、自らの生き様をさらすやう自然植物園を運営されてゐます。
それを、まったくのひとりで(機械が入りにくく、自らの手と、スコップとツルハシと一輪車で)、50年をかけてつくられ、そして、なほ継続中とのことです。

60歳を過ぎて、老いた母親との二人暮し。
食事の時間も惜しむやうに園の作業に出かける姿は、あるひは、色々とあったに違ひないその半生を封じ込めた修行僧のやうに思へます。

そして、花の盛りの園の何と美しいこと!!

驚くことに、まったく同じ場所に、季節によって十種類以上の花が咲く!!
もちろんそれは偶然ではなく、高橋さんが、地形と土の種類と花の種類を周到に検討した結果ですがー。
高橋さんは、苗を植ゑた時に、そのあと水すら与へない。
徹底的に、植物の生命力を信じ、個々の生命力を鍛へてゐる。
まったく基本的な、強いものだけが存続できるその原理を導入してゐる。

それは、結局、高橋さん個人の生き方、生き様をそのまま、花の咲かせ方に投影させてゐるやうです。
徹底的な夢と意志と強靭な生命力を持ったものだけが生き残れるー。

小生などは、まったく、足元にも及ばない生き方をしてゐますので、ただただ、高橋さんが作ったといふ山!に咲き乱れる花の見事さに感服するのみ、です。

紹介してゐるところが少しありました。
ここ1
ここ2


すでに春のひかり…

2007-02-18 | 大岡山界隈



疲れがたまってゐたか、
うたた寝から目が覚めると、すでに西日が差してゐました。
用がなくなったボイラーの煙突に、暖かな春のひかりが反射してゐました。

明日は、二十四節気の雨水ですが、
すでに雪もなく、雨もなく、三月末のやうなひかりです。

うたた寝の原因は、ピアソラのCDでした。

     

1984年の、東京でのライブを完全収録した2枚組のものですが、
ちょっと退屈でした。
バンドネオンがもっとセクシーに、もっとエロティックに響くのかと思ってゐましたら、コンサート自体がその辺を意識的にグッと押さへたものになってゐて、
初めてまともに聴いたピアソラの演奏でしたが、一寸拍子抜けでした。


先の先…

2007-02-17 | やまがた抄

このところ、気持ちが煮詰まってきてゐるので、
(と、いふよりも、焦げ付いてきてゐる…!)
近々、庄内へふらっと出かけるつもりで、
庄内地方にある美術館の展示情報を調べてゐましたら、
何と、嬉しいことに、11月に小野幸吉の作品展があるやうです。

酒田市の本間美術館で、久しぶりに彼の作品に逢へます。

先の先の話ながら、最近これといった絵を見てゐなかったので、
ずゐぶんと楽しみにできます。


すでに雨雪…

2007-02-12 | やまがた抄







体調不良で、書かず仕舞ひになってゐました。

週末にかけて、まとまった雪が降りましたが、
すでに、湿り気の多い雨雪(あまゆき)になってゐます。
春先の雪です。

通年ですと、3月になってからの雪のはずですが、
今年は、はや、2月の中旬でこの雪です。
季節が、半月ほど早まってゐる気配です。
異変がなければ、よいばかりですが…。

ジェシー・クック、を聴く

2007-02-07 | 音楽を
       

最近、漫然として、ジプシー系の演奏を聴きたいと思ってゐました。
そんなときに、ジェシー・クックのギターに遇ひました。

なんでも、とても有名なフラメンコのギタリストといふことで、
2006年冬季オリンピックのフィギュア決勝のトップ5の内の2人までが彼の曲を使ってゐたとのことでした。

素晴しい音楽!、です。
写真でみる彼の風貌も素敵です。

パリ生まれのカナダ人といふ彼は、ある意味、手垢にまみれてゐるかもしれないフラメンコギターといふ枠をスッとくぐり抜けて、とても新鮮な演奏を聴かせてくれます。
勿論それゆゑ、血の濃さや、恨みつらみのやうなもの(今さら、それも、日本で!?)は音楽からは漂ってきませんが、新しい時代の音を感じます。
CDの曲は、ほとんどが彼のオリジナルださうで、その曲作りにも同じ新鮮さを感じます。

最近は、寝る前にワインを飲んでゐます。
ワインについての何の知識もない小生は、店頭に並べられたそれらの生産地とラベルのよさだけで選んで飲んでゐますが、そのときに彼のギターを聴くと、とても贅沢な気持ちになれます。
最近、公私共に、先に進まないことがらが多いのですが、それらの気持ちの滓をひととき払ってくれるやうです。


(写真は、ジャケットから)

立春ですが…

2007-02-04 | 大岡山界隈



今日は立春、明日は初午(はつうま)ですが、
すっかりの雪です。
隣家の梅の樹も、雪梅の姿です。

壱月は、ほとんど積もるほどの雪は降らず、知人たちとも「山形ではないみたいだ。気持ちが悪いくらいだ」と話してゐたところです。
長期予報では、この先雪もあまり降る気配はすくなく、
何かの天変地異の前触れか、心配なところです。
それほど大げさにならなくても、
この夏の水不足は、きっと間違ひなく、
また、庄内出身の若い友人を春先に山菜採りに誘ったばかりだといふのに、山菜の出具合や時期も慎重に調べなければなりません。

日常生活では、雪掃きの苦労もなく、助かりますが、
やはり、ちょっと心配な立春、です。




成瀬巳喜男の作品を見る

2007-02-03 | 映画雑感
       


先日、成瀬巳喜男監督の『乱れる』を見て以来、すっかり魅了されてゐました。

『浮雲』『山の音』を見ました。

『浮雲』は1955年の作品。
こんな傑作を、今さらながらに見たことに、いたく恥じる思ひでした。

高峰秀子が、素晴しい!!

時代は、戦後すぐ。
映画の冒頭、内地に帰国した早々、女は不倫相手の男の家を訪ねる。
そのふてぶてしい感じが実にいい。
”底をついた男”であり”落ちてゆく男”でありながら、
切れない気持ちを、時に激しくぶつけ、時に甘へ、時に自らの自立を願ひながら、
けれど、結局、男の赴任先の屋久島へ「連れていって!」と病を発病させながら
まるで、道行のやうに、哀しく落ちてゆく。

ひとり生きるために、米軍相手の娼婦にもなり、新興宗教を起こした義兄の金を盗み、その金で男と温泉宿に泊まる。
そんな、荒れた、すごみのある、けれど、限りなく哀しい女を演じて、全編にわたり、彼女の演技が、光りすぎるほど光ってゐる。


『山の音』は1954年の作品。
原節子を成瀬巳喜男監督が撮ってゐるといふので見てみましたが、
高峰秀子の演技に較べたら、目を覆ふほどの粗末な演技でした。
監督も同じ、脚本家も同じでありながら、そのインパクトはまるで違ふものです。

きっと、何の前知識もなく見たのならば、巷間云はれてゐるやうに、
大根役者、といふ言葉が出てきてしまふかもしれません。
映画そのものは、義父役の山村聡の演技が全体のレヴェルを上げてゐますが、
ある意味、原節子の素人っぽい演技が、きはどい内容の話を、
彼女の美しさ、あどけなさで救ってゐたのかもしれません。