羽黒の大鳥居 2005-09-30 | 山形の鳥居、を巡る 昭和初期に、個人によって寄進されたといふ、 高さ20m、巾15mの、東北で有数の大鳥居。 この先は、月山、羽黒山を含めた、聖域の場所に入ってゆきます。 10年ほど前でせうか、羽黒山の宿坊で、ミニ修行をしたことがありました。 最初はメンバーが足らないので急遽参加したものでしたが、 二泊三日の後に、一緒に参加した知人と、 世俗の垢がとれたやうだ、と喜んで山を下る道を歩いてきたのですが、 今はまた、どっぷりとした世俗の中でもがいてゐます。 (´ヘ`;)とほほ・・
玉川寺を訪ねる 庄内遊行ー其の弐 2005-09-29 | やまがた抄 玉川寺(ぎょくせんじ)を訊ねる。 年に一度か二度、この寺に行きます。 ”花の寺”として有名なのですが、何故か訪れるときはいつも花の端境期で、 それでも、一時間ほどゆったりとした時間を持てます。 橋を渡ると、彼岸の世界です。 こじんまりとした竹林が迎へて呉れます。 開け放たれた室内から、浄土のやうな庭が見へます。 この寺の代名詞のやうなクリンソウ。秋の最中に咲いてゐました。 到る所にある灯篭が面白い形を見せてゐます。 庄内では、やはり、”麦きり”です。 腹を空かせて立ち寄ったお店の麦きり。
「蝉しぐれ」オープンセットを見る 庄内遊行ー其の壱 2005-09-28 | やまがた抄 休みの無い日々が続いてゐたので、 好日を得て息抜きをしてきました。 玉川寺へ行くつもりが(後日投稿予定)、途中で寄り道をしました。 数日後に公開予定の、映画「蝉しぐれ」のオープンセットを見てきました。 最近の藤沢周平氏の人気を物語るやうに、平日にも関はらず三々五々、多くの人が見に来てゐました。 よく出来たセットですが、消防法と建築基準法によって、近々取り壊しの憂き目に遭ふとのことで、なんとも無粋な話、です。 文四郎の家、です。 文四郎の家の内部。 オープンセットの前は、庄内柿の畑。 セットの場所を少し離れると、庄内の母なる山、月山。
バルトーク/「弦楽器、打楽器、チェレスタのための音楽」 2005-09-25 | 音楽を 最近、妙にバルトークが聴きたくてー。 バルトーク晩年の、代表作です。 手元にあったものから、ライナー/シカゴ交響楽団(1958録音)、ブレーズ/シカゴ交響楽団(1994録音)、デュトワ/モントリオール交響楽団(1987録音)を聴いてみました。 やはり、ライナーの演奏が素晴しかった。レコードの時には、音の貧しさが気になってゐましたが、CDになったものは音が鮮明になり、引き締った、けれど、有機的な美しさがあって他の演奏から抜きん出てゐます。 小生のお客様に指物師をされてゐた方がをられます。 以前伺ったときに、障子の桟はどこまで細くできるのだらう、と話したことがあります。その方は、七厘(約2mm強)だといはれ、実際に茶の間の襖はそれに近い細さの組子でした。 バルトークの音楽を聴きながら、そのことを思ひ出してゐました。 細く絞り込むことによって痩せるのではなく、強靭なバネと美しさを生み出してゐます。勿論、裏打ちされた作曲上の技術が完璧なのでせうが、凡庸な小生にはそのあたりの難しい理論は分かりません。 そもそも「弦楽器、打楽器、チェレスタのための音楽」のタイトルが示すやうに、まったくもって、味も素っ気もないタイトル、です。 基本的に、物語性を排除したものです。 ”音”を列挙しての音楽、なのです。 各楽章には、フーガがあり、アーチ形式の構造とかがありますが、そこに何かを求める、といったものではありません。 けれど、聴くたびに耳をそばだてる興奮を起こすのは、同時代的には解体へ向かってゐた作曲の世界には振り向かなかった、あるひは、振り向けなかった切羽詰った産物なのかもしれません。
彼岸の萩 2005-09-24 | 花や樹や 稲刈りの進む田園地帯の土手に、今が盛りと咲いてゐました。 改良された品種なのでせう、花も大きく、何よりも樹勢が強いです。 彼岸の中日を過ぎ、ひと時、降りて来られた御霊も また戻られる準備をしてをしてゐる頃でせうか。
ジャッキーのエルガー 2005-09-23 | 音楽を 久しぶりに、ジャクリーヌ・デュ・プレのエルガーのチェロ協奏曲を聴きました。 この曲を初めて聞いたのは、FMか何かで、奏者はジャクリーヌ・デュ・プレでした。月並みでせうが、いきなり聞こへた、胸をかきむしるやうなチェロの音が忘れられませんでした。 説明を見ながら聴いてゐたら、この録音が、デュ・プレが二十歳の時のものだったのに、改めて驚きました。 死後、彼女の伝記本や映画なども出てきて、美辞麗句だけではない、彼女の一面も 紹介されてしまったやうですが、この演奏の前では、霞むほどのものに思へます。 エルガー62歳の晩年のこの曲を、如何に天才チェロ奏者だったとはいへえ、二十歳のデュ・プレは、望みも、諦めも取り混ぜながらひたすら弓で弾きこんでゆく。 この録音のあと、間もなくやってくる彼女への難病(多発性硬化症)の前に、他の奏者の追従を許さないやうな、思ひ入れの強い演奏を残してゐます。 共演の、バルビローリの指揮もこの演奏の見事さを共に創ってゐます。
流木をー 2005-09-22 | やまがた抄 幾度も改装をさせて頂いてゐる、県南のお客様(歯科医院)の処で、 アレンジメントをお花の先生と作ってきました。 全体のデザインは先生にお任せして、小生の無理な願ひを聞き入れて貰って 根元に流木を置かせてもらひました。 以前に、庄内の浜辺で拾ったものです。 朽ち果てんばかりのものでしたが、今しばらくの間、スタッフや患者さんの 目に触れながら、延命をしてもらふことにしました。 午前中で飾りつけが終はらず、お客様にランチをご馳走になってしまひました。 「最近、気に入りのところだ」とのことで、中々の味でした。 何のご縁なのかは分かりませんが、最近亡くなった画家の縁者の方が開いてゐるさうです。 店内には、数百号の大作が惜しみも無く展示されてゐて、ミュージアムの一角のやうな雰囲気です。
クレーメルのベートーヴェン 2005-09-20 | 古きテープから 1977.8.3 ザルツブルク音楽祭大ホール (Vn)ギドン・クレーメル 指揮:クラウディオ・アバド/ロンドン交響楽団 プログラム:ベートーヴェン/バイオリン協奏曲 他は不明 若手の筆頭として名を馳せだした頃だったけれど、 驚いたことに、この時、クレーメルは30歳だった。 この数年の後に彼は亡命するのだけれど、既に風格の備はった演奏です。 ベートーヴェンのバイオリン協奏曲なんて、そんなに日常的に聴くものではないけれど(少なくとも小生は)、ゆっくりとした冒頭のティンパニの連打と、 続く厚い響きに耳をそばだててしまひました。 そして、クレーメルのバイオリン。 美しい音色で、けれどそれが弱さになってゐないところが素敵です。 第一楽章のカデンツァが素晴しい。 クレーメル得意の、シュニトケのものでせうが、ティンパニとからませてブラームスのバイオリン協奏曲からのリズムなどが出て来るところなんて、実にスリリング! それにしても、この頃のアバドのよさを再認識。 彼はのちに、ウィーン・フィルやベルリン・フィルとの組み合はせで、”整った” 演奏をするやうになってしまふけれど、この頃はまだそんな”名誉な”組み合はせを夢だに思ってゐなかったからか、ロンドン響を気持ちよくドライブしながら、若手のバイオリニストに丁寧なバックをつけてゐます。