やまがた好日抄

低く暮らし、高く想ふ(byワーズワース)! 
山形の魅力や、日々の関心事を勝手気まま?に…。

ジャムは…

2011-06-29 | やまがた抄


結局、3キロ弱の佐藤錦を煮詰め、出来上がったジャムは中ビンくらゐ。
規格品であれば市場価格では7,8000円~1万円くらいですから、なんとも贅沢なジャムになりました。

もともと糖度が高いので甘さは申し分ないのですが、如何せん甘すぎて、パンにはのせられず、ヨーグルトに混ぜて食してゐます。


初体験

2011-06-26 | やまがた抄


親戚の果樹農家が人出不足で、サクランボの摘み方に一日行きました。
なんでも、震災の影響で、人手が集まらないとのことで、急遽挙止ー。
実は、昨年から行きたいとは思ってゐたのですがー。

農家の方に「キツイよ!」と散々脅かされて、でも思ったほどではなく、無事に一日の作業を終はらせました。

ただ、朝から夕方までサクランボの実を見続けてゐると、なるほど、ひと粒摘みたいなどといふ気はさらさら起きず、帰りがけ「持って行け」と渡されたL以上の粒のB品(こちらではクズと云いますが)を見ても食べたいといふ気も起きず、結局殆どはジャムにしてしまひました。
佐藤錦のL以上のジャムですから、結構、贅沢です。






絹さや

2011-06-19 | 大岡山界隈


日曜日の朝、8時過ぎ、畑にて絹さやを採ってゐたら、スッと身体に入ってくる音楽が流れてゐた。
隣の家の方のビニール・ハウスから、結構な音量で音楽が鳴ってゐた。

一瞬、余りにも無抵抗で入ってきたので、わからなかった。

モーツァルト、だった!!

FM放送で、モーツァルトの交響曲の40番や41番の一部が流れてゐた。

絹さやを採る手に、その音楽は、余りにも幸福感を与へる。


無料のうちに…

2011-06-18 | やまがた抄
明後日から、高速道路の扱ひが変更になるので、無料のうちに…、と孫をつれて寒河江までー。

”花咲かフェア”で賑はってゐました。
無料で美しく飾られた花々を見られるので、毎年、お得なイヴェントです。









そして、
園内にある数十本のサクランボの樹が、これ見よがしにたわわに実を生らしてゐる。
当然のやうに、皆、辺りを見やって一粒口に入れる!。
我が孫は、相当数つまんでゐた。
(しかし、敵もさるもの、甘味が少ない樹でした)





種飛ばし大会も開かれてゐました。
公認の標準距離が、女性8m、男性12m、であるのを今日はじめて知りました。






《 春の祭典 》の、真・行・草

2011-06-16 | 音楽を
二十歳のころから、いはゆるクラシック音楽を聴き始めた。

最初は、ブルノ・ヴァルターのブラームスの4番、イゴリ・マルケヴィッチのチャイコフスキーの6番、そして、ピエル・モントゥーのストラヴィンスキーだった。

それまでは、いはゆるフォークものを当たり前のやうに聴き、西新宿のフォーク集会へも出かけた。
そして悪友の影響でロックも聴いた。
小生は、ピンク・フロイドやレッド・ツェペリンが好きでした。

偶然ですが、確か、失恋をした頃にクラシックを聞き始めてゐたやうな記憶があります。

とまれ、
《春の祭典》は、そのピエル・モントゥーの、今からすれば拙い録音でしたが、聴くたびに眼のうろこが剥がれてゆき、毎日のやうに聴いてゐました。

元々、バレエ音楽ですが、当時はそれを見るチャンスもお金もありませんでした。

現在、動画サイトで色々な解釈を見られます。
偶然、真・行・草のやうになりました。
どれも面白いのですが、行書体が一番見事でせうかー。
(一部だけの動画もありますので、興味がある方は、続けて探してみてください)



春の祭典part1 - le sacre du printemps - ニジンスキー復刻




I. Strawinsky - (1/4) Le Sacre du Printemps ("The Rite of Spring" - Pina Bausch)




【超解釈】 ストラヴィンスキー / 春の祭典 【バレエ】


早くも、最後の…

2011-06-14 | 大岡山界隈


結局、知人のイチゴ狩りは一度しか出来ず(露地の摘み取りは初体験だから、といたく喜ばれましたがー)、当日不参加になった知人の追体験は不可能となりました。

ジャムを数回つくり、先日の摘み取りでほとんど最後のものになりました。

明らかに実の生り方が弱くなってゐますので、この夏から秋にかけて、畑の大改造を敢行しないと来年が危うくなりました。
ネットで調べましたら、いかにイチゴ農園の方から頂いた良い苗だったとはいへ、三年目は流石にキツイやうです。

感謝

2011-06-12 | 雑記


過日、山梨へ出掛けたとき、深夜の東北道の走り心地がいつになく悪いなぁー、と感じてゐました。
車も旧いゆゑ、そのせゐかしらん、と思ってゐました。

帰路、福島の須賀川あたりからの道路の状況をみて驚きました。
3月の地震の傷跡がすさまじい。
まさに、満身創痍の高速道路、でした。

いたるところで路面もガードレールも大きく歪んでゐて、修理部分は数百メートルごとにある有様ー。
法面は崩れ、防音壁はいたるところで崩落し、けれどまだ手付かずのところも多数ー。
走り心地が悪かったハズです。

それにしても、応急処置のやうな路面のその復旧状態に、一ヶ月ほどで幹線高速道を再開通させた道路マンの意地を見た思ひで、そして、頭が下がりました。
おそらく平常時であればOKは出なかったかもしれない舗装の仕上がり具合、しかし、おそらく、最優先されたのはまず開通させることだ!、といふ思ひだったのでせう。
当然、昼夜違はずの工事の末に、あれだけの距離の、あれだけの箇所のチェックと修理がなされたのだ、と思ひ、いつもは通行料が高い! と文句ばかりの小生ですが、その意地に、感謝の思ひ、です。

そして、それにつけても、較べるほどに、国を司る人々の、情けないほどの、拙い言動に、哀しく虚しい思ひが募ります。



吉田秀和さんのマーラー論

2011-06-10 | 本や言葉


吉田秀和さんがマーラーを論じた本を読む。

ここ数十年の間の文章をまとめたものだといふ。
秀逸です。

いつものくせのやうに、僕はそれほど聴いてゐないけれどー、と云ひながら、

”もし、これが(交響曲第10番)本当に書きあがっていたら、マーラーは今私たちが知っている後期ロマン主義音楽とシェーンベルク以降の音楽とのあいだにある、断絶とまではいかないにせよ、あの大きな隙間を見事に埋める仕事をしたのではないか”

”マーラーは、ある崩壊感覚を同時代の誰よりも鮮やかに表現するのに成功した最初の交響音楽家だった”

と、見事にいひ当ててゐる。

東石楠花

2011-06-09 | 大岡山界隈


春先、明らかに花芽の蕾が大きくなってゐたので、開花を確信してゐました。

我が家のアズマシャクナゲはなんとも強情な樹で、移植をするとなかなか花眼をつけません。
無理に花を咲かせる方法はあるのですが、そんな野暮なことはせずに、ずっと待ってゐました。
5年ぶりに咲きました。

蔵王の中腹、以前、営林署が副業みたいにしてゐた樹木の栽培所で二株求め、最初は花をつけるのに7年かかりました。なるほど、涼しい蔵王の高原地帯から、西陽のきついところへ移植されては7年もかかるかー、と感心したものです。

そして、今回は5年ー。

ホームセンターの店頭で、消費財のやうに売られ、消へてゆく花々や樹々に較べ、
待ち人の気持ちも無視して、わがままに、マイペースで土に馴染んでゆく彼らの悠揚さが、とても好ましい。

夏、巣立ち…

2011-06-07 | 大岡山界隈


狭い巣に、結局5羽の子等が身を寄せてゐた。

この数日後、かまびすしい騒ぎがあったらしく(どうも、親たちが、飛行訓練をさせてゐたらしい…)、そのあと、巣はもぬけの殻になってゐた。

無事に、巣立ちが済んだやうです。

兄弟競争が激しかったでせうから、これから先も、無事に生き抜いてくれることを祈ります。

話では、彼らが東南アジアに帰るとき、別れに、巣があった家の上を数回旋廻するのださうです。
そんな、素敵な場面に遭遇してみたいものです。