やまがた好日抄

低く暮らし、高く想ふ(byワーズワース)! 
山形の魅力や、日々の関心事を勝手気まま?に…。

蔵王は新緑…

2007-05-31 | やまがた抄



一寸、環境に変化が出来まして、慌しくしてゐました。

蔵王までたびたび上ることになり、
丁度、今、蔵王は眼に染みる新緑が美しい季節です。
ですが、残念ながら、観光客は一番少ない季節とか…。

あちらこちらで、まだ、里桜や花桃が咲き、
山形市街とは5、6度違ふ高地は、これから、やっと初夏です。



程々の街

2007-05-27 | やまがた抄

山形市の中心部に用事があるとき、県立の駐車場を利用します。
ゲートを出ると、旧県庁舎(現在は、文翔館)を中心にした建物が目にはいります。

山形市にも、高層のビルやマンションはそれなりにありますが、このあたりの景色は程よい高さに保たれてゐます。

”程々の街”だな、と思ひます。

かつて57万石あったとされる山形藩の姿は、藩内のお家騒動の連続で、幕末期には5万石まで成り下がり、そのまま、明治の時代に突入してゆきました。

他聞にもれず、山形市の中心街も特に商店街は賑はひからは日に日に遠のいてゐますが、まあそれも、人の動きの変化と、商店街の非努力の結果でやむを得ないことでせう。

”程々の街”で、程々の日々を送る。
まあ、そんな、非積極的なありかたもよいのでは、と思ふ昨今ではあります。








ジプシー・キングス、を聞く 2

2007-05-25 | 音楽を


過日、ジプシー・キングスの「GypsyKings」を聴いて以来、遅まきながら、すっかり彼等の音楽にハマッテしまひました(流行りものには、至って遅いなぁー)

その後、幾枚かのCDを聴きました。

「THE VERY BEST 」
「BEST HITS」
「Compas」
「Djobi, Djoba」

(熱心なファンの方が詳細を紹介をしてゐます。HPは、こちら


千年の昔、ビザンティン帝国に忽然と姿を現した”エジプト人”と呼ばれた遊牧あるひは難民の民(当時のヨーロッパの人々は、異教の人、見知らぬ人をさう呼んでゐたといふ)。異質な服装、異質な言葉ー。

五百年ののち、長い時間をかけて、彼らは中世ヨーロッパの各地にひそやかな生きる場所を見つけ出し、小さな幸せな日々を過ごしたのもつかの間、そこから始まる、蔑視と嫌悪と差別と敵意と反感と弾圧と排除の時間ー。

途方もない時空を越えた、そんな”宿命”が、間違ひなくジプシー・キングスの音楽に脈々と生きてゐる。

彼等の音楽が、心の琴線に触れるのは、マイノリティとしての悲しみを怒りを辛さを絶望を希望を夢をー、共有し、そのメンタルな部分を外の世界への突破口の手段としてゐるからなのかもしれません。
”ロマ”でもなく、”トラヴェラー”でもなく、”ジプシー”としてのそれでー。

(有名な話ですが、スペイン語と中東とジプシーの言葉が混ざってゐるらしい彼等の歌声は、とても日本語的に聞こえ、さういふ意味でも身近に感ずる音楽ですが)


メジャーになってからのアルバムは、どれもみな素晴しいものばかりですが、小生は、グループがフランスのアルルを拠点に、北アフリカやヨーロッパ各地を演奏して廻ってゐたころのスタイルをフィリップスレーベルへ録音したものが、とても好ましく思ひます。
まるで、セッションのやうな録音の仕方で、一曲終はるごとに「ブラボ!いいじゃないか!次は、あの曲をやらうぜ!」みたいな雰囲気と声のなかで、まだギターとパルマ(手拍子)だけの構成ながら、彼等の大道芸人としてのプロトタイプを残した演奏です。一曲一曲に、彼等の”血”を感じます。

佳曲ばかりの彼等の曲、歌ですが、小生はその中では「Vamos a Bailar」といふ曲が特に好きですし、感動します。
モーツァルトの”疾走する哀しみ(小林秀雄)”ではありませんが、
まさに、”疾走する情念”、”疾走する宿命”のごとく、曲は限りなく加速しながら果てへとむかふ。



彼等のオフィシャル・サイトが、こちらにあります。
写真を見ると、そのメンバーの風貌(といふより、ツラ構へ!)が実にいいです。


森 敦、を読む

2007-05-24 | 雑記
           
          


森 敦の、庄内三部作ともいふべき小説を読みました。

『月山』(月山、天沼)
『鳥海山』(初真桑、鴎、光陰、かての花、天上の眺め)
『浄土』(浄土、吹きの夜への想い、杢右エ門の木小屋、門脇守之助の生涯、アド・バルーン)

『月山』は、過日の再読。

まったくに面白い世界を描き出してゐます。

特に、鶴岡市の大山(酒どころです、小さく美しい街です)に、”ふらっと、ころがり込んで”の生活を描いた小説が、一寸スマシタ感じの『月山』に較べると、抜群に面白い。

森敦さんの庄内を舞台にした小説は、時代も、日付も、時間も、人物の名前さへ定かには設定してはおらず、けれど登場してくる主人公も、じじやばばも、とてもウサン臭く、貧乏で陽気で開けっぴろげで、それらが混沌とした、曼荼羅のやうな世界が延々と続く。
それに加へて会話が庄内弁ですから、まるで読経を聞いてゐる雰囲気のうちに小説は最後を迎へる。

かうして、その曼荼羅のやうな世界に浸ってゐると、
過日訪ねた大網の山郷が、まるで、”天上の里””天空の里”のやうにおもはれて、秋にでも再度訪ねやうと思ってゐます。

森敦さんの小説は、このあとの長大な一作が遺されてゐますが、いつになれば完読できるやら心もとないですが…。







クレンペラーのワグナー

2007-05-23 | 音楽を
          

普段、ワグナーなんて、さう気軽には聴きませんが、
ここしばらく読み続けてゐる森 敦さんの小説を読んでゐたら、ふと、クレンペラーの演奏が聴きたくなりました。

小生は、特別なワグナーファンではないので、ディスクもクレンペラーのLPが4,5枚ほど、それらの演奏をCDにしたものが1枚あるだけ、のはずです。(いや、テンシュテットとマタチッチのもあったかしらん?)

でも、管弦楽曲集では、クレンペラーの演奏で充分です。
1960年頃に、フィルハモニア管弦楽団と録音したもの。

さして美しくもないフィルハモニア管の音色ですが、そんな瑣末なものはどうでもよい、といはんばかりの悠々たる演奏です。

ワグナーを好んだヒトラーには決して気に入られないだらう演奏!!
(クレンペラー自身も、ナチスに追はれ、アメリカへ逃亡するわけですがー)
派手さも、妙な演出も、浅はかな美しさなど微塵ももない(対極の演奏は、ナチ党員だったカ○ヤン氏がヒトラーの死後、形づくってゆきますがー)。

「マイスタージンガー」の前奏曲では、最後の見せ場を逆にテンポを落としてまで曲の大きさを見せる。
”ワルキューレの騎行”のずんぐりとした演奏では、攻撃用のヘリは失速してしまふほど。
「タンホイザー」序曲の、何と見事な音の、旋律の重なり!
「トリスタンとイゾルデ」前奏曲の、あの3時間余の甘味な、そして悲劇的な愛の物語りを見事に先取りさせる恍惚とした演奏。

クレンペラーの、特に晩年の演奏を聴くたびに、彼が厳しく律した音楽とは? といふ難題のひとつの答へが見へてきます。


左沢から

2007-05-21 | やまがた抄


左沢(あてらざわ)へ私用で出かけました。
まさに、五月晴れの山と空でした。

この季節でもまだ真っ白な月山と、わずかに残雪のある葉山が彼方に見へ、共に山形の山岳信仰の拠点の山ですが、左沢付近で大きく蛇行してゐる最上川が新緑を吸ひ込んでゐました。

いましばらくすると、このあたりの山で、ヒメサユリが咲き始めます。








グレン・グールド

2007-05-17 | 音楽を


数日前でしたか、新聞の壱頁に、グレン・グールドの記事がありました。
今、また、グレン・グールドが脚光を浴びてゐるといふものでした。

ウム、と思って、またまた、彼の『ゴールドベルク変奏曲』を聴きました。
まさに、稀有の名録音です。

深い闇の中から、こぼれ落ちるひと筋のひかりのやうに始まる冒頭のアリア!
とてつもなくゆっくりとそれが拡散し、グルドの50分の宇宙が始まる。
そして、いつものやうに、その磨きぬかれたピアノの音と共に、グールドのハミングともうなり声ともつかない彼の声が、何の遠慮もなくディスクに収録されてゐる。
そして、早いパッセージの演奏の、転がるやうな音色の何と美しいこと!

まう、この演奏には、バッハの後ろ姿さへ消へてゐる。

あるのは、グレン・グールドといふ、夏でも厚手のコートや手袋を身に付け、一切の公開の演奏活動を拒否し、ひたすら自らの演奏にひきこもってしまひ、この録音(1981年)を辞世の歌のやうに、人生五十年で逝ってしまった天才の絶対の自信と、聴く者への問ひかけだけー。

グールドの演奏は、同じバッハの『フーガの技法』やモーツァルトのソナタのやうに、聴く者を見事な肩透かし(猫だまし?)で済ませてほくそゑんでゐるやうな録音もありますが、彼流のユーモアなのでせう。

けれど、きっと、低い椅子に座し、猫背のやうに身体を窮屈にさせながら録音されたバッハの(小生は、彼のバッハとモーツァルトとベートーヴェンしか聴いてゐませんが)どれもが聴くたびに新鮮に聞こへるのは、その本質を突いてゐる演奏だからに違ひありません。

グールドの演奏の一部が聴けるサイトがありました。こちらです。

湯殿山注連寺/庄内三十三観音 第三十一番

2007-05-15 | 出羽百観音、を訊ねる

過日、七五三掛の桜を見に伺った湯殿山注連寺は、また、庄内三十三観音の札所のひとつでもあります。

森 敦氏の『月山』で一躍有名になった、大網地区の古寺、です。
このお寺にも、即身仏は座してゐるやうです。
寺の詳細は、小説のなかに見事に描写されてゐますが、また、境内には森氏にまつはる建物も建ってゐましたが、遙かに望む月山の姿が色々なものを雄弁に物語ってゐたやうな気がします。

森氏が小説を書いたとされる紙の蚊帳は見たかったのですが、伺った時は、念仏の日なのか、何かの講の日なのか、ひきもきらず善男善女が堂内に入ってゐましたので、それらの方は桜を愛でることもなかったやうでしたが、小生は桜のみでいとましました。
それでも、この屈指の雪深い里で、信仰とか祈りといふものが、きはめて普通に息づいてゐる空気が伝はってきます。

百年ほど経ったお寺のやうですが、冬は数メートルの雪に埋もれるだらうその建物は、まさに痛みに痛み、けれど、まるで木材の繊維だけになってでも生き延びてやる、といはんばかりの凄みのあるものでした。

お寺のHPがありました。こちらです。






















湯殿山大日坊/庄内三十三観音 第九番

2007-05-14 | 出羽百観音、を訊ねる

旧い歴史をもつ寺としても、また、即身仏があるお寺としても有名なところです。
豪雪地帯の、けれどおだやかな山郷の一角に、鎌倉時代のものとされる山門が威風堂々と建ってゐました。

詳しいお寺の紹介は、HPがあります。こちらです。








山門には、風雪に耐へた、風神雷神の像。






そして、一対の仁王像















寺の立派な姿には、この一帯が信仰の地であることの証明でせう。
山郷の寺に似つかはしくなく、境内にはスピーカーからの読経のやうなものが流れ、小生はちょっと嫌気がさして堂の中には入りませんでした。
古びた木像が拝顔できたことは感謝しながらー。