過日、ジプシー・キングスの
「GypsyKings」を聴いて以来、遅まきながら、すっかり彼等の音楽にハマッテしまひました(流行りものには、至って遅いなぁー)
その後、幾枚かのCDを聴きました。
「THE VERY BEST 」
「BEST HITS」
「Compas」
「Djobi, Djoba」
(熱心なファンの方が詳細を紹介をしてゐます。HPは、
こちら)
千年の昔、ビザンティン帝国に忽然と姿を現した”エジプト人”と呼ばれた遊牧あるひは難民の民(当時のヨーロッパの人々は、異教の人、見知らぬ人をさう呼んでゐたといふ)。異質な服装、異質な言葉ー。
五百年ののち、長い時間をかけて、彼らは中世ヨーロッパの各地にひそやかな生きる場所を見つけ出し、小さな幸せな日々を過ごしたのもつかの間、そこから始まる、蔑視と嫌悪と差別と敵意と反感と弾圧と排除の時間ー。
途方もない時空を越えた、そんな”宿命”が、間違ひなくジプシー・キングスの音楽に脈々と生きてゐる。
彼等の音楽が、心の琴線に触れるのは、マイノリティとしての悲しみを怒りを辛さを絶望を希望を夢をー、共有し、そのメンタルな部分を外の世界への突破口の手段としてゐるからなのかもしれません。
”ロマ”でもなく、”トラヴェラー”でもなく、”ジプシー”としてのそれでー。
(有名な話ですが、スペイン語と中東とジプシーの言葉が混ざってゐるらしい彼等の歌声は、とても日本語的に聞こえ、さういふ意味でも身近に感ずる音楽ですが)
メジャーになってからのアルバムは、どれもみな素晴しいものばかりですが、小生は、グループがフランスのアルルを拠点に、北アフリカやヨーロッパ各地を演奏して廻ってゐたころのスタイルをフィリップスレーベルへ録音したものが、とても好ましく思ひます。
まるで、セッションのやうな録音の仕方で、一曲終はるごとに「ブラボ!いいじゃないか!次は、あの曲をやらうぜ!」みたいな雰囲気と声のなかで、まだギターとパルマ(手拍子)だけの構成ながら、彼等の大道芸人としてのプロトタイプを残した演奏です。一曲一曲に、彼等の”血”を感じます。
佳曲ばかりの彼等の曲、歌ですが、小生はその中では「Vamos a Bailar」といふ曲が特に好きですし、感動します。
モーツァルトの”疾走する哀しみ(小林秀雄)”ではありませんが、
まさに、”疾走する情念”、”疾走する宿命”のごとく、曲は限りなく加速しながら果てへとむかふ。
彼等のオフィシャル・サイトが、
こちらにあります。
写真を見ると、そのメンバーの風貌(といふより、ツラ構へ!)が実にいいです。