やまがた好日抄

低く暮らし、高く想ふ(byワーズワース)! 
山形の魅力や、日々の関心事を勝手気まま?に…。

カラヴァッジョ!

2007-01-30 | 絵をみる

日曜日の夜、新日曜美術館でカラヴァッジョを特集してゐました。

以前、『マグダラのマリアの法悦』の写真を見てから、彼の、ただならぬ天分に圧倒され、ほれこんでゐます。

稀有な天才を、おそらく、酒、女、同性愛、賭け事、喧嘩で消耗させ、絶頂な人気を誇ってゐながら、注文主の希望を無視し、聖母のモデルには娼婦や水死体(とされる)の女を描き、決闘で文句をつけ殺人を犯し、投獄や脱走を繰り返し、40歳を前に海岸で野垂れ死ぬ。

けれど、彼の作品の、光りと蔭の間を突き抜ける、狂気寸前の凄みが好きです。

幾つかHPを載せておきます。
興味がありましたら、ご覧ください。

参考1
参考2
参考3

マッチ

2007-01-29 | 雑記



禁煙モードが年を越してしまひ、いよいよ、今月末が禁煙宣言の期限となってゐます。

ハイライト愛煙家の知人には、
「この、軟弱者が! 長生きでもしたいのか!」
と嫌味をいはれ、
煙草嫌ひの知人には、
「まだ、そんなことを云ってゐるの?」
と呆れかへられ、
それらのプレッシャーから逃げるべく、いっぷくといふ、
本末転倒な、とんでもない悪循環になってゐる。

ライターが切れたので、あらたに買ふことはせず、
身近にあったマッチを使ってゐました。

ふとみると、時代ですな、横に小さくHPのアドレスがありました。
こちらです
結構、面白いものでした。

ところで、禁煙はといふと、
別に他人のためにするのではなく、
自分の健康のために意を決したことですので、遅かれ早かれ成就するハズ?です。



『ニュー・シネマ・パラダイス』、を見る

2007-01-28 | 映画雑感
『ニュー・シネマ・パラダイス』を見ました。

公開時に見逃し、再上映でもあったらと思ひながら、ずっと見なかった映画でした。
こころの”宝”のやうな、映画です。

人生は、まったくもって、辛い。
けれど、生きてゐれば、何とかなる。
そして、何とかなるための道を探さなければならない。

全編にながれる、エンニオ・モリコーネの叙情的で、馥郁たる音楽がそんな感想を抱かせる。

美しいシチリア(とされる)の広場と街のたたずまひ。
貧しいー。
けれどそれが、生きてゆくうへで、決定的なアドヴァンテージになってゐない人々。
映画を渇望し、映画の台詞をそらんじるほど愛し、多くの素朴さと少しのずる賢さをもった人々。

何とした、演者たち(主演者や街の人々)の見事さだらう。
画面に映る、すべての人々が、見事に”人間”を演じてゐる。

DVDでは、3時間余の完全版とのことで、公開時の時より大幅に長くなってゐるやうですが、正直なところは、2時間半で済んだのかな、と思ひます。

前半の、トトの少年時代のエピソードと画面や演技が余りにも素晴しいので、続く青年時代、壮年時代のそれがやや冗長に感じられます。
特に、かつての恋人との再会のシーンは、うそ!?といふくらゐに話が出来すぎてしまってゐて、少し興醒めです。
それでも、ラストのシーン(亡くなったアルフレードの形見の品。カットされたキスシーンばかりを編集したフィルムの上映)は、それを見る主人公のわずかな微笑みとともに、満腔の思ひでこの映画を見終はることの喜びを残してくれてゐます。

まだ、この映画の紹介のHPがありました。こちらです。

そして、イタリア語の、喜怒哀楽のはっきりとした言葉を聞きながら、必ずまた、イタリアに行きたい、と強く思ふ。

温泉へ…

2007-01-26 | やまがた抄

肩と腰の痛みが続いてゐて、半日、温泉治療ときめこみました。
大石田町の、あったまりランド深堀、へ行ってきました。



最上川です。
今年はやはり、雪はすくない。


露天風呂もありましたので、雪見風呂をー、と思ってゐたのですが、
竹垣の中の露天風呂には雪はなく、はるかの山並みも白一色ではありません。
よく見ると、竹垣から、桜の樹が見へました。
裸のまま外を覗くと、桜並木でした。
春には、今度は、花風呂をー、と予定しました。

身体の疲れをとるためでしたので、古代ローマ人のやうに横になりながら昼食のおにぎりも珈琲もとり、フィリップの小説を読んでゐました。
極楽のひと時、でした。

     




『若草姫-花輪大八湯守り日記-』、を読む

2007-01-24 | 雑記
       
       


『若草姫-花輪大八湯守り日記-』(高橋義夫著/中央公論新社)を読む。
『湯けむり浄土』の続編で、ネット上に公開されてゐたものです。

山形県の北部の湯治場、肘折温泉を舞台に書かれた時代小説です。
その肘折温泉で、3年前の春、『湯けむり浄土』の出版記念講演と宴がありました。高橋義夫先生に同行し、小生等の山形盛り場研究会のメンバーもお手伝ひがてらお邪魔しました。大蔵村村長や観光協会や青年部の方々のお出迎へを受け、楽しく肘折温泉の夜を楽しみました。

講演あとの宴の時に、村長やお歴々の方々の「ぜひ続編をー」といふ声がありまして、高橋先生も密かに案を練ってをられたやうです。

本作での描写にもありますが、肘折温泉は、まったくすり鉢の底のやうな地形です。以前に、やはり、盛り場研究会の新年会が肘折温泉であり、ひとり夜の8時頃に現地に着いた小生は、4~5メートルの雪の壁の先に見へる温泉街の景色に、帰りの心配をするほどでした。


『乱れる』、を見る

2007-01-23 | 映画雑感
     
  


2月に、山形国際ドギュメンタリー映画祭実行委員会の主催で成瀬巳喜男監督の作品を特集した上映会があります。
その影響か、レンタル店でも成瀬巳喜男の特集コーナーがあり、先日一枚借りてきて見ました。




偉大な、佳品です。
モノクロの画面が本当に美しく、何故か見てゐて、妙な心地よさを感じる。
40年前の日本の地方都市(清水市となってゐます)。
小さな商店街。スーパーマーケットの進出。黒電話。木造家屋。ちゃぶ台。買い物籠。三輪自動車。…
そこで生まれる、若い寡婦と義弟との恋愛。

話としては、特段変はったものでもありませんが、それを緊迫感のある画面に映し出した手腕の見事さ。
若き高峰秀子の演技がほんとうに素晴しい。
目の動きと、わずかな顔の蔭りが、本当の役者であることを証明してゐる。
終始、緊張感のある姿を見せながら、義弟の告白を受けて身を引くために故郷山形の新庄へ向かふ。「送るよ」と云った義弟は、山形行きの列車に乗り込むのですが、やがて彼の姿をみて、ふっと、あきらめたやうに、気持ちを許すかのやうにかすかに微笑む。
そして、気持ちを決したやうに大石田駅で途中下車し、冬の銀山温泉へゆく…。
”乱れる”かもしれない自分の気持ちと葛藤してゆく姿が、とても美しく描かれてゐる。義弟は、受け入れない義姉を残して酒を飲みに出かけ、翌朝板戸の上の姿で女の前に現れるが、けがなのか、死んでゐるのか、事故なのか、自殺なのか、不明のまま、女は、身を振り乱して運ばれてゆく姿を追ふ。
映画は、そのシーンで、唐突に終はる。
追ひかける途中の、悔恨とも、愛の確信ともとれる表情がとても素晴しく、それを演じた高峰秀子と、演じさせた監督の見事さに感服。
そして、義弟を演じた加山雄三もまた素晴しい。
不器用な演技ながら、それがそのまま、義姉への不器用な恋愛感情として演じられてゐる(否、監督がそうさせたものでせう)。



(写真は、パンフレットから)


『ピカルディの薔薇』、を読む

2007-01-22 | 雑記
       
  

『ピカルディの薔薇』(津原泰水著/集英社)といふ小説を読む。

何の前知識もなく読んだのですが、とても面白い短篇集でした。
私小説風の形をとりながら、実は、かなり手のこんだ技を用意し、
同じ主人公が、時には平成の世に、時には昭和初期に登場する。
紡がれる話が、本当なのか、夢なのか、幻想なのか、
それすらも判断させずに、物語を描いてゐて、見事です。
特に、文章力がすばらしく、同じ作者のものをすこしまとめて読んでみやうと思ってゐます。

極太うどん

2007-01-21 | 大岡山界隈

先日、若い友人と蕎麦とうどんの話をしてゐたら、後日、
「このうどん、この前話してゐた極太うどんです。食べて下さい」
、と五玉持ってきてくれました。





小生は不案内でしたが、知るひとぞ知るものらしい。
袋に”冬季限定 本式あし踏み手打ちうどん”とある。
期待大で、ぶっかけにしやうと思ったら、
今日はカレーの予定で、変更はない、と家人の話。
妥協点で、カレーうどんにして食しましたが、
友人の絶賛の話の通り、太く、腰があって、もちもちとした食感で、
すばらしい存在感で、案外カレーうどんに似合ってゐたのかもしれません。



山形は、一応、蕎麦文化ですので、
「蕎麦でも食ふか」といふ誘ひはあっても、
「うどんでも食ふか」といふことは余りないのですが、
小生は共に大好きなもので、良いものを教へてもらったと友人に感謝してゐます。


大寒ですが…

2007-01-20 | 大岡山界隈



今日は大寒ですが、我が家の庭には雪がほとんどありません。
この冬は、まだ雪掃きは一度だけです。

暖冬、といふより、何かの異変なのでせうが、
雪のない日々は、少し寂しくも、日常生活には有難いものです。

庭の一角で、早くも、水仙が頭を出し始めてゐました。


『会津戦争全史』

2007-01-19 | 雑記
        
 

『会津戦争全史』(星 亮一著/講談社)を読みました。

ずゐぶんと以前、『ある明治人の記録』といふ新書を読み、主人公たちは何故にここまで悲惨な状況を強ひられるのか、詳細がわからないままでした。
山形に移り住み、古木の桜を求めて会津を歩いてゐるときに、行く先々に、戊辰戦争の残された傷が吹き出てゐました。
人生の先輩に教へられて、会津若松の鶴ヶ城の敷地内にある、厚い茅葺きの屋根を哀しいまでの細い柱で支へてゐた茶室を見たとき、降伏の図といふ錦絵も見ました。
その絵にあったのは、いはゆる官軍の、酷いまでの藩主への侮蔑の視線でした。
それ以来、戊辰戦争を細々と調べてゐます。

いつもながら、著者の視点は会津側に片寄りすぎてゐるきらひはありますが、
本書にもあるやうに、強引に極論すると、会津戦争は、長州藩が仕掛けた新撰組の池田屋事件への報復戦争的な意味合ひが強い。
近代国家への出発や転換、といった題目は後からつけた感がある。
そして、それを受けて立たざるを得なかった会津藩の、前近代的な戦争戦略や装備、首脳陣や組織の硬直、門閥の弊害が火に油を注いでゐる。

戊辰戦争は、東北地域全域を巻き込んでゐますが、山形にしても、右往左往する山形藩、逃げる天童藩、嵐が過ぎるのを待つ新庄藩、意外に果敢に活躍した上山藩、当時最強とも云へる軍を持ってゐた庄内藩、積極的に動かないことで信頼を失ふ米沢藩、等々、当時それぞれの事情がからんで、いろいろな動きがあります。

そして、未消化に終はったこの幕末の戦争の総括が、100年以上も過ぎた今でも、日本の中で数々の貧しい現象を引き起こしてゐるやうな気が致します。