やまがた好日抄

低く暮らし、高く想ふ(byワーズワース)! 
山形の魅力や、日々の関心事を勝手気まま?に…。

3割

2016-05-31 | 畑仕事


ジャガイモの花が盛りです。

隣りの方に”ずゐぶんと早いなァ”といはれたのですが、おそらく、種芋を植ゑた時の失敗で(藁を土の上にかぶせるのだったのですが、切り藁にして、芋にかぶせてしまひました。けれど、それが保温と栄養源になってゐる可能性もあり)、”ケガの巧妙かもー”と笑った。

やっと、オクラと小豆と黒豆と金時豆の種を蒔き、オクラと小豆は兎も角、他の豆類はうまく成長するかしらんー。

昨年も、黒豆、金時豆とも、花は一斉に咲き出すのですが、収穫時にはあれっと思ふほど実がついてゐませんでした。
悔しくて、色々と調べたら、そもそも、両者の結実率が非常に悪く、まあ、素人だと3割程度、らしい。
隣りの方と話しても、”3割かあー、では、素人の家庭菜園では効率が悪いから、手をださないなあ”といはれ、小生の無謀さを突っ込まれるー!

北海道あたりの産地でも5、6割とかいふ話もあるので、むべなるかなー。

それでも、正月用に、なんとか収穫したいので、頑張って手間ひまかけるつもりです。




5月末、蔵王

2016-05-29 | やまがた抄
蔵王に登ってきました。

昨年はお釜の湖面に濁りが見られ、火山性微動があって立入り禁止になってしまひ、今年になってその禁も解かれたので、好きな馬の背を歩いてきました。

駐車場付近では、ミネザクラが丁度満開ー。



彼方に朝日連峰もくっきりー。



お釜の姿も、くっきりー。





朝早い馬の背を歩く。



頂上付近では、空が近くー、



残雪豊かな月山もくっきりー。



戻り道は、東京から来たといふ方と雑談しながらゆっくり歩いてもまだ10時すぎで、すこし下って坊平高原に寄ってみたらツツジが見頃で、なんと、出始めのワラビも結構採れ、美しく、楽しい、蔵王の5月末、です。





惨姿

2016-05-24 | やまがた抄


長井へワラビ採りに行くときに、『釜ノ越櫻』の近くを通る。
いつも遠目に痛々しい枝先が見へてゐたけれど、とても怖くて近寄れなかった。

けれど、やはり気になって、先日向かってみた。
その姿に、言葉を失った。
彼は、もはやこれまでー! と、天を仰いでゐた。

5,6年前だらうか、知人たちとの櫻見のとき、夕方だったがなんとなく寄ってしまった。
すでに樹勢のなくなってゐた姿に、皆顔を青ざめて眺めた。

数十年前にNHKの紀行番組で紹介され、そのころからか名前が知られるやうになり、その後のTVステーションの夜桜中継でも見事な姿を知らしめてゐた(小生も当日、夕方のリハーサルの時からその場で見てをりました)。

樹齢800年ほどのエドヒガン。
小生が初めて見たとき、その勇姿は天に広がってゐました。
確か、その後、台風か落雷で主幹を失ひ、きっとそのせゐもあるのでせう、一気に樹勢を失ったやうな気がします。

けれど、県南の櫻回廊の旗艦のやうな櫻です。
なんとかならなかったものだらうかー。
おしなべて、櫻回廊の銘木たちは押し寄せる観光客の数に比例して年々酷い姿になってをり、以前の中山町の『御達磨の櫻』のやうに、私たちは、500年、800年生きつないできた櫻を、たかだか数十年で殺してしまふのでせうかー。

まう二度と来ることはない、と別れの気持ちでその場を去りました。






順調です

2016-05-23 | 畑仕事


天は野鳥たちの格好の攻撃に晒されながら、地は縦横無尽に動き回ってゐるらしいモグラか野ネズミのいたずらにあひながら、イチゴも赤くなり始めました。
今週中には二組の娘夫婦がイチゴ狩りツアー(無料!)に来るので、それが終ったらジャム用に収穫です。




タマネギもなんとか順調です。
隣家の方のアドヴァイスをいつも聞いてゐて、おかげでおそらく200個以上の収穫は望めるでせう。
(昨年は、老母が何を思ったか、ピンポン玉ほどになったのをほとんど収穫してしまひ、家人の逆鱗に触れ、あっといふまになくなってしまひましたが…)

現在、糊口をしのいでゐる仕事には、面白いことは何もありませんが、長年ものづくりに携はった小生には、畑仕事は格好の遊び場、です。



5月は長井でー。

2016-05-18 | やまがた抄
天気も回復して、予定通り、長井へワラビ採りー。

5月の長井、6月の尾花沢、で冷凍分も含め、確保しなければならず、期待に胸を膨らませて現地へー。
朝6時半過ぎに到着。



実は、一週間ほど前、娘夫婦の切なる要望で、同じ場所を案内し、それなりに頂いたのですが、そのときショッキングな場面に遭遇してしまひました。

日曜日の8時に現地集合なんて、山菜採りの風上にもおけないスケジュールで、車をおけるスペースの周辺はすでに数組が漁った後で、”ホラ、遅すぎるー!”などと話してゐると、その数組がスーッと移動を始めた。

そして、車が向かふ方向は、小生らも予定してゐるビッグ・ポイントー。
”ヤバイ!”と皆に声をかけ、悪路を走って彼らより先んじて車を置き、走りながら山道をあがると、すぐ彼らも追ひかけて来て、結局そのポイントで、数組が争奪戦の修羅場となってしまひました。
(皆、よいポイントは知ってゐるのです)

昨年に比べ、明らかに踏み荒らされた跡も多く、量も少なめでした。
仕方がないので、あちらこちらへ立ち寄り、なんとかほどほどに収穫ー。












蔵王カボチャ

2016-05-10 | 畑仕事


いつ、蔵王カボチャの種を入手したのか、まったく記憶にない。

以前に、蔵王の麓の集落をローラー営業し、かなりの件数の仕事をした時があった。
どのお宅も、誠実に仕事はした自負はありましたが、中心の道路で住人の方と顔が会ふと”お茶を飲んでいけ””また、頼みたいことがある”等々、集落にとても溶け込んだ関係ができました。

その中の一軒で、集落の長老の家で頂いたのかもしれない。
とても素敵な老人で、かつて西行法師が西蔵王を訪れたころ(当時、西蔵王には瀧山寺といふ伽藍あまたの寺があり、西行は辺りに咲く大山桜を見に来たとも、瀧山寺を偵察にきたともいはれてゐる)、一帯を支配し、時の権力に立ち向かってゐたといふ僧兵の末裔だと話されてゐた。
息子さんは”ウソ、八百だァ”と笑ひ、嫁さんは顔をしかめてゐた。

小生はとても興味があったので、幾度となく話を伺ひに行きましたが、家宝だといふ、畑の中から出てきた小さな仏像を拝見することは叶はなかった。数年前、新聞でその方の死亡を知り、見るすべは失ひました。
(知り合ひのTVディレクター氏によると、だうもその仏像の存在はあるらしく、彼は見た、といふ)

数年前、袋に入ってゐたカボチャの種の芽出しをすると、あきらかに双葉の色が違ふものが二つほどあった。
もしかして…、とおもひ、大事に移植したのでしが、小さな実をつけてその後は大きくならず、やがて虫にやられ枯れてしまった。

昨年もなんとか残した種を蒔いたのですが、一株しか成長せず、数個実がつきました。
別名「マサカリカボチャ」といはれるほど皮が固く、でも中はホクホクと絶妙に甘い。

そしてそして、今年は30粒ほど蒔いた種から4、5個の芽が出て来ました。
DNAに体力がついたのかもしれません。

畑の一角に、専用の場所もつくったので、なんとか3株くらゐは無事に大きくなってもらひたいものです。



ヤコブ・ファン・エイク:涙のパヴァーヌ / フランス・ブリュッヘン

2016-05-07 | 音楽を
ヤコブ・ファン・エイク:涙のパヴァーヌ / フランス・ブリュッヘン,アンナー・ビルスマ,グスタフ・レオンハルト


F・ブリュッヘンの録音を集中的に流してゐるサイトに出会ひ、まったく久しぶりに《涙のパヴァーヌ》を聴いた。

レコードはあったけれど、確か、何故かCDでは買ひ替へなかった記憶がある。
40年も50年も昔の録音だと思ふ。

当時、クラシック音楽を聴き始めたころ、V・エイクなんて作曲者は知りもせず、といふより、そのレコードに収まってゐたバロック初期の作曲家の名前なんて、だれひとりとして知りもしなかった。

ただ、リコーダー(といふより、小学生の当時、確かスペリオパイプとか云ってゐた、白黒のチャチなたて笛、それをランドセルの隅に挿してゐた記憶があるー)一本から、おもひもよらない多彩な音色が広がってゐたのに驚愕した憶へがあります。

いかにもオランダ人といふ風貌のブリュッヘンは、やがて指揮者になり、その名も画期的な18世紀オーケストラを設立し、今のピリオド奏法ムーブメントのまったく魁をなしてゆきますが、小生は、その組み合はせのモーツァルトやベートーヴェンをほとんど買ったのにもかかはらず、あまり好きにはなれなかった。

今にして思へば、ホールやCDで聴きなれたモダン・オーケストラの響きとのあまりにも違ふ、乾いた音色やドラスティックな演奏のせゐだったのかもしれない。

昨今は、ピリオド楽器やピリオド奏法でなければクラシックにあらず(特にバロックや古典派の音楽は)のやうに席捲されましたが、その原点を開拓したのがまさにF・ブリュッヘンやその仲間たちでした。

その彼も、2年前に亡くなり、一緒に録音してゐたアルノンクールやレオンハルトもまたすでに鬼籍にはいり、G・マーラーや江戸時代の日本画家の若冲のやうに、”やがて私の時代がくるー!”と確信してゐた先駆者の凄みに感服しないではゐられません。





仕方ない…

2016-05-05 | やまがた抄
半日時間が空いたので、朝6時に家を出て、3時間ほどワラビ採りへー。

幾つかのポイントを走り周り、場所によっては遅かったり早かったりでしたが、まあまあの収穫ー。




そして、おまけのつもりで寄った場所ですこしショックな景色に遭遇。



春にはワラビ、秋には山栗が頂けるポイントでしたが、景色が一変してゐました。

5年前の震災時、仙台経由の送電がストップし、山形でも停電が続き、それを受けて日本海側からの送電網を作る、とは聞いてゐましたが、まさに、立ち寄ったポイントがその線上でした。

やむを得ない事情ではありますが、”よいワラビが採れたのだけれど…”とブツブツとこぼしながら、まだわずかに繁殖を続けてゐたワラビを感謝の気持ちですこし頂いて来ました。