やまがた好日抄

低く暮らし、高く想ふ(byワーズワース)! 
山形の魅力や、日々の関心事を勝手気まま?に…。

『浄瑠璃坂の仇討ち』

2016-03-22 | 本や言葉


先日、本だったかネットの文章だったかで、江戸時代に上山藩のはずれで武士の果し合ひがあった、やうな記事を見にした。
”浄瑠璃坂の仇討ち”といはれてゐる事件の一角だった、やうに書かれてゐた。

さういへば、高橋義夫先生の作品に『浄瑠璃坂の仇討ち』といふのがあったのを思ひだし、早速に読んでみました。
不覚にも初めて読んだのですが、僭越ながら、とても面白かった。

鍵屋の辻の決闘赤穂浪士の話とともに、”江戸の三大敵討ち”のひとつといはれてゐるとのことで、鍵屋の辻の話はとてもドラマティックで見知ってゐましたし、赤穂浪士の話は要はひとりの老人を47人でなぶり殺ししたやうでとても嫌ひな話で、この浄瑠璃坂の話は親戚同士の仇討ちなので一寸地味系ですが、なるほど、赤穂浪士たちがモデルにしたといふ潜伏方法や決起の時の衣裳等の話がとても面白かった。

新聞の連載だったとのことですが、500ページ近いヴォリュームをひと息に読みました。

正月の新年会でお会ひしたときに、先生は現在『最上義光』を新聞で連載されてゐるのですが、なかなか話を進めるのが難しいと苦笑されてをりました。きっと、山形に移住されて以来、究極の人物をとりあげてをられるので、現在も時々は読んでゐるのですが、一冊の本になるのを今から楽しみにしてゐます。


立原正秋(たちはらせいしう)

2013-04-12 | 本や言葉


前にも書きましたが、天邪鬼の小生は、歴史上、不当にも50人近くの浪人によってたかって惨殺された吉良上野介義央と、明治政府によって不当に評価が低くされたこれも幕末の跳ね返りの若者に暗殺された井伊 直弼を、ともに擁護してゐます。

先日、精神科医の方が書いた井伊 直弼についての本がとても面白かったのですが、ふと、さういへば、立原正秋が井伊直弼の最後の朝を書いた短編があったと、引っ張りだして読みました。

『雪の朝』ですが、本の最後をみたら、30年近く前に読んでゐました。
当時は、清冽な印象があったのですが、今回読むと、なんだか、資料を漁って再編成したやうな感じで、面白くはなかった。

ーと、久しぶりに、立原正秋のことが気になってしまって、高井有一の書いた自伝を久しぶりに再読し、小生の好きな短編『やぶつばき』を読みました。

今はすっかりと忘れ去られたやうな”流行作家”の立原正秋の作品は、小生、その膨大な作品群の7、8割かたは読んでゐるはずです。

高井有一の自伝でも、時に敬愛をもって時に厳しく指摘されてゐるやうに、この生涯に名前を六回変へ、朝鮮人ながら、限りなく日本人にならうとした虚構の多い作家の七重八重の屈折した倫理観あふれる作品は、それゆゑ、今は評価が淘汰され、あまり残ってゐる作品は少ないやうな気もします。

もちろん小説ですから、フィクションですが、今になってみると、展開される世界が余りにも”絵空事のなかの絵空事”のやうな印象が強くて、現在は、たとへば藤澤周平のやうな”絵空事のなかの真実”を見せる作品が残されてゆくのは当然のやうな気もします。

それでも、『やぶつばき』のやうな、ふと立ち尽くしてしまった女性の心理を描いて、やはり名手であることに違ひはありません。




その差…

2013-03-21 | 本や言葉


NHKの大河ドラマ『八重の櫻』を今のところ欠かさず見てゐますが(仕事の関係で、ほとんど、録画ですがー)、物語もいよいよ幕末の騒乱の模様になってきてゐます。

最近は、話が穏やかな会津の様子と、混乱を極めだしてゐる京都の話に終始してゐて、すこし物語りのワイド・レンジが狭くなって物足りないのですが、まあ、しばらくは我慢して見てゆくつもりです。

このドラマが始まって以来、小生、またぞろ幕末の本を沢山読みました。
そんななか『池田屋事件の研究』といふ新書ながら400ページの分厚いものを読みました。

その視点を、池田屋事件一点にしぼり、また、新撰組や会津側からの視点ではなく、長州側(やられた側)の視点で膨大な資料を駆使して浮かび上がらせるといふ、とても面白いものでした。

なるほど、巷間有名な事件ながら、池田屋自体が本当はどこにあったのか、どれほどの規模で誰が切り込みに入ったのか、誰が犠牲者になり、何人が死んだのか、逮捕されたものは何人だったのか、逃亡できたものは何人だったのかー、ほとんどはっきりとした事実が残ってゐない。

著者は、膨大な資料を選別しながら、なんとかおぼろげにその全体像を作り上げて行きます。
そして、いまさらながら感心するのは、当時の会津に較べて、長州側の時代感覚の一歩進んだ嗅覚です。

いたるところにスパイをまぎれこませ、情報収集に躍起になってゐます。
敵の敵は見方、といふ論法も駆使してゆく。

大河ドラマに描かれてゐるやうに、確かに、会津の武士は愚直には生きてゐますが、その先の展望が細い。

後年、戊辰戦争に巻き込まれた東北の諸藩との戦ひでも、倒幕軍がすでに連発の射程距離1キロ近くの外国銃を装備してゐるのに、ある藩では、兜をかぶり、旗印をたて、ほら貝を吹いて望んだ、といふー。
まるでお話にならない事実の基本は、やはり、情報収集力ではなかったのかしらん、と思ふ。




西行と、芭蕉と…

2013-03-10 | 本や言葉


西行と芭蕉の、それぞれの人生と、それぞれの歌を重ね遭はせるやうな本を読みました。

西行の『山家集』は、旧い岩波文庫のものが書棚にありますが、ぱらぱらとめくった程度でしたので、このたびまとめて彼の歌を読んだ想ひです。

混乱の時代、出家の理由はいまだ定かではありませんが、中流武士の地位を棄て、歌と漂流のやうな旅に生きた西行ー。
しかし、なるほど、当時から批判があったといふ、”反俗反僧”のやうなその生き方と、すこしなよなよしいその歌に、ある種、西行の限界があったのかもしれません。

そして500年後、その西行を心の師と仰ひで『おくの細道』といふ名作を残した芭蕉の方が、その短い文字列の中に、この世の中の森羅万象とこころの揺れ動きをスコーンと落とし入れたその妙技に、信服せざるをゑない。

また、ともに山形の地を踏んだふたりが、西行は滝山の紅色の櫻を見たでせうし、芭蕉は、山寺から滝山へ足を延ばすつもりもあったらしいのですが、花の季節はとっくに終ってをり、知人たちの言葉でその足先を出羽三山へ向けてしまふ。

そんなふたりが、500年の時空を越えてすれ違ふ姿を想ふと、滝山の大山櫻もまた、格別な姿になります。

↓結構前の、滝山の大山櫻







補陀落渡海

2012-12-05 | 本や言葉


先日、とてもショックな本を読んでしまひました。

数ヶ月前から、大量に地獄図関連の本を読んでゐて、まづ奪衣婆(だつえば)といふ、三途川の渡し賃である六文銭を持たずにやってきた 亡者の衣服を剥ぎ取る老婆の姿を追ひ求めてゐる脱衣婆フェチの方の本を読んで、夫婦でありながら影の薄くなった懸衣翁の存在を尻目に、完全に閻魔大王の愛人!!となった(あるひは、閻魔大王のを操ってゐるともいはれるー)その存在に深く興味を抱き、むか~し、長野か甲府の善光寺へいったとき、堂内の地下に地獄めぐりのやうな暗い場所があって(あれは、一種の胎内めぐりだったのでせうかー)、その暗闇の中で、卒塔婆小町の像に出会った。

ひどく驚いて、能の”卒塔婆小町”も見たりしましたが、あの像は、まさしく美しく才女だった小野小町が、その慣れの果てに、脱衣婆となって亡者の地獄ワールドへの案内をするといふ、すさまじい変転の姿を見せてくれたものでした。

山寺の中腹にも有名な脱衣婆の像があって、あらためて近々見に行かうかと思ってゐます。

そして、その地獄から逃げる手段として、補陀落渡海といふ行為が延々と続けられてゐて、その詳細な事例を解説した今回の本にショックを受けたのです。


観音浄土に船出した人びと』(根井 浄/吉川弘文館)

残された文献をもとに、詳細な事例を載せてゐますが、それらがすべて事実である保障もないのですが、
ある僧は長い信仰の果てに、あるものは殺人の罪の苦しみから逃れるために、異様な姿の渡海船を仕立て(こちら)、あるものは1週間の食料と油を積み、あるものは1ケ月分の食料と油を積み、乗り込むと外部はすべて外側から封印され脱出不可能の作りとし、光の当たらない狭い空間を友として熊野の岸から放たれる。

ただ唯一、南の方角にあるといふ、補陀落山をめざしてー。

しかし、あるものは四国の浜辺にたどり着き、あるものは九州に、あるものは沖縄にたどり着いてしまひ、そこで第二の修行をはじめるものや、海原で彷徨し、もはやこれまでと悟ったものは”南無三!”と仕掛けられてゐる船底の栓を抜き、海中にもあるといふ補陀落山へと死地の旅へでる。

日本に宣教できてゐた外国人たちは、そろって”悪魔にとり付かれた狂気のさた!”と本国へ報告してゐますが、
”人は生れ落ちたときから、死ぬ為にひたすら行き続ける、
 ならば、生き続けるために、死ぬこともまた真理”
といふ、とてつもないパラドックスにとり付かれた僧やそれに随行する人びと。

退路を断った信仰であるかもしれません。
狂気にとりつかれた集団自殺なのかもしれません。

凡庸な小生などには、その深いところはわかりませんが、きはめて日本独自だったといふこの宗教行為は、しばらく小生の興味から離れず、そして、同じ熊野の地を、陸路で勧進にでかけ、日本全国へ散っていき、やがて歴史から抹殺された熊野比丘尼の姿も、今、追ってゐるところです。





『忠臣蔵とは何か』

2012-11-22 | 本や言葉


鶴岡市出身の丸谷才一さんが過日亡くなりました。

小説家としてめざましいころ、ずゐぶんとその作品は好きで読みました。
『エホバの顔を避けて』 『年の残り』『笹まくら』 『たった一人の反乱』等。

知的な文章で、知的な文の運びと構成で、とても好きでした。
何よりも、徹頭徹尾、旧かなを使ふ方で、小生はその影響で使ってゐるのではありませんが、小生には読みやすです。
エッセーも膨大に出されてゐましたが、そちらはさほど読みませんでした。

『忠臣蔵とは何か』、といふ名品があるのも知ってゐましたが、読むことはありませんでした。

なぜか、もともと生理的に、”忠臣蔵”といふ話は嫌ひで、 山形に移ってからはさらに嫌ひになって、逆に、吉良上野介を調べ、彼の立場を擁護する気持ちが強くなってゐました。
(なにせ、彼の妻は米沢上杉家から嫁にいった姫であり、赤穂事件があり、その先の殺人事件がなければ、吉良上野介氏は、嫌々文句を云ひながらも、雪深い米沢で老後を送ったのかもしれませんしー。
このあたりの様子は、映画『47人の刺客』で印象的に描かれてゐますが、そのときの米沢藩の対応のふがいなさは眼を覆ふばかりで、お家大事で、武士の矜持も示せなかった。後年、明治初期の戊辰戦争のときも、その子孫は、同じ過ちを繰り返し、リーダーに押されながら、その任を全うできない、どこかの国の首相のやうな醜態だけを晒します)

とまれ、『忠臣蔵とは何か』ですが、なるほど、こんなにめっぱふ面白い本はありません。

県立図書館の一角で、追悼展示会をしてゐまして、すぐに申し込んだのですがやっと順番がまはってきました。
数十年前の本ですが、一気に読見ました。

事件そのものよりも、その後に形成された『仮名手本忠臣蔵』の話を元ダネに、縦横無尽の論理が強引に展開されてゐる。

事件に、有名な曽我兄弟の敵討ちと同じ構図を当てはめ、それによる怨霊信仰を発生させない処理だった、とか、カーニバル的な反乱だったとか、””そんな展開?”というほど、痛快なものです。

勿論、その後、歴史的には色々な資料も出てきてゐて、義士一色だけの事件だったではないやうですが、
小生は、やはり映画『最後の忠臣蔵』の主人公のやうな、また落ちぶれ義士<田宮伊右衛門>の『四谷怪談』のやうな、殺人行に参加しなかった、出来なかった人たちの姿がとても興味深いです。


今さら、ながら…

2012-11-11 | 本や言葉


今日の山寺。
曇天ながら、晩秋の紅葉で、駐車場はいっぱいでした。

夏頃、芭蕉の『おくの細道』の山形エリアを再現した番組を見て、それ以来、『おくの細道』に関する本を10冊ほど読んでゐました。

白河の関にも行ったこともあります、松島にも行きました、平泉にも行きました、封人の家の前も通りました、清風宅も見ました、勿論、山寺へも数回となく上がりました。

けれど、恥ずかしながら、肝心の『おくの細道』を全編読んだことはありませんでした。

約150日、約2,400キロを走破し、5年の推敲の末にできた、原稿用紙40枚にも満たない『おくの細道』を、初めて読みました。

俳句とかにはまったく素人ですが、それでも、死を賭した旅で、平泉あたりから、その切り取り方に凄みがでてくるのがよくわかります。

ひいきの引き倒しでゆくと、やはり、山形を通過してからの冴えガ素晴らしく、羽黒山あたりで、彼の不易流行のポリシーが生まれたと解釈する本もあり、むべなるかなー、といふ嬉しさです。

興にのって、歩いた道を尋ねあるく、といった時間も余裕も小生にはありませんが、しばらくは、『おくの細道』関連の本を読んでゆくやうです。


「伊賀越道中双六」沼津

2012-07-20 | 本や言葉
久しぶりに、歌舞伎の新しい動画はないかしらん、と思ってサーフィンしてゐたら『伊賀越道中双六』といふものがありました。
『伊賀越道中双六』

「伊賀越道中双六」沼津 1


全編の中の六段目の沼津宿といふところだけでしたが、とても面白かった。
(動画は、8つくらゐに分かれてupされてゐます)

有名な、徳川幕府草創期に起きた鍵屋の辻の決闘への物語りをバックにした(さう、忠臣蔵事件に対しての四谷怪談の悲劇のやうなー)、穏やかな宿場で起きる小さな悲劇を劇的に演じてゐます。

浄瑠璃の語りがずゐぶんとドラマティックだなァ、と思って調べたら、元は人形浄瑠璃だったとのこと。むべなるかなー。

とても描写が豊かな、穏やかな街道筋のシーンから、小さな悲劇の糸がからんでゆくのですが、片岡仁左衛門の妙技が素晴らしく、その細やかな所作に感心しきりでした。

ただまあ、実は(歌舞伎には、実は…といふ設定が非常に多いのですがー)、数馬の愛人だったといふ村の娘の役者が、その演技はとても上手なのですが、如何せんとても大柄なお爺さんのやうな方なので、百歩譲っても違和感があって馴染めなかった、です。

でも、とても面白かったので、近々、全編の脚本を読んでみるつもりです。


『マーラーの交響曲』

2012-03-17 | 本や言葉


金 聖響氏、玉木 正之氏による、『マーラーの交響曲』(講談社現代新書)を読む。
『ベートーヴェンの交響曲』、『ロマン派の交響曲』に続くもので、次はモーツァルトらしい。

このシリーズは、金 聖響氏が指揮者の立場からそれぞれの交響曲の面白さを語るもので、妙に片意地張ってゐない、でも、”譜面を買って読んでほしい!”といふ金氏の熱い言葉が、全篇に漂ってゐて、もちろん、かなり専門的な話もあります。

特に、今回のマーラーは、彼自身が神奈川フィルと全曲演奏を敢行してゐる最中での出版といふことなので、特に語り口が熱い!

また、3.11の翌日、3.12に6番の『悲劇的』を演奏する予定だったとかで、先だってのハーディング/新日本フィルのエピソードも生々しく盛り込まれてゐます。

今回特に興味がわいたのが、金氏が、8番《千人》、《大地の歌》、そして9番を続けて聞くと面白い、といふくだりで、おそらく4時間ほどになるでせうが、今、新たな演奏会の動画を見つけて1枚のDVDに落として聞くつもり、です。

さうすることで、マーラーの宇宙が、野望が、希望が、絶望が、足掻きが、何よりもアルマへの必死の愛が、わかるといふのです。

今さら、ですが…

2012-02-21 | 本や言葉


先日、NHKにて、木村伊兵衛が1950年代に、コダック(倒産してしまった…!)の依頼を受けて、初めてカラー・フィルムでパリの街を撮った話を特集してゐて、その写真のすごさに驚嘆しました。

今さら、巨匠の木村伊兵衛に驚くのも恥ずかしい話ですが、図書館で一冊借りてきて改めて見ました。

驚き以外のなにものでもありませんでした!
なんといふさりげなさで、なんといふ視線の確かさなのだらう!!

メイプルソープの、1ミリでも動くと構図のバランスが崩れてしまふやうな写真や、土門 拳の、鬼のやうな入れ込みの写真も好きですが(さういへば、しばらく酒田の土門拳美術館へ行ってゐないなあー、春になったら、行かうかしらんー)、木村の、ブレなんてまるで気にしない、でも、そこに写し出された人物の、人生を朗々と語るやうなショットの見事さは、驚異的です。

改めて、たくさん見てみるつもりです。