やまがた好日抄

低く暮らし、高く想ふ(byワーズワース)! 
山形の魅力や、日々の関心事を勝手気まま?に…。

松尾山観音/最上三十三観音第九番

2006-04-30 | 出羽百観音、を訊ねる


蔵王へのアクセス道路の途中にあります。枝垂れ桜が迎へてくれます。





山門で、咲き始めた染井吉野とカタクリが迎へてくれます。

樹齢千年と伝へられる桂の樹。

茅葺きの、室町時代のものとされる観音堂。

此岸と彼岸のはざ間に、身を清めたやうな水芭蕉。

江戸彼岸の古木。傷みはかなりあり、樹勢も弱い。

  

 

 

 


「ジョン・コルトレーン『至上の愛』の真実」、を読む

2006-04-29 | 雑記

アシュリー・カーン著/川嶋文丸訳(音楽之友社)

一枚のジャズの名盤の為に、400ページ近い熱い思ひが詰まってゐました。
著者は、当時の状況を再現すべく、このアルバムやコルトレーン自身に関はった多方面の人物からインタビューや逸話を掘り起こし、それらをコラージュのやうに貼り付け、話を進めてゆく。

『至上の愛』から、『アセンション』へと向かふ、コルトレーンの憑かれたやうな音への執着。
鉄壁のカルテットを組んでゐたメンバーも、違和感を感じて去って行く。
戸惑ふ観客、リスナー。そして、去ってゆく観客。

「『至上の愛』は、単なる曲やレコードではない。父の、神へ奉げものなのだ」と語る息子ラヴィ・コルトレーンの言葉が、当時のジョン・コルトレーンの、ある意味、自らを追ひ詰めた状況がうかがへる。


小生もまた、日本にも数多ゐるコルトレーン信者のひとりです。

遙か昔、「『バラード』と『ハートマンとコルトレーーン』だけはジャズとして認めるが、他は一切認めない」といふ友人と、「嫌、違ふ!」と云ひながらも、論破できる根拠を求めてジャズ喫茶の中で、当時は騒音のやうにも聞こへたコルトレーンの後期の作品を聴いてゐました。

読後、久しぶりに『至上の愛』を聴いて、続けて幾つかのアルバムも聴きましたが、改めて驚くのは、コルトレーンが死して40年近くの時間が過ぎてゐることでした。
その、疾風怒濤のやうな生き様、残された憑かれたやうな演奏のすべて。
それが今もって新鮮なのは、そこに凄まじいまでの美しさがあるからなのかも知れません。



(写真は、表紙)


岩波観音/最上三十三観音第七番

2006-04-28 | 出羽百観音、を訊ねる

瀧山信仰を調べてゐる過程で、このお寺に巡りあひました。
山形市の南東部にある「石行寺」といひます。


目の前を流れる、瀧山からの清流の横で、静かに春を迎へてゐました。
岩波堤の一部も残ってゐました。






お寺ですが、鳥居があります。




観音堂です。
よく保存され、威風堂々としてゐます。












本堂の門前で、梅が迎へてくれます。




庭の美しさでも有名な処のやうで、なるほど、借景が見事な庭でした。


















寺の方が居られたので、少し話をお聞きしました。
雪囲ひをはずす作業中でしたが、気軽に対応をして頂き、清廉な姿に感動しました。

瀧山三百坊と深く関はりのある寺ですので、その辺のことを聞くと、おそらくこのあたりから瀧山の中腹にかけて寺や宿坊が散在し、この寺がその入口の位置であったのでせう、とのことでした。
参道も、現在の道ではなく、裏手の古道であったらしく、観音堂も以前は逆向きであったかもしれない、と話されてゐました。
小生にとっては新鮮な話で、樹齢数百年のもみじが見頃な頃にでも、また訊ねるつもりで暇乞ひをしてきました。









愛染神社の江戸彼岸

2006-04-27 | 櫻探訪

山形市南部の小さな社、愛染神社の江戸彼岸を見てきました。
「オサヤジの種蒔き桜」といふ案内板がありました。














昨年の夏、近くの住宅団地で工事があり、昼の弁当を食べる場所を探してゐる時に
偶然見つけた処です。

山形県内には、置賜地方を除くと江戸彼岸の古木は少なく、眼は県外に向いてしまってゐたのですが、意外や、探せばまだ見知らぬ樹があるとの思ひを強くさせてくれた樹でした。

樹齢600年程の江戸彼岸、です。
おそらく、主幹は落雷か何かで折れてしまったのでせうが、大きく空洞を作りながらも、樹勢のある姿を見せてゐました。










しばし、見る人もゐない古木と静かな対話ができました。

折りしも、朝日新聞に三春町の滝桜の写真が載ってゐて、あの喧騒の模様との落差をほくそゑんでゐました。
滝桜は、14、5年前に2年続けて見に行き(その頃はまだ、片田舎の斜面の枝垂れ桜でしたがー)、年々観光化がひどくなるにつれて、見に行く足は遠のき、それでも友人、知人に「連れて行け」とせがまれ、数年前にも案内がてら数回行きましたが、商魂たくましい三春町の”整備”にほとほと嫌気がさし、まう行くことはないのだらうと思ってゐます。




お達磨の桜

2006-04-25 | 櫻探訪

寒河江市に用事がありましたので、少し早めに出て、
中山町の「お達磨の桜」を見てきました。

やっと山形市内でも満開になった頃なので、公園内の桜はまだ3部咲き程度でしたが、「お達磨の桜」の惨状に目を疑ひました。






確かに、5、6年前から見た目にも樹勢がなくなってきた思ひでしたが、一昨年はまだ花もそれなりに付けてゐたのに、今年の姿は、ただ痛ましいだけでした。

根を痛める原因はあまり見当たらず、近くに高速道路が出来たので、そのせゐで水みちに変化が出来てしまったのかー。

約樹齢600年の古木。
いずれにしても、その姿は、老いた身体に鞭打って毎年花を付けてきたが、
まう、疲れたよ、と云はんばかりに、江戸彼岸特有の小さな花を細い枝先に付けてゐました。




近隣の老夫婦が、言葉少なく「痛ましいー」と見やってゐました。
何とか、再生の手だてはないものだらうか!


公園内には、まう一本の江戸彼岸があり、樹齢が500年ほどらしいのですが、それも少し蔭りのある花の付き方で、若い染井吉野ばかりが、天に向かって枝を広げてゐました。






グルダのモーツァルト協奏曲

2006-04-23 | 古きテープから


1975.5.25/6.1 ヴィーン・コンチェルトハウス
ピアノ:フリードリッヒ・グルダ
指揮:クラウディオ・アバド/ヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団
プロブラム:モーツァルト/ピアノ協奏曲第25番(6.1)
              /ピアノ協奏曲第27番(5.25)

花見は数日先に残して、グルダのモーツァルトを聴いてゐました。
1975年ヴィーン芸術週間での、素晴しいライブの模様のテープです。

30年以上前のテープですので、ひたすら保存してゐたのですが、
高音がきついテープでしたが、音は綺麗に残ってゐました。

グルダ、アバド共に40代半ば前後。
結局、4曲の録音しか残さなかった組み合はせ。

グルダ独特の、結晶のやうなモーツァルト!
低音域から高音へと伸びる音の素晴しさ!
アバド/ヴィーン・フィルの、完璧なまでのバック。
ある意味、冷たく硬質なモーツァルトですが、奇跡のやうな演奏です。

25番は、ただならぬ気配の中で演奏が進んでゆきます。
グルダの演奏は勿論ですが、ヴィーン・フィルの演奏が余りにも素晴し過ぎるくらゐ、です。弦の旋律、管のひと吹きがすべて息づいたものになってゐる。

小生は勘違ひしてゐたのですが、グルダ自作の「アリア」が演奏されたのは
この25番の後でした。
騒然とした拍手にせがまれて、突然、グルダは「アリア」を弾き始めます。
氷柱のやうにシンプルで、けれど、祈りを感じさせる、まったき美しいアリア!


27番の演奏は、常にグルダのハミングのやうな声が聞こへてゐて、
モーツァルト死の年の協奏曲云々のエピソードを払ひ除いた、
浄化された音の連なりだけが聞こへてきます。
こと27番に関しては、この演奏がよいのかも知れません。
加へるものも、削るものも一切ない曲ですからー。


それにしても、やはり、グルダの死は早すぎた!




(写真は、ジャケットから)


若沖のブログ、発見!

2006-04-22 | 雑記

あるメールの知らせから、伊藤若冲のブログを知ることになり、
小生は、狂喜乱舞!!

夏から各地で開催される「若冲と江戸絵画」展への、オフィシャルブログ、ださうです。

アドレスは、 http://d.hatena.ne.jp/jakuchu/ です。


伊藤若冲。
江戸中期、京都の青物問屋の若旦那として生まれ、でも、商売が嫌ひで、のらりくらりとしながら好きな絵を描き、今をも突き抜ける作品を残した奇才です。


絵画の面でも、如何に江戸文化が素晴しかったか。
如何に傑出した人間を輩出してゐたか。
その一端を物語る絵描きの作品です。










ショーン・コネリーの引退

2006-04-21 | 雑記


数日前、ショーン・コネリーの引退が、新聞やネット上でも話題に上がってゐました。
小生も、惜しむ者のひとりです。


ずゐぶんと以前、「ロシア・ハウス」といふ映画を見ました。
旧ソビエト時代の、秘密文書をめぐる、スパイ映画だったやうに記憶してゐますが、今も残ってゐるのは、全編を覆ふオーボエの哀切なメロディと、ショーン・コネリーの色気でした。


歳を重ねること、容貌が変はること(彼の場合は、禿げてきた)が、俳優にとって決してマイナスにならないこと、
逆に、それらを突き抜けたところで、男性であれ、女性であれ、色香が漂ふやうになれば、まう、怖いものなしのステージに立てるといふこと。
知人に、「ショーン・コネリーに抱かれたい!!」と過激に発言する女性が居られますが、小生も理解可能な意見です。


小生の嫌ひな女優に、吉○小百合、といふ、日本を代表する人がゐますが、演技やCMでの姿を見てゐると、痛ましさのみを感じます。
およそ、その60歳とは思へない容姿を維持する努力は有名ですし、感心もしますが、その先の姿を想像すると、女優としての貧しさのみを感じてしまひます。


とまれ、日本も間違ひなく下り坂になってゐるのですから、若くて金持ちが一番、ではなく、貧しくて、でも妙に色香のある人が増へてきてもよいのぢやないかしらん?




2006.4.20 穀雨の雪

2006-04-20 | 大岡山界隈



山形市では、昨日、桜の開花が告げられたのですが、
一転、今日は荒れた天気で、雨風も強く、果てに雪になってしまひました。
近くの大岡山も、再び雪景色のさまです。


奇しくも、今日は、二十四節気の穀雨。
作物のための恵みの雨がふる頃、とされてゐますが、
咲き始めた染井吉野は、慎重、臆病な性格ゆゑ、
「騙された!」と、開き始めた花を閉じてしまふかもしれません?


これでは、花見の予定が付きません!?





『敗者から見た明治維新』、を読む

2006-04-19 | 雑記

『敗者から見た明治維新』(早乙女貢著/NHK出版)

以前、NHKで放送されてゐた内容の、単行本化したものです。


関東から山形に移り住んで、見方が大きく変はり、以来調べてゐることのひとつに、”明治維新”と”戊辰戦争”があります。

会津に散在してゐる、古木の江戸彼岸を求めて毎年のやうに歩くので、その過程で、戊辰戦争に関はる史跡や史実にぶつかります。
確か、会津若松市と山口市で友好関係の修復ができたのは、十年にも満たない、つい最近のことだったはずです。

会津若松市の再建された城内に立つと、怨嗟の声が聞こへてくるやうです。
会津の知人の娘さんが、「白虎隊ばかりで、ウンザリ…」と云ってゐたのも、現実的な話ですが、でもやはり、余りにも理不尽な戦争と、その戦後処理の仕方が、平成の時代になっても、未だ、後をひいてゐる国としての未熟さにつながってゐるやうな気がします。


”倒幕”ではなく、”討幕”であったこと、
”明治維新”ではなく、”武力革命”でのし上がった薩長閥政府の始まりであったことを思へば、負け組みとしての嘆きではなく、史実としての歪みを補正してゆくに遅すぎることはありません。

(ちなみに、戊辰戦争時、山形藩はどちらに付くか右往左往し、米沢藩も同盟の雄であったにも関はらず早々と白旗をあげ、上山藩は小藩ながら精鋭部隊を結成し、庄内藩は当時全国最強の軍隊で薩長軍に果敢な戦ひを挑んでゐました)