やまがた好日抄

低く暮らし、高く想ふ(byワーズワース)! 
山形の魅力や、日々の関心事を勝手気まま?に…。

燕よ、来い!

2006-05-20 | 大岡山界隈

数日前から、燕の飛ぶ姿がありました。

気がついたら、車庫の天井で、つがひで巣作りを始めてゐました。









ずゐぶんと以前から、幾世代にもわたってこの車庫に来てゐるのでせう、
人の姿に驚くこともなく、我が家のやうに振舞って、
いたってマイペースで少しずつ資材を運んでゐます。

我が家にとっては、彼等は先輩にあたりますので、
手近にあった合板のはぎれで、休み処(フンの落下防止でもありますが)を
進呈しておきました。

これから生まれる出あらう子供達の、巣立ちの姿まで見られると幸ひ、です。

















深山観音/置賜三十三観音札所第八番

2006-05-19 | 出羽百観音、を訊ねる

白鷹町深山にある、深山観音。

その道すがら、こんもりとした桜の社が見えます。






観音桜、と名付けられた染井吉野。








古木の杉木立の先に、山門が望める。




小さいが、瀟洒な山門。







有無を言はせない、存在感のある観音堂。
室町時代のものとされる。







雪深い山郷で、この庇が観音を守ってきたはずです。







ご夫婦で来られてゐた男性。
連れ添った家人の、これからの健康を願ってゐたのかー。












とても趣きのあるところでしたが、
それ以上に興味をひいたのは、白鷹あたりが、会津仏教と羽黒信仰との分水嶺のやうな場所であった、とのことでした。

会津の山深くに、有名な虚空蔵信仰の名刹があり、確かに山形の南部の一部では、ある年になると通過儀礼のやうにこの寺に詣でる、といふ話を聞いたことがありました。


きっとあるときは交流があり、あるときは戦ひがあったのかもしれません。















黙阿弥、を読む3

2006-05-18 | 本や言葉


「風船乗評判高楼」(ふうせんのりうはさのたかどの)


明治24年、東京歌舞伎座で初演。
黙阿弥76歳。


どっこい生きてゐた黙阿弥の、江戸ではなく、東京の賑はひを描いた風俗舞踏劇。
尾上菊五郎の求めに応じて作られたといふ短いものですが、楽屋落ちや当時の名所、生活、風俗を盛りだくさんに取り入れて、一篇の夢話のやうで面白い。

特に、気球を見せる場面では、子役を使って遠近法を出したり、と知恵を出しての舞台を創ってゐるあたりは、歌舞伎本来が持つパワーを感じます。






         


既に舞台は、ロウソクや自然光ではなく、また、ガス灯でもなく、電気照明によるものだった、といふ。

黙阿弥自らは、死ぬまでランプさゑ使はなかった、とされてゐますが、
一度の引退後も、役者の求めに応じてこんな芝居を書いた老作家の、
職人としての意気地をみるやうな思ひです。




(新日本古典文学体系/河竹黙阿弥集/岩波書店、より)
(写真も、上記より)









山菜を、食らふ

2006-05-16 | やまがた抄

蔵王で、今年最後の桜を見たときに、
今年三度目の山菜取りも出来ました。


コゴミと↓



笹竹↓



他には何も入れないで、カラッとかき揚にしました。↓
とても、美味、でした。




改めて考へれば、
コゴミは、シダの新葉、
笹竹に至っては、熊笹の少し大きい種類の新芽、です
(正直な処、山形市内の人でも、これは余り採りませんが、以前、肘折温泉で山菜を採ったときに、地元の方にご馳走になり、美味でしたので、採ってみました。
一緒にゐた友人も、これを! と驚いてゐましたが、食したら、超美味い、との感想でした)。
共に、草、みたいなもので、
ハーブが、つまり、元々さういふ存在に近いことに似てゐるでせうか。


山形の各地に山菜料理を出すところが沢山あります。
コースだと、5~6千円もします。

でも、小生は、山菜はそんな上品なものではなく、やはり、食らふ、といふ野趣あふれる感覚が好きです。

そして、それを味はふためには、
山菜の種類も、味の特徴も、料理の仕方も、勿論、見つけ方、採り方の基本も知らなければなりません。

さういふ、基本的な生きるための知恵が今の方には少ないのかな、とオジサンは考へて…。(^_^;)

過日の蔵王でも、「何を採ってゐるのですか?」と訊ねる中年のご婦人方に、「コゴミですがー」と答へると、「まあ! コゴミ!」と、死に物狂ひで小生等が採った後の小さな芽をむしるやうに採ってゐました。

あれでは、来年が、心配、です。(´ヘ`;)とほほ・・











五月半ばー。

2006-05-15 | 大岡山界隈

先日、名取市の知人に鰹を頂きました。
初鰹、です。
よく脂がのってゐて、美味でした。





大岡山も、萌え始めてゐます。




裏の庭の鈴蘭。




早くも根付いたオダマキ。




仕事場の前のエビネ。



季節は、夏に向かってゆきます。











ハスキルのモーツァルト、を聴く

2006-05-14 | 音楽を


クララ・ハスキルのモーツァルトのピアノ協奏曲をまとめて聴く。


モーツァルト/ピアノ協奏曲第13番/指揮:ルドルフ・パウムガルトナー/
                       ルツェルン祝祭弦楽合奏団
       /ピアノ協奏曲第20番、24番/指揮:イゴリ・マルケヴィチ/
                         コンセール・ラムルー管弦楽団
       /ピアノ協奏曲第23番/指揮:パウル・ザッヒャー/ 
                      ヴィーン交響楽団
       /ピアノ協奏曲第27番/指揮:フェレンツ・フリッチャイ/
                      バイエルン国立管弦楽団  


共に、晩年の録音である。
1954年の23番から、1960年に事故で亡くなる直前の20番、24番まで、彼女の残された数少ないピアノ協奏曲。

そのどれもが、素晴しいモーツァルト!!
そのどれもが、至福の、宝のピアノ協奏曲の演奏!!

13番の、モーツァルト26歳の時のこの曲の何とニュアンスの豊かなことか!
以前から、この曲はハスキルの演奏が最愛のものでしたが、久しぶりに聴き直してその細やかな部分の演奏に改めて驚きました。
決して飛ぶやうな指使ひが聴こへる訳でもありません。
恣意的でも、忘我的でもなく、ゆったりと後期の協奏曲のやうに深みの増した演奏です。


20番と24番の演奏は、名演盤とされてゐるものです。
マルケヴィチの素晴しいバックに支へられて、共に短調ながら、ハスキルは深刻ぶった装ひもせず、穏やかで、彼女の息遣ひがそのままモーツァルトのそれにつながるやうな静謐な演奏を聴かせてくれます。
やはり、このあたりの演奏を聴くと、まう少し多くの録音を残して呉れてゐたら、とないものをねだってしまひます。


27番は、小生の好きなフリッチャイのバック!
フリッチャイの演奏が、決して、健康にも運気にも恵まれなかったハスキルのピアノを包みこむやうに進んでゆく。
モノラルの録音ながら、聴き始めると、この、モーツァルト死の年の協奏曲はハスキルのピアノで生きるためにその姿を残すやうにー。
オーケストラの全奏のあとの、何と自然で、けれど、多くのものを抱きかかへながらハスキルのピアノが始まることか!



ハスキルは、やはりその晩年に、グリュミオーと幾つかのヴァイオリン・ソナタを残してゐます。
そのどれもが、ことごとく素晴しいものです。
親子ほども違ふ彼らのデュオは、その写真をみると、如何にも幸福な姿に見えます。
小生は、はにかむやうにグリュミオーと並ぶハスキルの姿に、間違ひなく”恋”を感じるのですが、いつか、その話を書かうと思ってゐます。


とまれ、出羽の新緑の山々に、ハスキルの音が吸ひ込まれてゆきます!




(写真は、ジャケットより)




  

ブルースエット/カーティス・フラー

2006-05-13 | 書棚のジャズアルバムから

連休の時に、半年振りにダンボール箱を開き、ディスク類を整理しました。

このカテゴリーも少し変更して、それらのディスクから聴くことにしました。


カーティス・フラーのカルテットにベニー・ゴルソンが加はった名盤。
1958年、ニューヨークでの録音。


久しぶりに聴いたら、やはり一曲目の「ファイブ・スポット・アフター・ダーク」の出だしの新鮮で、軽やかなこと!

この名盤が持つ、ハード・バップ云々の小難しいことは抜きにして、ジャズが”楽しけりゃ、いい!”といった時代のものであることも確かですが、フラーのトロンボーンは、どの曲でも実に品の良い音を出してゐます。
「ラブ・ユア・スペル・イズ・エブリホェア」でも、そこはかとない哀愁を帯びたメロディを、うっとりするほどの上手さで吹いてゐます。

ゴルソンのテナー・サックスが、それに較べて、少し品がなく、バリバリと吹いてしまってゐてー(当時、彼は、ジャズ・メッセンジャーでも吹いてゐたから、仕方がないかー)、このアルバムの作曲はゴルソンによるものが多いのですが、フラーにとってベストの組み合はせだったのか否か、少し首をかしげるところではありました。

バックは、ベースがジミー・ギャリソン!
ピアノが名手トミー・フラナガン(どの曲でも、実に品よくアドリブをつけてゐる)。
ドラムスはアル・ヘアウッド。

そして、ジャケットの、今もってお洒落なこと!


(写真は、LPのジャケットから)


今年最后の、桜ー。

2006-05-12 | 櫻探訪


西蔵王の大山桜の帰りに、蔵王の鴫ノ谷地沼へ寄りました。
街では既に、桜のことは人々の言の葉にはあがらなくなってゐますが、
ここでは、丁度山桜が満開で、静かな沼辺で春を迎へてゐました。

今年も幾つかの桜を見ました。
来年も、また、さうであればー、と願ひつつ、
今年最后の桜、です。





























水芭蕉も咲いてゐました。
季節は、夏に向かひます。








大山桜

2006-05-11 | 櫻探訪



今年もまた、西蔵王の大山桜を見に行きました。

観光客の方には申し訳ありませんが、幸ひにも開花時期がゴールデンウィークを過ぎ、沢山の写真愛好家の方は来られてゐましたが、それでも、静かに一年ぶりの再会が出来ました。

この桜を見られることは、本当にひとつの幸せ、です。



















出羽、瀧山寺の跡地とされる一帯の隅に、鳥居があります。
千年近く前、栄華を誇った瀧山信仰のわずかな名残りです。
西行桜と名付けられた染井吉野が、その時空を飾ってゐます。



近くの山桜の、鄙びた美しさがこの場所にはふさはしい。








※他の写真は、整理して「フォト蔵」さんに公開する予定です。
 興味のある方は、後日ご覧ください。